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蠢く思い、すれ違う気持ち

 一縷(いちる)武雄(たけお)を見送った後、ロイド眼鏡の男――平戸(ひらど)はいつも通りに表情を引き締めて鉄見(てつみ)中佐の元へ戻った。

 来客の前だからと控えていた煙草を盛大に吹かす鉄見中佐は、眉根に(しわ)を寄せながら戻ってきた平戸を見やる。

 考え事をする時はひっきりなしに煙草を吸うのが、この上官の癖なのを平戸はよく知っていた。

 しかしよく知っているからと、腹の底が読めるものではない。鉄見中佐が根元まで吸った煙草を揉み消した所で平戸は口を開く。


「中佐。本当によろしかったのですか? あのような者達を引き入れて」


 普段なら上官の判断に疑念を挟む事はないが、何しろ相手は人の姿をしていても人外の怪物だ。鉄見中佐と共に大陸で怪物とやりあった記憶がある平戸にとっては、そうした相手と手を組むのはまだ納得しきれるものではない。

 事前に聞いていた話を上回る驚くほどの美人だったが、それも妖物怪物の類となれば人を惑わす姿にしか思えない。

 鉄見中佐は新しい煙草に火をつけると、紫煙を深く吸い込み、食いしばった歯の間から押し出した。


「実際、百合坂(ゆりさか)翁にしろお伊勢様にしろ、不穏な気配が日本の内外にある事は感じているんだ。そして……(おれ)達はまだ鉛玉しか扱えん。今は化け物を駆逐するには化け物を当てるのが一番だ。生き残り弱った方を己達が駆除すれば良し、つぶし合って両方いなくれればなお良しだ」


 鉄見中佐は鋭く目を細め、洋卓(テーブル)の上に乗った金貨をまるで睨むように見やった。

 今でこそシベリア出兵で軍を動かしているが、これがいつまで続くかは分からない。

 たった今も彼の地は泥沼のように人の命を、そして金を飲み込んでいっているだろう。それが遠くロシア内部の争いへ干渉するための戦いなのだから、士気が上がろうはずもない。

