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4 ビーという呼び名

誤字報告いただきました。ありがとうございます!


 ぐっすりと眠れた気がする。朝目覚めると、もう身体の痛みはほとんどなかった。


(良かった。これなら自分で動けるわ)


 カーテンを開けて軽く伸びをしていると、メアリより五歳ほど年上だろうか、茶色い髪で少し丸顔のメイドが部屋に入って来た。


「おはようございます、メアリ様。私はメアリ様のお世話係に任ぜられましたエミリーと申します。よろしくお願いいたします」


「あ、おはようございます。エミリーさん、よろしくお願いいたします」

 

 エミリーはにっこりと微笑んだ。あまり感情を表さないメイドも多いが、エミリーは屈託のない明るい笑顔が好ましかった。


「メアリ様、こちらにお召し物を用意いたしました。お着替え、お手伝いいたしますね」

「そ、そんな! 大丈夫です、一人で出来ますから」

「ダメです、メアリ様。これは私の仕事なのですから。川に落ちて打ち身も酷かったとお聞きしておりますし、今日は私にお任せくださいませ」


(そうね……まだ腕を上げると少し痛みが残っているし、今日だけは甘えてしまおう)


「では、お願いします、エミリーさん」


 用意されていたドレスは不思議とメアリの身体にピッタリと合っていた。ミモレ丈で若々しいレモンイエローのワンピースだ。


「この棟は王太子宮なのですよ。王宮よりも小さい造りですが、それでも上位貴族の邸宅以上の広さと機能を備えています。私たちは王太子宮専属の使用人として、アーネスト殿下にお仕えしているのです」

「エミリーさんは、ここにお勤めして長いのですか?」

「もう六年になります。ここはとても働きやすい職場ですし、アーネスト殿下が素晴らしいお方なので私たち使用人は皆、殿下を尊敬しているんですよ。一生、ここでお仕え出来たらなあと誰もが言っています」


 お喋りしながらもエミリーの手は止まることはなく、あっという間に髪が整えられ薄いメイクも施されて支度が出来上がった。


「メアリ様、お綺麗です。記憶を無くされたとお聞きしておりますが、きっと高いご身分の方だと思いますわ。お肌も白くきめ細やかですし、なにより気品が感じられますもの」

 

 エミリーはそう褒めてくれたが、当のメアリは鏡の中の自分の姿よりもエミリーの手際の良さに目を奪われていて、やり方を真似してみたい、などと思っていた。


(私、きっと高い身分の令嬢ではないと思うわ。こうしてお世話されるのも落ち着かなくてあまり慣れていない感じだし)

 

 元々堅実だったアランソン家では父親を亡くしてからさらに使用人を減らし、一層の節約を心掛けていた。だから、着替えを手伝う侍女などは置いていなかったのである。もちろん、メアリはそのことを思い出してはいないけれど。




「メアリ様、朝食がご用意出来ました。ご案内いたします」


 別のメイドがやって来て案内してくれた食堂では、アーニーが既にテーブルについていた。


「おはようメアリ。あの後はよく眠れたか?」


 アーニーの顔を見た途端、昨夜のことを思い出してメアリは恥ずかしさのあまり真っ赤になった。


(そうだ、ゆうべ私……怖い夢を見てアーニーにしがみついてしまったんだわ。なんて畏れ多いことを)


「お、おはようございます、アーネスト殿下。昨夜は大変ご迷惑をお掛けいたしました」


 今更取り繕っても遅いと思いながらも、精一杯のカーテシ―で礼を述べた。


「疲れていたんだろう。気にするな。それより急にかしこまってどうした。昨日までと同じ態度で構わないぞ。呼び方も、アーニーでいい」

「でもそれではあまりにも……じゃあ、アーニー殿下とお呼びします」


 アーニーは微笑んだ。小屋にいた時と違って王宮で見る彼は髪を整え、上質の服を着こなして高貴なオーラが溢れ出ていた。深い紺色の瞳に見つめられると、なんだか気恥ずかしくて俯くしかなかった。


(なんてこと。こんな高貴な方に抱き上げられたり抱きついたりしてたなんて。知らなかったとはいえ、自分の大胆さが恐ろしい)


 アーニーと向かい合わせに座ると胸が早鐘を打ったようにドキドキしているのを感じた。その後の朝食のメニューが何だったか、どうやって食事を取ったのか、まったく覚えていない。そのぐらい舞い上がっていたのである。


