0.2:現代の義務教育
現代社会は全てMR──つまり、|複合現実《Mixed Reality》によって成り立っている。
2050年台当時、電化製品で有名だったとある企業が、血球の代用品となるナノマシン式のデバイス「Blood Cellbot with Operating System」――略して「BCOS」を開発した。
日本政府はこれをきっかけに「ノンデバイス化政策」を謳い、20年かけて準備を進め、遂にはビーコスの「服用」を法律で義務付けることに成功した。
政策の表向きは、複数社のプロバイダ、回線、デバイスを、たった一種類の政府公認規格に集約するということだ。
これにより、不具合だらけで面倒、且つ多様なゴーグルや端末を選んだり持ち運ぶことなどせず、誰でも手ぶらで空間を対象とした立体映像を網膜に映せるようになり、その立体映像を仮想的に手で動かせるようにもなる。
要は、仮想現実と拡張現実を組み合わせた、複合現実である。
ビーコスは大気中にも散布されているから、立体映像への操作は他人と共有することだって出来る。
間もなくして古いネット回線は一部を除いて廃止され、ビーコス用の専用回線が新たに確立された。
何も、問題がなかったわけじゃない。
経済面ではハードウェアの競争がなくなってしまうという大きな懸念があった。
しかし、前向きに考えると、ハードウェア面での専門職が要らない以上、サポートやメンテナンスは人工知能だけで充分賄えるし、余った人員コストは無限の可能性を秘めたアプリ開発だけに集中することが出来る。
人間は一から創る事を忘れ、予め用意された積み木を組み立てていくだけで良い。
実際、家電製品を扱っていた企業も、スマートフォン本体を扱っていた企業も、全ては流れ往く時代と共にビーコス用アプリの開発会社へと転身していった。
例え経営方針が変わろうとも、そのノウハウが台無しになることはなく、新しい形で活かされていくだろう。
これは一世紀ごとに訪れる経済の大変革とでも言うべきだろうか。
実際、大恐慌に近い大きな犠牲も払った。
技術を活かせない失業者が増え、変革に耐えられない者は自殺を図り、そうでない者は、新たにMR用のプログラミングを学び、新たな人生を歩んでいった。
これが、一世代前までの話である。
現在のビーコスは、体内に取り込まれると血球の代用品となって血液中を漂い、脳内ではその神経から発する信号を命令として受信出来るようになる、というものになっている。
メモや時計、通話といった雑多なツール機能は当然として、マイナンバーから出生記録、銀行口座、履歴書までが頭の中で自動で管理されるようになっており、お役所的な手続きをする際は網膜をスキャンするだけでいい。
そんな大々的な政策の効果もあってか、出かける際の持ち物は最小限に抑えられているというのが最近のトレンドになっている。鞄を持つならティッシュやハンカチ、社会人や学生には追加で筆記用具──と、せいぜいそのぐらいだろう。
もし、電車でリュックなんぞ背負う人がいれば、「旅行にでも行くんですか?」と、誤解というより馬鹿にされるはずだ。
仮想的に済ませられるものは持ち物とせず、物理的に済ませるものだけを手荷物とする──今はそんな時代になっていた。
そのような理由もあって、現代人の生活はビーコスによって成り立っていると言っても過言ではなく、柴犬にしろ、ビーコスが無ければ人語で会話が出来ない。
年輩者はビーコスを嫌うが、今の若者の世代からすれば、ビーコスなしの生活なんて絶対に考えられないのだ。
──以上が現代の小学校で学ぶMRの授業の一部分。
つまり、現在を知るための、今なりの義務教育というわけだ。