 軍を動かすのは札束をくべて蒸気機関を動かすようなものだ。くべるための札束が尽きた時が潮時だ。

 そしてその瞬間はじわりじわりと近づいている。


 世界大戦が終わりシベリアからの撤兵が済めば、世界に軍縮の気配が漂い始めるだろう。それは一将校たる鉄見中佐にも感じ取れる。

 無論、日本もそれに飲み込まれると予想していた。

 だが鉄見機関まで飲み込ませはしない。

 表沙汰に出来ない話であるからこそ、一度勢いを失えば元通りにするのも手こずるだろう。

 見えない脅威は迫っているが、好機である事も否定出来ない。


 大きな戦争が無い時にどこまで余力を蓄えられるかが、次の火種が(くすぶ)った時の動きに関わってくる。

 列強国家に名前を連ね続けるために、一軍人として出来る事はせねばならない。


 鉄見中佐は煙草の煙を深く吸い込みながら、大陸で戦った少女の姿をした怪物を思い浮かべた。

 もしあれと同類のものを自陣に引き入れられるのなら、将来起こりうるであろう戦争においてもどれだけ役に立つか分からない。

 撹乱に陽動、諜報や暗殺まで人でないものの力が役立つ場所は山とある。

 淨見(きよみ)一縷はその用途には使いづらいだろうが、妖物怪物に対抗する力を手に入れれば他に手勢としやすいものを引き入れればいい。


「分かりました……明日は御津山(みとやま)商店との会合が九時からございます。お車は七時半に宿舎へ回せば宜しいでしょうか」

「いや、ここに回せ。まだ調べ物や考え事がある。今夜は泊まりだ――ああ、お前も宿舎へ戻って休め。坂下には戻ってきたら己から伝える」


 敬礼した平戸が退出するのを見届けると、一人残った鉄見中佐は軍刀を掴んだ。

 眼前に水平に構えて鯉口を切ると、刃の半ばまで刀を抜く。

 家に伝わる業物ではあるが、先の【刀】を見た後だと見劣りするのは否めない。


「ああ言う物が己の手にあれば、少しは話も違うんだがなあ……」


 あの場では素直に退いたが、鉄見中佐の心は【刀】に魅せられていた。

 それは【刀】のもつ妖しい美しさもあるが、百合坂翁の孫が断言した妖物怪物を一太刀で(ほふ)れると言うまじないの事もある。


 今もただ手をこまねいている訳では無い。

 周囲に陰口を叩かれながらも、打てる手は打っているし集められる物は集めている。明日の会合もそれに関連したものだ。

 しかしそれらが決定打になるとは思っていない。

 鉄見中佐は穏当に、一縷や武雄を味方につけたまま【刀】を手に入れる算段を練り始めた。




「くふふ……お姉様、手を結ぶ相手は選ばれた方が宜しくてよ」


 朧月の夜、陸軍省の屋根の上で独り言ちたのは、狐面の女学生――青姑(せいこ)だ。

 その視線は走り去っていく車に乗った一縷を熱っぽく見つめている。

 横にいる血姑(けつこ)は狐面の内側で瞳を紅く輝かせながら、舌打ちしそうになるのをすんでの所で押し止めた。


「青姑……いえ、しのぶさん。どうして【刀】を奪い返さないの? あれは私達にとってとても大事な物なのよ?」

「あのお方はそれを命じていないわ。奪い返す必要があるのでしたら、あのお方と、そしてマモンまで向かっていて出来ない理由が無い。奪い返さない必要があったから、あの方はそれを命じた。それは……ふみさん、あなたが一番近くで見ていたでしょう?」


 無情(むじょう)傀儡(くぐつ)としての名前では無く、親から貰った名前を呼ばれた青姑は、お返しにと血姑を本名で呼んだ。

 田山、そして通り悪魔を使った辻斬りは、時期は早まったが予定通りの結末を迎えた。

 警官としての田山は世を騒がす凶賊として、田山に取り憑いた通り悪魔は【刀】に捧げる贄として選ばれたものだ。初めから――田山に通り悪魔が取り憑く所からが、全て外法様の手の上のことだ。


 そして田山が処分された事により、管理を任されていた血姑は任を解かれ、また主に【刀】の管理を任されていた青姑も一時的にだが任を解かれた。

 まだ治療が終わらぬ白姑(はくこ)も、回復の暁には他の二人と同じく当座の任務を解かれるだろう。

 それが血姑は悔しくて仕方が無かった。

 自分の失態から、予想しうる最悪の道筋が現実のものとなってしまった。

 この事態を覆して汚名をそそぐべく、青姑と二人で誰にも言わずに一縷達の監視を行おうと持ちかけたのは血姑だ。


 しかし理由も血姑の気持ちも知っているはずの青姑は、どこか余裕ありげな、いつも通りの態度を崩さない。

 それどころかまるで普段通りの――狐面をしていない時のように、楽しげな雰囲気すらあった。


「ふみさん。こうして二人で夜のお散歩も、久しぶりではないかしら。別に白姑がいたからどうと言う話ではないけれど、ふみさんが辻斬りの件に(あて)がわれてからは、二人だけって事は減ってしまいましたものね」


 三人の無情の傀儡のうち、青姑と血姑は少しだけ付き合いが長かった。

 外法様から役割が与えられていない時は、こうして夜闇(よやみ)に乗じて帝都の夜を二人で散歩したものだ。

 無情の傀儡が(そろ)ってからは本格的に事態が動き出した事もあり、散歩をするとしても昼間、女学校の帰り道が多くなっていた。


「そう、ね」


 気のない返事をした血姑の右手を、青姑の左手がそっと握る。青姑の手は同い年である血姑と比べても、細く滑らかで、柔らかかった。

 もう片手で青姑は自分の被った狐面を外す。


「お顔を見せて、ふみさん」


 雲間から覗いた月明かりが二人の少女を照らす。

 言われるままに狐面を外した血姑は、間近で青姑と見つめ合う。

 八芒星を消した青姑の顔は、初めて出会った時と同じくたおやかで、同い年の少女とは思えなかった。

 そして青姑に(なら)って紅く輝く八芒星を瞳から消した血姑の唇に、そっと触れたのは青姑の唇。

 驚きに目を見開く血姑に、悪戯っぽい微笑みが投げかけられる。


「わたくしがお姉様に心奪われていると思っていたのでしょう?」


 図星を突かれ、血姑は絡ませていた視線を外す。

 それが何よりの答えだったが、血姑は唇をわななかせて(うめ)いた。


「そう、よ。しのぶさんってば、私や、それに白姑……初枝(はつえ)さんのことを……あんな女に(たぶら)かされて……」

「あなた達は血こそ繋がっていなくても家族、わたくしの姉妹よ。家族を(ないがし)ろにするつもりはありません」


 泣きそうに震える呟きを包むように、青姑はそっと血姑を抱きしめた。

 そっと血姑の頭を撫でながら耳元で(ささや)く。


「初枝さんを退けた者が、お美しい男装の探偵であったのはわたくしも驚きでした。あの方を引き入れられれば良いと、あのお方に進言も致しました。でも、それがわたくし達姉妹に(ひび)を入れる事はありません。わたくし達の繋がりは、そんな(やわ)なものではないでしょう」


