多田恵利佳になり切れない宿命
恵利佳が二十八歳になった誕生日、英人がお祝いにやって来た日のことである。
皆で食事を終えた後、英人と恵利佳は二人きりで彼女の部屋にいたが、玲子は一向に進まない二人の恋愛に気をもんでいた。
恵利佳にいつもの明るさがない中では、沈黙が重く二人にのしかかって来た。それを嫌がるかのように、
「俺、アメリカへいくよ」英人が口を開いた。
「そう、何年ぐらい?」静かに彼女が尋ねると、
「少なくても三年、長ければ五年と思っているけど、年数が経ったからといって納得できるものでもないし、やはり自分が納得できるまでになるかな…… この後、会長にも報告しようと思っている」重苦しい雰囲気は否めなかった。
「何故、私に先に言うの」恵利佳は何かを期待していた。
「難しいこと、言うなよ」いつもの英人とは少し違っている。
「帰った時には、私、もうここにはいないかもよ。結婚しているかもよ。いいの?」
「よくないけど……」英人にはこんな空気が何となく想像できていた。
「いつまで待たせるの」恵利佳も覚悟はきめていた。
英人もアメリカ行きをきっかけに、何かが動き出す予感はあったが、それでも、彼には立場があった。 彼女は大恩人の大事な孫娘である。
そのことが、彼に前へ進むことを許さなかった。男として卑怯だとは思ったが、彼には流れを見るしか術がなかった。
恵利佳もそのことはよくわかっていたが、それでも女心が彼女をここまで待たせてしまった。
「世話になった、大恩人の光園持家のお嬢様を下さい、なんて言ったら、どこまで厚かましいんだ、って言われそうで……」英人は俯いた。
「それが怖くて、私を放置しているわけ?」
待ち続けた女のこれまでの思いが、それを口にしないではいられなかった。
「いつも恵利佳のこと考えているよ。知っているだろう」
「私が切り出さなかったら、その一言、いつ言うつもりだったの?」
「……困らせないでくれよ」英人が苦笑いをした。
「いいわ、もう許してあげる」彼には、恵利佳の悲しい微笑みが切なかった。
「いや、どこかで諦めるきっかけを待っていたような気がする。いっそのこと、恵利佳が誰かと結婚してくれれば、あきらめがつくのに、なんて思っていた」
「……するわけないでしょ」
「情けないけど、俺に許される思いは、ここまでのような気がする……」
「結婚してあげる」突然の恵利佳の言葉に、
「えっ!」英人は驚いた、と同時に胸が苦しくなり、そして欣也の顔が頭に浮かんだ。
英人は大きな瞳で見つめる恵利佳を直視することができなかった。その瞳が語り掛けてくる長年の思いは、彼の上に、重くのしかかり、彼は身動きができなくなってしまった。
結局、彼には恵利佳の存在そのものが恐れ多く、近くにいても高嶺の花であったのだが、しかし、その恵利佳からの一言で彼の心はこれまでになく大きく乱れた。
「でもね、一つだけ、お願いがある」
「えっ、何?」
「悪いけど、結婚しても、エイトだけの恵利佳になることはできない」
「何、それ、他にも男を作るってこと?」
「面白いじゃない」
英人にはよくわかっていた。彼女の背負っているものがいかに多く、そしていかに大きいかということを、彼はその傍らでいつもそれを感じていた。
「君には、会社のことや、光園持の家のこと、もちろん二人の弟も含めて、まだまだやらなければいけないことが山ほどある。だから、結婚してもアメリカは一人で行け、ってことだよね」
「おう、今日はさえているね」
「いつも冴えてるんだけど、この家では思いをぶちまけられないでしょ」
「でも、私の婿になったら、言いたい放題よ」
「ありがとう。光園持恵利佳、小学生のころから、才女と言われ、中学生になると、彼女を崇拝する男子生徒は数知れず、しかし彼女に告白する勇気を持った者は一人もいなかった。高校に進むと、その美しさと愛くるしさに加えて頭脳明晰な彼女は、皆から愛されはするものの、その高貴さ故、庶民からはますます遠い存在となった。それでも彼女は前を向いて歩いた。一人の苦学生に手を差し伸べ、彼を医者にしたてた。しかしその人生の中で、彼女は恋愛を忘れてしまい、身近なところで結婚を覚悟した。……この女性の人生、責任をもって俺が預かるよ」
「ほーう、上手い、少し違うけど、まぁ、いいや。でも、それロポーズ?」
「そういうことにしてくれるかな?」
「そうだね、女からプロポーズされたなんてのは、かっこ悪いもんね」
「うん、とりあえず、会長のところへいってくる」
これまでの霞がかかったような彼の心は、一気に晴天と化した。
「一人で行く?」
「うん」
欣也は部屋へ入って来た英人の様子がいつもと違うことに気付くと、いよいよアメリカへ行くのか…… そう思って少し寂しく、そして残念な自分がいることにはっとした。
「会長」
「どうしたんだね、改まって」
「会長、あつかましいことは重々承知の上でお願いに上がりました。恵利佳さんと結婚させて下さい」彼は一気に話した。
「おっ、そうか、そうだったのか、やっと口にしてくれたのか。もらってくれるのか、あのお転婆を、有難う、有難う」
身体を乗り出し、両手で英人の手を取って、涙ぐむ会長を見て、彼はこれまで懸命に守り続けてきた心の壁が音をたてて崩れ落ちていくのをしっかりと感じていた。
「お許しいただけますか」不安そうに再び尋ねる彼に
「許すも許さんも、いつまでまたせるんだー」
笑顔で涙ながらに訴えるように話してくる欣也に、深く頭を下げたのは、自分がいかにちっぽけな人間だったのか、それを思い知らされた瞬間であった。
「それでいつする?」
「はい、実は、もう一つ報告がありまして…… アメリカへ行こうと思っています。でも、彼女は同行しません」欣也にはその意味がよくわかっていた。
「そうか、結婚しても単身赴任か?」
「はい、私が言うまでもありませんが、彼女には、まだまだ結論の出ていないことがたくさんあって、当分、私一人の恵利佳にはなってもらえないと思っています。私も、これは納得の上での話です」
「申し訳ない、恵利佳にもほんとにすまないと思っている。でも、正直、今、恵利佳に去られると大変なことになるのも事実。全てが彼女なくしては進まない。とても玲子さんと私だけでは手に負えない」
「会長、大丈夫です。よくわかっていますから……」
その日、彼は真一の帰宅を待って両親にも頭を下げた。
恵利佳が信也にも出動命令を発し、その夜、光園持家はお祭り騒ぎとなった。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
とても思い入れの強い作品です。
2年前の2月に初めて書き始めた物語です。何度も修正しながらやっと公開できるところまで来ました。
ぜひ一言下さい。
此道一歩のHPへも立ち寄ってください。
投稿していない物語もお楽しみいただけます。
https://www.irodoriippo.com




