正しいから恨まれない、なんて事はないんですよ?
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私には、いわゆる前世の記憶という物があった。
だからこそ私は抗おうとしたのだ。だって私は悪女であるレノン・アーリアなのだから。ヒロインを虐めて処刑、なんていう結末は何ともまぁ実感は湧かないが嫌だ。
だから私は、脱・悪女を目指して奔走した。婚約者であり私の最愛である第3王子・ルーク様と良好な関係を築き、元平民であり聖女としての力が発現したことによって子爵令嬢となった、俗にいうヒロインであるラーティ様にも虐めなんてせず、彼女が困っていたら助け、聖女だからルーク様と話していても嫉妬に狂う様な真似はせず、寧ろラーティ様がいじめられていたら助けた。
――あぁ、けど神様は私が嫌いな様だ。だからこんなにも残酷な仕打ちをするのだろう。
降り止まぬ雨、土の匂いが一層強くなり、私は耐えきれずにもう一度嗚咽を零した。
黒いドレスがぐっしょりと濡れるのにも気を止めず、私はルーク様が眠る棺桶に縋りつく。そう、彼は死んでしまったのだ。恐らく聖女であるラーティ様を目障りに思った隣国の人間によって。彼は心底優しいから、きっとラーティ様を庇ったのだろう。
なんて優しい。けど、けどねルーク様。貴方が死んではなんの意味もないのですよ。
お母様に棺桶から剥がされた私は、神が住まうであろう曇天をキッと見据える。
私は一つの確信を得た。神はどうしても私を悪女に仕立て上げたいらしい。彼は前世読んだ物語で死ぬような事はなかった。それでいて物語では、ラーティ様の力が覚醒するのは隣国との全面戦争の時。彼女は覚醒した力を以て我が国の兵たちの怪我を全て治してみせた。彼女の力が遠く離れた場所まで届いて、そんな奇跡の偉業をなしてみせたのだ。
そして、そんな隣国との戦争に悪女であるレノン・アーリアも一役買っている。なんと戦争の発端はレノン・アーリアのせいなのだ。
彼女が隣国の王太子に内通し、戦争を起こさせたのだ。ただ『第3王子妃ではなく、王太子妃、ひいては王妃になりたかった』という理由で。
くだらない理由だが、このレノン・アーリアの行動がなければ戦争は始まらない。神は困ったのであろう。自分達の愛し子であるラーティ様を覚醒させるイベントを起こす気がない私に。
だから、ルーク様を殺したのだろう。私が自暴自棄になるか、神の考えを見抜いた上で自分達の駒となってもらう為に。
「許せない」
私の、大切な人。
『レノン、君が好きそうなスイーツを買ってきたよ』
『今日は君の誕生日だね、レノン。生まれてきてくれてありがとう』
『君のピアノは人を惹きつける力があるよ。つい聞き惚れてしまった』
『愛している、レノン』
神に復讐は出来ない。だが、隣国になら出来る。ならば私は、物語のレノン・アーリアと同じ末路になろうとも良いから彼女と同じことをするまでだ。
ルーク様の為に、私は『悪女』になってみせる。
私は、側で私に謝罪する黒いドレスに身を包んだラーティ様の頬を打った。
第1王子やお母様に責められる。けどそんな、苛立ちと憐憫を含んだ視線なんかどうでも良くて、私はラーティ様だけを見つめて唇を吊り上げた。
悪女が必要だというなら、私が華麗に演じてみせよう。私の生涯をかけた、一世一代の演技を。
◇◇◇
ルーク様の葬式を皮切りに、私は『悪女』の名にふさわしい行いをしてみせた。
ラーティ様は、まだ私があの頃の『善良なレノン』だと信じているのか何度も声をかけてきたけど、扇子で手を叩き、下賤な平民上りが、と罵り、彼女の教科書を捨てた。
そうしてもまだラーティ様は諦めていなかった様だが、第1王子や第2王子、騎士や魔法使い等、攻略対象の面々に諌められ、段々私との関わりを絶っていった。けどそれにしても、攻略対象達がラーティ様を諭す姿は見ものだった。彼らはラーティ様と恋仲になろうと必死らしい。
甘言を吐き、硝子細工の様に丁重に扱い、私を貶す。いっそ笑ってしまいそうだった。
