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1 崖から突き落とされた私

「随分と道の悪いところを通るのね、お姉様」


 ガタガタと揺れる馬車の中で痛む背中をこらえながら、ベアトリスは姉のデボラに尋ねた。


「仕方ないじゃない。所詮、男爵なんだから、そんなにいい場所には建てられないわ。たとえ山の上でも別荘があるだけマシってものよ」

「酷いなあ、デビー。まあ確かに、我がリンジー家は貧乏男爵ですがね」


 クックっとドナルドが楽しそうに笑った。彼の肩にしなだれかかっているデボラも一緒に。


(何が可笑しいのかしら。まったくわからないわ)


 ベアトリスは心の中でため息をつきながら、変わり映えしない外の景色を眺めた。


 ベアトリスとデボラは、アランソン伯爵家の姉妹だ。父は一年前に亡くなり、今は母と三人でつつましく暮らしている。

 ところが最近、デボラに恋人が出来た。リンジー男爵家の三男、ドナルドである。どこかの夜会で知り合った彼にデボラはすぐに夢中になった。そしていつの間にかアランソン家に入り浸るようになり、なし崩しに同居する形になってしまっていた。


 そして今日は、リンジー男爵家の別荘にベアトリスを招待すると言われ、こんな険しい山道を乗り心地の悪い馬車で上っているのである。


(別に来たくもないから断ったんだけど……。『なによ、せっかくドナルドが将来の妹と仲良くしたいって言ってくれてるのに!』とデボラがひどい癇癪を起こしたから、仕方なくついて来たのよね)


 来年には学園を卒業するベアトリスは、公爵や侯爵などの上位貴族の屋敷でメイドになることを決意していた。


(この二人と同じ屋敷で一緒に暮らすなんてまっぴら。卒業したらすぐに住み込みで働けるメイドになって家を出るの。それまでの我慢、我慢)


 やがて、馬車が止まった。


「ちょっと一休みしようぜ」


 そう言ってドナルドはデボラの手を取り、馬車から降りた。


「ビー、あなたも降りなさいよ」


 確かに、悪い道をずっと通ってきたのであちこちが痛い。外で身体を伸ばした方がいいだろうとベアトリスも外に出たのだが、周りの景色を見て驚いてしまった。


「何これ……?」


 目の前には断崖絶壁が広がっていた。道幅も広くない上に吹き抜ける風は強く、気を抜くと今にも飛ばされそうだ。


「お姉様、何でこんな所で止まったの? 一休みするには危な過ぎるわ」

「まあまあ、見てご覧なさいよビー。この下、大きな川が流れているのよ。向こう側はもうガードナー王国だわ。しかもね、この川の先は滝になっているの」


 こっちこっち、とデボラが手招きをしている。


「嫌よ、覗いたら落ちてしまいそうだもの」

「子供じゃあるまいし、大丈夫よ。すごく綺麗なのだから見ておいて損はないわ」


 楽しそうに断崖の端に立って下を覗いているデボラに執拗に呼ばれ、仕方なく近寄るベアトリス。


「ほら、ビー、早く」


 デボラはベアトリスの手首を掴んで引っ張ると、そのまま背後に回りこんで背中をドンと押した。


「きゃあっ……!」


 次の瞬間、ベアトリスの足の下に地面は無かった。身体がストンと下へ落ちて行く。咄嗟に、崖下に生えていた細い木を掴みぶら下がった。


「……!」


 風に煽られふらふらと身体が揺れる。ベアトリスを支えるにはあまりにも頼りなさ過ぎるその木は、ミシミシと音を鳴らして今にも折れてしまいそうだ。あまりの恐怖に、ベアトリスは必死になって叫んだ。


「お姉様! 助けて!」


 するとデボラとドナルドが断崖からひょっこりと顔を出した。うっかり落ちてしまわないように地面にうつぶせになって、こちらを見下ろしている。


「ふふ、ビー、ごめんなさいね」


 デボラは微笑んでいた。その顔には何の迷いも躊躇いも見られなかった。


「お姉様、私を殺そうとしているの?!」

「人聞きの悪いこと言わないで。あなたが勝手に落ちたのよ。私は何もしていないわ」

「だって、背中を押したじゃない……お願い、早く、助けて!」

「悪いなあ、ベアトリスちゃんよ。お前がいると、デビーが今すぐに伯爵位を継ぐことが出来ないんだよ。俺は堪え性がないからなあ、そんなに長いこと待ってられないんだ。俺たちの幸せな未来のため、川底に沈んでくれよ」


 ドナルドはそう言うと剣を振り上げ、ベアトリスが掴んでいた細い木を切り落とした。


「いやぁっ……!」


 落ちていくベアトリスの目に最後に映ったのは、高笑いをしているデボラとドナルドの悪魔のような顔だった。



☆☆☆☆☆




「ごめんなさい、お母様。私がちょっと目を離した間に……」


 アランソン伯爵家に戻ったデボラは泣き崩れ、ドナルドが心配そうにその背中を抱き締める。大騒ぎをしながら帰宅した二人を出迎えた玄関ホールで恐ろしい報告を聞いた母は、眩暈がして倒れそうな身体を大階段の手摺を掴むことでなんとか支えていた。


「デボラ、それでベアトリスは……本当に川に落ちてしまったの?」

「ええ。お姉様助けて、と私を呼びながら落ちていったあの子の声が耳に残って離れないわ。私が、ずっとそばにいたならこんなことには……」


 デボラはハンカチを握り締めて嗚咽を漏らし、肩を震わせる。その背中をさすりながらドナルドは少々芝居がかった口調で話し出した。


「お義母様、僕がついていながら本当に申し訳ございません。ベアトリスは馬車に酔ってしまって、吐こうとしていたのです。恥ずかしいから見ないでくれと言われ僕は後ろを向いていました。そのため、足を滑らせたベアトリスを助けることが出来なかった。自分の不甲斐なさが許せません」


 涙で濡れた顔を上げたデボラは、それは違うと言わんばかりに首を横に振った。


「ああドナルド、あなたは悪くないわ。責められるべきは私なのよ。私がしっかりとあの子の手を掴んでいれば。私が代わりに落ちれば良かったんだわ。いっそ、死んでお詫びします」


 そしてどこからか短剣を取り出すと両手で握り締め、自分の胸に向けて大仰に振りかざし突き立てようとした。


「やめなさい、デボラ!」


 母の悲鳴がホールに響き渡った瞬間、短剣を払い除けるドナルド。カランと硬い音を立てて床に落ちた短剣は、クルクルと回転しながら床を滑っていった。


「やめるんだ、デビー! 君まで死んでしまったらこのアランソン伯爵家はどうなるんだ!」

「だって、ドナルド、私なんか生きていたって……」


 デボラのもとに駆け寄ってきた母は、泣きながら娘を抱き締めた。


「デビー、おやめなさい! あなたまで失ったらこの母はどうやって生きていったらいいのですか。気をしっかり持って、ベアトリスの分まで生きてちょうだい」

「お母様……」


 抱き合ったままいつまでも泣き続ける母子に使用人達は心を打たれ、非業の死を遂げたベアトリスを悼んで涙を流した。

 だがもしもその中に鋭い観察眼を持つ者がいたら、薄ら笑いを浮かべたドナルドを……そして周りの様子を伺いながら泣いているデボラを怪しんだことだろう。

 しかし残念ながら、気づかれることはなかった。ベアトリスは川に落ちて死んだのだろうと誰もが思っていた。







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