光園持グループ
欣也は今ここから年老いていく人生を思う中で、これまでの生き様を振り返っていた。
七年前に労苦をともにしてきた妻を亡くし、それでも立ち止まることができなかった。
玲子が真一のもとを去り恵利佳が生まれた。
そして好子が真一のもとを去り、玲子と恵利香が光園持の家に来てくれた。
ニヶ月前には、社長の座を息子に譲り、会長職へと退いた。
当時、社内では若すぎるとの異論が多い中、会長の片腕と言われた専務の一喝で、皆黙ってしまった。
これまでのバブルの時代、いずれの企業も膨張を続ける中で、光園持グループの営業成績は横ばいを続けていた。株主はもちろん、社内からも批判の声が多く、時代の波に乗ることのできなかった企業のナンバーワンにも選ばれた。
大学を卒業して証券会社に勤めた娘の初めてのボーナスが、父親のそれを上回るといった、そんな時代であったから、欣也への批判は内外を問わず厳しいものがあった。この間、他社のようにベースアップしていかないことに不満を覚えた者たちが会社を去っていった。
しかしその一方で、つぶれかけていた会社をここまで立て直した欣也に陶酔している者も多く、業績が横ばいの中ででも、懸命に戦う者たちの姿もあり、会社の基盤は少しずつではあるが充実していった。
退職者が多く出る中においても、彼は決して信念を曲げなかった。
「今は、光園持グループはまだ足場を固める時。足場の固まっていないものが大きな荷物を抱えれば、ふらふらするだけ。場合によっては倒れるだけ」彼はこう言い続けた。
決してバブルが崩壊することを読んでいたわけでも心配していたわけでもない。経済動向に影響されることのない、しっかりとした基礎を作り上げることが彼の信念であった。
真一もそのことはよくわかっていた。したがって二~三年は、体制作りに重点をおくこととしていた。
しかしながら、一九九〇年新年を迎えると、実体のない膨張を続けてきた日本経済が大きく方向転換を始めた。
株価は暴落し、不動産の価値も一割、二割と下げていった。
そこから失われた二十年という期間、光園持グループは堅実な運営に努めた。各社が早期退職者を募るに加えて、リストラ、賃金カットを断行する中、光園持グループの社員は、毎年、わずかではあるがベースアップが実行され、誰もがこの会社で働くことに誇りをもっていた。
かつてバブル期に会社を去った者たちも、こぞって復職を希望してきたが、真一は、決してこれを認めなかった。
「目先の利益に走る人間は絶対に信用できない」彼はそう言って信念を貫いた。
しかし、中には、不当な力に頼ろうとする者もいて、真一は、政治とかかわりを持ち続ける企業の在り方に疑問を持ち始めていた。
ある日、秘書から
「今本正衆議院議員の第一秘書がお会いしたいとのことですが……」と尋ねられた彼は気軽に了解をしたのだが、そのことを知った専務から、最近の今本の同行を知らされ驚いた。
昨年の税制改正が議論される中で、光園持グループの子会社で大きな打撃が心配される案件があったため、専務がわざわざ出向き、例外項目として検討して欲しい旨をお願いしたのだが、第一秘書に軽くあしらわれてしまい、結果として子会社の一つを別会社が吸収合併せざるを得なくなり、大きな打撃を被ってしまった。
しかし、専務は、公表された他の例外項目と比較しても、決して遜色のない課題で、無理な話だとは思わなかった。
(長年、支援してきたのに、この程度のことで協力を得られないのであれば、今後支援をしていく意味があるのか……)
そんな疑問を持った専務は、衆議院議員、今本正の同行を調査した。
三十歳過ぎに亡くなった父親の地盤を引き継ぎ、三期目に入った彼は、要望にやって来る企業からは金品を受け取り、毎夜、高級クラブへ通い、世話をしている女性もいるようだった。そんな中で、金の必要な彼は、「金品を持参しないで要望に来るものなど、もっての外」と罵倒し相手にしなかった。
こうした報告を受けた真一は、全てを専務に委ねることとした。
アポの日時に来社した第一秘書は、社長が不在と聞いて
「社長がいないとはどういうことですかっ!」といきなり声を荒げた。
「申し訳ないです。どうにもならない急用ができてしまいまして……」
専務が対応したが第一秘書は相当な剣幕でまくしたてた。
「今本の秘書を勤めて、十年になりますが、こんな無礼は初めてですよ」
「はあー」専務は少し呆れていたが、それでも紳士的に対応しようと思っていた。
「私は今本の第一秘書ですよ。その私との約束をすっぽかすって言うことは、今本を軽視しているとしか思えないですね」
「いやー、本当に申し訳ないです。アポを取り直しますか?」
「何を言っているんですかっ、私はあなたみたいに暇じゃ無いんですよっ」
「そうですか、それは失礼しました。それでは私がお伺いすることでよろしいでしょうか?」
「仕方ないじゃないですか…… 実はこの人物なんですが、御社への復職を希望していますので、うまいこと、取り計らって下さい」
第一秘書は、高飛車に言いながらその男の履歴書を差し出した。
