第2話 世話役
オレはイズダテと名乗る男に案内されるがまま、エレベータでマンションを上っている。そして高層階と思われるどこかで降りるとイズダテと共に廊下の一番突き当りにあたる部屋の前で足を止めた。
(そうだ……せめて何階に居るのかくらい気にしておけば良かった……)
そう、キチッとスーツ……いやタキシードだろうか?で身を固めたイズダテを前にオレは降りた階もわからないほど完全に委縮していた。入り組んだマンションでもないのに、エレベータに乗ってからの記憶が吹き飛んでいる。何階で降りてどう歩いたのか一切頭に入っていない。記憶しているのはイズダテの黒い背中のみである。
何もわからぬまま、なんとなくイズダテの案内に従っているのはどうにも居心地が悪い。もちろん冷静に考えれば『これからテスターとしてプレイするゲーム会場の下見』に来ているだけなのだが、そもそも『誰かと行動を共にしている』こと自体がオレを挙動不審にさせている。
「緊張されておられますか?」
ふいにイズダテが声をかけてきた。流石にオレの様子がおかしいことに気付いたのだろう。威圧するでも微笑むでもなく、純粋にオレの様子が気になっているといった表情だ。
「あ、いや……その。あの……はい」
全く返答になっていない言葉がオレの口から発せられる。会話は苦手だ。
「大変申し訳ありません。緊張させてしまうつもりはなかったのですが、もう少し会話があったほうがよかったでしょうか。いずれにしましても、中で説明させていただきますね」
(いや、会話のあるなしの問題じゃないんだ!)
という心の叫びが言葉になることはなく、オレの行動は軽く頷くのが精いっぱいであった。
そんなオレの所作を確認すると、イズダテは物腰も柔らかく目の前のドアを開けた。オレはかろうじてドアに張り付いていたプレートの数字を確認する。
……2001号室。
そうか。ここは20階だったか。
予想より高い階層で驚いた。窓から外を見たらさぞかし絶景なことだろう。が、今はそれどころではない。なんとか自分のいる場所を数値で知ることが出来たオレは少しだけ落ち着きを取り戻した。
目の前に開かれたドアの先の向こうにオレは足を踏み入れる。ゲームの下見に来ただけで取って食われるようなことはない。若干構えてしまったが、恐らくイズダテはただのゲーム開発会社の社員なだけなのだから。
そんなことを考えつつ部屋に入ったオレだったが、その内装の豪華さに再び足を止めてしまう。見るからに高級そうな調度品にソファ……配置された家具の全てがオレのうちのそれとは異なっていた。どう見てもオレは場違いである。
そんなオレの様子に気付いているのかいないのか、『どうぞお座りください』とばかりにイズダテは部屋の中央にあるソファに向けて手をかざした。流されるままオレはそのソファに身体を預ける。
よく見ると高そうなローテーブルの上に一枚の名刺が置かれていた。記載されていたのは『泉舘 譲』要するにイズダテの名刺だ。なんとかカンパニーと会社名も書いてあるようだが、まったく目に飛び込んでこない。
(……名前からして格好いいな。このイケメンめ)
少なくともオレなど勝負にならないレベルでイケメンだ。ただの八つ当たり嫉妬心がメラメラと燃え上がる。が、すぐにその炎は消え去る。燃え広がるための燃料も材料もない。
当たり前だ。この場に嫉妬の対象になりそうな女性はいない。ここに居るのはあくまでもオレとイズダテの二人だけであるし、何に対しての嫉妬なのかもよく分からない。
そんなくだらないことを考えているとイズダテも目の前のソファに浅く腰をかけた。
「鈴木徹也様。改めて紹介させて頂きます。この度は、我が社の開発したVRMMORPG『イルグラード(VR)』のクローズドβテスターとしてお越し頂きましてありがとうございます。先ほども申し上げましたが、私は鈴木様のお世話役を務めさせて頂きます『泉舘 譲』と申します。どうぞ、よろしくお見知りおきくださいませ」
「……世話役?」
