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無情の傀儡

 狐面の女学生が一人、白姑(はくこ)は雲で隠れ始めた月明かりの下で目を凝らした。電柱の上に危なげなく立ったまま、人通りの少なくなった裏通りに視線を走らせる。

 時刻は夜の九時を回ろうかとしていた。

 カフェー街からも少し離れた神田小川町の裏通りは、大通りの喧噪は届いてはいても瓦斯(ガス)灯にも乏しく歩いている者はいない。


 白姑は岩渕町から浅草にある田山のアパートを経由して、ここ神田小川町まで一時も休む事なく、一本の糸を追ってきた。

 それだけの距離を走っていても、小柄な体には疲れも息切れもない。まさに化け物じみた持久力だ。

 その身に仕込まれた超常の術はそれだけではなく、車もかくやの速さで走り続けた白姑の姿を常人の知覚から隠し、狐面の女学生が人々の噂になることを防いでいた。


 しかしそんな白姑であっても、目の前の光景には足を止めざるをえなかった。

 自分が追ってきたのと同質と思われる糸が、そこかしこに罠のように張り巡らされている。

 まるで蜘蛛の巣の張った(あば)ら屋の様相であるが、ここは大通りから外れてはいても東京市の街中だ。ここまで追ってきた糸と同様に、常人の目では見つけることも、もしかすれば触る事も出来ない代物の可能性すらある。


 糸の配置から見て、蜘蛛の巣の中心は浄見探偵事務所と書かれた看板のある、三階建てのビルヂングだ。ここまで追ってきた糸もそこへと続いている。

 白姑も昨夜のあらましは聞いていたが、場所からしても手段からしても話に聞く闖入者に違いないはずだ。


 白姑は首の後ろで切りそろえた髪を、手で軽く整えながら少し思案する。だが血姑に機関車などと呼ばれているだけあって、それもすぐに中断して着物の袖に手を入れた。

 袖の中から取りだしたのはドイツ帝国製の十八年式機関短銃。第一次世界大戦で使用された最新式の銃火器だ。

 重量四キロ以上、本来なら両手で構えるそれを白姑は片手で軽々と浄見探偵事務所へと向けると、細い指先を銃爪(ひきがね)にかけて――止まった。


「ふん、『糸は切れるも待ち人来たる』か。やはり彼の占いは良く当たる」


 背後から聞こえた、良く通る涼やかな声に白姑は肩越しに振り返った。

 雲間から差し込む月明かりに照らされ、瓦屋根の上で大通りの街明かりを背にしているのは二重回しを羽織った一縷だった。

 一縷はくるりとステッキを回しながら、楽しげに口角を上げる。


「昨日の娘とは感じが違う。まさか帝都のどこかには、殿方に顔を見られぬように面を被るよう指導している女学校でもあるのかね」


 冗談めかして言うが、視線も動作も油断はない。まばたき一つせずに白姑の出方をうかがっている。

 白姑は銃を下ろすと電柱の上で器用に一縷へと向き直った。


「初めまして。私は白姑。さるお方にお仕えする、無情の傀儡が一騎でございます。あなた様のお名前をお聞きしても?」


 名乗りは宣戦布告でもあった。秘されていた立場を明かした以上、この場で一縷を討つつもりだ。

 その覚悟を見抜いた一縷は、ステッキを握り直すとわずかに腰を落とすと、色白の顔に獰猛な笑みを浮かべる。だがその笑みも、一縷の美貌を損なってはいなかった。


「僕は一縷(いちる)浄見(きよみ)一縷(いちる)。君らのような不穏な奴らが跋扈(ばっこ)するのを好まない、しがない凡俗の探偵さ」

「覚えておきましょう……私達に(あだ)なした凡愚(ぼんぐ)な探偵の名前を」


 言葉と同時に、白姑の背中からまるで翼のように何かが広がった。それは周囲の音を遮りながら二人を覆い、帝都の喧噪から隔離する結界となる。

 現世とは異なる世界とも言える結界の中、白姑は更にもう一丁の機関短銃を抜き放つと、一縷へと躍りかかった。




 二丁の機関短銃が放つ九ミリ弾の雨が、夜の帝都に降り注ぐ。

 だがそれらは一縷(いちる)のコートの裾にすら、かすりもしない。

 白姑はくこは屋根や電柱を跳びながら間合いを詰めていくが、一縷は糸を渡って、もしくは放った糸を使って振り子のように街中を縦横無尽に逃げ回る。


 流れ弾の心配はしていなかった。

 一縷の見たところ、昨夜の結界とは精度も質も上だ。

 構造物や図形などの物理的な補助を伴わずに、ここまでの結界を張れる者はそうはいない。内部で起こった事象は完全に世界から切り離され、相当な力が無いと入り込む事も出来ないだろう。

