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波紋に揺れる影  作者: 此道一歩
特別篇  『恵利佳の物語』
25/26

動  揺

 二年生も終わりに近づいた二月の下旬、恵利佳は英人の祖母から聞いた小さいころからの彼の夢のことを玲子に話した。

 幼いころ、心臓の病気で父を亡くした英人は、いつも「お医者さんになるんだ」ということを口にしていたこと、そしてその思いは今も強いこと、恵利佳はいつになく、困惑した様子で母にこのことを話した。

「それは大変ねぇー、彼の人生を狂わせてしまうわ」

「……」いつになく恵利佳の反応が悪い。

「確か、文系と理系では選択科目がちがうわよね」

「そうなのよ。もう出してるし…… 数Ⅲと、あといくつかあると思うけど……」

「急いだ方がいいわね。英人さん、来てくれるかしら。ママから話してみるわ」

「お願い」こんな元気のない恵利佳を見るのは初めてであった。

 

 連絡を受けた英人は何事かと思いながら、やって来た。

 ざっくばらんに話したいと思った玲子は、ダイニングでお茶を飲みながら切り出した。

「英人さん、単刀直入に聞くけど、あなた、本当は医学部に進みたいんじゃないの?」

 驚いた彼は、恵利佳に目を向けたが、いつになくテンションの低い彼女を気遣ってかって

「いいえ、経済で大丈夫です」と答えたが

「大丈夫かどうかじゃなくて、あなた自身の望みはどうなの? もし光園持欣也が、光園持グループの会長が、『医学部でもいいよ』って言ったら、どうなの? それでも経済へ行くの?」

「いや、それは、でも……」その思惑が解らない英人は困惑していた。

「エイト、お願いだからあなたの本心を聞かせて、あなたの悪いようには絶対にしないから……」

 見たことも、聞いたこともない、恵利佳の切ない願いに、英人は答えた。

「そりゃー、望みは医学部です。でも、それではお世話になっている意味がない。恩返しができない」今さら何を言っているんだ…… そんな勢いだった。

「英人君、あなたの気持ちはよくわかるわ。でも、今のまま、あなたを経済学部へ行かせて、あなたが光園持グループへ入ってくれて、そこで活躍して、会社にはなくてはならない、そんな存在になったとしても、今のあなたの思いをしったら、会長は、絶対に後悔するわ。でも、その時には、もう会長の後悔を救ってあげる術がない」

「でも……」

「だから、あなたは医学部へいって。今までと何もかわりはしないわ。ただ、あなたの進む道が変わるだけ。お願いだから医学部へ進んで……」玲子の嘆願するような言い方であった。

「……」彼は返事に窮した。

「エイト、お願い、私はあなたをじっちゃまに会わせて自己満足していた。もっと、あなたのいろんな思いを知ったうえで会わすべきだった。とても後悔している。でも、今なら、まだ何とか間に合う。だからお願い!」

 こんな恵利佳を誰が見たことがあるだろうか。英人の驚きはもちろんだったが、それにも増して、玲子の驚きは筆舌に尽くし難かった。いつも自信たっぷりで、明るく、意気揚々としたこの娘が、ここまで落ち込んだのは、見たこともないし想像したこともなかった。

「ありがとうございます。でも、俺は、会長への恩をどうやって返せばいいんですか。会長の恩を受けたまま生きていくんですか!」

「英人君、あなたが通そうとする道は、自分の思いを押し殺して、人の恩に報いようとする、わずか、高校ニ年生の、娘と同じ年の子をそこまで追い詰めたのは私たち、本当にごめんなさい。あなたの答えは百点なんだけど、何か違うの、あなたの答えの中には、私たちの思いも入れてほしいの。上手く言えなくて、ごめんなさい。ここから先は、会長がきっと話してくださるわ」

