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“103万円の壁”問題から ~日本経済の本当の病巣

 討論番組だった。

 議題は“103万円の壁”問題。

 インフルエンサーのN村が言う。

 「もし所得税の課税開始を103万円から引き上げて178万円からにすれば、もっと長時間働く人が増えるんですよ。今って少子高齢化で労働力が不足している訳じゃないですか? それを考えてもそれは有益だし、国民の収入だって増えるのですよ? やらない理由はないと思いますけどね」

 すると、それに政治家のK田が反論した。

 「メリットは分かっています。しかし、それをやってしまうと税収が減ってしまうのです。行政に悪影響を及ぼしてしまう」

 N村は鼻で笑う。

 「本当ですか? では、具体的にどんな悪影響が出るのか言ってみてくださいよ」

 K田は言いよどむ。

 「いや、それは…… 具体的には…」

 その反応にN村は勝ち誇った顔を見せた。

 「ほら、言えないでしょう? 実際は何の問題もないのですよ」

 その番組の様子を見守っていたネット民達は、N村が政治家を論破したと沸き立った。やっぱり、税収が減ったとしても特に問題は起こらないのだ、と。

 “一部の政治家や財務省に騙されてはいけない! もっと減税をやるべきだ!”

 

 番組が終わった後、K田は非常に悔しそうな顔を見せていた。

 「あいつは何にも分かっていないんだ。なんであれで論破になるんだ?」

 彼の秘書が同情をして言う。

 「そうですよ。質問に咄嗟に答えられなかっただけじゃないですかね」

 しかしK田は首を横に振りながら返す。

 「いや、でもな。本当は言えたんだよ」

 「は?」とそれに秘書。

 「今の円安は、財政状態の悪化が原因となって起こっているんだ。もちろん、国際的な金融事情もあるのだけどな。

 つまり、財政状態が悪化すれば、円安は更に酷くなってしまうかもしれないんだよ」

 秘書は訝しげな顔を見せる。

 「なら、それを言えば良かったじゃないですか」

 K田は声を荒げた。

 「言えなかったんだよ!」

 しかし直ぐに彼は反省をして、「すまない。興奮してしまった」と謝るとこう続けた。

 「財政状態が原因となって起こる円安は、実質的には国家破産なんだよ。もし仮に円の価値が半分になったとしよう。すると国の借金は半分になる。これは実質的に借金を半分踏み倒しているのと同じだ。債務不履行。国家破産だな。

 つまり、今は緩やかに国家破産し続けているような状態なんだよ。今後の国際事情にそれは大きく左右されるが、それでも日本が危機的状況であるのは変わらない。こんな事、言えると思うか?」

 それを聞いた秘書は深刻そうな顔で頷いた。

 「なるほど。それは言えませんね」

 政治家という立場の人間がそんな発言をすれば、下手すればパニックが起こってしまうかもしれない。

 

 ――マスコミは情報を規制している。

 

 それは火を見るよりも明らかだ。

 このような事例があるのだから。

 「でもな」と、K田は続けた。

 「それじゃ、“103万円の壁”を引き上げたらダメなのかって言ったら、実は必ずしもそうとは言い切れないんだけどな」

 秘書はその彼の言葉に再び訝しげな顔を見るのだった。

 

 ――既得権益層…… 主に、官僚達が望む理想的な日本の状態とは果たして何だろう?

