理穂のデビュー
その翌日、恵利佳は理穂を伴いなじみのヘアーサロンへ出向いた。
午後二時に理穂が信也のアパートの前で待っていると、白色の運転手付きの車で恵利佳が迎えに来た。車種はよくわからないが高級車であることには間違いない。恵利佳に初めて会ったあの日、光園持の家へ行くために乗せてもらった車とはまた別の車であった。
二十分ほど走って目的のヘアーサロンに到着すると
「どのような感じになさいますか?」
待機していた店長が恵利佳に尋ねた。
「うーん、式典の後、簡単な立食があるんだけど…… そうねえ、きりっとした切れ者、その中にも穏やかさがあって少しミステリアスな感じ、できればカットしないで戻した時に今の状態に近い、そんな感じだと、何かイメージができる?」恵利佳が尋ね返すと
「そうですね、それだったら、後ろ髪はアップ、前髪はバングにして、目のすぐ上あたりで合わせれば目力も強くなるし、ミステリアスな感じが出ると思いますよ。あとはメークできりっとした感じに仕上げれば、全体として少しミステリアスで、できる女、っていう感じになると思いますよ」
「いい、それいい、さすがだねー、それでいこ。理穂ちゃん、いいよね」
「よくわかんないので、お姉さんにお任せします」
彼女はよくわからなかった。どこか会社の式典に連れて行かれる、ということだけはわかっていたが、その他はよくわからず少し不安だった。
シャンプーの後、髪型を変えられただけでも、彼女は何か自分ではないような感覚に陥っていた。
さらにメークを施された後、目を開いて鏡の前にいる自分を見て理穂は唖然とした。そこにいる女性がとても自分だとは思えなかった。そこにはいつものおだやかな自分ではなく、テレビなどでよく見る、企画書をもってさっそうと歩いていく切れ者のできる女、そんなイメージがあった。
気品を漂わせている時の恵利佳の雰囲気に少し似ているような気もして、その点はうれしかったが髪形とメークで人がここまで変わるのかと思うとある意味恐ろしくなった。
ちょうどそのとき、恵利佳お気に入りのブティックからスーツとブラウス、それに合わせたパンプスが何点か届けられ、さっそく、衣装合わせが行われた。ネイビー一色のロングジャケットのパンツスーツに、パンプスはクロスしたプリーツがエレガントで、高さはややカジュアルなイメージは否めなかったが、理穂に配慮し三センチ程度であった。
その全体像はシンプルでありながらしっかりできる女を思わせ、スタイリッシュな女性を演出していた。スーツは二色用意されていたが、そのパンツは、いずれも恵利佳からの指示により理穂に合った裾直しが完了していた。
「すごい、完璧ですね!」
スーツを持って来た二人の女性はとてもうらやましそうだった。
しかし髪をセットしメークを施した中野陽子は「どこかワンポイント彼女の本来のかわいさを出したいですよね。たとえ、違和感があったとしても何か……」
「言うことがすごいわね」恵利佳が驚く。
「パンプス、もう一度見せてくれます?」
陽子は理穂の前に並べられたパンプスを見て
「この明るめのベージュにすれば、固さが少し取れるかもしれないですね」
陽子はそう言ってベージュのパンプスを理穂の足元に置いた。
「おー、いいねー、いい、理穂ちゃん、いいよ!」
「わかんないんです、これ大丈夫ですか。もう、私じゃないんですけど……」
不安そうに理穂が反応するが
「大丈夫、大丈夫」そう言って、恵利佳は持参していた明るいベージュのコンパクトなショルダーバッグを理穂の肩にかけた。
「これ、ちょうどよかったね」恵利佳が微笑むように言うと、
「いいですね、このバックとパンプスが彼女の愛らしさを残してくれましたね」
陽子も嬉しそうだった。
理穂は、初めての経験が楽しくもあったが、それでも多少疲れ初めていたこともあって不安がますます募っていった。
それを察した恵利佳が「よしこれで行こう!」そう言って理穂のスタイリングを終えた。
車が走り始めると、恵利佳はうれしそうに理穂を見つめて
