32 結婚式を迎えて
メアリは夢を見た。
真っ暗闇を逃げている夢。ヒタヒタと誰かが追いかけてくる。逃げても逃げても、どこまでも。
追いつかれたのだろうか、すぐ後ろに息遣いが聞こえ、ふいに腕を掴まれた。振り向くとそこには……
「はっ!」
汗びっしょりで目が覚めた。喉がカラカラに渇いている。
(どうしたのかしら……何か、嫌な夢を見た気がするわ。明日は、結婚式だというのに)
ベッドから降りてカーテンを開ける。光がきらめいてとても良い天気だ。
(今日も明日も天気は良さそうなのよね。いい結婚式になりそうだわ)
メアリは嫌な夢のことはすっかり忘れ、機嫌良く朝の身支度を始めた。
「ついにこの日が来てしまったな……これがメアリとの最後の夕食なのか」
ペンブルック公爵はうっすらと涙ぐんでいた。
「お父様、泣かないで下さいな」
「そうだよ、父上。今生の別れじゃないんだし。王宮に参上したらいつでも会えるでしょうに」
ニコラスが呆れたように言った。
「だが、家に帰ってももうメアリが迎えに出て来てくれんのだよ……寂しいじゃないか」
「大丈夫ですよ。半年経てばニコラスのお嫁さんが来てくれますから、また華やかになります」
イーサンが珍しく父に優しい。
「うむ。それはとても楽しみだ。でも半年先なのだ……」
「もう、あなたったら。せっかくの最後の夜ですよ、明るく送り出さなくては。ねえ、メアリちゃん」
「そうですよ、お父様。今夜はみんなでゲームをして楽しむ予定だったじゃないですか」
「おお、そうだったな。今日こそはワシも勝つぞ」
「負けませんよ、お父様」
コロっと機嫌を直したペンブルック公爵。以前、エルニアンからお土産を持って帰った中に、いくつかのゲームがあった。
エルニアンには優れたゲーム工房があり、子供だけでなく大人も楽しめるカードゲームやボードゲームが多く開発されていて、子供の頃から皆親しんでいる。その中から、人気のゲームを買って帰ったのだ。
これは男達の心をかなり捕らえたようで、特に弟のショーンとエリックは夢中になった。最初は、遊び慣れていたメアリの圧勝だったが、今では弟達には敵わない。ただ、公爵だけは未だに負け続けているのだ。
家族みんなでワイワイと遊びながらいろんな話をするのが、いつの間にかペンブルック家の習慣になっていた。
(本当に、明るい家庭になったものだ。そして半年後にはアイラが加わってくれる。メアリが里帰りした時にはより一層楽しくなるだろう)
イーサンは少しだけ感傷に浸ったが、すぐに明日の婚儀の段取りなどを考え始めた。明日は全てが滞りなく上手くいかなければならない。
(側近としても兄としても、忙しい一日になりそうだ)
ペンブルック家最後の夜は、こうして楽しく更けて行った。
そして翌朝。メアリは王宮からの迎えの馬車に乗り込む前に、家族の一人一人に別れを告げた。
「お父様、お母様。突然現れた私をこうして温かく受け入れて下さり、その上立派な支度を整えて嫁がせて下さって、本当にありがとうございました。お二人の深い愛情を決して忘れません。これからは、王家とペンブルック公爵家の橋渡しとして立派に務めを果たして参ります」
「メアリ、ワシらも楽しませてもらった。礼を言うぞ」
「そうよ、メアリちゃん。ここはあなたの家なのですから、いつでも好きな時に帰っていらっしゃいね」
「はい、ありがとうございます」
そして四兄弟の方へ顔を向けた。
「イーサンお兄様、ニコラスお兄様、ショーン、エリック。私を皆さん方兄弟の中に入れていただいてありがとう。とても楽しい時を過ごせました。これからも姉として妹として、仲良くして下さいね」
「もちろんだ、メアリ」
「メアリ姉様、アーネスト殿下とお幸せに」
「ありがとう。では、行って参ります」
馬車はゆっくりと王宮への道を進む。これからアーネストのもとに嫁いでいくのだ。
(エルニアンのお父様、お母様……ベアトリスは今日、メアリとしてガードナー王太子の妃になります。こんな日が来るとは全く思っていなかったけれど、私は幸せです。どうか、これからも見守って下さい)
婚儀は、王宮の敷地内にある教会で行われる。ガードナーの守り神、聖女メアリが祀られている教会で式を挙げるのはこの国の女性達の憧れだ。
王太子宮でエミリーにドレスの支度をしてもらったメアリは、緊張して震えているのを感じた。
「メアリ様、大丈夫ですよ。お支度は完璧な仕上がり、お美しいですよ。あとはアーネスト殿下のところまで歩いて行くだけです」
「そ、そうよね、エミリー。なんだか足が震えて、自分の身体じゃないみたい。アーニーのところへ行くまでに転んじゃいそうだわ」
「転んでも大丈夫ですよ。アーネスト殿下が何とかしてくれます」
「ええー、さすがにアーニーもそれはフォローしようがないわよ」
メアリは大勢の見守る中、ドレスを踏ん付けて前につんのめっている自分を想像して可笑しくなった。
「そうそう、そうやって笑っていて下さい。たとえ転んだって皆さま、メアリ様の味方ですよ」
「そうね、ありがとう、エミリー。行ってくるわ」
教会のドアが開いた。
ペンブルック公爵も緊張の面持ちで待っている。父の肘に手を掛け、メアリはゆっくりと招待客の座るベンチの中央を歩いて行った。
この道の先にはアーネストが待っている。いつもと違う、白い式服が眩しい。黒髪を撫で付け、優しい紺色の瞳でメアリを見つめている。
父はメアリの手を取り、アーネストにその手を渡した。
アーネストが両手を取る。二人は聖女メアリの御前で見つめ合った。
「メアリ、綺麗だ。やっとこの日が来た。どんなに待ち侘びたことか」
「アーニー、あなたもとても素敵だわ。こんな素晴らしい人と結婚できて、私、本当に幸せよ」
二人の微笑ましい会話を聞きながら神官長が結婚の宣言をした。
「アーネスト王太子よ、あなたはこの女性を妃とし一生慈しむことを誓いますか」
「はい、誓います」
「メアリ・ペンブルックよ、あなたはこの男性を夫として一生慈しむことを誓いますか」
「はい、誓います」
「それでは聖女メアリの名のもとに、この二人を夫婦と認めることを国内外に宣言致します」
誓いの鐘が鳴り響いた。その中で二人はキスをし、夫婦となった。
「アーネスト殿下、おめでとうございます!」
「メアリ妃殿下、おめでとうございます!」
招待客から次々と祝福の声が上がる。拍手が鳴り響く中、二人はいつまでも幸せを噛み締めていた。