 

 官僚のC橋はニュース番組をチェックしていた。ちょうど“103万円の壁”問題を扱っており、一般会計の財政状態について報道しているところだった。

 ニュースキャスターが言う。

 「一般会計は8兆円という規模の大赤字です。所得税の課税開始を103万円から引き上げてしまうと、この状態がますます悪化してしまいます」

 その内容にC橋は満足そうに頷く。

 “よし! 指示通りだ”

 そのように危機を煽れば、“103万円の壁”の引き上げに反対する国民は増えるだろう。もちろん、これは情報操作だ。

 既得権益を護りたい。税金を通じて富を増やす手段は絶対に失ってはならない。その為には国民を騙し続けなければ。

 経済成長が可能であるのなら、もちろん、その方が良い。経済成長で税収が増えれば、彼らの利益も増える。しかし、その為に既得権益を手放す気はない。むしろ増やしたい。

 今、財政は危機的な状態だが、だからそれを解決する為に既得権益を失う気は一切ない。一番は国民に増税を認めさせ、今の状態を乗り切る事だ。しばらく耐えれば、国際情勢が変わって危機が和らぐかもしれない。

 つまり、

 

 ――特別会計の存在を隠したまま、増税をなし崩し的に認めさせる。

 

 それが彼の願いだった。

 特別会計とは、国会の承認を得ずに使える国の会計の事で、なんと一般会計の数倍の規模があると言われている。ただし、正確には隠している訳ではない。小泉政権の時に大きく話題になり、既に有名になっているからだ。もっとも現在は滅多に話題にならない。恐らくは、長い間テレビのニュース番組で取り上げられなかったからだろう。

 「これだけ重要な話なのに、しばらく触れないでおくと直ぐに忘れてくれる。この国の国民は本当にありがたい」

 C橋はにやりと笑った。

 そのような特性を持っているからこそ、これだけ長い間、彼らは権力を維持できていたのかもしれない。

 経済成長は最悪できなくても構わない。もっとも、念の為、その努力はする。既得権益を失わない範囲で……

 独り言を呟く。

 「本当は、年金に手を加えれば、“103万円の壁”を引き上げられるだけの財源など、簡単に捻出できるのだけどな」

 

 ――高額所得高齢者にも年金は支払われているという事実も、ほとんどテレビでは話題にならない。

 

 Y谷はテレビのニュース番組を観て、少々複雑な心持ちになっていた。

 「103万円から、さっさと引き上げてやれば良いのに……」

 そのニュース番組では“103万円の壁”問題を扱っており、その所為で働き控えが発生し現役世代の生活が苦しくなっていると報道していたのだ。もちろん、その“働き控え”はこの高齢社会においては、労働力不足に拍車をかける原因にもなっている。

 Y谷は既に現役を引退している。つまり高齢者だ。彼は資産家で、年間1000万円以上の収入がある。加えて、年金も月に相当の金額を受け取っており、はっきり言って生活には余裕がある。お金の使い道がなくて困っているくらいだ。

 高齢者は消費意欲が低い。これは全世界的な傾向で、彼も同じだったのだ。

 だから彼は複雑な心持ちになっていたのだった。

 年金支給の世代間格差はとんでもないレベルだと言われている。若い世代はそれだけ損をしているのだ。彼の心境としては、年金など支給してもらなくても構わなかった。もっと若い世代に回して欲しい。

 彼の知り合いの高齢者には、介護の人手不足の所為で苦しんでいる者もいた。もし仮に、“103万円の壁”を引き上げて、労働力を増やせたのなら、それもなんとかなるのかもしれない。

 聞くところによると、外国人に頼る介護現場も増えて来ているらしい。このような感情を抱いてしまうのは、或いは差別に当たるのかもしれないが、それでも自分が介護される側になると思うとやはり一抹の不安を覚えてしまう。

 

 ――労働力を増やせれば、移民に依存しなくて済むようになるのではないか?