「きれいだよ、なかなか美しい、もうキスしたくなるよ」
そう言うと、目を閉じて静かに唇を理穂に近づけた。
「お姉さん!」驚いた理穂が少し身体を反らし切り裂くように言った。
パッと目を開けた恵利佳はにこっとして
「大丈夫、その趣味はないから、ははははっ」
大声で笑った。
「びっくりしたー、お姉さん! 一瞬、想像しちゃいましたよ、もう……!」
彼女は、心臓が止まるかと思うほど驚いた。
「ははははっ、楽しい、理穂ちゃんといると面白い」恵利佳は笑顔で話したあと
「でもね、わたし、高校から大学卒業するまで、男性からは告られたこと一度もないのに、女性からは何度も告られたのよ、すごいっしょっ」少しだけ自慢げであった。
「お姉さん……」理穂は一瞬、聞いてはいけないことを聞いたような錯覚に陥ったが、それでも少し興味があった。
「それでどうしたんですか。女性に告られてどうしたんですか?」
理穂は大きな瞳をさらに見開いて真剣に尋ねた。
「あっ、着いちゃったよ」
「お姉さん……」
「うーん、後から、帰りにねっ」
グランドパークホテルに着くまで車で三十分ほどであった。
二人が十七階の式場に着くと、既に式典は終わって立食パーティーが始まっていたが、受付にいた間商事の総務部長が恵利佳を見て慌てた。
「光園持様、直々にありがとうございます。すぐ社長を呼びますので……」
「いえ、大丈夫です、中に入ってご挨拶させて頂きますので……」
「そうですか、それではこちらへどうぞ」
二人が総務部長に案内され会場に入ると、恵利佳の登場に会場内はざわつき始めた。
「光園持恵利佳だ、隣にいるのは誰なんだ、さすがに美人だな、あんな美女が二人並ぶと迫力あるなー 」 等々……
そんなひそひそ話しがかすかに聞えてくる中
「恵利佳さん、わざわざありがとうございます」間社長がそう言いながらうれしそうに近寄ってきた。
「社長、遅れてしまって申し訳ありません」
「とんでもないです。顔を出していただいただけで十分です」
「社長、紹介しておきます。この娘は、弟の婚約者です」
「えっ、ご長男の?」
「そうです」
「初めまして安沖理穂と申します。よろしくお願いいたします」
理穂が微笑んで頭を下げると、その様子を見ていた周囲の者達が一様に驚いた。その笑顔は先程までのきりっとした、できる女、切れる女、そのイメージを大きく変えて、人の好さと穏やかさを満面に浮かべ、あたり一面にその気配を振りまき始めた。
面していた間社長が一番驚いた。
なんか、冷たそうな人だな…… そう思っていただけにそのやさしい笑顔に驚いて、彼は慌てて挨拶を返した。
「こちらこそ、間と申します。今日はお忙しいのにありがとうございます」
「とんでもないです。義姉は忙しい人ですが、私は時間を持て余している人間ですから……」
その言い方が何とも愛らしく、微笑み続ける彼女に魅せられていたものは、皆、口元がほころんでいた。
間社長が退くと、出席していた他社の関係者達が、我先にとあいさつにやってきた。
恵利佳はそれを次々と上手にこなして理穂を紹介した。
一連の挨拶を済ませ、帰ろうとしていた二人はエレベーターの前で声をかけられた。
週刊トップレディーの編集長、高山であった。
「恵利佳さん、ご一緒の所、一枚だけお願い!」
「ちょっと君、よしなさい!」そこまで見送りにきていた間社長が割って入ったが
「社長、知り合いなので大丈夫です。すいません」
「えっ、そうですか」
「社長、申し訳ないですがちょっと彼女と話しがありますので、今日はここで結構です。ありがとうございました」
「はい、わかりました。それではここで失礼します。ほんとに有難うございました」
社長が会場へ戻って行くと、恵利佳が話し始めた。
「高山さん、お久しぶりです」
「すごいツーショットですね、光園持グループ次期社長とその弟、光園持家長男のフィアンセ、この見出しどうです?」
「いいねえ、来週号はそれでいきますか」
「それでいかしてもらえれば、売れますけどね」
「じゃあ、一枚撮って親父、おどかしてきたら」
