0.4:スクランブル・レイダーへようこそ
住宅街の坂道の先にある人気の少ない通りを道なりに進んでいくと、寿ヶ谷駅付近の交差点に辿り着く。
交差点の片側にはホコテンの入り口を示す電子ポールが三本立てられており、その向こう側で、下は小学生、上は四十台ぐらいと思しきオッサンまでもが、それぞれ見えない何かと格闘しているのが見えた。
「やっべ! こいつ速え!」
「そっち行ったぞ、そっち! うはははは!」
楽しげに騒ぐ若者たち。しかし、その光景は……端から見ればあまりにも滑稽。
確かにこれは、ゲームに疎そうなノゾミが見たら首を振りたくもなるだろう。
「ご主人ー。なんで今日はホコテンなのですかー?」
ちょこちょこと横を歩いていたきなこが無垢な瞳で見上げてきた。
「長年待った新作ゲームのリリース日だからだよ」
「げーむ? って、あそこにいるニンゲンたちやご主人がやってる、アレですか?」
「そうそう。よく憶えてたな」
「うーん。きなこにはよくわからないのです。ご主人はどうしてあんなふーに体をめちゃくちゃに動かすのが楽しいですか?」
「……面と向かってそう言われると色々ショックだな……」
まあ、ペットには対応していないアプリだから、きなこからは一人で狂ったように動き回っているようにしか見えないのかもな。
これから遊ぶのは、開発に五年もかけてMR版MMORPGを実現した、「スクランブル・レイダー」というゲームだ。
MMORPGは、簡単に言えば、他のプレイヤーと同時に同じ世界をプレイ出来るという、ロールプレイングゲームのサブジャンルの一つである。かつてのVR版MMORPGと違い、プレイヤー自身が立っているその場所がそっくりそのままゲームの舞台になる、というのが、このゲームの魅力のひとつでもある。
現代人ならコイツを体感しないわけにはいかない。何せ、俺は小学生の頃からずっとこのゲームを待ち続けていたのだから。
「俺はしばらく遊んで行くけど、きなこはどうする? その辺で待ってるか?」
「お安いご用です! きなこはお留守番が出来るかしこい犬ですので!」
きなこはドヤ顔で平たい胸をいっぱいに逸らした。
どうも彼女は、ちょっとした言いつけを守ることがステータスと考える節があるようで、特に「番犬」になった時は近所で一番偉い犬になった、とか思っているらしい。騙すようで気が引けるのだが、俺にとっては好都合で非常に助かる。
「悪いな。飯の時間までには終わるから、それまでテキトーなところで待っててくれ」
「はいです!」
まあ、きなこにはビーコスの恩恵で三才児並の知能が備わっている。粗相はしないし、二つの命令ぐらいなら何とか聞いてくれる子だ。
いざとなればビーコス同士を繋ぐリードがある。はぐれてしまっても場所を割り出せるはずだ。
「さて、と」
まずはゲームを始めるための儀式が必要だ。
おもむろに宙に伸ばした人指し指と中指をなぞるように下ろすと、どこからともなくアプリの塊を示す球体の群れが降ってきた。そのうちの一つ、金のドラゴンが描かれたものを指で小突く。
途端、ミルクを零すように乳白色の光がオーブから溢れだし、あっと言う間に視界全体を満たしていった。
建物、木々、人々に至るまで──全ての構成物体が灰色のワイヤーフレームとなり、地面には賽の目状にラインが引かれていく。
──それから約三十秒。
初ローディングが終わると、物凄いスピードで線ばかりのオブジェクトにテクスチャが何枚も貼られていき、現実とは別の質感が生まれた。
片道二車線の車道は、所々が苔を生やした、平坦な石畳の街道に。
街路樹のイチョウは、幾重にもねじれた幹と枝を増やした巨木に。
周囲のビル群は、いくつもの屋根付きの石造住宅が上に積み重なったような古い蔦だらけの建造物に。
空は巨木の枝葉のレイヤーが幾重にもなり、僅かな隙間からは暖かな木漏れ日が光のカーテンとなって射し込んだ。
視覚だけではない。
空気は質が変わり──体感温度は秋から春の温かさに──匂いは透き通った森林の深い緑を感じる。
人の声にはよく響くエフェクトが与えられ、そこにいるはずのない野鳥が囀りだした。
多様な変化はあっと言う間の出来事だ。
ホコテンは異世界のどこか深い森の中に存在する古都へと、天と地ほどの変貌を遂げた。
これが、昨日リリースされたばかりのMRゲームアプリ、「スクランブル・レイダー」の世界である。




