1.2:早朝の来訪者 - 2
客人なんて滅多に自室に入れたことのない俺は、どうしようかと何気なく部屋を見渡し、偶然にもきなこと目が合った。
いつもなら何か言ってくるはずのきなこも、この時ばかりは無表情で黙っていた。
「……まあ……その、とりあえず座っとけよ。コーヒーぐらい出すから」
「ありがと。そうする」
「ミルクと砂糖、入れるか?」
「ミルクだけお願い」
「了解」
俺は食器乾燥機からいつものマグカップに手を伸ばそうとして止め、棚から予備のマグカップを取り出した。
そうする間、きなこがさりげなくサクラノゾミの足元にやってきてちょこんと座った。
「昨日の可愛いワンちゃん。お名前は?」
「きなこって言うです」
「いい子だね」
サクラノゾミはアバター姿のきなこではなく、本体の頭を撫でる。
きなこは気持ち良さそうに首を仰け反らせ、喜びを示すように大きく尻尾を振った。
「それでさ──」
俺は、きなことサクラノゾミを割って入るようにマグカップを差し出し、尋ねた。
「わざわざウチに来た理由、訊いてもいいか?」
サクラノゾミは小さくありがとう、と呟いてマグカップを口に運ぶ。
彼女は一息つき、肩の力が抜けたところで改めて口を開いた。
「そりゃあその、……追われてたから」
「いや、」
俺は即座に否定する。
「近くには他のクラスメートの家もあったはずだ。人気者のサクラが接点の少ない俺なんかを選んだのには、なんか理由があったんじゃないか? ……それも、こんな切羽詰まった状況でさ」
サクラノゾミは目を細め、視線を逸らしながらマグカップを傾けた。
「それは……いきなり押しかけて、飲み物まで貰った後で言いにくいんだけど、さ」
「むしろ、理由を聴かないと、それはそれで納得がいかないだろ」
「…………分かったわよ」
少々不機嫌そうな声のわりに静かにマグカップをテーブルに置き、彼女はもう一度息を整えた。
「ツガが、今騒動になっているゲームのプレイヤーだって知ってたからだよ」
「……なるほど。他の友達には遊んでるやつがいなかったのか?」
「もちろんいたよ? いたけど、あたし、やらないって言っちゃったし」
なるほど。プライド……というか体裁の問題か。
人気者になるっていうのも面倒な話だ。
「俺には試験も近いからほどほどにしなきゃとかなんとか言ってたクセに。まあ、止むを得ないのは俺も承知してるけどさ」
「ご、ごめん……」
うなだれるノゾミに少々罪悪感を感じ取った俺は、気まずそうに頬をかいた。
苛立たしかったのは自覚している。が、責める気など毛頭なかった。
「それより、ここに逃げ込んだはいいけど、ずっと居続けるわけにもいかねーだろ」
「え? 家の中って安全じゃないの? ミクリアのエリア設定で、自宅と見なしている場所は許可なしに他のコンテンツが入り込むことはないって」
「人が死んでいくってのがそのルールに当てはまるんなら問題はないけどな。この狭い場所にモンスターが一匹でも入り込んだら逃げ場はねーぞ」
「……それもそうだね」
感情のない声で相槌を打つサクラノゾミの目は虚ろだった。
俺はその顔を冷やかに見下ろしながら、今後のことについて腕を組んで考える。
確かに、個人の家屋は安全だと言われている。それは昨日のディスカウントショップとは別のルールでミクリアが仕切られており、限られたスペースに合ったコンテンツに切り替わるように作られているからだ。
実際、スクランブル・レイダーを自宅で遊べば、そこはプレイヤーの拠点となるマイルームとして扱われ、出来ることは部屋の中で冒険の準備を整えたり、フルダイブVRによる戦闘シミュレーターを行うことしか出来ない。
また、マイルームではステータスに毒が付与されていたとしてもダメージを受けることはないし、家族同士で戦って武器で斬られても死ぬことはない。絶対的に安全な場所のはずだった。
(だけど……果たしてそうなのか?)
