10 メアリの決断
ダンスが終わりその後は談笑の時間となったが、生きた心地のしていなかったデボラとドナルドは大広間の隅に隠れるようにして立っていた。
「もう帰りましょうドナルド。何だか嫌な予感がするわ」
その時ふいに周りがざわめき始め、人々が道を開けた。そして煌びやかなオーラをまとった美しいガードナー王太子がこちらへ向かっており、後ろに婚約者も控えている。
「これはこれは、アランソン伯爵どの。この度は伯爵位を継がれたそうで、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます……」
(なぜ? なぜ隣国の王太子が私の顔と名前を知っているの。やはりあれはベアトリス? ベアトリスが教えたの?)
カーテシーをしながらもデボラは生きた心地がしなかった。いつも強気なドナルドも、黙り込んでしまって全く頼りにならない。
「アランソン伯爵、私の婚約者を紹介させて下さい。メアリ、こちらへ」
「はい、殿下」
王太子の後ろから現れたのは、美しく着飾っているがやはりベアトリスだった。声もそっくり同じである。
「あ、あなた、まさかビー……?」
「ビーとはどなたのことですか、アランソン伯爵どの? 」
「わ、私の死んだ妹の名前です。あまりにもそっくりなので驚いてしまって」
「そうですか。それはお辛かったでしょう」
「いえ、そんな……」
何が言いたいのだろう。デボラは王太子の真意を測りかねていた。
「実は、彼女は半年ほど前にエルニアンとの国境近くの川で溺れているのを私が発見しましてね」
それを聞いたデボラの肩はビクッと動いた。
「すっかり記憶を失って自分の名前すら忘れてしまっていたのですよ。それで王宮で預かることになったのですが、とても素晴らしい女性で私はすっかり魅了されましてね。先日ペンブルック公爵と養子縁組を結んでもらい、私がプロポーズをして正式に婚約者となったのです」
「な……公爵家ですって……?」
デボラの目は吊り上がり、王太子の後ろにいる婚約者を睨み付けた。その目には強い憎しみがこもっていた。
(何ていう強運なの。伯爵位を独り占めにするために突き落としたというのに、死なずに生きていたばかりか公爵家の養女となり王太子の婚約者になるだなんて。悔しい、悔しい……悔しい!)
「ところで、マイクという男をご存知ですか? リンジー男爵家で御者をしていた男なんですが、今はガードナー辺境に住んでいるのですよ。この男が随分と興味深い話をしてくれましてね。今回、一緒に連れて来てエルニアン王宮軍に引き渡したので、近々動きがあると思いますよ」
マイクの名前を聞いた二人の顔は明らかに色を失っていた。
「マイクですって? まさかそんな……」
「あの野郎、隣の国にいやがったのか? 遠くへ行けってあれほど……」
証人になり得る男が見つかってしまったことを知った二人は、呆然とするしかなかった。
「では、私はメアリともう少し踊ってこよう」
王太子がそう言って肘を曲げると、婚約者はにこやかに微笑んでその肘に手を掛けた。そして、去り際にこう囁いたのだ。
「ごきげんよう、デボラお姉様。私、ガードナー王国で幸せになります」
二人はデボラとドナルドに背を向けるとフロアの中央に去って行った。
「そんな……やっぱりベアトリス……あの時の事、思い出していたの……」
デボラは足の力が抜けて床に座り込んだ。ドナルドは、デボラの腕を掴み、立たせようと焦っている。
「やばいぞ、このままじゃ捕まっちまう。早く帰って金目の物を持ち出して国外へ逃げよう」
なんとか立ち上がらせたデボラと共にドナルドは出口を目指した。だが一歩外に出たところで王宮軍の兵士に取り囲まれてしまった。
「デボラ・アランソン伯爵、およびドナルド・リンジー。ベアトリス・アランソン殺害未遂とマリアンヌ・アランソン殺害容疑で身柄を拘束する」
冷たい声で容疑を読み上げる兵士。なぜこんなことになってしまったのだろう。ドナルドの言う通りにしただけなのに。そうよ、私は騙されたんだ。お母様の言う通り、ろくでもない男だった!
「……違うわ。私はやってない。やったのはこの男よ! お母様を殺したのはこの男! こいつがお母様を階段から突き落としたの!」
「何だと? ベアトリスの背中を押したのはお前だろう!」
「いいえ、ベアトリスだって、私は背中を押しただけ。あの子がつかまっていた木を切って川に落としたのは、ドナルドよ。全てこの男の計画。こいつだけを捕まえて!」
「何を、この女!」
デボラを殴ろうとしたドナルドは兵士によって後ろ手に縛られ、デボラも両脇を兵士に掴まれて、屈辱のうちに連れて行かれた。
騒ぎながら二人が連行されて行くのを背中で感じたメアリはアーニーの腕をギュッと掴んだ。
「大丈夫か? メアリ」
「ええ、アーニー、大丈夫よ。もしかしたらデボラお姉様は私が生きていたことを喜んでくれるかもと思ったけれど……彼女にとって私は邪魔な存在でしかなかったのね。だから、これで良かったの。ありがとう、アーニー……」
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パーティーの最初、王族に続いてアーニーと共に入場し中央を歩いていた時。メアリは傍に控える貴族たちの中に見覚えのある顔を見つけていた。
(あれは……! 艶のある黒い巻毛に黒い瞳。右目の下の泣きぼくろ。間違いない、デボラお姉様だわ! 隣にいるのは、そうだわ、確かドナルド……)
メアリの手にキュッと力が入る。呼吸も少し乱れていた。
「どうした? メアリ」
「アーニー、いたわ……私の姉、デボラとドナルドが。顔を見た瞬間に思い出したの。全てのことを……」
「大丈夫か。気分は」
頷くメアリ。大丈夫。私は一人じゃない。アーニーの隣にいる私はもう、あの二人に突き落とされたりしない。
「私がベアトリス・アランソンだった記憶を全て思い出したわ。崖の上から二人に突き落とされたことも。ああ、そして、お母様。お母様にもうお会い出来ないなんて……」
観衆の前なので顔はにこやかにしているが、胸が張り裂けそうな思いだった。アーニーの支えがなければ立っていられなかっただろう。
「メアリ、二人を逮捕しよう。構わないな?」
「ええ、アーニー。お願いします」
そう告げると、頷いたアーニーはイーサンに合図を送った。イーサンは既に話をつけてあった王宮軍に彼らの逮捕を要請したのである。
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アーニーは立ち止まり、メアリの顔を見つめた。
「メアリ。記憶を取り戻した君には未来を選ぶ権利がある。死亡届を取り消しベアトリス・アランソンとして伯爵位を継ぐのか。それともメアリ・ペンブルックとしてガードナーで生きていくのか。私は、どちらを選んでもメアリの選択を尊重する」
メアリはアーニーを見上げ、少し潤んだ瞳で微笑んだ。
「アーニー、あなたと離れては生きていけないわ」
アーニーの腕を掴んだ手に、さらにキュッと力を入れて寄り添った。
「たった一人の姉だけれど、母を殺したことは許せない。私は今日限り、ベアトリス・アランソンとしての人生を捨てます。これからはメアリ・ペンブルックとして、そしてあなたの妻としてガードナー王国で精一杯生きていきたいの」
メアリの言葉を聞き微笑むアーニー。ガードナーで生きるとメアリが選択したことを心から嬉しく思い、そっと囁いた。
「メアリ。ガードナーを選んでくれてありがとう。君が幸せに生きていくことがお母様は何より嬉しいに違いない。二人で幸せになろう」
「アーニー、私こそありがとう……愛してるわ」