第四話 そう告げていた心の声
婚約を白紙に戻された娘に対して、貴族の社交界は驚くほど早く次の縁談を運んでくる。私のもとへ舞い込んだ求婚は三件。その中で父が「悪くない」と選んだのは、四歳年下――十五歳の伯爵家嫡男、ハーシェル・ニルカートだった。
「くすっ。可愛らしいお相手じゃない?」
頬にまだ包帯を巻いた妹・ミゼットが鼻先で笑う。最近の彼女は、私への悪意を隠そうともしない。
「そうね。真面目一辺倒のグスタビオ様よりは、年下の可愛い夫の方が気楽かもしれないわ」
さらりと言い放つとミゼットは目を細めて肩をすくめた。
「ふん。伯爵夫人の方がお気楽そうね!」
母は薄い笑みを浮かべ「お会いしてみれば?」と宙に舞うほど軽い励ましをくれた。そうして私はハーシェルとの顔合わせを承諾した。
* * *
面会当日。春の陽光が木々の緑葉の影を地面に映す午後、邸の応接室に現れたハーシエルは、期待よりも遥かに大人びた長身の少年だった。
蜂蜜色の前髪から覗く切れ長の翠眼――一見の好感を確かに感じた。
家族に礼を尽くし、卓越した微笑みで場の空気さらうと、彼は私と二人きりになることを望んだ。ソファへ向かい合うと、緊張にわずか肩をこわばらせる仕草はやはりまだ幼い。
私は柔らかく会釈し、そっと口を開いた。
「ハーシェル様、とお呼びしてよろしいでしょうか」
「はい。僕もローゼリア様と――その、お呼びしたい」
丁寧な口調の裏で、彼の長い脚が組まれる。先の尖った靴が小刻みに揺れた。足先の振動――ふいに、前世の婚約者・涼也が同じ癖であった記憶が蘇る。私の胸がざわついた。
「あ、失礼。悪い癖で」
少年は気づいて足を下ろし、前髪を指で掻き上げた。艶のある仕草に、僅かな自信が伺える。
「気になさらないで。誰にでも癖はありますわ」
「ローゼリア様の癖も、もしよろしければ教えていただけますか?」
「恥ずかしいので内緒です」
「……わかりました」
彼の翠眼が、面白い謎を見つけた子供のように細く笑う。私は背筋にひと筋の寒気を覚えながら微笑み返した。
「それにしても、なぜ四歳も年上の私へプロポーズを?」
「以前、街路で馬車を待つ貴女を見かけて――その瞬間から憧れていたのです」
甘い告白は場の空気を暖めたが、私は首を傾げずにはいられない。
「マジで? 妹に憧れる方のほうが多いのですよ? 私を推してくださる理由は何かしら」
「派手な方は苦手なのです。貴女なら静かに――けれど確かに、僕を支えてくださると感じました」
少年はそう言い切り、その想いに嘘はなさそうに見える。
ここで私は真実を明かす決心をした。
「では私の癖を。……私には前世の記憶が朧げに残っております」
「ほう、珍しい」少年は眉を上げ興味を示す。
「時折、無意識に前世の言葉を口にします」
「なるほど。先ほどの“マジで”という単語ですね。僕の学んだ語にはありませんでした」
少年は少しも戸惑わず、面白がるように頷いた。
「ハーシェル様には、前世の記憶は?」
「残念ながらございません。ですが――」翠眼がまた細められる。「前世の想い出を抱く貴女を受け止める覚悟なら、僕にはあります」
言葉は誠実に聞こえる。けれど胸奥の香帆――前世の私が、二の足を踏んだ。
家族の前に戻った私は、父に静かに告げる。
「お断りください」
父の眉が跳ね上がる。母は「まあ!」と小さく声を上げ、ミゼットは呆れた笑みを浮かべた。
「なぜだ? 非の打ち所のない若者だったが」
「そうよ、お姉様。贅沢ね!」
私は首を振った。
「だったらミゼットがどうぞ。――私は、違うの」
ほんの刹那、少年の揺れる靴先と自信に満ちた横顔が脳裏に浮かんだ。言葉にし難いざわめきが、胸の奥に広がっている。
――彼には何かがある。あれは、拒んだ方が良い。
香帆の声が、確かにそう告げていた。
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