最初こそ私に同情する人もいた。だがラーティ様へのあんまりな態度や、隣国と繋がっているという私の噂が広がり私に同情する人はいなくなった。家族もそうだ。今ではお父様は私に失望したかのような視線を寄越し、お母様は私の頬をヒステリックに打つ。お兄様がこの間、私を勘当しようとお父様に掛け合っているのも見てしまった。
だから、勘当される前に私はなんとしてでも戦争を起こさなければならない。
そんな事を考えながら、私は隣国の王太子に猫なで声で擦り寄っていた。私には魔法の才があり、転移魔術も使える為隣国まで行くのは容易かった。王太子をどう籠絡しようかは悩んだが、魔術書を漁ると『魅了』という魔法があり、これは一国を揺るがす程の危険な魔術だからと効力が抑えられていたり、強力な封印魔法がかけられていたが、悪女というハイスペックに設計された私の前では赤子の手を捻るが如くだった。まぁ、効力が抑えられているのは流石にそういう知識がないから無理だったが。
「ねぇ、殿下。私を貴方の妃にしてくださらない?」
上目遣いで見上げれば、赤らんで焦点のあってない顔をした王太子は唇を緩めた。
こんなに醜い事をしているのがどうかルーク様にはバレませんように、そう祈りながら王太子の腕にダメ押しとばかりに胸を押し付ける。
「いいでしょう?」
「うーん、けど、君の国に何か言われそうだしぃ」
ヘタレな王太子に内心毒づきながらも、いやこれは好機かと考え直す。
私は王太子の耳元で内緒話をするように囁いた。
「戦争を仕掛ければいいのです。私の国は今平和ボケをしている様なもの。今ならきっと勝てるでしょう」
その言葉に調子付いた王太子にニッコリと微笑み、私は「では、準備が整ったら手紙をください。私は私の国で、戦争のさなか殿下の国に情報を送りますわ」と囁く。そして、私は王太子に魅了を今一度かけてから自室に戻った。
1ヶ月後、王太子から『3日後、戦争を始める』と手紙が届いた。私はその手紙を握りしめ、ある者の下へと向かった。
満月が映る窓を見つめていた少女は、フードを被った私が来ると、さして驚いた風でもなく振り向いた。
「こんにちは、聖女ラーティ」
「…………」
満月を背にする彼女は逆光になっていて表情はよくわからない。それに少し不安になりながら私は話しかける。
「3日後、隣国が戦争を仕掛けてくるわ」
本来なら、この『虫の知らせ』はルーク様の役だ。婚約者であるレノン・アーリアに不信感を募らせた彼によって、戦争という存在が露見する。これによってラーティ様が王に掛け合って、隣国からの戦争にうろたえず応戦する事が出来た。
それならば、この役は私がやらねばならない。だが、こんな不審者感満載の人間をラーティ様が信じるのかと不安が押し寄せる。最悪、魅了の力を使ってでも……と緊張する私を他所に、ふわりと椅子から立ち上がったラーティ様は慈悲深い女神の様に言った。
「分かりました。後の事はご心配なく」
「……っ、随分とあっさりしていますのね」
『レノン・アーリア』だと気づいたにしろ気づいてないにしろ、こんなすぐに信じるなどあまりにも出来すぎている。
訝しむ私に両手をパッと広げておどけたように彼女は笑った。
「神からお告げがあったんですよ、多分」
「多分……」
曖昧な言い方に絶句している間に、彼女が歩み寄ってきた。慌ててフードを深く被る私には気を止めず、ラーティ様は笑った。
「親切な妖精様。忘れないでくださいね。積み上げてきたものは、決して簡単には覆せないという事を」
首をひねる私に、もう一度彼女は微笑みかけてきた。その笑顔は、ラーティ様にいい顔をしようと、『いい人』になりたかった私に彼女が向けてくれた物と酷似していて、知らずのうちに頬を涙が伝った。そんな情けない『悪女』とは程遠い顔を隠すために、私は転移を使い逃げるように自室に帰った。
後はもう、ラーティ様が覚醒し戦争が終わるのを待つだけ。そうすれば私は彼の下へ行ける。だけどそれがなんだか今は辛くって、あの幸せだった日々が続いていたら……――そんな夢物語だけが頭を支配して眠れなかった。
◇◇◇
そして、戦争は呆気ないほどにこちら側の勝利で幕を閉じた。物語だともう少し時間がかかったのだが、物語よりも早く覚醒したラーティ様が前線に立ち、結界を張りながら攻撃を仕掛けたことで隣国には為す術がなかったらしい。
