21 アイラの初恋
「そうそう、その調子よ、アイラ。だいぶ泡立てが上手になったわね」
ここはペンブルック公爵家の厨房。メアリとアイラがお茶会用のケーキを仲良く作っている。
「最初は時間もかかるし腕が痛くてたいへんだったけど、コツがわかってきたみたい。辛抱強く教えてくれたメアリのおかげだわ」
「アイラがこんなにお菓子作りにハマるとはね。もうクッキーは一人で作れるようになったし、ケーキもすぐに上達するわよ」
粉を振るいながらメアリが答えた。
「今日作って来てくれたクッキーも、アイシングで可愛くデコレーションしてあって食べるのがもったいないくらいだわ。みんな喜ぶでしょうね」
今日のお茶会のためにアイラがクッキーを作って持ってきてくれたのだ。
「自分で作るのがこんなに楽しいと思ってなかったの。きっと、私、こういうのに向いているんだわ」
「ルビーとコレットはすぐに諦めちゃったものね。『私、食べる方が向いてるわ』とか言って」
二人は顔を見合わせて笑った。最初は、みんなでお菓子作りをやってみたのだが次々と脱落し、今ではアイラだけが続けている。
「さ、後はシフォンケーキの焼き上がりを待つだけね」
エプロンを外したメアリのところへ執事がやって来た。
「メアリ様、皆さまがお着きになりましたよ」
「ありがとう、今行くわ。アイラ、みんなを出迎えてくるから、先に客間に行っててくれる?」
「ええ、メアリ。クッキーを持って行っておくわね」
よろしくね、と言ってメアリは玄関に向かった。アイラはお皿に綺麗に並べられたクッキーを満足気に見ながら、厨房を出た。
何度も来ているから客間への行き方も分かっている。そのためか油断していたアイラは前を良く見ていなかった。
「きゃっ」
曲がり角で誰かにぶつかり、皿が傾いた。クッキーが何枚か滑って落ちていった。
「クッキーが……!」
「あっ、失礼!」
ぶつかった相手はペンブルック家の次男、ニコラスだった。確か最初にペンブルック家を訪れた時にメアリから紹介されていた。
「ごめん、前を見てなくて」
ニコラスはすぐに謝った。
「いえ、私の方こそ下を向いていましたので」
「大変だ、クッキー落ちてしまったね」
すぐに屈んでクッキーを拾おうとするニコラスをアイラが止めた。
「ニコラス様、そのままにしておいて下さい。私が拾いますわ」
「いや、大丈夫。もう全部拾えたよ。すごく可愛らしいクッキーだね。どこの店で買ったんですか?」
クッキーを褒められてアイラの顔は真っ赤に染まった。
「いえ、あの、それは私が作ったものなんです。メアリ様に教えて頂いて」
「えっ、手作りなんだ。すごいな。メアリもクッキーはよく作ってくれるけど、飾りのないシンプルな物が多いからこんなの初めて見たよ」
「私、こういう細かな作業が好きなんですわ。ついつい、凝ってしまって」
「せっかくのクッキー、落としてしまって申し訳ない。もったいないから私がもらってもいいかな」
そう言って拾ったクッキーをポイっと口に入れてしまった。
「あっ、そんな……」
アイラは焦って止めようとしたがニコラスは気にせず食べてしまった。
「うん、甘くて美味しい。見た目も味も満点」
「……そう言っていただけると嬉しいです」
家族以外の男性に食べてもらうのが初めてだったアイラは、恥ずかしかったけれども嬉しかった。
「今からお茶会かな? 楽しんで行ってください」
「はい、ニコラス様」
ニコラスは手を振ると立ち去った。
(ニコラス様と初めてお話ししたわ。すごく優しい方。お顔はイーサン様と似てらっしゃるけど、イーサン様より背が高いのね)
しばらく立ち尽くしていたアイラだったが、ルビー達の声が聞こえてきたのでハッと気がつき、急いで客間に向かった。
その日以降、アイラは以前にも増してぼんやりすることが多くなった。
「元々、ボーっとしてる子ではあったんだけどね」