「復職ですか……」専務は少し困ったような演出をしたが、その履歴書には手を伸ばさなかった。
「そうです。御社には必要不可欠な人物です。今本の顔を立てて下さい」
「それは難しいですね。社長に相談するまでもなく、お受けできないですね」
「はあー 今本がお願いしているんですよ、意味が解っていないんですかっ!」
「よくわからないですね、お話しはそれだけですか…… 他になければお引き取り下さい」
「専務、あなたは自分の言っていることがわかっているんでしょうねっ、今本を足蹴にしたんですよっ、私はありのままを今本に報告しますよっ、いいんですね」
「足蹴にしたつもりはないですけど、あなたがそう感じたのであれば、それもまた仕方のないことですね」
「後悔しますよ」
彼は、言葉を投げ捨てて席を立った。
報告を聞いた真一は、
「おもしろくなってきましたね、この永井劇場はちょっと見ごたえがあるかもしれないですね」と専務をからかいながらも楽しそうであった。
事務所へ引き上げた第一秘書は社長である真一に電話を入れてきたが、彼は居留守を使った。
『大至急連絡を取っており返して下さい』とまくしたてる第一秘書に
『現在は、連絡を入れることができませんので……』と社長秘書が断ると
『それでは帰社したら大至急に電話して欲しい』と続けたが
『時間がはっきりとしませんので、そのお約束は難しいです。またおかけ直しいただけますか』と応じたもので、第一秘書の怒りはマックスに達してしまった。
この案件は彼が個人的に受けた話ではあったが、彼はそれを後援会の関係者と説明し、議員に顔がつぶされたことを強調して報告を行った。
先代から仕えている第二秘書は
「大きな支援母体ですよ、影響は計り知れないですよ」と懸命に諫めたが、聞く耳を持たない今本議員が
「二度と御社の要望には関わらないと伝えておけ」と投げ捨てるように言うと、
第一秘書は再び光園持グループに電話を入れた。
『今日の五時までに社長からの謝罪がない場合、今後は御社の要望には一切かかわらない』
しかし、二日経っても連絡がないことに腹を立てた第一秘書は、アポなしで光園持に出向き、社長に面会を求めたが会うことができず、専務の所へ出向いた。
「何の用ですか?」
「失礼極まりないぞっ、今本を愚弄するつもりなのかっ」まだ四十歳を過ぎたばかりの礼儀をわきまえない第一秘書が、六十歳を過ぎている専務に襲いかかった。
「ちょっと待って下さいよ、わが社にはもう関わらないのでしょ、お引き取り下さい」
「何だとー」
今まで、今本の名のもとで、自らが偉い人になったような錯覚をしているこの第一秘書は、怒りを露わにしたものの次の言葉が見つからない。
「この前のように、後悔するぞって、言葉を投げ捨てて帰ればいいじゃないですか」
「そっ、それは……」
「失礼極まりないのは君の方だよ。たかが三期議員の秘書ごときが、この光園持グループの専務に向って暴言を吐いたのだからね」
「……」
「わが社は今後、民自党とは関わらないよ。統一選挙にあたっては、組合の自主性に任せようと思っていますので、そこのところは議員にもよろしくお伝えください」専務は冷たい視線を投げかけた。
「みっ、民自党を敵に回すのかっ」
「回しますよ。役に立たない議員を支援しても、なんのメリットもない」
「今までの恩をあだで返すのか」
「それはこちらのセリフですよ。ここまで支援しても、全く恩恵に預かったことがない」
「なっ、何てことを……」
第一秘書は慌てて事務所に帰った。
「どっ、どういうことだ。次の選挙は支援しないということかっ……!」今本が慌てた。
「とんでもない企業ですよ。思い知らせてやりましょう」第一秘書が言うと
「どうやって思い知らせるんですか」第二秘書が呆れたように言う。
「そりゃ、先生の力を見せつけてやるんですよ」第一秘書は第二秘書を睨むように言葉を投げ捨てたが
「だから、何をどうやって、力を見せつけるんですか?」
あくまで第二秘書は冷静である。
「そりゃー……」
「先生、私はもうあなたにはついていけない。今日限りで止めさせていただきます」
「どっ、どういうことだっ……?」
「あなたは大きな勘違いをしています。企業と議員の関係なんて、所詮、利害関係なんですよ。議員は、企業が困った時に知恵を絞り、人脈を駆使して、助けてあげる…… それがあるから企業は支援してくれるし、後援してくれるんですよ」
「……」
「今回の復職の件でも、光園持が先生に恩義を感じていればどうにかしますよ。でも、彼らはあなたのことを役立たずだと思っているんですよ」
「なっ、何だと!」
「企業が議員とつながりを持つのはなぜですか? ただの見栄ですか、力の誇示ですか…… 違うでしょ、いざと言う時に助けて欲しい、力を貸して欲しいからでしょ」
「……」
「今のような時代、監視の目が厳しくて、とても無理はできません。それでもそのリスクを犯す時に、金品を受け取るのは仕方ないことです。しかし、光園持は正当に伸びてきた企業です。光園持から無理をお願いされたことはないはずです。何か記憶にありますか?」