 青姑――しのぶは、姉妹として認める二人の少女を名前で呼んだ。

 外法様から賜った名前は大事なものであるが、三人の少女達にとっては姉妹としての名前も大事なものだった。

 だから余人のいない場所では、三人の間でだけは本来の名前で呼び合っていた。


「しのぶさん。あなたはどうしたいの?」

「決まっていますわ。わたくし達姉妹で、あのお方の望みを叶える一助となる事です。わたくしの望みはそれだけですわ」


 青姑はもう一度、血姑の唇に自分の唇をそっと重ねた。




「白姑――いえ、初枝さん。見たくなかったのではなくて?」


 端正な顔に嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべたアスミナは、寝台(ベッド)から体を起こしている白姑を見つめる。

 視線の先には灰河童(はいがっぱ)が設置した、空中に幻を映し出す機械が鎮座(ちんざ)していた。

 そしてそこに映っているのは、陸軍省の屋根で言葉を交わす青姑と血姑。今そこにいるかのような精緻(せいち)な幻は、二人の間で交わされた言葉も全て白姑やアスミナに伝えていた。


 この場を設えたのはアスミナだ。

 治療中ながら、他の二人を気にして寝台から飛び出そうとする白姑をなだめるために、帝都に飛ばしている機械仕掛けの(からす)の目を使い、二人の動向を教えて安心させる。

 その名目で、灰河童に幻を映し出す機械を運ばせたのだ。


 勿論、白姑をなだめるなどただのお題目(だいもく)に過ぎない。

 頬を歪める笑みを隠そうともしないアスミナは、白姑の表情を(またた)きも惜しむくらいにじっと見つめている。

 その白姑はと言えば、アスミナを見やる余裕すら無くしていた。

 瞬きすら忘れて、姉妹のように過ごした二人の幻を注視している。

 半ば開いた口を閉じることもせずに、他の二人と比べたら幼さを残す顔は凍り付いたように動かない。


 長い年月を生きてきたアスミナにしてみれば、無情の傀儡と称する三人娘はまだおしめ(・・・)も取れない子供と変わらない。

 そんな年端(としは)もいかない子供達が、立場上は自分と同等なのは(しゃく)(さわ)る。

 アスミナは外法様に対する忠誠心は低く、元々はマモンの誘いで外法様の元にいるだけだ。それでも自分はもっと重用されるべきとの矜持(プライド)はある。

 その()さを晴らすのに、手近な相手として選んでいるのは青姑を初めとした三人の少女だ。


 青姑と血姑が二人だけで、逢い引き(まが)いに出かけているのは以前から知っていた。そしてそれを白姑が知らないことも。

 いつか白姑にばらして一悶着(ひともんちゃく)を起こしてやろうと思っていた時に、丁度良く起こったのが今回の事だ。

 これを見逃す手は無い。

 肉体的な苦痛を与えるのはアスミナが最も好むところだが、精神的な苦痛を与えるのもまた好むところである。


 白姑の手が強く毛布を(つか)む様も。

 見開いたままの瞳に涙が浮かび、それが頬をこぼれ落ちる様も。

 再び唇を重ねる二人を見つめながら体が戦慄(わなな)いて、こみ上げる吐き気に口元を押さえる様も、アスミナには愉快(ゆかい)でたまらない。

 そっと近寄って、白姑の背中を(さす)ると掌に伝わる震えが快感ですらある。


「ごめんなさいね。しのぶさん達の様子を見れば、初枝さんも安静にしてくれると思ったの」


 心にもない事を口にしながら、吐き気を(こら)える白姑の背中をそっと摩る。目くばせして投影される幻を停止させると、しばらくそのままあやす(・・・)ように背中を摩り続ける。

