7 メアリ、プロポーズされる
ある晴れた日の午後、アーニーから珍しい頼みがあった。
「メアリ。今日は気持ちのいい天気だから、ガゼボで休みたいんだ。お茶の用意をしてもらえるか?」
「承知しました、アーニー殿下! 本当にいいお天気ですよね。空気も爽やかですし、外でお茶を飲むにはぴったりですわ。すぐにご用意いたしますね」
メアリはいそいそと準備を始めた。ダークチェリーのタルトがついさっき、とびきり上手に出来たところだから、早速アーニーに食べてもらえるとワクワクしていた。
ワゴンを押しながら色とりどりのフリージアが咲く中庭を歩き、ガゼボへ向かう。アーニーは先に到着しており、長い脚を組み頬杖をついて物思いに耽っているようだった。
(アーニー、疲れているようね。眉間にシワを寄せて……でも物憂げな様子も素敵……って、いけない、いけない! 見惚れている場合ではないわ。せめて美味しいお茶とお菓子で、ほんのひとときでも疲れを癒してあげたい)
小鳥のさえずり以外聞こえない静かな中庭で、メアリが丁寧にカップに注ぐお茶の音が響いていた。
「アーニー殿下、どうぞお召し上がりくださいませ。タルトも自信作なんですよ」
「ほう、これは美味そうだ。メアリ、君も座って一緒に食べよう」
「えっ、でも仕事中ですし……」
「これは王太子命令だ。さあ、座って」
命令と言ってはいるが、顔は穏やかに微笑んでいる。メアリも嬉しくなって微笑み、
「では失礼いたします」
と席についた。
「どうですか? アーニー殿下、お味は?」
「うん、美味い。クリームの甘さが丁度良いな」
「ふふっ、やっと殿下の好みで作れるようになりました」
メアリは記憶はなくともお菓子作りが得意だったのか、大層手際が良かった。そこで王太子宮のパティシエにアーニーの好みを教えてもらって練習していたのだ。
アーニーはタルトを食べる手をふと止め、メアリをじっと見つめた。
「アーニー殿下……? 」
(わわわっ、真っ直ぐに見つめられたら目のやり場が! お顔が綺麗過ぎて見つめ返すことが出来ません!)
「メアリ」
「は、はいっ!」
「落ち着いて聞いてくれ。実は……」
ふいに、涼しい風がサーッと吹き渡った。
「……では、私はエルニアンの伯爵令嬢ベアトリス・アランソンであり、私を崖から突き落としたのは、私の実の姉とその恋人、ということなのですね」
「ああ。辛いだろうが事実だ。その時、馬車を御していた下男がハッキリと証言した」
「そして、姉は私の母も殺したのかもしれないと……」
「それに関しては証拠が無い。今の時点では怪しいだけだ。彼らが自供すれば別だが」
アーニーが言葉を切った後、メアリはしばらく黙ってテーブルの上の紅茶を見つめていた。
「メアリ……大丈夫か?」
「あっ、申し訳ありません、何だか頭がボーッとして」
「無理するな。ショックだったろう」
「それが……実を言えばよくわからないんです」
メアリは俯き、首を横に振った。
「姉に殺されそうになったなんて本当に辛くて悲しいことだし、母親も死んでしまっているなら尚更だと思います。でも、私はまだ二人の顔も名前も思い出せていない。全然、自分の家族っていう実感が湧かなくて……そのせいか、悲しみもあまり感じないんです」
「そうか……」
「ただ、ひとつだけ悲しい事があります。せっかく自分が何者であるかわかったのに、エルニアンに帰っても快く迎えてくれる家族はもう誰もいないんだってことです」
「……メアリ、エルニアンに帰る気があるのか?」
再び顔を横にゆっくりと振る。
「いいえ、帰ったとしても私は死亡届も出されていますし、死んだも同然の亡霊のような存在ですわ。でもここではとても良い人々に恵まれ、楽しくお仕事させてもらっています。もし、可能であれば……このまま、このガードナーでメアリとして暮らしていきたいです」
メアリは、ガードナー王国で住み込みのメイドの仕事を得て生活していけたら、と言った。
今はアーニーの推薦もあって王宮で見習いとして働かせてもらっているが、隣国の、しかも既に死んだことになっている娘を正規採用などしてもらえないだろう。
だから下位貴族、またはメイドを雇う余裕のある平民の家などで働きたいと思っている、と。
アーニーはやけに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「メアリ。良い働き口があるんだが紹介しようか?」
「まあ、アーニー殿下! 早速紹介して下さるんですか? ありがとうございます。どちらのお屋敷でしょうか」
するとアーニーは立ち上がり、テーブルを回ってメアリの側まで来ると、手を取って立ち上がらせた。
(あら、何かしら)
そして手を取ったままおもむろに跪くと、その手の先にキスを落とした。
「あ、アーニー殿下、何を……!」
メアリは指先から稲妻が走ったような感覚に襲われた。その稲妻は甘く痺れるように全身を貫き、体温が急に跳ね上がった気がした。恐らく、顔は真っ赤になっている筈だ。
「メアリ、君が我がガードナー王国で生きていくと決めたのなら、どうか私の願いを叶えて欲しい。私の妻となり、私を支え、我が国の為にその身を捧げてくれないか」
「えっ? アーニー殿下、それはどういう……?」
心臓があまりにも強く早く動いて、今にも息が止まりそう。これは、現実なのだろうか? 私、アーニーにプロポーズされているの?
「君を大切に思っているんだ。一緒にいて安らげて、ずっと側にいて欲しいと思うのは君しかいない。君を愛している。こんなにも君に焦がれている哀れな男の願いを、どうか聞き入れてくれないか」
「わ、私……アーニー殿下に相応しい身分ではありませんわ」
「そんなものはどうにでもなる。それよりも、君の気持ちを知りたい」
跪いたまま、真っ直ぐに見つめてくるアーニーの視線をメアリは外すことは出来なかった。
本当に、私なんかでいいのだろうか。身分差は歴然としている。王室に嫁ぐのは公爵令嬢か他国の王族と決まっているのだ。
それに、自分は飛び抜けて美しいわけでもなく、至って普通の容姿。麗しいアーニーの横に立つのに相応しいかと問われたら、否と言うしかない。
だがメアリは心を決めた。身分差がどうとか他人にどう思われるとかそんな事よりもアーニーの気持ちに応えたい。何より、自分の中に答えは既にあったのだ。
「アーニー殿下。私も、お慕いしておりました。叶わぬ想いだと、決して口に出すつもりはありませんでしたが……川で助けていただいたあの日から、ずっとあなたのことが好きです」
それを聞いたアーニーは優しく微笑み、今度は手の甲に軽く口づけた。そして立ち上がるとメアリを胸に抱き寄せ、両腕で包み込んだ。耳元で低い声が囁く。
「ありがとう、メアリ」
(……これ、現実かしら? メイド服のまま抱き締められるとか、夢なの? 夢でも幸せ過ぎる。覚めちゃったらどうしよう)
もし夢なら覚めてしまう前にと、メアリはおずおずとアーニーの背中に手を回し、キュッと抱きついた。
するとアーニーは右手でメアリの顎をそっと摘んで上を向かせ、頬にキスをした。
(……! もうダメです、幸せ過ぎて、なんだか上手く呼吸が出来ない……わ……)
「ん? メアリ? 大丈夫か? メアリ!」
目を回してしまったメアリは、その後アーニーに抱き上げられて部屋に運ばれたことは全く記憶になかった。