改めてネットニュースを確認する。今度は文面による記事だ。
すると、昨日駅前で起きた事件について追加の情報が記されていた。昨日のディスカウントショップにスクランブル・レイダーのモンスターが侵入したらしい、という噂だ。
やはりそうだったのか、と溜め息が洩れる。あの時はゲームを立ち上げられなかったから、確たる証拠は押さえられなかった。
しかし、安全と言われてきた場所にもモンスターの魔の手が忍び込んでいたのだ。──その侵入経路や確認方法には疑問が残るが。
「……サクラ、今直ぐにでもここから出なくちゃならない」
「えっ!?」
もはや、このゲーム──いや、ミクリアにルールなんてものはなくなった。
世界は敵。そう思って行動すべき事態なのだ。
「ツガ……出るったって、何処へ?」
「分からない。それを今考えてるんだが」
広くて見通しのいい、しかし、障害物や隠れる場所もあるような、安全な場所が望ましい。
大勢のプレイヤーを抱えられ、ゲームとして共闘さえ出来れば、怖いものはないはずだ。
──と、その時、ちょうどいいタイミングでビーコスの着信音が鳴った。
昨日の新着情報の件を思い出して思わず身構えるが、今度は看板ではなく、メールのマークだった。
「……学校からの通知?」
サクラノゾミが疑問を口にした。受け取ったのは彼女も同じだった。
「『昨日から起きている人身事故について、行政側から火事や地震同様の大規模な災害として認定されました。つきましては、原因と対処法が判明するまで当・私立松ノ宮高等学校を一時的な避難場所として提供します。このメールが送られた方は、至急、当学校まで避難してください。なお、道中も安全とは限りません。くれぐれも外に出る際は充分注意するように願います』……だってさ」
「渡りに舟ってこのことだね」
「スクランブル・レイダーをインストールするよう指示がないのは危ないところだけどな。とはいえ、これはチャンスと見ていいんじゃないか? 学校なら避難用の物資もあるだろうし、学業施設だからミクリアの制限も行われている」
サクラノゾミはパン、と手を叩いた。
「そっか! 校舎はローカルエリアだし! 職員室からの操作でミクリアのネットを遮断するはずだよ!」
「ああ。家にいるよりずっと安全だ」
光明が見えてきた。やるべきことは判明し、後は実行に移すだけだ。
「しばらく帰って来れないだろうから、最低限の荷物を詰めて出発するか。……きなこ! 俺の青いバッグを持ってきてくれ」
「はいです!」
俺がバタバタと箪笥や棚を漁り始めると、サクラノゾミが思い出したようにあっと声を上げた。
「……あたし、着替えとか色々持ってきてないや」
男子の前で女子らしからぬ発言である。
「上着で良ければ貸すぞ。サクラのその格好じゃ、学校は冷えるだろ」
「……はあ。……はは、仕方ないか」
手際よくリュックに荷物を詰めていく俺を見ながら、サクラノゾミは力なく笑った。
「あと、あたしのことはノゾミでいいから。こっちもテキトウに名前で呼ばせて貰うし。その方が楽っしょ」
一方的な提案に俺は苦笑したが、おかげで気が楽になったのも事実である。
これから長い学校暮らしになるのであれば、一緒に過ごす時間も自然と長くなる。付き合い下手な俺にとっては、他人行儀のままだといつまでも気が張って疲れるだけなのだ。
(そういうところが付き合い上手ってやつなのかもな……)
……そんなことを思っていると、ノゾミは怪訝そうに「何?」と問いかけた。
「いや、サク……ノゾミって、自由だなって思って」
「何言ってんの。これから起こることに比べれば名前の呼び方なんて些細な問題じゃない」
「そりゃあ、ごもっともだな」




