死の予感
無事に結婚式を終え、青山のマンションで新婚生活を始めた信也と理穂は、幸せな日々を送っていた。
理穂は、その翌年、七月に双子の女子を授かった。
子どものことを最優先に考えた彼女は、自分に許される環境の中で、最も恵まれていると思った光園持の家、そして欣也がいるこの家で産後を過ごすことにした。
玲子に加え、恵利佳が、そして時には実母の裕子までやってきて、総動員での子育てが始まった。
欣也は初めてのひい孫に満面の笑みを浮かべて喜んだ。
そして、光園持の実家で産後を過ごしたいという理穂の気持ちが、年老いた自分に寄せられたものであることもわかっていた。毎日、二人のひい孫を見に来る欣也の表情は、かつて信也の結婚が決まった時以上の安堵感と喜びに満ち溢れていた。
「さすがに二人いると大変だねー」恵利佳が楽しそうに話す。
玲子はその横顔を見ながら、子供を授かれない愛娘が不憫でならなかった。
「なによ、そんな憐れんだ目でみないでよ」
それを察した彼女がさらっと流すように言って母を見つめた。
「ごめんなさい」
「母さん、もういいのよ、諦めているから……」
「恵利佳……」
「わたしはね、あの子たちを大事にして、理穂ちゃんから、ちょっとだけ母親の思い、分けてもらって、子供と遊びたい時だけ遊びに来て、いいとこどりだけして、かわいがってやろうって思っているのよ。 だってこの美貌とスタイルでしょ、この頭脳、そしてこの口に、いい夫、この上、子供まで授かったら、罰があたるわよ」
「あなたはすごい、たぶん、人を愛することができるのね。英人さんは当然だろうけど、信也にしても理穂ちゃんにしても、そして二人の姪だって愛することができるのね……」
「ママだってそうでしょ、ママと私の人生って、信也のお母さんに会った時から、こういう道だったのよね。よくも横道それずにここまできたね」
「そうね、ほんとの意味で好子さんとの約束が守れたような気がする。あの頃の、もつれに、もつれていた運命の糸が、やっとほどけて、終止符が打てたような気がする。恵利佳、ほんとにありがとうね」
「でもね、まだまだ問題は山積みよ。数学博士様の義一のこともあるし、パパの後だって、どうするか決めないとね」
「そのことだけどね、この前ね、久しぶりに会社へ顔だしたのよ。パパは用事が済んだらすぐに出かけてしまってね、その後、専務と常務につかまって大変だったのよ」
「へえー、何だったの?」
「後継者を早く決めてほしいって、頭を何度も下げられて、二人の男の子はその気がないって言ったら、『恵利佳さんがいるじゃないですか』って、まあ大変だったわよ」
「あいつら殺す」
「ちょっと、その言い方、何とかならないの」
「しょうがないよ、腹が立ったら、口が勝手に動くんだよ。妊娠中に何かあったんじゃないの?」
「もう許してよ」
「はははっはは、だけどね、今の時代にいつまでも世襲制って言うのはどうなのよ、そのことの方が問題だと思うけどね」
「まあ、お祖父ちゃんの思いもあるから、仕方ないところもあるよね」
「はいはい、恵利ちゃん、利佳ちゃん、また泣いているよ。きっと今度はおしめだよ」
人の名前ニつに分けてつけるかなあ、もう…… でも恵利佳はうれしかった。
「お母さん、お姉さん、すいませーん。助けてください」理穂の幸福感にあふれたSOSだった。
そんな日々が穏やかに続き、一年が過ぎ、青山のマンションに帰る準備を少しずつ進めていた時、再びの妊娠に同居が継続されることになった。
双子をさずかったニ年後、そして欣也が癌を宣告されたその翌月、理穂は長男を出産した。
光園持の跡取りができたことに欣也のはしゃぎようはただならなかった。
また、恵利佳の夫、多田英人もそのころ、欣也のことを心配して七年間のアメリカ研修から京王大学病院に帰ってきた。
早くに両親を亡くした彼は、欣也の支援の元、京王大学医学部に入学し医者になり、恵利佳と結ばれたのであるが、光園持家の実情を知っている彼は、彼女を日本に残し、単身でアメリカへ渡ったのである。
アメリカでの七年は、彼をトップレベルの心臓外科医へと成長させていた。帰国にあたっても、引き留めようとする力が大きく働き、様々な課題は残されたが、欣也の病気のことを知った以上、彼は大恩あるこの義理の祖父のもとへ急ぎたかった。
欣也が体調を崩して、病院へ運び込まれたのはゴールデンウイークが明けたその二日後のことであった。
