牢獄と報酬3
記憶が曖昧だ。
昨晩、確か、グリジアヌに捕まった筈である。そう、アリナにトンデモ度数の酒を勧められ、それを口にして、ボーグマンと話をして……そう、グリジアヌに捕まったのだ。
彼女はそのお節介焼きの特性と神としての特異性からアチコチと引っ張りダコで、やっと仕事から解放され、ヨージを発見、じゃあ酒でも呑むか、となり……キシミア城に、キシミア防衛の報酬を受け取りに行った、ような気がする。
「ふぁぁぁ……おはよう、ヨージ」
「参ったな……」
幼い肢体をくねらせるようにして、神エーヴが起き上がる。その肌は何も身に着けておらず、辛うじて髪の毛で、見えてはいけない部分が隠れている程度だ。見えてしまいそうだ。
見え……見え、ない。神だからだ。神はチラッとはしないのである。
その隣では浅黒い肌のグリジアヌが、またしても何も纏わず転がっている。
やって……しまった……のか……。
「神エーヴ。僕はその、何かしましたか?」
「あら。あれだけ激しかったのに、もう忘れた?」
「あー……いや……いやいや……そんな、嘘でしょう」
「流石の貴方も、神二柱に掛かれば容易いもの」
「酔っ払い相手に本気を出すなんて、神として恥ずかしくないのですか」
「くっ、ふふ……凄かったの。あんな大きなものを、こんな小さい身体に。どれだけもがいても、放してくれなくて」
「ぐおおお……ッ」
窘められる。なんだか酷い敗北感だ。
しかしやってしまったならやってしまったで、全く記憶が無いのは、凄まじく惜しいではないか。
「うそ、うそ。貴方ったら、気持ちよく呑んで気持ちよく眠ってしまったから。わたしとグリジアヌでなんとかならないかと努力したのだけれど、まるでダメで」
「あ、弄りはしたのか……ってやめてください」
「でも、久しぶりに笑いながら呑めた」
膝を抱えて、こちらを覗き込むようにする神エーヴは、本当に嬉しそうだ。
「ちょいとグリジアヌ、どさくさに紛れてこういうのやめてくださいってば」
「うーむ……」
「寝かせておいてあげて。彼女には色々手伝って貰ったの」
彼女が呼び鈴を鳴らすと、侍女がやって来て飲み物を用意し始める。グリジアヌは……まあそのままにして、二人で外の見えるバルコニーに出る。
「今日も朝から、皆忙しそう」
「元帥閣下はどうされましたか」
「軍艦に引きこもった。全く、わたしより世間知らず」
「強烈なお嬢様でしたね」
「あれ、七部族の序列一位の御姫様。エンキ族出身のキーリッタ女王の長女。上二人は男だから、次代女王継承権は最上位。箔付けで任命されたみたい」
「……――」
「面白い顔。成程、高貴な女からは逃げられない運命。いえ、呪い」
「別に好かれていた訳ではないでしょう」
「あの子、おしり叩かれながら『使用人じゃなく! 旦那に! 迎えたくて!』って言ってた」
「勘弁して欲しいです……」
つまり彼女のいうお母様、というのは、イナンナー部族連合王国の女王陛下であらせられたか。また、とんでもないものに目を付けられたものである。
「ヘタレだけれど、執拗だから、今後も気を付けなさい」
「御忠告どうも……ああ、それはそれとしまして、ご相談が」
「シュプリーアの事」
「もうお耳には入っていましたか」
「目の前で見たから」
神エーヴは物憂げに青い空を見上げる。伝えるつもりではいたが、直接見たか。それならば、所見を伺った方が理に適うだろう。
「どうでしょう、あれ」
「……――何一つ解らない」
「ですよねえ」
「原初の竜。我等がグガランナや扶桑の十全皇。大樹のミドガルズオルム、ファブニール。アレ等が世界を作った、という話を、貴方はどこまで信じている?」
「世界、となると科学的に有り得ませんが、少なくとも現行種族の元となる生命体を生み出したのは、僕は間違いないと考えています」
「うん。わたしもそう思う」
「……ちょっと待ってください。我が神が、原初の竜に近い性質を持っているとでも?」
「そこまで大規模ではないでしょう。ただし、小規模ではあるかもしれない」
「手に余りますね」
「自分で祭り上げたのだから、責任を持ちなさい。それに、必然だと思う」
「未来視の神に言われるとぞっとしません」