何故、ゲームをするだけなのに『世話役』などが必要なのか全く理解出来ない。一人でプレイさせてもらえたらいいのにとオレは心底思う。仮にゲームのチュートリアルなどをしてくれるのだとして、そんなものはゲーム内に居ればいいだけなのではないだろうか。人がゲームに集中している時に横からあれこれ言われるのは好きじゃない。
「はい。本ゲームはゲームの仮想世界空間に意識を飛ばすタイプのため、プレイ中にプレイヤーの身体が無防備となってしまうことが課題の一つです。今後解決すべき点ではあるのですが……今回のテストプレイにおきましては、プレイヤー様のお身体の健康を害さないように我々のような世話役が体調管理をさせて頂きます」
「え?ということは、良く小説や漫画で描かれているような……」
オレは思わず身を乗り出した。要するにこの『イルグラード(VR)』とは、オレがプレイしてみたくて仕方なかったフルダイブ型のVRゲームということである。それっぽいゲームはあってもまだまだ技術的に追いつかない空想の産物であると思っていたが、ついに実現させる企業……しかもゲーム会社が現れたということなのだろう。
先ほどのまでの不安感はどこへやら。急にゲームが楽しみになってきた。全くの別人になってなりきりプレイをする夢が現実のものとなるのだ。
続けてイズダテはゲームプレイにあたっての説明や注意点などを説明していたが、もはや『どんなアバターにするか?』でわくわくの止まらないオレには全く届かない。
「最後に……」
イズダテの声がオレの意識に刺さる。
しまった。しっかり聞いていなかったことがバレたのだろうか。殊更強調してイズダテの言葉が聞こえてくる。急に今までしっかり聞いていました感を醸し出すオレ。恐らくバレバレであろう。
「ゲーム内は体感する時間経過が異なります。ゲーム内での一日が現実世界での約一時間程度だとお考え下さい。では……早速プレイしてみますか?」
「え!出来るんですかっ?」
オレの反応に複雑な表情をするイズダテ。
しまった。失敗したか?オレはやっちまった感全開の表情で応える。
「……はい。先ほども申し上げましたが、案内でお送りしている開始日……つまり二日後の土曜日ですが、こちらはシナリオの配信日となります。ですのでいわゆるストーリーをプレイすることは出来ないのですが、ゲーム世界を体感することでしたら今すぐでも可能です」
どうやらやはり、オレがアバター作りの空想世界に浸っていた時に説明済みであったようだ。こんな大事なことを聞き逃すとは……。もしかしたら他にも大事なことを聞き逃しているかもしれないが、オレにはもう一度最初から説明して欲しいと言い出す勇気はなかった。本当に大事なことならもう一度確認してくれるだろうと期待しながら。
「す……すぐにやってみたいです」
「承知致しました。ではこちらへどうぞ」
イズダテに案内されて別室へと案内される。間取り的には本来寝室にあたるだろう部屋に、それはあった。
「凄い……」
オレの目の前にあったのは近未来的なカプセルドームであった。
蓋は透明な造りで、プレイ中も外から確認出来るようになっている。恐らくイズダテのような世話役がプレイヤーの様子をチェックをするためなのだろう。
ドームからは何本ものケーブルが延びていて、その後ろで低い振動音と共に稼働している黒っぽい箱のような機械と接続されている。恐らくはアレがゲーム世界に繋がっているクライアントマシンに違いない。
オレは透明なドーム型ケースの蓋をコツコツと軽く叩いた。ガラス……ではないようだ。アクリル製だろうか。
「では中に入ってヘルメットを被り、マスクをつけてください」
「こう?」
オレはイズダテの言葉に従って、ドームケースに入る。若干斜めに横たわる形になっており、頭の上にはイズダテの言っていたヘルメットとマスクらしきものがあった。
それらをイズダテのサポートを受けながら身につけていく。手足は固定されるわけではなさそうだ。一通りの装備が整うと、イズダテはアクリル製と思しき蓋を閉めた。蓋の向こうにイズダテのイケメン笑顔が見える。
「それでは良い旅を……」
そのイズダテの言葉を聞いた直後、オレは意識を失った。