 

 J山はコンビニでアルバイトをしている。

 アルバイトの半分は中国、インド、ベトナムからやって来た人々で、つまりは外国人だ。店長に話を聞いてみると、当初は不安だったものの、今いる人達は真面目に働いてくれているそうだ。ただ、

 「本心を言うのなら、もっとおばちゃん達に働いてもらいたいと思っているよ」

 とも語っていた。

 やはり言葉の壁があるし、生活習慣や考え方の違いもある。もちろん、慣れてもらえば乗り越えられる程度の問題でもあるのだが、それでも初期投資はかかる。

 「もっと根本的な問題を言うとさ、そもそも外国人とか日本人とか関係なくて、アルバイトは適度な人数の方が良いんだよ」

 アルバイトが増えると、それだけ事務作業が増える。制服などの備品も増やさないといけない。つまりはコストが余計にかかってしまうのだ。もちろん、少なすぎるのもいけないのだが。それでは仕事が属人化してしまう。怪我や病気などで誰かが働けなくなった場合、最悪、店が回らなくなってしまうかもしれない。

 「だから、ま、“103万円の壁”が引き上げられたら嬉しいのだけどな。アルバイトの固定費が安く済む」

 それを聞いて、J山は“なるほどなぁ”などと思った訳だが、少し考えてしまった。

 彼女は大学生で、現在、自然分解可能なプラスチックの研究を行っている。天然由来だから、もしこれが製品化されれば原油の輸入に頼ることなく環境負荷も軽いビニール袋などが市場に流通するようになる。しかし、もちろん、製品化のハードルは高い。

 そのうちの一つが労働力だ。現在、日本は少子高齢化の影響もあって労働力不足だから。そして、恐らくその為の労働力は“103万円の壁”の引き上げで得られる分だけでは足りないだろう。

 不意に店長が尋ねて来た。

 「何を考えているの?」

 それでハッとなる。つい考え込んでしまったていた。

 「いえ、すいません。ほら、私って大学で“分解可能なプラスチック”の研究をやっているじゃないですか。“103万円の壁”が引き上げられるくらいじゃ、製品化に必要な労働力は確保できそうにないなって思いまして。その他の問題もありそうだし」

 「ああ、」と店長は頷く。

 「ビニール袋の有料化は、店としては助かったけどね。ほら、円安でビニール袋の仕入れ値も上がっているしさ。商品価格の決定権がある商品なら、ビニール袋のコストを上乗せできるけど、メーカー側に決定権の商品だとなかなかそうはいかないから。それなのに、世間ではバッシングしまくっていたなぁ。あれってビニール袋製造業者の既得権益を護る為だよね。そもそも商品価格に上乗せするから、無料って訳でもないのにさ」

 「店、助かっているのですか? 有料化の所為で万引きが増えたって話も聞きますが」

 「それ、嘘だよ。うちの店では変わっていないし、警察が公開しているデータだと、増えるどころか減っているよ。

 そーいう嘘をマスコミって平気で流すんだよ。既得権益を護る為なら。ま、マスコミ自体が既得権益だしね」

 J山はそれに頷く。

 もし、本当に自分達が開発している分解可能なプラスチックが製品化されそうになったなら、きっと様々な妨害が入るのだろう。そう思った。

 世の中全体の利益になるような事でも、一部の既得権益の為に導入が進まない技術や制度は恐らく他にもたくさんあるのだろう。

 新技術を活かせば、無駄を省けたり、新しい何かを生み出せたりするのに。

 

 ――現在の日本に、無駄な労働は明らかにある。

 

 T林はどうしても納得がいかなかった。

 「……なんであの人は、あんなに威張っているのだろう?」

 職場でパソコンのキーボードを叩きながらそう呟く。

 T林はITエンジニアだ。ある大企業のシステム部門で働いている。ただし、その企業に所属しているという訳ではなく、別のシステム会社から“客先常駐”という形で派遣されている。そして実は、彼の会社は職場である大企業と直接契約しているのではなく、その間にはマージンだけ抜いている会社が存在しているのだった。つまりは多重派遣されているのだ。その中間会社は簡単な事務作業だけで収益を上げている事になる。

 そして、

 「どうして威張っているのだろう?」

 ついさっき彼はあまり意味があるとは思えないその中間会社の営業との面談をして来たばかりだったのだが、営業は何故かとても彼に対して高圧的なのだった。営業は彼が仕事をしているお陰で収入があるのである。つまり彼が営業を養っているようなものなのだ。道理から言っても威張れるような立場にはない。

