0.5:ボールラビット
「…………すっげえ……」
驚きながら、俺は自分の両腕を見つめた。
いつの間にか白い体毛が生えており、手先には鋭い爪、掌に弾力のある肉球、振り返って尾てい骨にはふさふさとした長い尻尾があった。
それに、聴覚まで鋭くなったのか、先程まで聞こえなかった遠くの物音まで鮮明に聞こえている。
昨晩遅くまでカスタマイズしていた自信作の仮想体。
俺は狼族の獣人になったのと同時に、このゲームが創り出した幻想世界の住人になっていた。
「……やるか」
気合も充分に視界の隅に映るナビゲーションインジケーターに目を向けると、「Attention Area」の橙文字が浮かんでいた。つまり、ホコテンのエリア全体は、モンスターが一定間隔で出現する非安全区域である、ということだ。
早速、目の前にボールに毛が生えたような丸っこいモンスターが出現した。
そいつは、しばらくキョロキョロと辺りを見回していたが、やがて弾力のある体で地面を跳ね、ゆっくりと移動を開始する。
(ボールラビット……か)
昨晩、寝る前に攻略サイトで簡単な情報だけは予習していた。
ボールラビットは文字通りボールのように跳ね回るだけの草食系雑魚モンスターで、草原や森に棲息しているという。
ウサギらしい特徴は申し分程度の長い耳だけで手足はなく、目や口は長い体毛に覆われてほとんど見えない。
非常に大人しい性格なので、こちらが仕掛けない限りは反撃もしてこない。いわゆる、「ノンアクティブ」と称されるタイプだ。
なら、こちらから仕掛けるべきだろう。
俺は奇襲をかけるためにそっと腰からナイフを抜く。
「…………ふっ!」
初手。斜め左上方から抜くように振り下ろした一撃で思いっきり斬り付けてみる。
手応えは充分だった。これでざっくりと真っ二つに割れる……かと思いきや、刃は皮を斬り付けただけで肉まで通らず、宙に浮いたボールラビットを地面に叩きつける形となってしまった。
「うおっ、いけね!」
思ったが、時既に遅し。
弾力のあるボールラビットは多少の鮮血を撒き散らしながらもびよんびよんと跳ね回り、色んなオブジェクトにぶつかりながら遠くへ離れていく。
なるほど、と悟る。
先程のプレイヤーたちの笑い声の正体は、このトリッキーな動きに苦戦していたからなのだ。
……などと納得したところで、のんびりもしていられない。跳ねたボールラビットが他人の狩場に侵入してしまっては逆に迷惑になる。
最弱モンスターに対して大人げないことだが、狼族自慢の脚力を活かしてダッシュをかけてみることにする。
もちろん、現実世界の俺がどう足掻いたところで、アスリートになれはしない。
それは仮想現実でならともかく、現実をベースにした複合現実では普通に超えられない壁となる。
だが、このゲームのシステムにおいては、唯一その壁を一枚超えられる手段がある。
実体から仮想体を分離させることで、立体的且つ超人的な行動を可能にするのだ。
(意識の分離を……イメージ)
それは、頭でひとつ思い描くだけでいい。
脚に篭めた力──その跳躍の瞬間、俺は前に押し出される感覚と共に、身体中から五感がふっと抜け落ちて希薄になったのを感じた。
さっと振り返ると、前傾姿勢のまま固まっている俺の姿がみるみるうちに遠ざかるのが見えた。意識の離脱に成功した証拠だ。
その感覚を例えるなら、夢の中で自分の身体を動かす時に近いだろう。
ぼんやりした意識の中で、頭に描いた行動が即実行される。自身の肉体は動いていないのに、だ。
夢と大きく異なるのは、切り離した意識がより鮮明であるということだ。
五感は半減するが、触れた感覚などは体感として肉体側に反映される。
もちろん、これはビーコスが見せる疑似感覚ではあるが、慣れてくれば体感出来る五感もより鮮明になっていくという。
そういった修練用のスキルはないらしいが、もしかしたら隠しパラメータで存在するのかもしれない──と俺は超スピードの中で考えていた。
(練習がてら、追い詰めてやるか)
俺は視線を前方に戻し、ボールラビットを追いかける。
目標は跳ね飛ばした勢いを利用して十五メートル先の巨木の枝部分まで逃げ込んでしまっていた。
思った以上に厄介だ。育成すればどうにでもなる高さだが、ゲームを開始したばかりの今はせいぜい五メートルがいいところである。
となれば、取るべき行動は一つ。
俺にとってはそれが今の最善だと信じていた。
(……街路樹によじ登るしかない!)