検査の結果、肺に三センチ程度のがんが見つかった。昨年の検査では問題なかったのだが、この細胞はあっという間に彼の肺を犯し始めていた。
小細胞がんのステージⅡAと診断されたが、彼は治療を拒否した。苦しい思いをして、必要以上に周囲の心配を増長させて食べるものも食べられず、半年、一年を寝たまま生きながらえるよりも、このまま、死ぬまで元気で過ごせることを期待して、日常生活を続けていくことを選択した。手術という選択肢もあったが、彼は時の流れに任せることを選択したのだった。
翌日、話を聞いた高井彩があわてて駆け付けた。
「有難う、待っていたよ。来てくれたんだなぁ」
「そんな、何かあれば呼んでください。いつでもすぐに来ますから……」
ソファに腰かけた欣也は、普段と変わりなく元気そうで、彩は一安心したが、それでも病魔に侵されていることに変わりはなかった。
「君がいてくれなければ私の人生はどうなっていただろう。道を踏み外して、後悔の連続だったかなぁ」
遠くを見つめながら話す彼は、どことなく物悲しく、それでも人生を全うした満足感からくる穏やかさは、最期を悟った者の、人生を締めくくろうとする強い思いに支えられていた。
「とんでもないです。命を救っていただいたのは私の方です。もし、あの時、会長が気にかけて下さらなければ、私たち親子はどうなっていたか。私は、最近よく思うんです。いくら父に世話になったと言われても、所詮、仕事の上での話です。それを、会長は何を思って私を訪ねて下さったのか。なぜ手を差し伸べて下さったのか。未だに答えがでていません。放っておいたって、全く構わない相手じゃないですか。だから余計にありがたくて……」
欣也が、父から会社を引き継いだ時、会社は自転車操業の繰り返しだったが、納品先が不渡りを出して、そのために、彼の会社も債権者から支払いを迫られて、もう倒れるしかない、と思っていた時、『どんなに苦しくても、何があっても一歩ずつ、一歩ずつ、前へ進むんだ。きっと光が見えてくる。私はそうして頑張ってきたよ。君ならできる。内の支払いは最後でいいから』と彩の父親に励まされ、そこからは一歩ずつ歩いてここにたどり着いたことを思いだしていた。
「でも、いつも思っていたんだよ。本当は、再婚相手を見つけてあげて、もっと違う人生を歩んでもらった方が君は幸せではなかったのかって…… でもね、七回忌の法要の時に、君のお父上がすごく喜んでいてくれるような気がしたんだ…… しかし、それは私が君を放したくなかっただけかもしれない。ほんとに申し訳ない……」
「とんでもないです。本当にありがとうございました」
光園持の家へ来て以来四十年になるが彼女が見せる初めてのあふれ出る涙であった。
「老いが深まり、死に向けて自分はどのように、何をなすべきか、そして何を完結しておくべきか。最期まで、私の道はつづいている。この最期でミスるわけにはいかない。だから、今、自分がいなくなった時代に向けて、最期の詰めを思っている。もうほとんど心配事は無くなったが、最期に一つ、真一の次をどうするか。これだけが結論の出ないまま残っている。もう私の最期の相談だ。君の思いを聞かせてくれないか?」
「わかりました。遠慮なく言わせていただきます」
「ああ、頼む」
「会長がこれまで光園持の家が五十年、百年と続いていけるように、そのために頑張ってこられたことは、おそばにいてよくわかっております。ただ、光園持の家を継いでいく者と、会社を継いでいく者は、違っていてもいいんじゃないでしょうか。会社は仮に第三者が受け継いだとしても、会社が継続していけば、従業員とその家族三万人は生活の糧を失うことはありません。 会長がここまで育てた会社ですから、個人的な思いは痛いほどわかります。でも、今の血を継ぐ方々の中で、真一さんの次の社長を人選するのは無理です。それは、その方の人生に横やりを入れてしまうことになります。お孫さんの中でその人選ができないのも、また一つの流れではないでしょうか。光園持の家を継ぐ方は、光園持グループの社長ではなくて、トレーダーでも数学者でもいいんじゃないですか。光園持家は、今後は筆頭株主として、会社にかかわっていけばいいと思うのですが……」
まるでシナリオを読むように、立て板に水のごとく、彩が語った。
「最期まで君の答えは完璧だね、わかった。後は真一に任せよう」
「最後まで生意気言ってすいませんでした」
「とんでもない、有難う。もう思い残すことはなにもないよ。ほんとにありがとう」