 青姑と血姑が分かっているかは知らないが、アスミナには白姑が先走り過ぎる理由が分かっていた。

 自分に対する自信の無さから、少しでも他の二人に負担をかけまいといつも気を張っているのだ。だからこそ二人に先んじて動き、二人の役に立とうと常に気負っている。


 白姑の()り所は青姑と血姑だけ。血姑も同じようなものだが、白姑は輪を掛けて他の二人への執着が強い。

 詳しい過去はアスミナには知らされていないが、相応の理由があるのだろう。

 しかし理由の如何(いかん)はアスミナには関係無い。

 重要なのはそこに付け込んだ時、どこまで楽しい姿が見られるかだ。


 時間にすれば十分ほどそうしていただろうか。

 吐き気が収まったのか、白姑は口元を手の甲で(ぬぐ)うと、(ささや)くように言葉を(つづ)った。


「……私が、あの子達の姉妹になるにはまだ足りないって事を確認出来たわ……灰河童、私の治療と一緒に行った調整はまだ追加出来るわよね?」


 寝台の横で直立不動だった黒いスーツの男、灰河童の一人は口を動かさないまま抑揚(よくよう)の無い(いびつ)な声で答えた。


「問題無い。追加調整を行ったとしても明後日の昼には動けるようになる」

「今から出来る、ありったけの事を私にしなさい。それと、あんた達の武器を貸しなさい。私にも使えるのがあるでしょう?」

「調整は出来るが武装は渡せない。我々と契約した上位存在の許可がないのでは渡す事は出来ない。現在の約束分は指定の場所に届けてある」


 灰河童は正しくは外法様の部下ではない。

 立場としてはマモンに近いが、彼等の言う契約の内容は彼等と外法様その人しか分からない。

 何らかの思惑(おもわく)がある事ははっきりしていても、それを誰かに話すような灰河童は一体もいない。


 白姑は灰河童の返事に、唇を強く噛んだ。

 そして彼等は個人という概念がないかのように、統一された意思の元に行動している。

 一人の決定は灰河童全体の決定に等しい。別の灰河童を探して説得するような手管は通用しないのだ。


「貸してあげなさいよ。出荷に回すくらいなのだから、その子一人分なら都合つくでしょうに。責任は私がとるわ」


 口を挟んだアスミナは豊満な胸を強調するように腕組みする。

 助け船を出したつもりはない。

 単に事態をかき回せればそれでいい。

 結果として青姑達が曇る姿さえ見られればいいのだ。


「――分かった。アスミナ・ガラニス、お前が責任を取るのなら白姑の調整と共に、我々の武装を使えるように手筈(てはず)を整える」


 わずかな思案の後に承諾した灰河童に、アスミナは満足げに頷いてから横目に白姑を見やった。

 予想もしていなかった助力に、白姑は目を丸くしてアスミナを見上げている。


「少しだけ味方をしてあげるわ、初枝さん。お詫びの気持ちよ」


 アスミナは口の両端を上げて笑う。

 その笑みに、お詫びの気持ちなぞ欠片も(こも)もっていないのは一目で分かった。




 鉄骨で組まれた天井からつり下がった幾つもの電灯が、埃っぽい空間を橙色に染めている。大小問わず何十個と積まれた粗雑な木箱には、英語や独逸語で運送会社の名前や注意書きが書かれている。

 ここは横浜港の新港埠頭にある倉庫の一つ。煉瓦と鉄骨をあわせた重厚な造りの倉庫は、この時代における組積造(そせきぞう)技術の粋を集めたものだ。


 時刻は深夜三時を回り、人気のない倉庫の中にいるのは場違いな格好をした二人の女。

 一人はアスミナ。

 仕立ての良いワンピースが汚れるのも構わずに、木箱に腰掛けて頬を歪ませ笑っている。


 もう一人は腰まである黒髪を背の半ばで束ねた、十歳にも満たないであろう少女だ。

 少女は広めの襟をレースで飾った薄地のブラウスと、チェックのスカートに身を包んで、積み上げた木箱の上に座って楽しげに足を動かす。黒革の靴は顔が映りそうなほどに磨かれていた。

 だが、めかし込んだ格好の少女は、一つだけ似合わないものを身に付けていた。

 それは革ベルトでたすき掛けにした大型の拳銃嚢(ホルスター)。その特徴的な形から、見るものが見ればモーゼル大型拳銃が収まっているのが分かる。


「ひゃははははっ! そうかそうか、とうとうあの餓鬼(ガキ)めらの間を引き裂いたか! (わし)もそこに居ればよかったわ。見逃したのが悔やまれるな」


 歯を剥きだして下卑(げび)た笑いをあげる少女は、心底楽しげに座っていた木箱を叩いた。少女はアスミナから数時間前の出来事を聞いて、深夜の倉庫で快哉(かいさい)を叫んでいるのだ。

 黙っていれば清楚な印象を与える顔立ちも、台無しになるほどに(よこしま)な笑みに(いろど)られている。


「まさか見られているとも知らずに、白姑の前でキスまでするなんてねぇ。話し声も全部聞かせてやったから、どうなることかしらね」

「次は儂のいるところでやってくれ。良い見物(みもの)になりそうだのう」


 幼女は小さな肩を大きく揺らす。

 古めかしく大陸(なま)りのある口調は、幼い外見に全く見合っていない。

 スカートがめくれるのも構わずに木箱の上で胡座(あぐら)をかくと、深く息をついて呼吸を整える。その独特な呼吸の仕方は、遊んでいるのではなく何らかの技術によるものだと分かる。

