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波紋に揺れる影  作者: 此道一歩
第二章  光園持の絡(から)まった糸
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終止符はまだ打てない

 欣也は玲子と恵梨香が光園持の家に入って来たのを機に離れに移った。

 離れと言っても、通常の民家のニ倍はある建物で、独立した生計を営むには十分に足る建物であった。 ニ件の建物は地中に隠れた廊下でつながっていて、食事だけは欣也も母屋でとるようにしていた。


 欣也は、特に恵利佳と話をするのが楽しくそして愉快だった。

 祖父を大好きな彼女は時間があれば彼のもとへ来て話を聞いた。

 最初は子供だと思っていた欣也は、恵利佳の問いかけや思い、そして彼女の怒りや悲しみ、喜びに触れていくうちに、話の内容が、日々、高度になっていくことに驚いていた。

 話せばすぐに吸収し、見ればすぐに理解する。

 子供とは思えないその成長に、彼は真一の跡取りはこの子だな…… そんなことを考えていた。

 さらに恵利佳は、小学校に通い始めてからは秘書の高井彩の話に興味津々だった。

 中学生になったころには人生の歩き方みたいな話には特に食いついてきた。

 祖父には

「こんなにかわいい美人さんなのに、お嫁にいけるかなぁ」

 そんな心配もあったが、一方で彼女の才覚に喜びも大きいものがあった。


 玲子が光園持の家に入ってニヶ月が過ぎたころ、彼女は以前から気になっていた好子のもとを訪ねたいと思うようになっていた。


 会ってもらえるかどうかはわからない。

 この思いが身勝手な自己満足なのかもしれない…… 

 もしかしたら、彼女には迷惑なことかもしれない

 それでも会わないわけにはいかない……

 私達の犠牲の上に幸せを築くことはできないと言って、去って行った彼女に会わないわけにはいかない


 玲子は、好子に会って何かをしたいと思っていた訳ではなかった。

 それでも、自分たちの幸せは好子の思いに支えられていることに間違いはない。自分はそのことを感謝して日々生きているということが、何となくでもいいから、彼女に伝わればそれでいいと思っていた。

 いずれにしても玲子は彼女に思いを伝えることができなければ、この一連の流れに終止符を打つことはできないと考えていた。


 彩に好子の住所と勤務先の病院を聞き、秋晴れのさわやかな日に彼女は出かけて行った。 

 さほど大きな病院ではなかったが、穏やかな空気が流れ、暗いイメージはなかった。

受付で

「以前お世話になった光園持と申しますが、青井好子先生にお会いしたいのですが……」そう告げると

「今日はお休みされているようです」

「そうですか」

 その時

「好子先生、男の子らしいわよ」看護師同氏の話が耳に入って来た。


( まさかっ )玲子は愕然とした。


 受付の女性は間が悪そうに俯いたが、玲子は確認しないわけにはいかなかった。

「先生はご結婚なさったのですか?」

「いえ、その…… そうしたことはお教えできません」

「でもお世話になった方が結婚されて、この先、出産まで控えておられるのなら手ぶらでお邪魔するわけにはまいりませんので、そこだけ教えていただけませんか?」

 理路整然と迫ってくる玲子に、受付の女性は

「すいません、ここで聞いたことだけは……」

「もちろんです」

「実は、シングルマザーなんです」

「じゃ、病院に来られた時にはもう?」

「……」受付の女性は目を見開いて驚いたが何も言わなかった。

「たしか、この病院に移られたのは五月ごろですよね」

「はい、詳しいことは院長しか知らないと思うんですが、ここに来られた時には既に妊娠されていたはずです」

「ありがとうございました。何となく想像がつきますのでとても助かりました。自宅にお伺いしてみます」

「何分にもくれぐれもよろしくお願いいたします」

「もちろんです」

 玲子は車を帰し、ここからはタクシーを使った。

( 真一さんの子どもに間違いない、子どもがいたのに私達のために身を引いたの…… )


 思いもよらない事態に玲子は困惑していた。

 ここまで整理していた思いなど、何の意味もなさなかった。

 それでも、ここから逃げる訳にはいかない、そう思った彼女は考えのまとまらないまま好子の家に向った。


 門構えの立派な品格のある大きな家でチャイムを鳴らすと、奥から年配の女性が出てきた。

 好子の母親であろう。品のあるこの女性を見ただけで暮しの良さがうかがえる。

「私、以前お世話になりました光園持と申しますが、好子先生はご在宅でしょうか?」

「はい少々、お待ちください」

 しばらくすると奥から

「はい青井ですが……」そう言いながら、きりっとした顔立ちの美しい女性が不思議そうな表情で出てきた。大きな瞳はやや目じりが高く、色白で鼻筋が細く、穏やかで暖かい雰囲気を醸し出す玲子とは対照的に、医者と言う職業に起因するのか、彼女はどちらかと言えば鋭いというイメージを相手に与えた。


