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5 母の死

 一方、事故から一週間が過ぎたアランソン伯爵家ではデボラと母マリアンヌが言い争っていた。


「待って、デボラ! そんなに急いで書類を出さなくてもいいんじゃないの?」


 ホールの階段上の踊り場でようやくデボラに追いついた母は、彼女の袖を掴んだ。役所に行こうとする娘を必死に止めているのだ。


「だってお母様、あれから一週間が過ぎたのよ。早くあの子の死亡届を出して正式に私が伯爵位を継がなくてはいけないわ。いつまでも空位のままじゃみっともないでしょう。領地の経営もこれからは私がちゃんとやらなきゃいけないんだし」


 母に掴まれた袖を振り解き、デボラは苛立たし気に早口で捲し立てる。だが母はそれでもなお食い下がった。


「でも、デボラ、もしかしたらベアトリスは何処かで運良く生きているかもしれないわ。まだあれからたった一週間なのよ? どこかで怪我をしてしまって、ここに戻って来られないだけかもしれない。せめてあと一年くらいは、死亡届を出すのを待ってちょうだい」


 するとドナルドがポケットに手を入れニヤニヤしながら前に出て来た。彼は見た目は決して悪くはないのだが、表情や仕草がせっかくの外見を台無しにしている印象があった。


「いやいや、お義母様。あの滝に落ちて無事ではいられませんよ。すごく深いし流れも速いんですよ? 今頃は、魚の餌になってますって」

「やめて! そんな事言わないで」


 あまりに恐ろしい光景が脳裏に浮かび、母は目を閉じ耳を塞いだ。この男は何て事を言うのだろう。前々から人の気持ちを考えないと思っていたが、こんな時にまで神経を逆撫でする男だ。アランソン家には全く、相応しくない。


「デボラ、あなた達はベアトリスがいなくなったというのに連日パーティーばかり開いて四六時中お酒を飲んでいるじゃないの。どうして、ベアトリスの無事を祈ってしめやかにしていてくれないの?」

「あらお母様、辛気臭くしていたからってビーが喜ぶわけではないわ。こういう時こそ、賑やかにして見送ってあげなきゃ」

「そうそう。人生は楽しむのが一番だ」


 ニヤニヤと笑う二人の会話を聞いていた母は、ついにある問いを口にする決意をした。それはこの一週間、ずっと胸に秘めていた疑念だった。


「まさかあなた達、ベアトリスをわざと川に落としたのではないでしょうね。姉妹は共同相続人だからどちらかが死なないと爵位を相続出来ない。だから、早いうちに財産を一人占めにしようとして」


 デボラはギクリとして一瞬青ざめたが、すぐに顔を真っ赤にして眉を釣り上げ、大きな声で怒鳴り始めた。その様子は、まさに図星を指された人間にありがちなものである。


「ひどいわ、お母様! 私たちがあの子を殺したとでも言いたいの? 実の娘を疑うなんてどういうつもり? お母様こそどうかしちゃったんじゃないの?」


 舞台女優のように身振り手振りを加えながら母を責めるデボラ。だが母も引かない。


「私だって疑いたくはないわ、デボラ。でも貴女はこの男と出会って変わってしまった。享楽的な人間に変わってしまった。デボラ、この男はお金目当てのろくでもない人間よ。あなたは騙されているの。結婚など絶対に認められません。今すぐに別れなさい」

 

 それを聞いたドナルドの顔が見る見るうちに怒りに満ちて赤黒く変わった。さっきまでニヤニヤと下卑た、嫌な笑顔を浮かべていたが、今は目を血走らせ顎を突き出して母を威嚇し始めた。


「何だと、このババア! こっちが大人しくしてりゃいい気になりやがって。ババアのくせに俺様をろくでなし呼ばわりするとはいい度胸だ。もう我慢ならねえ。今すぐここから出て行ってもらうぜ」

「な、何を言うの。ここはあなたの家ではないわ。あなたが出て行きなさい!」

「ふん、もう俺の物も同然だ。()()()の物なんだからな」


 そう言ってドナルドは母の肩を小突きながら大階段へと追いやって行った。


「ちょっと、そのくらいにしなさいよドナルド」


 だがデボラのその言葉はドナルドの耳には入らなかった。次第に階段の端まで追い詰められた母は、ついにバランスを崩した。


「ひいい……!」


 引き攣った悲鳴と共に母の身体が宙に浮いた。そしてそのまま、長い階段を転げ落ちていった。最後にホールの床に叩き付けられた母は、頭から血を流し足はおかしな方向に曲がっていた。その顔を見れば、既に事切れているのは明らかだった。


「お母様……!」


 デボラも悲鳴を上げた。その声に、使用人達が駆け付けてくる。


「奥様! どうなさったのですか!」


 広い踊り場に座り込み、虚ろな目で階下の母を見つめているデボラ。顔色は真っ青だ。彼女の代わりにドナルドが叫ぶ。


「奥様が足を滑らせて落ちてしまった! 早く医者を呼んで来い!」


 慌てて走って行く使用人達。邸内が俄かに慌ただしくなる中、ドナルドはデボラの耳元で囁いた。


「一人も二人も同じだ。俺たちの邪魔をする者は全部消してしまえばいい。これでうるさいババアもいなくなったし、俺達の天下だぜ」


 デボラに騒がれてはいけないと思ったのか優しくその肩を抱き締めるドナルド。そして大丈夫だ、俺に任せとけと繰り返す。母の突然の死に茫然としているデボラはその言葉に何度も頷き、ドナルドの胸に顔を(うず)めた。これ以上、母の死に顔を見ていたくなかったのだ。

 そしてようやく一言だけ絞り出した。


「そうね……これで私達、結婚出来るんだわ……」

「そういうこと」


 ドナルドは使用人の目を盗みながらデボラの額にキスをした。



 そしてその日のうちにアランソン伯爵家から二枚の死亡届と一枚の婚姻届が提出され、受理された。

 また、アランソン伯爵位の相続手続もすぐに行われ、デボラ・アランソンは正式な女伯爵となった。


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