「……」英人は会長の所へは行きたくなかった。自分がそんな不義な人間だと思われたくなかったのだが、それでもこの流れは何ともし難く、玲子に続くしかなかった。

 玲子は、この話は自分たちが押し付けたものであること、そして英人はかたくなに欣也との約束を守ることに固執していることを明確に説明した。

 聞き終えた会長は、「英人君、ほんとに申し訳ないことをした」

 頭を下げる欣也に

「会長、やめてください。私は今のままでも十分すぎるくらいです。約束は必ず守ります」

 懸命に話す英人に向って欣也が静かに話し始めた。

「英人君、私はね、会社がここに来るまでにいろんな人に助けられ、支えられてやってきた。数え切れない方々から大きな恩を受けてきた。でも、私はもうその方々にその恩をお返しすることはできない。亡くなった方もいれば、遠くへ行かれた方もいる。私はその恩を忘れないようにして、違う人たち返していく。そしてその人たちは、将来、また別の人に返していく。だから君は、光園持に入らなくても恩返しはできる。医者になればもっと大きな恩返しができる。その種をまいたのは私だから、どこかでまたそれが私の子孫に返ってくる。私は人の道とは、この受けた恩を自分だけにとどめず、次の人へとつないでいくことではないかと思う。しかし、もし君がここで意地をとおして光園持に入れば、私は死ぬまでこの後悔を持ち続け、あの世にまでもっていくこととなる。君がそれを望むとは思えないがどうだろう?」


「エイト、おじいちゃんの気持ち、わかって上げて。今回のこの失敗は全て私の責任。もし、ここであなたが解ってくれなかったら、私もおじいちゃんと同じ。いつまでもこの後悔が消えることはない」


「私は、どう答えればいいのか、全くわかりません。私が本当に進みたい道へ私を行かせるために皆さんが頭を下げて下さって…… 何か不思議です。会長の話はとてもよくわかります。こんなうれしいことはありません。でも、心の奥で、こんなに激しく私を説得して下さって、私の行きたい道しかいくことができないようにして下さって、こんな大きな人の思いを黙って受けていいのか、そんな声が聞こえて、もう苦しくて息ができないぐらいです」


「君はほんとに素晴らしい。その思いが君をもっともっと強くしていく。そして、その思いが不可能を可能にしていく。君はすごい医者になるよ。今の君の迷いは、今の君には答えが出せないかもしれない。でもいつか、必ず正解だったことがわかるよ。どうだろう、ここはこの年寄りを信じて医学を志してくれないか」


「ありがとうございます。ありがとうございます」

 英人は涙にぬれた目を上げて何度も何度もお礼を繰り返した。傍らで恵利佳の目も涙で潤んでいた。

玲子は、今までに見たことのない娘を今日は何度も目にした。

「じゃ、私の話はうけてくれるね」

「はい、よろしくお願いします」

「となると、一つだけ確認しておきたいことがあるんだ、医者を目指すとして、具体的な思いがあるのかね、将来的には変わるかもしれないが、今時点でもし思いがあるのなら聞いておきたい」

「できれば心臓外科を目指したいです」

「そうか、だけど心臓外科だったら、京王大学だよ。卒業後、大学へ残るもよし、アメリカへ修行に出るもよし、道は開けている。ここでもいいかな?」

「でもお金が相当に……」

「それはいいさ、買い物をしたこちらが考えるよ。それに理事長は知り合いなんだ。明日、話を聞いてみる。ここでもいいか。東大じゃないといやだとか、そんなのはないかね」

「それはありません。京王なら最高にうれしいです。ありがとうございます」

「じっちゃま、それから高三での選択科目のことがあって、もう提出しているのよ」

「ああそうだな、そんな問題もあるよな。明日、一高へ行ってみるよ」

「サンキュー」いつもの恵利佳が戻って来た。


 その翌年、英人は京王大学医学部へ進み、恵利佳は同大学の経済学部へと進んだ。

 英人は引き続き、毎週土曜日には光園持の家で食事をとっていた。玲子も週に一度、息子がかえって来るようでうれしかった。

 恵利佳は大学を卒業すると、しばらく人生を考えたいといって、仕事にはつかなかった。

 欣也は恵利佳を半年ほど好きにさせたあと、ことがあるたびに、恵利佳に仕事を与えた。肩書は高井彩と同様会長秘書であった。彼は彩の負担を減らしたいと思っていたし、できることであれば彼女に恵利佳を育ててほしいと考えていた。

もともと欣也の話を聞いて成長した娘であったことに加え、頭の切れる人間であったから、みるみるうちに頭角を現し、三年もしたころには、会社の仕事はほとんど、恵利佳が仕切り、彩は会長の私的部分で動くことが多くなった。

 欣也は、恵利佳が二十五歳になった時、主な役員を集め、恵利佳の取締役就任について打診したが、光園持の血をついでいるということ、さらにあれだけの才覚があれば、若すぎるというハンディは完全に打ち消される、というのが大方の意見であった。

 

 その年の五月、彼女は取締役企画担当となった。

 一方、医師となった英人は、付属の大学病院で忙しい毎日を送っていたが、教授からアメリカでの修行を勧められていた。

 


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