王太子の首を切ったのがラーティ様というのは驚きだった。剣も握れぬ女の子だと思っていたのだが、皮肉ではないが平民は鍬なども持つため、それが可能だったのかもしれない。
まぁ、こんな呑気な事を考えている私もあと数日経てば死刑なのだけど。
貴族が入れられる、普通の牢獄とは違う簡素だが清潔な牢獄で、私はシンプルなワンピースに身を包んでいる。隣国の王太子が私に騙されたのだと騒いだから、こうして罪が明らかとなり捕らえられた。
だが、物語では深く書かれることは無かったが、私は大罪人なのだから劣悪な環境の牢獄に入れられると思ったのに。事実、『レノン・アーリア』は処刑時、汚らしい姿だと書かれている。
それに処刑方法にも驚きだ。民衆に見られながら首を縄で吊る筈が、少人数に見守られギロチンとなっている。外で私を見張ってる騎士の人達に聞かされた。彼らは悪女である私が嘆くと思ったのだろうが、こちらとしては寧ろ拍子抜けである。
首をかしげながらベッドに腰掛けていると、コツコツと数人分の足音が聞こえてくる。少し身を乗り出して見せれば、そこにはラーティ様と第1王子、第2王子がいた。騎士と魔法使いはいないらしい。
「ラーティ、君がこいつの為にこんな事をする必要なんて……」
「少し、二人だけで話したいんです」
「……っ、10分だけだぞ」
私の知らぬ所で話はついたらしい。王子に渡されたであろう鍵を使い、ラーティ様は牢獄に入ってきた。そして、牢獄に結界をはる。そのキラキラした輝く結界はきれいで、つい見惚れてしまった。
「お久しぶりです。レノン様」
「あら、まだ私に敬称をつけるんですのね?」
皮肉を言う私にもにこりとラーティ様が微笑みを返し、――私に跪いた。
「……っ!?」
これは、王族等の身分の高い者に最高の敬意を表す時にやる行為。
「この国へのご助力、感謝します。レノン・アーリア公爵令嬢」
「な、なんで」
「貴女が本当に何をしていたのか、私は知っています。……だから本当は、貴女を死刑になんてしたくなかった」
顔を上げたラーティ様が、泣きたそうな顔で笑った。
「けど、貴女は彼の為に戦った。そんな貴女を止めることなど、この世の誰にも出来はしない」
ラーティ様は私の手の甲に口づけた。その手から、温かい何かが流れてくる。
「貴女の魂が、迷わないように」
「――ありがとう、ラーティ」
「……っ、ううん、こちらこそ、今までありがとう。レノン」
私達は確かに違えた。だけどそれでも、あの時確かにあった『愛情』は私の胸の大事な所にある。
だから、貴女をもう一度呼び捨てにして、呼び捨てにしてもらえて、こんなに嬉しいのだ。
涙が、次から次に溢れる。
「さようなら、ラーティ」
「うん、またね、レノン」
彼女は、もう振り返らず去っていった。それから3日後、私は滞りなく処刑された。最後に見えた景色は、ラーティが私に向かって何かを言っている姿だった。口の動きを理解する間もなく、私に刃が下ろされた。
◇◇◇
目を覚ますと、私は純白のドレスに身を包んでいた。顔にはベールがかかっている。辺りは紫やら青色やら赤色の花が咲き誇っている。目を瞬かせていると、遠くから誰かやってきた。
「……ルーク様!」
その姿が誰なのか理解できた瞬間、考えるよりも先に声が出た。
重いドレスを揺らしながら駆け寄ると、夢にまで見た彼が、涙を滲ませながら笑いかけてくれる。
「久しぶり、レノン。とても綺麗だよ」
「どうして……」
「さぁ? 誰かが僕らの魂を引き合わせてくれたのかもしれないね」
その言葉で思い浮かんだのはラーティ。ありがとう、と心の中で感謝をした。
だけど、今の私はすごく醜い。手を差し伸ばす彼の手を取ろうか悩んでいると、手を伸ばしたルーク様が私の手を掴んだ。真剣な表情に、きゅう、と心臓が音を立てる。
「君が、僕が死んでから何をしたのかはわからない。君がなんで死んでしまったのかも。だけど僕は、それでもレノンが好きだ。
