6 メアリ、見習いメイドになる
街で発作を起こしてからメアリはずっと王宮で過ごしていた。というのも、アーニーが心配して外に出してくれなかったのだ。
「私の時間が空いた時に一緒に行くから」
そうは言っても忙しいアーニーである。なかなかまとまった時間は取れず、王宮に来てから早や一週間を過ぎようとしていた。その間客人として扱われていたのだが、じっとしているのはどうも落ち着かない。いつ戻るかわからない記憶のためにずっとこのままでは申し訳ないと思い、何かしたいと申し出ることにした。
「私、メイドになる勉強をしていた気がするんです」
朝食時、メアリはアーニーに言った。忙しいアーニーではあるが朝食だけは必ずメアリと共に取っていたのだ。
「それに、もしかしたら一生記憶が戻らないかもしれませんし。ガードナーで生きていくためにも、働いて自活しないといけませんわ」
上位貴族令嬢ならば働くなどと想像したこともないだろう。アーニーはそう考え、質問してみた。
「すぐに結婚する、という選択肢は? 考えたことはないのだろうか」
メアリは、人差し指を顎に当て、結婚して女主人として優雅に振る舞う自分の未来を想像してみた。しかし、どうにもしっくり来なかった。
「うーん、そうですねえ。私が上位貴族だったならそういう選択肢もあるのでしょうね。でも私、そんな高貴な生まれではないと思うんです。なぜか心の奥底に、メイドになろう・なりたい・いや、ならねば! という思いがずっとあって」
下位貴族令嬢にはメイドになる者も多い。むしろ、王室や上位貴族は身元のちゃんとした、礼儀作法を身に付けた令嬢を侍女として雇いたがるものだ。もしかしたらメアリはそれを目指していたのかもしれないとアーニーは考えた。
「……じゃあ、まずは王太子宮で見習いとしてやってみるか?」
アーニーの言葉にメアリは目を輝かせ身を乗り出した。
「本当に? よろしいんですか? 」
「ああ。ただし、私の部屋付き侍女としてだ。夜は私の部屋の隣で寝てもらう。わかったな」
「はい、アーニー殿下! よろしくお願いします!」
そういうわけで、メアリはアーニーの部屋の清掃及び世話係として働くことになった。
メアリは実によく働いた。彼女が言うようにメイドになる勉強をしていたと思われ、洗濯も掃除も料理もこなし、家庭教師が出来る学力も備えていた。侍女頭からも即戦力でいけそうだ、とのお墨付きをもらったほどだ。
夜は、アーニーの寝室の隣の小さい部屋を与えられて、そこで寝ている。というのも、メアリが悪夢を見た時には寄り添ってやりたいというアーニーの秘かな希望があったのである。
こうしてメアリが見習いとして働き始めてしばらく経った頃、イーサンはエルニアンから戻って来た。
「アーネスト殿下、ご報告致します」
「イーサン、ご苦労だった。何かわかったか?」
「はい。メアリ様は、エルニアン王国のアランソン伯爵家次女・ベアトリス嬢に間違いありません」
「そうか、伯爵令嬢だったか。ビーというのは本人の愛称だったんだな」
イーサンの報告によると、ベアトリス・アランソンは足を滑らせて崖から落下し死亡したとの届が、行方不明からわずか一週間で出されていた。しかも同時に母親の死亡届も出されたという。
「母親は、屋敷内の階段から転落死したそうです」
葬儀はすぐに執り行われ現在は喪に服しているはずだが、屋敷内では連日パーティーを開いているという情報も入っているらしい。
「伯爵家には誰が残っている?」
「長女のデボラと恋人のドナルド・リンジーです。次女が死亡したことにより相続人が長女のみとなったため、死亡届提出後すぐに伯爵位はデボラへと引き継がれました。手続きをかなり急いだ様子です」
「一週間のうちに二人が転落死……その長女、怪しいな」
「はい。確たる証拠はありませんが」
アーニーは眉間に皺を寄せ考えていた。イーサンが報告を続ける。