ある日訪ねてきたルビーがメアリに相談した。
「最近特にひどいのよ。何か考えこんでいるんだけど、でも暗い悩みじゃなさそうなの」
「うん。となると?」
「ズバリ、恋をしてるんじゃないかしら」
「まあ」
メアリは目を見開き顔を輝かせた。
「恋ならボーっとするのもわかるわね! 何も手につかない状態なのかしら?」
「それが、毎日毎日クッキーを焼いてラッピングしては、ため息をついてお父様やお兄様にあげるということを繰り返してるみたいよ。アイラの家のメイドから聞き出したの」
「どなたかにプレゼントしたいのに出来ない、というところかしら」
「きっとね。だから、今週の夜会でアイラに聞いてみようと思うのよ。お相手が誰なのか。そしたら協力もしてあげられるわよね」
「そうね、私達で出来ることなら協力してあげたいわ」
大人しいアイラの恋を後押ししたいと二人は決意を固めた。ルビーは幼馴染の男爵家令息とすでに婚約している。コレットも侯爵家に嫁ぐことが決まった。仲良しの中ではあとはアイラだけ婚約者が決まっていない。大人しい性格のせいかあまり目立たず、そのため婚約話がなかなか持ち上がらなかったのである。
夜会の日、アイラはおずおずと辺りを見回していた。
「アイラ、誰か探しているの?」
「あらルビー、メアリ。いえ、特には……」
顔を赤らめて逃げようとするアイラの腕をルビーがガッチリと掴んだ。
「アイラ、誰かに恋しているわね」
ルビーの直球の質問にアイラはうろたえた。
「え、あの、えっと」
「アイラ、ルビーは心配してるのよ。私たち、出来るならあなたの恋を応援したいって、そう思ってるの」
「ありがとう、二人とも。心配してくれて嬉しいわ。でも……あのね、お慕いしてる方はいるの。だけど身分も違うし、叶わない恋なのよ。ただ、私のクッキーをもう一度食べていただきたくて……」
あの時よりもさらに上手に作れるようになったクッキーを食べてもらいたい。ただそれだけなのだと。
「あの時ってどの時なの?」
ルビーが尋ねたその時。
「やあ、メアリ、それとお友達のご令嬢方」
アイラの後ろからニコラスが現れた。
「ニコラスお兄様! 今日は珍しく夜会に参加なさったのね」
「うん、たまにはね。……あれ? この間のクッキーのお嬢さんだね。名前を聞いておけばよかったと思ってたんだよ。とても美味しかったからまた食べたいなあと思ってて」
「あっあの……! 私、アイラです。アイラ・スミスと申します」
「いつもメアリと仲良くしてくれてありがとう、アイラ。またクッキー焼いた時は分けて欲しいな」
メアリとルビーは確信を持って目を合わせた。アイラの恋の相手はニコラスだと。
「お兄様、アイラは今日クッキーを持って来ていますわ。ね、アイラ」
「えっ、そうなの? でも誰かにあげるつもりだったんじゃないのかい」
「いえ、あの、私、ニコラス様にお渡ししたくて……」
真っ赤になって勇気を振り絞っているアイラ。
「馬車に置いてありますの。良かったら後でお持ちしますわ」
「ほんと? 嬉しいな。夜会に来て良かったよ」
その時、ちょうど、楽団が音楽を奏で始めた。
「せっかくだからアイラ、私と踊ってくれる? 久しぶりだから上手くリード出来ないかもしれないけど」
「いえ、……はい! 喜んで」
最初はいつもの癖で遠慮して断ろうとしたアイラだったが、思い直してニコラスの申し出を受け入れた。ニコラスは微笑んでアイラの手を取り、二人は中央へ進み出て行った。
「メアリのお兄様だったのね、アイラの好きな人は」
「ええ、意外だったけど、ほんわかした性格のお兄様とアイラはとってもお似合いだわ。お兄様はまだ婚約者もいらっしゃらないし、このままいい雰囲気になってくれたら素敵ね」
そこへルビーの婚約者とアーニーもやって来た。
「踊ろうか」
「ええ、喜んで」
幸せな恋人達は楽しく踊り続け、夜会の夜は更けていった。