 正直、腹立たしいと思っている。

 ただし、実は後少しでその状態は改善するのかもしれなかったのだが。

 現場の上司に多重派遣されている事を伝え、その所為で給料が増えなくて困っていると訴えると直接契約に前向きになってくれたのだ。これも今まで彼が真面目に働いて来て認められたからだろう。

 ……もっとも、それだけが理由ではないのだろうが。

 直接契約すれば、マージン分が浮くので、彼の収入が増えるばかりではなく、雇い主の企業は今までよりも契約金を下げられるのだ。しかもその方がセキュリティ上のリスクも減る。複数の会社を隔てると、正体が分からなくなるから、産業スパイなども入り易くなってしまうのだ。雇っている側としては、直接契約の方がメリットが大きい。

 今までマージンを得ていた中間会社は収入がなくなるが、これまでが異常なのであって正常化するだけの話だ。そんな他人の利益をかすめ取るような仕事ではなく、もっと有意義な仕事をした方が良いに決まっている。世の中にとっても、その中間会社にとっても。

 実は日本社会の問題点として、“多重派遣が多い事”が挙げられている。日本は生産性が低いと言われているが、その原因の一つが恐らくはこの多重派遣だ。これを改善すれば、収入が増える人は多いだろう。近年、貧困に苦しむ人達も増えていると聞く。本来は、多重派遣は徹底的に禁止にするべきではないのだろうか?

 中間会社にも仕事を紹介するという意味では役割があると言えるかもしれないが、仮にそれを認めたとしても、紹介手数料を一度だけ貰うというくらいが妥当だろう。否、今の進化した情報技術を用いて工夫すれば、それだって必要なくなるはずだ。

 もちろん、そんな事をすれば、多くの失業者が生まれる事になるかもしれない。が、失業者にはネガティブな面があるばかりではない。それは同時に“労働力が余っている”という事でもあるのだから、新しい産業の育成の為に活かせば良い。

 それから彼はパソコン画面を見つめて、キーボードを押す。

 「いや、多重派遣だけじゃないな。他でももっと無駄はなくせる」

 彼は物流関係のシステムを運行している。それでそう思ったたしい。日本の物流業界には、“卸売り業”のような中間業者が多くいるという特性があるのだ。昔だったなら、中間業者の役割はもしかしたら大きかったのかもしれない。が、現代は情報技術を活かせば、その多くの機能は不要になる。多少は不良品が増えるだとかいったトラブルも起こるかもしれないが、致命的とは言い難い。この無駄を省けば、きっと更に多くの労働力が余る。

 「……やれば良いのになぁ」

 と、彼はそっと呟いた。

 もったいない。

 新産業を生み出したいと思っている人はこの日本にだってたくさんいるだろうに。

 

 ――この日本にだって、可能性のある新産業はたくさんある。

 

 海辺の町だった。

 廃業になった大きなプールを借りて、R村はウニを育てていた。地球温暖化の影響で海水温が上がった現在、ウニは“海の害虫”とまで呼ばれてしまっている。海藻が育ち難くなった海で、大量発生した小さなウニが海藻を食べ尽くし、“海の砂漠化”を引き起こしてしまうのだ。

 しかも、その小さなウニは身が少なく、食用には向かない。つまりは駆除するしかないという訳だ。

 ただし、そのウニを養殖するという試みを行っている人達はいる。そして、R村もその一人だった。海から小さなウニを採って来てプールの中で養殖する。餌はブロッコリーなどの野菜を主に使う。野菜と言っても、人間が食べない部分であり、つまりは生ゴミだ。野菜で育ったウニは味が良く、充分に需要に応えられそうだった。

 が、今のままでは、事業化は難しいと彼らは判断していた。

 ウニを採って来るのにコストがかかる。ウニの餌やりにだって。自動化や大規模化などの設備投資をすれば克服できるが、仮に資金を集められたとしても国の規制が立ちはだかっている。漁師達を護る為の規制だ。

