縁談話
「ルーリス、お前に縁談がきている」
突然。何の前触れもなく呼び出され、父の書斎に行けばそう告げられた。
「ボツェット伯爵からだ。お前をぜひに、と」
ボツェット伯爵……。
現在齢43歳。父親とそう変わらぬ年齢の、今まで三度結婚したことのあるあまり良い噂を聞かぬ人物。ここ最近、新事業に成功し幅を利かせだしたことでも有名である。
我がフィガロ家の領地であるこの土地は元々、国の中で温暖な気候だった。しかし気づかぬ者が殆どではあるが、年々徐々に気温が上がり続けている。そのためより熱がこもり易い地方の土地では、小さな池や川が干上がっているとの報告もあがってきている。
そんな中、治水事業に関して成功したというボツェット伯爵との縁談話は渡りに船。その技術をもって、熱対策や貯水など様々な手が打てるようになるだろう。
貴族に生まれれば政略結婚は当然の義務である。もちろん珍しくも恋愛結婚に至る場合もあるが、基本貴族に生まれた者らは政略の駒となり婚姻を結ぶのが常だ。長女である私にこの嫁ぎ話がきたのも、セレスティアを家に留めておきたいためだろう。でなければ長子相続の慣例どおり私が婿を迎えこの家に残り、妹であるセレスティアが他所の家へ嫁に行くのが普通だ。
領民の為に犠牲となるのは厭わない。
それでも言い知れぬ悲しみがぬぐえないのは、私が弱くて諦めが悪いからなのだろう。
「かしこまりました。詳しい日程など決まりましたら、お知らせ下さい。ドレスなどの手配はいかがいたしましょう」
「クリーエに任せている」
「そうですか。では失礼いたします」
子は親の道具。
子の意思の介入は皆無。
「ふぅ……」
そんなこと、わかっているはずだった。
父から縁談話を聞かされた後、ふらふらと屋敷の中を彷徨うかのように歩き気が付けば中庭の方へ出てきていた。椅子に座りぼーっとしたまま、気がつけば夜も深くなっていた。
漏れ出るため息が、月が輝く闇夜に溶けて消えるはずだった。
「どうしたんだい、ルーリス。眠れないのかな?」
そう、唐突に、誰もいないと思っていた暗がりから声をかけられルーリスは声がした階下を覗きこむ。
そこにはイタズラな笑みを浮かべてこちらを見上げる、伯父がいた。
「伯父様こそどうされたんです?」
「私? ――私はね、あんまりにも月が綺麗だからちょっと月見をしようかと思ってね」
そういう伯父の手には、酒瓶が握られていた。
私は少し面食らった後ニッコリ笑い、ちょっと楽しげな提案を投げかける。
「伯父様、私もそのお月見にご一緒してもよろしいでしょうか?」
そんな私の言動に、こんどは伯父が面食らう番だった。
だが、伯父にとって可愛い姪のおねだりに否と言われることもなく。
「ああ、いいよ。一緒に今宵の美しい月を愛でようか」
そう言いながら伯父は腕を差し出し、私はその腕に手を絡ませエスコートされながらどうしても先ほどの話が頭から離れなかった。
そうしてやってきたのは、ガラス張りの温室。太陽とは違う、月の優しい白銀の光に照らされ蕾を開かせた花々が美しく咲いている。
温室に設置されている木製の椅子に座り、伯父はお酒を飲み私は月を見上げ静かな時間が過ぎていく。
伯父がいることは予想外だったけれど、一人でそのまま自室に籠ってしまうより気が紛れて結果的には良かったのかもしれない。それに優しい伯父のこと。きっと時間が空けばあくほど罪悪感に苛まれ私以上に苦しんでしまうから。
「――すまない、ルーリス。私が不甲斐ないばかりに、お前を守ることができなかった」
頭を下げ、怒りなのか悔しさからなのか、または別の感情なのからか、体を震わせるその姿に全てを受け容れる覚悟は決まった。
「そんな……。伯父様のせいではありませんわ。このお話は例え今でなくても、お相手が別の方でも、貴族の娘として生まれてきた私の宿命としていつかは訪れました。その縁が、今だっただけです。今まで伯父様に与えて頂いたいろんなものをお守りにできる私は、きっと幸せ者です」
そう、それは紛れもない私の嘘偽りの無い本心。
ただの一度でも誰かから愛され、これ程大切にされていたという思い出さえあれば大丈夫。
私の心の中の思い出までは、誰にも奪われない。
「伯父様から頂いた思い出は死ぬまで忘れることも、消えることもありません」
優しい、優しい、ジュジード伯父様。
私の唯一だった人。
私の大好きな初恋の人。
「愛していますわ、伯父様。たとえ伯父様との時間がこれきりになってしまっても、伯父と姪という関係がなくなってしまっても。私はたった一人きりの家族のことを、忘れたりなどいたしません」
「ルーリス……」
ボツェット伯爵の元へ嫁いでしまえば、、、いいえ。相手がだれであっても嫁ぎ先においては夫に尽くし、家のために尽くし、個である前に全の一部として動かなければならない。伯爵位をもつフィガロ家の娘という立場以上に。そしてそうなってしまえば、いくら力があるとはいえただの一商人である伯父とは会える機会は減ってしまう上に、血縁関係もない事実もあり今のように親しく接することはできない。
「だから伯父様、どうか心の片隅でかまいません。私のことを忘れないで下さい。それだけで私は幸せです」
嫁いだ女に自由などない。
夫となるご主人様の命令下において従順に、出しゃばらず、尽くす。
それが、唯一のそこで生きる術。




