11 イーサンの一人言
「おかえりなさい、メアリちゃん!」
「よく帰って来てくれた、メアリ。待ち侘びたぞ」
ペンブルック公爵と公爵夫人はメアリが玄関ホールに入るなり飛び付くように出迎えた。
「もしかして、記憶が戻ったらエルニアンに残ってしまうかもって、私達、本当に心配していたのよ」
「ご心配をおかけして申し訳ありません、お父様お母様。記憶は戻りましたけれど、私はもうメアリ・ペンブルックですわ。私の家はお二人のいらっしゃるここですもの。帰って来るに決まっているじゃありませんか」
「そうかそうか。そうだな、メアリはもう我が家の大事な娘だからな。もちろん信じていたとも」
メアリを取り囲んでキャッキャ言っている両親を見ながらイーサンはため息をついた。
「一応、お二人の長男も一緒に戻ってきているんですけどね」
「あらごめんなさい、イーサン。お勤め、ご苦労様でした」
公爵夫人はにこやかに労うと、すぐにメアリに顔を戻した。
「さあさあ、疲れたでしょうからお茶の時間にしましょう。イーサン、あなたもいらっしゃいな」
「メアリ、美味しいお菓子を外国の大使から貰ったのでな。一緒に食べようと待っていたのだよ」
両親はメアリを両サイドから挟むようにしてさっさと連れて行ってしまった。
(いやはや、あの二人がこんなに甘々でお喋り好きとは思っていなかったな。男ばかり四兄弟で、しかも全員、思春期以降は家では無口になってしまったから仕方ないか)
メアリが来てくれたことは我が家にとっても良いことだったと考えながらイーサンは三人の後を付いて行った。
部屋にはすでにお茶の準備がされており、弟達が出迎えた。
「お帰り、メアリ」
「姉さん、お帰りなさい」
ペンブルック公爵家は二十一歳のイーサンを筆頭に十九歳のニコラス、十六歳のショーン、十三歳のエリックという四兄弟だ。メアリは十八歳になったばかりなので、ちょうど真ん中になる。
(食事はともかく、お茶の時間に全員集合なんてこともメアリが来てからだ。下の弟達もすっかりメアリに懐いている。娘が一人いるだけで、こんなに柔らかな雰囲気になるものなのだな)
メアリはエルニアンのお土産を家族一人一人にそれぞれ違う物を選んで買い求めていた。エルニアン出身だけあって、『お土産として有名ではないが優れている物』を知っており、受け取った者は皆、喜んでいる。
(出張で家族にお土産という発想は今まで私には無かったな……女性ならではというべきか。しかも使用人達にもお菓子を買ってきている。彼らに慕われるのも分かるな)
楽しげに話しているメアリと家族を見ながら、イーサンはエルニアン滞在中のことを思い返していた。
(メアリにとっては辛い滞在だったろう。アーネスト殿下が片時も離れず支えていたから乗り越えられたのだ)
☆☆☆☆☆
エルニアン国王の誕生日パーティーで、メアリはベアトリス・アランソンとしての記憶を取り戻した。
そしてそれは、実の姉を殺人未遂容疑で告発するということを意味する。
もちろん、メアリを軍に呼び出して事情聴取するなどということはなく、滞在先のエルニアン宮殿客間にて、女性将校による穏やかな聴取ではあった。しかし、殺されそうになった時のことを詳しく述べなければならず、その時の恐怖がよみがえって言葉に詰まる場面もあった。
また、姉デボラとの関係性などを説明する必要もあり、幼い頃の思い出を話した時には涙を堪え切れずアーニーと共に席を外すこともあった。無理もない。悪い思い出ばかりではないのだろう。
聴取のあった日はさすがにメアリも精神的にこたえたようでベッドで休んでいたが、翌日になると『行きたい所がある』と言った。
「お母様のお墓に行きたいのです」
墓を訪れる前、メアリは生家に立ち寄った。アランソン伯爵家は遠縁の男性が新たな後継者に決まり、彼を迎え入れる準備に追われていた。負のイメージを払拭するため、内装を変えるのだという。
アランソン家から出てきたメアリの手に握られていたのは櫛と手鏡。亡き母の遺品だ。
「爵位を継ぐことになった方に、これだけは持ち出す許可を得ましたの。母の形見として、大事にします」