仮想体の俺はいつも以上に体が軽く、筋力も段違いにしなやかだ。
たとえ手が後ろまで回せないほど太い幹でも、狼の鋭い爪が登攀を容易にする。
「見つけた!」
街路樹を上り詰めたところで、横に張り出した枝の上で器用に跳ねているボールラビットを発見した。
幹を蹴りつけ真横に飛び、今度は刺突攻撃で攻める。
「……うおっ!?」
だが、すんでのところでかわされてしまった。
勢い余った俺の仮想体は枝を超えて落ちそうになるが、素早く左手だけで枝を掴んで持ちこたえる。
──ペキリ。
「…………ッ!?」
「重さ」で枝がリアルに折れ曲がり、それでもどうにか樹皮一枚で留まる。
すかさず振り子のように揺れる勢いをギリギリ利用し、幹側へ飛び移る。
咄嗟に伸ばした手が幹に触れ、どうにか爪を引っ掛けられた。
「……あ、あぶねぇ……」
仮想体とはいえ、落下すれば相応の落下ダメージが待っている。今の高さ──二十メートルぐらいから落ちれば、HPもそこまで高くない俺は、死亡するか否かのダメージを受けるだろう。
いくらなんでも、最弱モンスター相手に死亡だなんてかっこ悪い。
「おい、見ろよ。あいつ、ボールラビット相手に死にそうになってるぜ」
「うははは! おーい、頑張れー!」
地上では、さっきの若者連中が腹を抱えて馬鹿にしていた。
──冗談じゃねえ。
気が遠くなりそうな高さにひやりとするが、ナイフを牙でくわえ、右手の爪を幹に引っ掛けてようやく体勢を持ち直す。
もう一度幹をよじ登り、今度は一旦枝に乗った。
水平に広げた両腕と尻尾でバランスを取り、前屈しながら獣のような四つ足の体勢へ。仮想体ならではの柔軟性だからできる芸当だ。
(……こんな姿勢を現実でやったら、腰をやられそうだな……)
十六のくせにオッサン染みてるなあ、と心の中でツッコミを入れながらも、獣らしくしっかりとした四つ足で小走りし、ボールラビットに接近する。
殺気を感じたボールラビットはその顔──らしきものをこちらに向けたが、相手が動き出すより早く、脚で枝を蹴って両腕を前に伸ばした。
──まさにこれは、獣が獲物を捕らえる瞬間。
枝は真っ二つだが、タイミングはバッチリだった。
枝から空中へと離れたばかりのボールラビットは方向転換が出来ない。
ジャンプの頂点を狙ってその丸い体を両手で挟み込むようにして掴み、今度はそのまま真っ逆さまに地面へ落下していく。
「あいつ、まさか!!」
馬鹿にしていたギャラリーが沸いた。
落下速度はみるみるうちに増していき、緑の遮蔽物が目の前に迫る。
「…………ッ!!!!」
ベキリ、と何かが砕ける厭な音がした。
一度だけ高く跳ね上がった俺の仮想体は、次の瞬間、背中から地面に叩きつけられた。
「────────っは!」
──息が詰まる。
集中力が途絶え、意識が途絶える。
途端、何かに引っ張られていく感覚を覚えた。
「………………?」
気付けば、弱々しく前のめりに倒れ、草の上にうつ伏せに倒れていた。
視界が鮮明になり、感覚が全て戻っている。切り離した意識が元に戻ったのだ。
「……は…………ははっ!」
俺は、思わずチビりそうになるくらいゾッとした。
ジェットコースターなんて目じゃない。
呼吸は荒れ、心臓はバクバク言っている。
「おーい、大丈夫か、お前」
「うははは! ボールラビット相手によくあんなことやっちまうなあ!」
さっき馬鹿にしていた二人が声をかけてきた。
俺は震える腕でどうにか体を支えて起き上がり、あぐらをかいた状態で向き合う。
「俺、どうなってたんだ……?」
「覚えてないのかよ」
聞けば、知らぬ間に「飯綱落とし」を繰り出していたらしい、と知る。
空中で組み付いて相手の頭を地面に叩きつけるという、忍者系の話で有名な大技だ。
だが、ゲームシステムとして登録されている技の中にそんなものは存在しない。
スクランブル・レイダーは自由度の高いゲームである。システムが可能とする限り、あらゆる戦法を可能にする。
その気になれば武術を再現することも出来るし、アクロバットを戦闘に活かすことだって可能だ。
こうしたゲームシステムにない技のことを、「テクニック」と呼称されており、先程繰り出した「飯綱落とし」も偶然その一つだったのだ。
男の片割れ──熊の獣人が、木漏れ日を背に遮りながら俺に手を伸ばしてきた。
「初めてなんだろ? 教えてやるよ、ちゃんとしたボールラビットの攻略法」
「……そうしてもらえると、助かるな」
現実では物怖じする付き合いも、ゲームではすんなりいくものだ。
年齢、国籍、職業──そういったものを全て取っ払って会話できる。
だから、俺はゲームというものが好きだった。
何でも叶えてくれる複合現実の可能性が、大好きなのだ。




