闇夜の迷子
南方領から王都まで馬車で三日ほどかかる。社交界デビューとなる王都でのパーティーは十三日後。道中のもしものアクシデントに備える意味と、向こうでの支度に余裕を持たせるためにセレスティアらは今日の昼前に領地を離れることとなっていた。
問題なく進めば十日前に到着する、というかなり余裕のある算段は先の理由以外にこれまで王都に一度も行くことのなかったセレスティアが初めて目にする土地と社交界への不安を落ち着かせるための配慮も含まれているのだろう。
そうして何となく、逸る気持ちからくるのか幾分浮き足立った当事者らが邸を発つ時刻が迫り、伯爵夫妻とセレスティアが豪華に飾り立てた馬車へ。使用人がもう一台の領主の馬車としては簡素だが、しっかりとした造りの馬車に乗り込むのを書庫の窓から静かにルーリスが一人見送る。
誰も寄りつかない書庫。
ルーリス以外掃除をする者さえいない部屋には少しの動作で埃が雪灰のように舞い上がり、彼女の髪や服について離れない。それを気に留めることなく、持ち込んだ一つのカンテラだけを頼りに本棚をゆっくり見て周る。
経営学にマナー本、娯楽小説、それから海図や近隣諸国の風土記など、おおよそ貴族の蔵書とは思えない本が多数所蔵されている。その理由は何年も前にフィガロ家の籍を抜けた伯父の影響だが、普通であればお目にすることができない本があるのはとても嬉しく読むのがとても楽しかった。
伯父のジュジードは長年子ができなかった先代伯爵夫妻が当時二歳の彼を養子として引き取ったのだが、その五年後に現伯爵のルーリスたちの父・ジュノーが生まれた。その後ジュノーが成人になったのを期に、フィガロ家の籍を抜けたため血縁上も戸籍上も伯父ではなくなった。それでもルーリスは伯父と慕い、たまに顔を出しては商人として巡った各国の話を聞くのを心待ちにしている。
今では世界に名を馳せるほどの大商人となった伯父の存在は、ルーリスの唯一の自慢だ。
順に見て回りながらある場所へ向かう。
薄暗いなか書庫の一番奥。狭まったある場所。そこにひっそりある本棚には年季を感じさせる本が並べられており、ルーリスはそのうちの数冊を手に取りぽっかりと空いた棚の背板の一部をスライドさせた。すると取っ手が現れ、それを引くと見た目とは裏腹にとても軽く簡単に本棚が動き小さな部屋が現れた。背板を元に戻し本を最初の位置に置き、現れた部屋に入り反対側にも設置されている似たような取っ手を引いて本棚となっている扉を閉めた。
何も置かれていない部屋だが絨毯の一部を捲れば、床下へ続く道が現れる。ルーリスはなれた手つきで木の板を外し、現れた階段をゆっくりと下ってゆく。そうして下り、しばらく水平な道を歩き続ければ一つの扉が出迎える。その扉を開けた先には小さな庶民が暮らすような家の中に出る。
ここはジュジードに教えてもらった秘密基地。ジュジードは祖父…ルーリスの曽祖父に昔昔に教えてもらったこの場所はいつからあるのか分からないがそれでも大切に扱われ、守られてきたのがよくわかる。使い込まれた食器や家具。所々に傷がついている柱や壁。そのどれもがここを使っていた人たちの記憶であり思い出というぬくもりに包まれているようだった。
ルーリスは今日の様に家族が全員で払っている時はいつもここに来て、僅かながらの平穏なひと時を過すことが唯一の楽しみだった。
今回のパーティーはその後も行われる貴族社会の集いで情報収集をするため、今日から最低でも半月ほど自分以外誰もいない屋敷。侍女や執事、掃除人から料理人に至るまで両親と妹に随従した使用人以外全員が暇を貰い屋敷はカラッポ。邸に唯一いるのはルーリスと、屋敷を守るため配置されている数人の衛兵のみ。彼らはルーリスのことを気にかけることはなく、いなくなっても誰も気がつかない。