 つまりは、既得権益団体がウニの養殖事業を妨害しているのである。

 もしも、大規模化が可能になったのなら、たくさんのウニを市場に出せる。もちろんそれはGDPを増やす。経済発展に貢献できる訳だ。

 「なんとかならないものかなあ?」

 R村はプールの中で餌を食べているたくさんのウニを眺めながらため息を漏らした。

 様々な新技術はもっと積極的に活かすべきなのだと彼は思っていた。

 

 ――新技術を活かせば、過酷な労働だって軽減できる。

 

 U川は小学校の女性教員だ。

 自宅でテストの採点をしている。それが終わったら明日の授業の準備があって、更にはいじめ問題のケアプランも考えなくてはいけない。いじめている側の親が少々面倒くさく、注意をすると依怙贔屓をしていると文句を言って来るから慎重に考える必要があるのだ。

 「あー、マジで助けて欲しい」

 それから彼女は“そう言えば……”とふと思い出した。最近ではAIがカウンセリングを行うケースもあるらしい。どれだけ効果があるかは分からないが、そのAIにスクールカウンセラーの代わりをしてもらうというのはどうだろう? 或いは、そうすればいじめも減るかもしれない。“いじめ”は加虐に快感を覚えてしまった人間達が、それを制御できず、時には現実の認知すら歪めて暴走する事で発生する。その異常性を、いじめの加害者達にAIが教えられるのなら問題解決の可能性はあるだろう。

 それから彼女は作業の手を止めて、考え始める。

 AIにやってもらうのなら、そもそも今やっているテストの採点でも良いかもしれない。いや、それ以前にオンライン授業を採用してもらえば授業の準備から解放される。それで空いた時間を、生徒達個人個人の細かいケアに当てれば教師側にとっても生徒側にとっても有意義ではないだろうか?

 自分の学生時代を思い浮かべた。

 彼女は英語が苦手だった。それは中学時代の英語の先生が異様に授業が下手で、学習する意欲が削がれてしまった所為だと彼女自身は思っている。恐らく似たような不運は多くの教育現場で起こっているのだろう。運良く良い先生に当たった生徒は成績が伸び、それ以外の生徒は伸び悩む。

 “……オンライン授業を採用すれば、このような不平等は少なくなるのじゃないだろうか? 授業をするのが上手い教師が授業を行えば良いのだから”

 もちろん、問題点はあるのだろう。だが、それも試行錯誤を繰り返していけば乗り越えられるはずだ。

 “どうして導入しないのだろう?”

 教師の仕事は過酷だ。

 早く改善して欲しいと思いながら、彼女は答案の採点を再開した。

 

 ――残念ながら、この世の中には、無駄を産む現状を望む人間達がいる。

 

 文部科学省、職員のM沢は頭を抱えていた。

 上司達が、オンライン授業の人数制限を設ける計画に熱心に取り組んでいたからだ。彼らの言うところによると、オンラインで授業が行うようになると、教育の質の低下を招くのだそうだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 もちろん、建前に決まっている。

 オンライン授業でざっくりとした全体の授業を行い、細かいケアは現場の教師が行うようにすれば良いだけだ。オンライン授業の様子を記録し、分析する事で授業の質を向上させる技術もあると聞く。むしろ教育の質は向上するかもしれない。

 オンライン授業を採用すれば、教員の削減が可能になる。そして、教員が削減されてしまったら、文部科学省が獲得できる予算が減らされてしまうのだ。予算は彼らにとって権力の源泉である。だから必死に抵抗しているのである。これから先は、AIだってもっと教育に活かせるようになるだろう。だが、きっとそれだって中々進めようとしないはずだ。

 コロナ感染が深刻だった時期、文部科学省はオンライン授業を出席扱いにしなかったが、それも恐らく同様の理由だろう。

 今現在、教師不足が深刻化している。

 もちろん、予算欲しさに教師の仕事の効率化を拒絶した結果である。

 しかも、彼らのその抵抗には税金が使われている。国民を不幸にする行為に彼らは税金を用いているのだ。なのに、なんら罪悪感を覚えていないように思える。

 

 ――つまりは文句を言わなければ駄目なのだ。

 

 “どうして、こんな事になっているのだろう?”