メアリの母の墓は郊外の領地内にある見晴らしの良い丘の上に、父親の墓と並んで建てられていた。
花を手向け、長いこと祈りを捧げていたメアリは、何日か振りにようやく微笑んだ。
「アーニー、イーサンお兄様、ありがとうございました。これでもう思い残すことはありません」
「本当にもう、大丈夫か?」
アーニーの問いに、メアリは答えた。
「はい、大丈夫です。さあ、ガードナーへ帰りましょう。私の大切な家族が待っている、ガードナーへ」
☆☆☆☆☆
今、メアリは明るく笑っている。だがその瞳に以前は無かった哀しみの影が宿っていることをイーサンは見逃さなかった。
(記憶を取り戻す前は明るく可愛らしい少女だった。だが今は、悲しい過去を胸の奥に抱いて生きることを余儀なくされた。あの影は決して消えはしない。だが、それが大人になるということなのだ)
それに気づいているであろう両親の明るさに、救われる思いのイーサンだった。
翌日、アーニーと共に国王陛下に会うことになっているメアリを伴って、イーサンは王太子宮に向かった。
「メアリ! 昨日はよく眠れたか?」
「ええ、アーニー。やっぱり我が家は落ち着きます。ね、お兄様」
にっこり笑ってイーサンを見上げるメアリに、イーサンも目を細めて頷き返す。
アーネストは安心したように笑顔を見せるとこう言った。
「父上も早く会いたがっている。今朝、参上してきたペンブルック公爵に、メアリからの土産を見せつけられてな。地団駄を踏んで悔しがっていたぞ」
イーサンは内心でため息をついた。
(何でわざわざ見せつけるのかな、父上は。陛下が悔しがるのをわかっていて、ワザとやってるんだろうけれど。幼い頃からの友人でもある二人だから許されることだな)
「ちゃんと、陛下にもお土産をお持ちしましたわ。気に入って頂けるといいんだけど」
「メアリから貰う物なら、その辺の石ころでも嬉しいはずだ、父上は」
(いやさすがにそれはないでしょう、アーネスト殿下)
心の中で突っ込みを入れながら、イーサンはアーニーが以前より人間らしくなったと感じていた。
(優秀で隙がなく非の打ち所がないアーネスト殿下を、私も含めて臣下達は憧れ、敬い、崇拝して、まるで雲の上の……そう、天上人のように思っていた。知らぬ間に垣根を作ってしまっていたのだ。だがメアリは記憶を失ったがために身分を超えた出会いをして、その垣根を易々と超えてくれた。表情が豊かになったアーネスト殿下は前にも増して魅力的だ)
イーサンはうっとりとアーニーを見つめていた。
「お兄様! また、気持ちがダダ漏れになっていますわよ」
メアリに耳元で囁かれ、イーサンはハッとして顔の緩みを正した。
「しまった。つい」
「駄目ですよ、切れ者の側近がそんな可愛らしい顔をしていちゃ」
「すまん。以後気をつける」
実はイーサンにとってメアリはアーニーへの想いを分かち合う友でもあった。二人きりの時はいつも、アーニーの良い所、素敵な所を言い合ったり、今日こんな事があったと報告し合ったり。好きなものについて語り尽くせることがこんなに楽しいとイーサンは初めて知ったのだった。
(メアリには本当に感謝している。二人が結婚したら、私は……義兄! 臣下でありながら、殿下の義兄でもあるのだ! 勿論、『義兄さん』と呼ばれることなどあるわけないが……)
妄想するくらいはいいだろう、と思っていると、メアリに肘で脇腹を軽くつつかれてしまった。気がつくとアーニーが身支度を終えてメアリの手を取ろうとしているところだった。
「じゃあそろそろ、父上のところへ行こうか」
「ええ、アーニー」
「行ってらっしゃいませ、殿下」
真面目な顔をして恭しく礼をするイーサンを部屋に残して、二人は国王陛下の私室へと向かって行った。
(きっと国王陛下も王妃様も、メアリを甘々に歓迎するんだろうな。今日帰ったら、今度は私の父が地団駄踏むんじゃないか)
想像してフフッと微笑みながら、イーサンはエルニアン出張で溜まった書類を片付けるために仕事へ向かった。
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