 その証拠とばかりに少女の気配は、年相応のものからかけ離れ、アスミナと同様に人でない(・・・・)ものとなっていく。


「ところで、首尾はどうなのかしら? 納品は早ければ明日(あす)明後日(あさって)、遅くても一週間後よ」

「儂にそれを聞くか? 万全に決まっている、バカにするでない。全て終わっておるわ」


 少女は鼻で笑いながら自慢げに腕組みする。

 そして首を傾げるのに合わせて、周囲の木箱がふわりと一斉に浮き上がる。

 釘で打ち付けられた(ふた)(きし)みながら開いていくと、油紙(あぶらがみ)に包まれた幾つもの塊が露わとなる。

 少女が木箱に手を伸ばすと、塊の一つが浮かび上がってその手に収まった。膝の上で解かれた油紙の中には、よく磨かれたポンプアクション式の散弾銃があった。


「新大陸の技術も中々のものだぞ。良い銃だ。しかも儂の手で調整してある……お主でもなければ、撃たれたらただでは済まぬぞ。そういう注文であったからのう」


 手慣れた調子で構えると銃口をアスミナに向けた。

 弾こそ入っていないが銃爪(ひきがね)に指はかかっている。

 冗談にしても質が悪い。

 しかしアスミナは向けられた銃口を冷ややかに見やると肩を(すく)めた。


「それなら良いの。やる事はやっておかないと、表向きの仕事に差し支えるのよね。それもあの方(・・・)の計画の内なのだから」

「ふん……時間のかかる船便で運ぶなんぞ、金と時間の無駄だろう。灰河童の奴らにやらせればいいものを」

「あいつら、そういう雑用はやりたがらないのよね。電送……なんとかいうのを使えば、虚舟(うつろぶね)を使う必要もないのに。大陸間は電波状況がどうとか理屈ばっかりよ」


 アスミナも灰河童の技術に詳しい訳では無い。

 自分達の技術を説明する事すら殆どしないので、何を言っているか判別するのも難しい。

 知っている単語で補完するのが精一杯だ。


「じゃあ私は帰るわ。商談が(まと)まったら迎えを寄越(よこ)すから、くれぐれも殺さないようにね」

「ふんっ、どうせ日本人だろうに。十人百人死んだところで構わんだろうよ」


 少女は頬を歪め、憎々しげに呟いた。


「本来ならば、日本人に売る銃器に術をかけるなんぞ願い下げだ。あやつの命令でなければ、儂の返事は銃弾であったのだぞ」

「分かっているわよ、雪琳(シュェリン)。だから貴女との接触は私に任されているのよ。下手な相手だと貴女、殺してしまうものね」


 雪琳(シュェリン)と呼ばれた少女は、宙に浮いたままの木箱に左手を向けた。

 弾ける様に木箱から飛び出して、小さな掌に収まったのは一発の散弾。その一発を手際よく装填(そうてん)すると、雪琳は再びアスミナに銃口を向けた。

 雪琳の目は半ば()わっていて、銃口よりも剣呑な光を宿している。


「気に食わねばお主でもだぞ」

「やれるものなら――」


 雪琳は間髪入れず銃爪を引いた。

 至近距離、三メートルも離れていない場所から放たれた散弾は、九つ全てがアスミナの顔面を穿(うが)った。


「――そんなものを使っている限り、私は殺せないわよ」


 確かにアスミナの端正な顔にめり込んだはずの散弾は、一発残らずその舌の上に乗っていた。

 その顔には傷一つない。

 唾液まみれの散弾を床に吐き捨てると、眉を(ひそ)めて雪琳を(にら)み付ける。


「やはりお主の術理を打ち破るには、儂の術も相当に練らねばならんの」

「出来るものならね。私は武器じゃ殺せない。それが私だもの」


 撃たれた事は気にせず、それだけ言うとアスミナは雪琳に背を向けた。

 散弾銃を(もてあそ)んでいた雪琳は、倉庫から出て行く姿を見送ると一つ鼻を鳴らした。


「この国を落とす為と言えど、東洋鬼(トンヤンクイ)に与する事になるとは……儂も焼きが回ったな」


 年端もいかない顔を憎悪に歪ませ、雪琳はぎり、と歯を(きし)らせた。

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