幸運可視
「良いお湯だった……」
溜まっていた有給休暇を消化する為に訪れた山村の旅館。私は蜩の鳴き声を聞きながら、旅館の廊下を歩く。ネットのレビュー通り老夫婦が営む旅館は、食事も温泉も素晴らしく大満足である。
「ん?」
角を曲がると、視界に丸い物体が現れた。慌てて両手で受け止めると、手の中で乾いた音を立てた。その物体には見覚えがある。
「わぁ! 懐かしい、紙風船だ!」
子どもの頃に遊んだ懐かしい玩具との遭遇に声を上げた。持つ主を探し、角を曲がると着物を着た双子の少女が居た。如何やら彼女たちの物のようだ。
「あ、貴女たちのかな? はい、返すね」
少女たちに近づき紙風船を差し出すと、二人は受け取りゆっくりと頷いた。人見知りのようだ。私は旅館の浴衣を着ているが、知らない大人を警戒するのは当たり前のことだろう。二人の微笑ましい遊びを邪魔したくない。
私はその場を去ろうとしたが、それは浴衣の左袖を軽く引かれたことで失敗に終わった。
「ん? 如何したのかな?」
袖口を掴む少女に話しかけるが、黒い瞳で私を見上げるだけである。困りながら先程、紙風船を手渡したもう一人の少女を見ると、私に向かって紙風船を差し出していた。
「……え、えっと? 一緒に遊ぼうってことかな?」
間違っていたら物凄く恥ずかしい発言であるが、これ以上に思い当たる節がなかった。二人は同時に頷く。如何やら予想は当たっているようだ。
「す……少しだけだよ?」
紙風船を受け取ると、二人は笑顔で頷いた。
〇
「ふわぁ……朝だぁ……」
瞼を優しく照らす光に、体を起こすと旅館のロビーであった。ソファーから起き上がると、ローテーブルの上には昨晩の遊んだ痕跡が散らばっていた。紙風船に折り紙である。
「久しぶりに楽しかったな……」
昨晩は双子の少女たちに誘われ、紙風船に折り紙など昔の遊びを楽しんだ。折り紙は忘れている部分が多く、二人が横で折りながら教えてくれた。童心に帰り楽しい時間を過ごすことが出来た。二人も笑顔で大変癒され、心が洗われたように晴れやかな気持ちだ。
「ちゃんと戻れたかな?」
大人である私は遊び疲れて寝てしまったが、二人は家族の部屋にちゃんと戻れただろうか?二人と遊んだ物を抱えると、ロビーを出ようとする。
「あ、おはようございます」
「おはようございます。あの……双子の女の子を連れている、ご家族は何号室に宿泊されていますか?」
廊下から羽織を着た、旅館の女将さんが歩いて来た。私は少女たちの安否が気になり訊ねた。
「え? 女の子ですか?」
「あ、怪しい者ではないです! 昨晩その子たちと遊んで、ちゃんとお部屋に戻れたか心配で……」
女将さんは訝しげに私を見る。宿泊者だからといって怪しいことをしないとも限らない。私は弁解を口にした。
「いえ……この宿にも宿泊者様の中にも、お子様連れの方はいらっしゃいませんよ?」
「……え……」
腕の中から紙風船が床へと落ちる。
背後から少女たちの笑い声が聞こえた。