「えっ、いいんですか!」
「いいわよ、ねえ、理穂ちゃん」
「はい、大丈夫です、その代りわたしにも一枚下さい、お願いします」
「いいですよ」そう言うと高山はシャッターを押した。
理穂はホテルへ来る途中、恵利佳から聞いた話しが気になっていた。
この姉は、女性に告白されたのち、どうしたのだろう……
二人が車に乗り込むと、彼女はすぐに尋ねた。
「お姉さん、それでどうなったんですか。女性に告白された後、どうしたんですか?」
彼女は興味津々で大きな瞳をさらに見開いていた。
「えらい食いついてきたね、それじゃあ、話してあげようか」
「はい、聞かせてください」
「理穂ちゃんが想像しているようなことは何もないわよ。みんな私とお茶したり、お話ししたりして、一緒にいたかっただけなのよ。そのうちに彼氏の相談なんかにものって、みんな彼氏ができて幸せそうだったわ」恵利佳は静かに話した。
「何だかつまんないですね」理穂は何を思っていたのか少し残念そうだった。
「でもね、ただ一人だけね、激しい子がいたのよ。他の女子と話しをしていると、やきもちやいて泣き出したり、家まで押しかけて来たり、結構大変だったのよ」
恵利佳は窓の外を見つめながら当時を思い出しているようだった。
「それでどうなったんですか?」理穂が心配そうに尋ねると
「かわいい子だったのよ、目がくりっとしていて、そうねー、理穂ちゃんをもっと悲しくした感じで、目がいつも潤んでいてね、ほんとにわたしのことを愛していたみたい」
「へぇー、ほんとにそんな人いるんですね」理穂は不思議そうだった。
「だからね、私もね、何度も、今は単なるあこがれだって、そのうちにいい人が出来るって話したのよ、だけど、悲しい顔して泣くだけでね、私も困り果てたのよ。ある日、その子が家に来て、私のことあきらめるから、一回だけキスしてほしいって真剣に言うのよ」
恵利佳は少し楽しそうだった。
「えっ、したんですか」理穂は身体を起こして、恵利佳を覗き込むように尋ねた。
「したわよー、ちょっと興味はあったしね、女の子の唇って軟らかいのね、いい香りがしてたわ、舌を入れてからまそうとしたら、向こうから嫌がられたわよ。ははははっ」
聞いていた理穂はもう目まいがしそうだった。
「それでどうしたんですか?」
「泣き出したから、優しく髪をなぜてやって、『いい人みつけなさい』って言ってあげたら、笑顔でうなずいて帰って行ったわよ」
「はあー、疲れた。なんか話し聞くだけで疲れちゃいました」
「でもね、そのあと、その子すごく明るくなったわよ」
「お姉さんってすごいですね。男性も女性も関係なく幸せにできるんですね。両刀遣いだったんですね」 感心するように理穂が言うと
「ちょっと待って! その両刀遣い、意味がちがうわよ。うちの人が聞いたら泣くわよ、私は女性とはベッドインしないから」
「そりゃそうですよね。ちょっと違いますね。でもそのあとは何もなかったんですか?」
理穂も少し疲れていたが、最後まで聞いておきたかった。
「もうないわよ、だけど、よくメールが来るわよ、先輩よりいい人見つけたから遊びに来て下さい、ご飯食べに来て下さい、一緒にお茶しましょうって、何かあるたびにメールが来るわ」
「一度でも行ったんですか?」
「行かないわよ、私より、いい女って、どうなのよ、会ってみたい気持ちはあるけど、ふたりがかりで押さえつけられたらどうするのよ、恵利佳さまの大事なもの奪われたらどうするのよ!」彼女は笑いながら言った。
「ああー、ほんとに疲れた。こんなに疲れたの久しぶりです」
「おもしろかった? あっ、秀さん、今の話、内緒ね」
彼女は突然、運転手の箸秀一に話しかけた。
「はい、もちろんわかっています。でも、楽しかったです」
「そうでしょ、運転ばかりで申し訳ないから、サービスしたのよ」
「ありがとうございます」
彼女の話しはどこまでが本当で、どこからが冗談なのか非常に分かりにくいところがあった。それはいつものことであるが、でも今日の、この話しは真実だろう、理穂はそう思った。