「初めまして、私、光園持真一の家内でございます。今日は突然に申し訳ございません」

「あらら、どうしましょ」彼女は少し取り乱したものの

「とりあえず上がって下さい」


 玲子は応接室に通されたが、好子が座るのを待って静かに口を開いた。

「今日は突然に申し訳ありません。実は、私は今日あなたにお会いして、思いを全てお話しした上で、ちゃんとお礼を申し上げて一連の流れに終止符を打つことができればと思っていました。でも、まだそれがかなわないことがわかりました」

 静かに、そして思いを込めて玲子は語った。

「ちょっと待ってください。お礼ってなんですか?」驚いた好子が尋ねる。

「私は、あなたが人の不幸の上に幸せを築くことはできない、私達に残されたわずかな可能性を失くしてしまうことはできない、そう言って真一さんのもとを去ったと伺っています。変な言い方になりますが、あなたが身を引いてくださったおかげで、娘と私は今幸せに暮らしています」

「そんな…… 私はあなた方のために身を引いたわけではありません。私自身の生き方の問題です」

「それはよくわかっています。ですからお礼を言うのなんておかしいとも思っています。でも、私達の今の幸せはあなたの思いに支えられていることに間違いはない。だから、せめて、あなたに感謝の思いをお伝えしたかったのです。あなたの思いから目を背けて時をやり過ごすことはできないと感じたのです」

「何となく、言いたいことはわかりますが、でも…… 」

「私にとっては、今日は大きな区切りになるはずでした。心のどこかであなたにいい人ができていて、結婚の準備でも進んでいればいいのになんて、そんな無責任なことを考えていました。でもそうじゃなかった。流れはまだ続いていることを思い知らされました」

 玲子は、ここまでの思いを一気に語った。


「奥さん、少し考えすぎじゃないですか……」

 好子が少し間を取ろうとするが玲子が続ける。

「四ヶ月前、子供がお腹にいたのなら、何故、光園持を去ったのですか。私は勝手に自分の都合で去った人間です。そんなことを気にする必要はなかったはずです。あの時真一さんと結婚していても、それで良かったのではないですか? そこには一つの道ができたはずです。なのて、どうして……」

 しばらく、沈黙があった。


「正直に言うと、あの時は、お腹に子供がいることは知らなかったのよ。それに、外に子供のいる男なんて面倒でしょ、そんなのいやよー、だから別れたのよ」

「……」無言で見つめる玲子に向ってさらに好子が続けた。

「あの時ね、最初は実家に帰って、また新しい恋でも始めようって思ったのよ。でもこの子ができたことが解って、それでも両親は元気だし、この子が大きくなるまで助けてくれるだろうし、まぁ医者をしているから食べても行けるだろうって…… 私の考えなんてその程度よ」

 さらっと話す好子に玲子は言葉がなかった。

「そんな……」

「でもね、運がよけりゃ、そのうち子連れでもいい男が見つかるかも…… なんて考えているのよ」

 明るくそう言う好子を見て、玲子は彼女が自分に気を使わせまいとしていることが痛いほどわかった。


「あなたは、私たち不幸な親子の犠牲の上に幸せを築くことはできないと言って去っていったのに、私たちはあなた方親子の犠牲の上に幸せを築いてしまった……」

「……」好子は初めて目にする人種だと思っていた。

「私はどうすればいいですか。私には何ができますか……」

 涙ぐんで迫ってくる玲子の思いに

「奥さん、あなたはいい人ね。私のとこに来る必要なんてなかったのに…… 知らない顔してればよかったのに……」

「……」玲子は無言のまま、

( そんなことはできない…… )

 そう思いながら小さく首を振った。


「それでもこうして誠意を示す。道を通す。私にはとてもできない。欣也さんが、玲子さん、玲子さんて言うはずだわ」

 好子には半ばあきれたような思いもあった。


「私は一生かけてもあなたに礼を尽くせない。本当に申し訳ないです」

「ちょっと、やめてよ、もう。そんな大したものじゃないですよ。そりゃー、お中にこの子がいることがわかった時、考えたわよ。でもね、啖呵(たんか)を切って別れて来たのに、今更、子供ができたからやはり結婚してなんて、そんなかっこ悪いこと言えないでしょ。それに、たとえ結婚したとしても外には彼の子供がいるのよ。一生、その子と母親のことを気にかけながら生きていくことになるのよ」