静か過ぎる邸を不安に思うこともなく、ルーリスは静かな、一人でいられる限られた時間を満喫するために持ち込んだ軽食と水をお供に入り浸った。
誰の目も気にすることなく好きな読書に没頭できるのは、まさに至福の時。
気がつけば陽は深く沈み、月が天空に昇っていた。
「さすがにそろそろ寝ないと体に悪いわね……」
手にしていた本を閉じ、凝り固まった体をほぐすように軽く肩や背中を動かして空になったバスケットに茶器を片し、こっそり湯浴みをしに本邸へ戻り浴室へと向かった。
いつもなら温かい湯が張ってある浴槽はカラッポで、ルーリスは自分で薪に火をくべ、お湯を沸かしてから水で温度を調整して浸かる。火種を作れる令嬢など早々いないだろうが、できてしまうのがルーリスだ。
汗を流し幾分スッキリとした気持ちで部屋に戻り、厚手のガウンを羽織って少しの食べ物と飲み物を持って秘密基地へと向かった。ベッドの傍に設置されているサイドテーブルにカンテラを置き、食べ物などはリビングのテーブルに置く。寝る前に少し月を眺めようと外へ続く扉を開ければ涼しい夜風がほてった体に心地よく、眠気を誘う。
が、ふと、闇夜に差し込む明かりの中、小さな翳が見えた気がした。
部屋に一つだけ灯していたカンテラを持ち、そっと夜闇に紛れ込み蔭がみえた辺りまで向かった。これがセレスティアであれば怖がって部屋から出ようともしないだろうし、そもそもこんな時間まで起きていることがないため気づき恐怖することもないだろう。
だがルーリスは違う。普段は大人しすぎるほど大人しい令嬢だが、本当は好奇心旺盛で冒険心がある元気な少女だ。
ルーリスは小さな冒険に知れず心が躍っており、好奇心に負け恐る恐る蔭に近づいた。すると小さなうめき声が聞こえ、カンテラの灯りでそれを照らせばそこには男性が一人倒れていた。
「ど、どうしたら……」
周囲を見回してもこのような夜更けでは人の気配もなく、近隣の住民はとうに寝静まった後。こっそり家を抜け出してきた身としては本邸に衛兵に頼むこともできない。もし頼んだとしても、露骨に嫌な顔をされ手伝ってもらえないどころか帰宅した伯爵夫妻に報告され詰問されるだろう。そうしてこの秘密基地のことも露見してしまえば、心のよりどころを喪ってしまう。
しばらく考えこんだあと見てみぬフリもできず、何とか男の服を引っ張って家の中まで運びこんだ。流石に大の大人の男を抱える力はなかったため、ベッドに敷かれている布団などを床に置き。その上に引きずりあげた。熱はなかったが顔などが汚れていたので用意した布を濡らして汚れを拭い、苦しそうにうなるのを見て首元までしまっていたボタンを一つ二つ外すと少し楽になったのか呼吸が落ち着きだした。
それを確認し、男が起きるまでここにいるつもりで自分用の毛布と水と食料を用意しに一旦本邸にそっと戻る。
用意を整え小屋に戻っても、未だ男が目を覚ます気配はない。
長丁場になるのを覚悟し、拾った動物の面倒を最後まで責任を持ってみるように付きっ切りであろうと決めた。もし、今ここでルーリスの考えを知るものがいたならば。「犬や猫と、成人男性を同列に扱うな」と言ったことだろう。(意味合いとしては、人と動物を同列に扱うな。というものと、男女としての危機を窺うものがあるだろうが……)幸いにも今は小屋にどれだけ居座ろうとも、家族が帰ってくるまでは誰にも何も咎められる心配がない。心置きなく何冊もの本を用意し、仮眠をとる以外は看病と称した読書にふける。
窓の無い物置小屋に灯るのは、温かなオレンジ色のカンテラの明かり。聞こえてくるのは二人の異なる息遣いと夜闇の静寂。月さえ届かぬ淡い闇の中、偶然出逢った二人組みは誰にもそのことを気付かれぬまま夜を過す……。