「……」今本には返す言葉がなかった。
「光園持の若社長は、温厚に見えますが、このあたりのことは、ドライに割り切ってきますよ」
「どっ、どうすればいいんだ?」
「もうどうにもならないと思います。私も、もう止めさせていただきます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ただの一企業だろ、何も恐れることじゃないだろう」
今本が不思議そうに言うが
「何を言っているんですか、関連企業まで含めると、あなたの獲得数の十パーセント近くですよ、だが、恐いのは、光園持がよそを向いてしまうと、光園持に続く企業が出て来る。会長はそれだけの人格者なんですよ。若社長だってなかなかの人財ですよ。そんなこともわかっていないのですか」
「なっ、何だって…… 」
「あなたは、初心を忘れてしまって、自分が議員だから、誰もが跪いてくれる、誰もが自分に従うと思っていたのでしょうが、とんでもないことですよ」
「……」
「確かに先代の時代は、議員がひとこと言えば無理が通った。そこには金も動いた。でも、今みたいな時代になると、そんなことで生きてきた議員は収賄でつぶれて行くしかないんですよ。何人もの議員が去って行ったでしょ。企業のトップが馬鹿なら、今でも、先生、先生っていって奉ってくれますよ。未だにそんな馬鹿なトップもいますけど、彼らだってそのうちに気づきますよ。まして、光園持はそんな時代の中でも、しっかりと足元を見つめて歩んできたトップクラスの企業です。若社長は懸命な人です。時代が変わっていることを理解して、いち早く動いている」
「……」
「おそらく、愛人のことだって調べていますよ」
「なっ、何とかならないのか」
「申し訳ないが、もう私は疲れてしまいました。後は、あなたが信頼している第一秘書と相談して動いて下さい」
彼は皮肉を込めた一言を残して事務所を後にし、光園持の会長をよく知っている【政調会長】を訪ね、一連の報告を済ませた。
その翌日、社長である真一にアポが取れない今本は第三秘書を連れ、永井専務を訪ねた。
「専務、第一秘書がご迷惑をおかけしてしまい申し訳なかったです」と全てを第一秘書の責任にして自らは知らなかったことだと強調したが、
「いやー、女性のお世話もあるし、大変でしょう。秘書の行動に目が行き届かないのは仕方ないですよ」と専務が微笑んだため
「専務、私が頭を下げているんですよっ、本気で私とやり合うんですか」今本が低い声で襲いかかったが
「光園持にはあなたと争うなんていう気持ちはないですが、あなたが攻めて来るのであれば、お相手はしますよ」専務が苦笑いをした。、
「わかりました。今後は私の持てる全てを使って御社に対峙しますので覚悟しておいてください」
プライドを傷つけられた今本は、修復のためにやって来たのに、再び、愚かさを露呈してしまった。
( 光園持が何だ、思い知らせてやるっ。民自党には風が吹いている、後一年ある、十パーセントくらいなら新しい支援者を探せばいいんだ )
彼はそう思って愛人のもとへ急いだ。
その一週間後、真一が帰宅すると父親の欣也が
「真一、民自党は今本を公認しないそうだ。
【政調会長】から連絡があったよ。」
「へえー、やはりねー、公認するんだったら愛人のことをリークしてやろうかって思っていたんだ」
「はははっはは、新しい候補を立てるってよ」
「借りでもあるの?」
「ああ、昔、一度だけ助けてもらったことがある」
「そうか、わかった。今本が降りるんだったら、民自党で行くよ」
「すまんな……」
ところが、次回の選挙で公認はしないと告げられた今本が、
「立候補は取りやめない、民自党が公認する候補に勝って見せる」と豪語したため、事態は悶々としていたが、一ヶ月後、ある週刊誌に、今本の愛人の記事が掲載され、さらに収賄の事実が暴露されたため、警視庁も動き始め、取り調べを受けた第一秘書は、取調官の威圧的な言葉に驚いてしまい、直ぐに全ての収賄をペラペラと話し始めた。
今本は手を打つ間もなく収賄容疑で逮捕され、泥で築いた彼の牙城はあっさりと崩れてしまった。
真一の父は、
「お前は恐ろしいやつだなー」と微笑みながら彼を疑ったが
「待ってくれよ、俺もあそこまではしないよ。民自党だろ」と彼はそのことを否定した。
こんなことがあったため、光園持グループは政界からも一目置かれる企業となり、その社名が少しずつではあるが、社会で知られるようになっていった。
そのころになると、各社の株価はさらに急降下し、不動産の暴落も止まりそうにはなかった。
そうした中で、わずかではあるが、毎年営業成績を伸ばしてきている光園持グループの株価が火を噴いた。一九八九年十二月には八百円程度であった株価が三年後には三千円を超える勢いであった。営業実態は何も変わらなかったが不透明な時代の中で堅実な企業が評価され始めていた。
しかしながら、光園持グループが真にトップクラスの大企業として評価され始めたのは二〇〇〇年以降の話となる。