「……」玲子には返す言葉がなかった。

「とんでもない、私にはそんなこと務まらないわよ…… それだったら自分がその立場に立つ方がましよ。その方が何も気にしないで、楽に生きていけるじゃない……」

「でも……」玲子は何かを話そうとしたが好子が続けた。

「もう、そんな暗い顔しないで下さいよっ。お腹の子が驚きますよ」

「そうですね。ごめんなさい」玲子は涙をぬぐいやっと笑顔を見せた。

 好子もそれを見てほっとした。


 玲子には、どこまでが好子の真意なのかわからなかったが、それでも彼女が、今の流れを維持していこうと考えていることだけは何となく理解することができた。


「それから、帰って報告されるのは仕方ないけど…… 欣也さんはおじいちゃんだから会いに来てもいいけど、真一さんには絶対来ないでほしい。影から見るだけにしてほしい。だって、この子に新しいお父さんができたら困るじゃない」

「わかりました。このご実家で、さらにあなたの職業を考えれば、経済的援助なんて失礼とは思うけど、それでもそれに限らず何かあったら絶対に私に知らせてくださいね。絶対ですよ、お願いします」


 玲子の真剣なまなざしに

( ほんとすごいっ、人ってここまで筋を通せるの? 呆れてしまう…… ) 

 好子は自分も人として彼女に応えないわけにはいかない…… そう思っていた。

「わかりました。頼りにしています。でもね、玲子さん、そんな暗い話は抜きにして、また時々遊びにきてください……」

 微笑む好子のその言葉に玲子は救われるような思いであった。


 その後、好子は年が明けて三月に男の子を出産し信也と名付けた。

 玲子は、彩から報告を受けると、病院に飛んできた。

「好子さん、おめでとう」ほんとにうれしそうな玲子の表情に、好子は父親のいない子を産んだかすかな後ろめたさにも似た思いがかすかに薄れていった。


( 私は、この人の夫の子供を産んでしまった。知らなかったこととはいえ、事実はそれを動かし難い。いつかこの人に迷惑をかける日が来るかもしれない…… )

 そう思いながら、傍らでまだ眠ったままの息子に微笑みかける玲子の横顔に見入っていた。

 

 信也はすくすくと元気に育った。

 満一歳の誕生日に、真一は兜を送った。

 これは、これからも名乗ることを許してもらえない彼の思いであった。すくすくと元気に育ってほしい、手をかけることはできないが、それでもこの血はどうすることもできない、まして死んでも絶つことはできない、そうした親の懸命な、そして渾身の思いが間近に迫る子供の日に向けても込められていた。


 一九九三年五月、信也が三歳の時、好子は結婚した。相手は子連れの再婚ではあったが、松山という高校の教師をしている人柄のいい優しい男であった。これを喜んだのは玲子よりもむしろ欣也であった。

 そしてその年の十二月、好子は信也の異父弟、仁をさずかった。

 お祝いに駆け付けた玲子は、三月で四歳になる信也と遊びながら半日を過ごした。

信也を見つめながら、玲子は彼の将来を考えていた。

「好子さん、いつかこの子が望むときには必ず真一さんに会わせてあげてね」

「玲子さん、ありがとう。あなたがそう言ってくれるとほっとします」

 好子はベッドで眠る仁を見ながら、

「この子が男の子だとわかった時から信也はどこに根を下ろすんだろう、っていつも考えています。たとえ、この子が女の子だったとしても、血のつながっていない信也に松山の家を継がすことはできないのにね……」

「信也君が光園持を継ぐことになっても、決しておかしくはないのよ」

 玲子の決意にもにた思いが口調を強くした。

「玲子さん、何を言っているの。そんなことはできないわ」

「でもね、この子がしっかりと根をおろして、根をはっていく場所を見つけてあげるのは、あなただけでなく私の責任でもあると思っている。少なくとも、光園持の血を継いだこの子を見守っていかなければ、私はいつまでたっても、このもつれてしまった人生の流れに終止符を打つことができない」

 玲子は虚しさをあらわにした。

「玲子さん、ありがとう、でもいつか、この子が本当の父親を求める時が来たら、ご迷惑をおかけするのは覚悟のうえであなたに相談に上がります」

「絶対よ。約束よ。私は、いつの日か、この子を光園持に迎えさせてほしいって思っているの……」

「玲子さん……」

「この子が本当の父親に会いたいと思う時が来れば、それが一つの転機になるかもしれない。どうなろうとも、私の思いは忘れないでね、お願いよ」

 玲子は自らの覚悟を語った。



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