「ところでメアリ、今日は我がガードナーの王都見物でも行ってみるか?」


 食後のお茶を飲んでいる時、アーニーがふいに提案してくれた。


「えっ、いいんですか? 昨日馬車から見ただけでもとても美しくて素敵な街並みでした。ぜひ、通りを歩いてみたいですわ」

「では、誰か手配しておこう。楽しんでくるといい。私も行きたいところだが、あいにく外せない仕事があってね」


 アーニーは一緒じゃないのね……とメアリはちょっと残念に思ったが、顔には出さなかった。





 朝食後しばらくするとメアリの部屋を青年将校が訪れた。


「メアリ様、アーネスト殿下の命により、お迎えに参りました。私は王宮軍のディランと申します」

「ありがとうございます、ディランさん。よろしくお願いいたします」

「これから馬車で市街地へ向かいます。一番栄えている聖メアリ通りでは、馬車を降りて店などを訪れてみましょう。ドレスや宝石、花や菓子など、有名な店が揃っておりますよ。万が一にも襲われることの無いよう、私がしっかりと護衛を務めさせていただきます」


(護衛まで付けていただけるなんて。なんだか申し訳ないわ)


 だが、メアリが誰に殺されそうになったのかわからない以上、再びの襲撃に備える必要があるだろうとアーニーは判断したのだった。


 聖メアリ通りに向かう馬車の中で、ディランはいろいろな話をしてくれた。と言っても、彼の口から出てくるのはほとんどがアーニーの話だった。


「アーネスト殿下は文武両道に長けた素晴らしい方です。しかもお姿も美しく、気配りも完璧で、そのカリスマ性といったら。殿下を好きにならない人などいないと言っても過言ではありません」

「ディランさんもそうでいらっしゃるのね」

「もちろんです。私は殿下を本当に尊敬しております。今回のように、殿下から直々の命を受けることは大変な名誉なのです。このような機会を与えて頂いたメアリ様にも感謝しております」


 彼は胸を張り、メアリに敬礼して見せた。そんな、私は何も……とメアリは恐縮したが、イーサンといい、ディランといい、皆本当にアーニーに心酔しているようだ。


(でも当のアーニーは、一人になりたい時があるってあの小屋で言っていたわ。皆に好かれる彼にも、きっと苦悩や孤独がある。あの小屋は、彼にとってストレス発散の場であり必要不可欠なのね)


「あ、聖メアリ通りに着きました。外を歩いてみましょう」


 降りてみると、メアリは通りの美しさにほうっと感嘆のため息をついた。石畳は模様を描きながら敷き詰められ、街路樹も整備されている。馬車の通る道と人の通る道はきちんと分けられ、安全に散策出来るようになっているのだ。しかも、ゴミひとつ落ちていない。


「素晴らしいですね。やはり、私はガードナー王国の者ではないのかもしれません。懐かしいという気持ちは出てきませんし、とても新鮮な驚きを感じていますもの」

「そうですか。何か少しでも思い出せばいいと殿下は仰っていましたが」


 その時、前からトコトコと歩いてきた小さな女の子に、母親らしき婦人が後ろから優しく声を掛けた。


「ビー! お待ちなさい、ビー。一人で先に行くと危ないわ。手を繋ぎましょう」


 突然メアリは電気に撃たれたように身震いして歩みを止めた。


「メアリ様? どうしましたか?」

「いえ、急に寒気が……どうしたのかしら」


 メアリの身体は震え呼吸が荒くなった。冷や汗がどっと出て、額に滲んでいる。心配したディランは市街見物を切り上げすぐに王宮に戻ることにした。





「何か思い当たる事はあったのか?」


 王宮に戻りエミリーにメアリを託すと、ディランは一部始終を報告しにアーニーのもとに向かった。


「はい、ビーという呼び名に反応したように思います。それまではお元気でした」

「ビー、という愛称ならばベアトリスか……。本人の名前か、それとも犯人か。いずれにせよ手掛かりの一つにはなりそうだな」


 そこへ、イーサンがノックをして入ってきた。


「アーネスト殿下、地方貴族への照会が終わりました。ガードナー王国の貴族にはメアリ様の特徴を持った令嬢はいませんでした」

「となると、やはりエルニアンだな」

「はい。早速、調査に行って参ります」

「イーサン、『ビー』という呼び名が関係あるかもしれない。それも頭に入れておいてくれ」

「わかりました」


 イーサンとディランは一礼し部屋から退出して行った。


(あの時……川から引き上げて水を吐かせた時、メアリは「やめて、殺さないで」と怯え、寝ている間もうわ言を繰り返し目覚めた時には記憶を無くしていた。よほどの事があったのだろう。力になってやりたいし、犯人を捕まえてやりたい)


 アーニーはメアリの眠る部屋に入り、ベッドの端にそっと座った。


 メアリは青い顔をして眠っている。医師の薬が効いているのだろう。


(昨日、夢を見て怖がっていたな……)


 そっと、手を握った。細く、柔らかな手。


(恐らくエルニアンで真実が分かるだろう。もしかしたら、メアリにとって知りたくない真実かもしれんな)


 アーニーは、手を握ったまましばらくメアリの側に寄り添っていた。






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