 K崎は上司から説得された直後にそう心の中で呟いた。

 彼女は配偶者暴力相談支援センターで働いていた。ただし正規の公務員ではない。民間委託により業務の一部を担当している民間会社の社員だ。そして、彼女がその時担当していたのは公務員である夫の暴力に耐えかねた女性からの相談だった。

 その夫は以前から高圧的ではあったが、暴力を振るうような事はなかったらしい。それが閑職に回された切っ掛けで、暴力を振るうようになってしまったのだそうだ。

 “大学”ではなく、“大学校”という学校が世間には存在する。“大学”は文部科学省の管轄で、“大学校”はそれ以外の省庁が管轄するのだが、だからなのか一般の公務員が教職員をする場合があるのだそうだ。そして、彼女の夫はその“大学校”に回されてしまったのだ。そして、その“大学校”では、どうやらそれほどやる事がないらしい。昼間から昼寝をしている職員や、趣味に時間を使っている職員までいるのだという。

 「プライドが傷ついたのだと思います」

 相談者の女性はそう語っていた。

 K崎は彼女を気の毒だと思うのと同時に大いに納得のいかない気持ちを抱えた。何故なら閑職とはいえ、その男性は月に70万も貰っているらしいからだ。ボーナスもあるだろうから、年収はもっといくだろう。一体、何が不満なのだろう?

 K崎は貧乏である。彼女の所属している会社が民間委託を請け負うまでに数社を隔てているのでかなり中抜きされてしまっていて、結果として収入が少ないのだ。

 “閑職で腹を立てているのなら、こっちの仕事を手伝って欲しい”

 もちろん、その夫がストレスを抱えている原因は単に閑職というだけではないのだろうから、それでは解決しないのだろうが。

 憤りを覚えた彼女は、その悶々とした気持ちをぶつけるように粛々と手続きを進めていた。暴力は犯罪だ。場合によっては警察に連絡をしなくてはならない。ところがだ。その件で上司から突然に呼び出され、

 「できる限り、大事にせず、穏便に済ませるように」

 と、彼女は指示を受けてしまったのだった。

 彼女は不可解に思ったが、相談者の女性も同意しているからと説得をされてしまった。間違いなく、妻が相談した事を知った夫が裏から手を回したのである。

 相談者の女性を彼女は心配したが、彼女の立場ではこれ以上は何もできない。

 “それにしても……”

 と、彼女は思う。

 “もう少しくらいはこの不平等はなんとかならないものだろうか?”

 今回の件ばかりではない。暇そうにしている公務員を彼女は何人も知っているのだ。忙しい部署があるのも知っているが、民間委託で丸投げしてサボっている人がいるのも事実だろう。それに“忙しい”部署だって本当に効率的に仕事をしているのかどうかは疑わしい。情報技術を活用すれば楽になる仕事を、わざわざ手間暇かけてやってはいないだろうか? 不必要な資料を膨大に作成している部署があるという話も聞いた事がある。

 彼らの仕事をもっと整理し、効率化や廃止を行えば、労働コストは随分と軽減できるはずである。

 そして、それで人手が浮いたなら、もっと他の世の中の役に立つ仕事をしてもらえば良いのだ。それが民間の仕事になるのか国の仕事になるのかは分からないが。

 きっと、それで税金だって節約できる。

 もちろん、何も言わずにいたら何も変わらないだろう。

 

 つまりは文句を言わなければ駄目なのだ。

 

 彼女は心の中でそう呟くと、そっと溜息を漏らした。

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