「ベアトリス嬢が川に落ちた時に馬車を御していたリンジー家の下男が、その日以来行方不明になっているようです。金を握らせて逃したか、または口封じに殺されたか……。生きているなら証人として使えるでしょう。今、部下に捜索させております」
「実の姉に殺されそうになったというのはかなり大きな衝撃に違いない。記憶を無くすのも無理はないな。しかも母親まで亡くなっているとなると、記憶を取り戻しても辛いだろう」
「……そうですね。メアリ様にとっては思い出さない方が幸せなのかもしれません」
長女が殺害に関与しているのかハッキリしていないこともあり、アーニーはメアリの本名がベアトリス・アランソンであることをまだ告げずにいた。
(もしかしたら不意に思い出してしまうかもしれないが、今こうして穏やかに暮らしているのならもう少しこのままでいさせてやりたい)
メイド見習いとして生き生きと働くメアリ。アーニーは毎朝彼女に起こされ、着替えをする間にいろいろな話をする。彼女はユーモアがあって機知に富み、話していて楽しかった。
そして歳下だが世話好きでありアーニーにも遠慮なくものを言う。
「アーニー殿下、昨日また遅くまでお仕事なさってたんですね?! 目の下が真っ青になってますよ!」
「……そうか? 別に体調は悪くないが」
「せっかくの美しい顔が台無しですわ。温かいタオルを持って来ますからちょっと待ってて下さいませ。マッサージいたします!」
普通のメイドだとアーニーに対して尊敬の想いが強すぎて一定の距離を保ったまま踏み込んでこない。しかしメアリは記憶が無いためか生来の性質なのか、普通に接してくる。
また二人は折に触れ小屋での暮らしについて話をした。あの小屋は、アーニーの我儘で作ったものなのだそうだ。
「ずっと王宮にいると、自分をちゃんと見せなくてはというプレッシャーに押し潰されそうになることがあるんだ。だから十六の時にあの土地を自分で切り開き、自分の力で小屋を立てて、公務の時間が空いたらサムを走らせあそこで過ごすようにしていた。自分の手で全てのことをこなすのはとても楽しい。人間らしく生きている実感があるんだ」
「あの小屋はこじんまりしていてとっても居心地が良かったです。アーニー殿下は、調理も片付けも、何でも手際良く楽しそうにやっていましたね。あの時のキノコのスープ、本当に美味しかったです。また行ってみたいですわ」
あの小屋まで馬に乗って行けるようになりたいと楽しそうに笑うメアリに、アーニーは安らぎを感じ始めていた。
(最初は、偶然助けた見ず知らずの少女にすぎなかった。無くした記憶を取り戻す手助けをしてやろう、ただそれだけだった。だが、私を必要以上に崇拝することなく自然に接してくれるメアリといると、私も自然体でいられる。メアリと過ごす毎日のこの時間がとても楽しい。出来れば、このままずっとガードナーにいて欲しいと思うのは我儘だろうか。もちろん、いつかは元の居場所に帰してやらなければいけないのはわかっているが……)
それから何ヶ月かが過ぎた。メアリの記憶は未だ戻らないが、メイドとしての技能はぐんぐんと向上していった。そして明るく働くメアリは他のメイドや使用人達とも打ち解け、皆から好かれていた。
そんな時、イーサンが執務室にいたアーニーのところへやって来て報告した。
「殿下、リンジー家から消えた下男の居場所が掴めました」
「何? 本当か」
アーニーは目の前の書類を放り出し、イーサンの方へ身を乗り出した。
「はい。その男はベアトリス嬢が行方不明になった日に『金が入った』と下町の酒場で飲んで騒いでいたのを目撃されています。部下がその後の足取りを丹念に追った結果、なんとガードナーの辺境に土地を買って暮らしているのがわかりました」
「そうか! それは好都合だな。我が国にいるならば連行しやすい」
「はい。早速、部下を派遣します」
「頼んだぞ。その結果いかんでメアリに全てを言わねばならないだろう」
(もしも本当に姉が犯人であったなら、メアリにとってどんなにか辛い事だろう。だが、私が必ず支えてみせる)