君が話せる範囲で構わない、ほんの少ししか話せなくても良い、嘘をついたっていい。だけど、置いてった僕が言うのはお門違いだけど、それでも僕を置いて行かないでほしい」
言葉を返す代わりに、空いていたもう一方の手で彼の頭を撫でる。乳母に育てられた彼は、甘えるという事を知らない。だからよく、こうして頭を撫でていた。
あぁ、そうだ。最初私達は孤独同士だった。第1王子と第2王子が優秀で、平凡だったから他の人達からあまり目をかけてもらえなかったルーク様。家族にも、ただの政治の道具としてしか見られてなく、第3王子の婚約者となり、その伝てを使って第1王子や第2王子に取り入れと命令された私。
私達はお互いの足りない物を埋め合うように、ポツリポツリと、話せる事を話して、話せないことは誤魔化して、それでも段々話したいと思うことが増えていって、そうしてお互いを愛おしく想っていった。
忘れていた、大切なこと。そうだ、置いていかなければ、突き放さなければ、いくらだってまたやり直せる。だって、積み上げてきた『愛情』を、簡単に覆す事なんて出来ないから。
胸がいっぱいになって、彼を抱きしめる。ルーク様も私に返すように、同じ強さ、いやそれ以上の強さで抱きしめ返してくれた。
「僕の、お嫁さんになってくれますか?」
「はい、私のお婿さんになってください」
「喜んで」
そして、彼がベールを上げる。私達はゆっくり顔を近づけて合って、唇が柔らかく触れ合った。ぼやけた視界で、涙を滲ませた彼の瞳が映る。
最後に、突き放し、あの世界に置いていってしまったラーティに「ごめんなさい」と呟いて、私達はまるで元々一つだったかのように寄り添った。一緒にいなかった時間を埋め合うように。内緒話をするように。
◇◇◇
私、ラーティは長い回廊を歩いていた。これは神が住まう玉座に続く道。覚醒した今だからこそ歩ける道。
もっと早く覚醒出来ていたら……自責の念に駆られながら足早にその道を歩く。
レノンの身になにか起こった事は分かっていた。だけど彼女はきっと私には話してくれないだろうし、周りが彼女とこれ以上の関係を持つことを諌めた。
だから、彼女が私に『戦争が始まる』と教えてくれた時、とても嬉しかった。レノンが私を頼ってくれた事が。彼女と仲良くしていたあの時間を、肯定された気がして。
レノンは私の、初恋だった。片思いだった。だからルーク様が死んでしまった時、私は醜い想像をしてしまった。それはすぐに彼女に打たれた事によって思い直したけど。だって私は、ルーク様に恋をしているレノンが好きなのだから。
ようやく辿り着き扉を開けた先にいた神は、私の姿に驚いたのと同時に嬉しそうに声をかけてきた。
「……! 愛し子ラーティよ、何をしにきたのだ」
「黙りなさい」
今の私の力は神より強い。それこそ、神にとって代われそうな程に。
聖の魔法で神を包囲する。神が聖の魔力を保持していようと、私の聖の魔力の方が濃度が濃いのだから神にとっては毒となるはずだ。
神が楽しそうに、レノンの行動の意図を耳打ちしてきたとき、私は神を酷く嫌悪した。全ての業を背負わされたレノンに償いきれないほどの後悔を感じた。
処刑の間際にしか「愛してる」と言えない程に、私は彼女に近づいてはいけないんだと悟った。だって、彼女をあんなに追い詰めたモノの中に、私もいるのだから。
神の両手両足を裁断し、痛みに悶える神を無視し光で焼く。そして心臓に狙いを定めた。
「何をするっ! ラーティ、いやこの『悪女』めが! 全部、全部お前の為にやったというのに、何故だ!」
「……正しいから恨まれない、なんて事はないんですよ?」
レノンは、彼の為だけの『正義』になった。誰に悪女と言われても良いと。
私も、彼女の様になりたい。このまま私が神の力を継承し、人としての一生を終え本当の神になったら、彼女達の魂を見守る事を許されるだろうか。
「さようなら。悪意なき悪である神よ」
――あの子がそうであった様に、私もあの子だけの『正義』になる。その為なら誰に悪女と罵られても構わない。
レノンはこれを、愛と呼んだのでしょう?
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