 それは逆に手順を踏んで結界を破るか白姑を倒さない限り、一縷も結界の外へと出られない事を意味している。


 白姑は弾を撃ちきった機関短銃を再装填せずに、袖の中にしまいこむ。それだけの動作で弾倉を交換しているのか、もう一度取り出すと即座に射撃を再開する。

 糸で捉えようにも間断なく降り注ぐ弾幕が、一縷から逃げる以外の手を奪っていた。


凡愚(ぼんぐ)な探偵さん、いつまで鬼ごっこに興じるつもりですか?」


 (あざけ)りを含む笑い声に、一縷は新しい糸を張りながら苦笑する。

 結界そのものは中に一縷を捉えたまま、白姑が動くにあわせて移動している。

 本来は決められた場所に固定される結界を、一縷を追い込みながら移動させ続けるなど尋常な使い方ではない。

 そして結界の中ならば、どう隠れようとも白姑は獲物の姿を逃すことはないだろう。


「ふん、あまり(あなど)ってくれるなよ。僕の巣は、どこにでもあり……いつの間にか絡め取ってしまうのが売りなんだ」


 小川町から万世橋へと抜け、神田川に沿って川を下るように一縷は白姑を誘き寄せる。だが業を煮やした白姑は、両手を袖の中にしまうと新しい武器を取り出した。

 第一次大戦中にドイツ帝国が開発した、最新式の柄付き手榴弾(ポテトマッシャー)――それが四つ、右手の指の間に挟んである。

 白姑は左手で柄の端部から紐を引き抜くと、放物線を描くことなく合計二キロを超える手榴弾を一直線に投げつけた。


「馬鹿者っ!」


 一縷は咄嗟に袖から大量の糸を放って、空中で四つの手榴弾を纏めて包み込む。

 しかし同時に起爆した手榴弾の爆圧と炎は、一縷の糸を焼き飛ばし浅草橋の上空に一抱えもある火球を生じさせた。

 軍用車両でも破壊出来る手榴弾四発の同時爆発も、白姑にとっては陽動でしかなかった。

 再び白姑は機関短銃を取り出すと、今度は両手で構えて狙いを定める。そして僅かに気が逸れた一縷へ向けて銃爪(ひきがね)を引いた。


 一分で四百発の弾丸をまき散らす十八年式機関短銃の弾幕が、とうとう一縷が翻したコートの裾と脇腹を捉えた。

 いくら妖怪と言えども、軍用火器の威力を受けてはただでは済まない。空中でバランスを崩した一縷は、浅草橋の欄干(らんかん)にぶつかりながら夜の神田川へと落ちていった。


「面倒な所へ……」


 白姑は機関短銃を構えながら結界へと意識を向ける。

 川に落ちてはいるが、それも白姑が造り上げた結界の中だ。流されて結界から出て行くようなことはない。

 どこにいるか分かれば、手榴弾を投げ込めば片が付くはず。

 意識を集中した白姑の脳裏に水中の様子が浮かび上がってくるが、それは予想していない事態への対処を遅らせてしまった。


「なっ!?」


 いきなり両足を強く引っ張られた白姑は、受け身も取れず地面に倒れた。そのまま間髪入れず、神田川へ向かって強い力で引きずられていく。

 白姑はあえて目を瞑ると結界へと向けた意識を更に多く割り振り、五感ではなく結界に伝わる感覚を用いて何が起こったのかを探った。


 足に絡まっているのは糸だ。

 それも一本や二本ではない数が、欄干や電柱を介して白姑の足へと絡みついて、川の中へと引きずり込もうとしている。

 咄嗟に糸へ向かって機関短銃を乱射するが、何本かの糸はちぎれても残りの糸がまだ絡みついたままだ。無論、引きずられる速さが落ちる事もない。


 半秒にも満たない逡巡(しゅんじゅん)の後、白姑は機関短銃を投げ捨てると、袖から二本の柄付き手榴弾(ポテトマッシャー)と一振りの短刀を取り出した。

 手榴弾の柄の端から垂れた紐を引き抜き、振りかぶった白姑の右腕が止まる。糸が手首に絡みつき、手榴弾から手を離すことが出来なくなっていた。


「いつの間――」


 柄を切り落とそうとした白姑の左手から、短刀がもぎ取られる。刃に絡みついていた糸が、短刀を奪い取ったのだ。

 間髪入れず新しい糸が左手に巻き付いて、両足と左手の三カ所を捉えられた白姑は、なすすべなく神田川へと引きずられていった。

 だが、川へと引きずり込まれる前に、二本の柄付き手榴弾(ポテトマッシャー)が起爆する。

 至近距離で起爆した手榴弾の爆発に飲み込まれ、白姑の小柄な体は宙へと吹き飛ばされ、瓦斯(ガス)灯の柱へと叩き付けられた。


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