「止まる事無く歩む。貴方に残された未来は恐らく、それだけ」
「……」
「シュプリーアに関しては、都合をつける。安心して。事前の約束も履行する」
「有難うございます」
「だから少し、もう少しだけ付き合って。ここに、居るだけで良いから」
「勿論、構いません」
神エーヴがほほ笑む。彼女の視線は、まるで自身の子を慈しむようであった。
涼しい風に吹かれ、蒼い髪をかき上げる。やがてその視線は街に向けられた。ここからでも、吹き飛んだ東部地区が見渡せる。今は土建屋と船乗り、労働者達が集まり、公共道と河川の整備に勤しんでいる。個人の店舗などは、全てそれが終わった後だ。
「そういえば、神エイナールと、神マナイは」
「黒竜に取り込まれた主依代は確保した。けど、調査結果でカルミエと結託していた事が判明した。故に、再受肉は保留中。その調査というのに、グリジアヌの力を借りたの」
「なるほど、神降ろしですね」
「ええ。二柱は反省している様子」
「カルミエにそそのかされたのですね。キシミアをお前達の手に戻してやる、とかなんとか」
「そう。彼女等の心情は察して余りある。地元の神で、信徒も少なからずいる。だから、混乱が落ち着いてから再受肉」
「寛大ですねえ」
「悪い者達でなかった事は知っているから。この問題はわたしと巫女等のみで処理する。何よりも、信じるヒトの子等が悲しむ真似はしたくない」
「自業自得とは思いますが、僕に口を出す権利はありませんね」
神エーヴは目を瞑り、中空に差し出した手をぐっと握る。そしてその手を開くと、中には黒い粒、何かしらの種が現れた。
「わたしが持つもう一つの奇跡。何の利益も生まないもの。神樹『イナンナ』と同じ樹木の種」
そういって、彼女は掌に乗せた種に息を吹き掛ける。
それはやがて風に乗り、どこかへと散って言った。
「"……地に落ちた種は芽吹き、雨と土に抱かれて、太陽を目指す。ああ我が子等よ、どうか健やかに。どこまでもどこまでも、大きくなりますように"」
「この前、鯨の髭亭で歌っていた歌ですか」
「イナンナーの民を慈しむ歌。今はもう、そんな理想は影も形も無い国だけれど、この歌が好きだった。国を任せられて、本当に嬉しかったの。ここには、自分の国を作るのだと。この歌のような、民がのびのびと暮らせる国を、作るのだと」
「中々の手腕かと」
「まだまだ難しい。辛い想いをしているヒトも沢山いる。子供じみた話だけれど、わたしは少しでも、理想に近づけたい。そんな夢半ばの国を、貴方は護ってくれた。キシミア守護神、神エーヴとして、お礼する」
「ヒナのお陰です」
「あの子にとって、アレは妄執の結末。恋煩いの最終形態。きっと、貴方がまた旅立つであろうことなんて、彼女は知っているだろうし。区切り。節目」
「イナンナーに目を付けられて、ここで静かに暮らせるとは、思えませんしね。ああ、やる事を終えてから出ますから、まだ一か月以上は居るでしょうけれど」
「……有難う、キシミアの刃。異邦の救世主。ところで、お礼の品だけれど」
「あ、そうでした。キシミアでの公認と神社建立許可だけでも、十分なのですが」
神エーヴは頷き、呼び鈴を鳴らす。侍女が運んで来たのは、両手でやっと抱えられるであろう、積まれたキシミア記念金貨と……小さなランタンの中に入れられた、植木だ。
ランタンは不明だが、キシミア記念金貨はイナンナーによるキシミア完全制圧記念に鋳造されたもので、付加価値もある。金として売るよりも、コレクターアイテムとして捌けば、恐らく価値は五倍になるだろう。
……いや、多すぎないか。これだけで、キシミアの一等地に四階建てが三棟建つ。
不労所得で暮らして行ける。
「お、多すぎません?」
「貴方はそれだけの事をしたの。これでも足りないくらいだから、本来ならわたしも差し上げたいのだけれど」
「御冗談を」
「冗談? ふふ。わたしはここを動けないから。だからこそ、この『星の洞』」
「この、ランタンに入った植木ですか」
「わたしの宝物庫を開いて持ってこさせたの。これは未使用品。神話の魔導具」
「うげ」
「ふふっ、うげって。どうやらカルミエは、これの劣化版を組み上げたみたい。天才ね。調査の結果、カルミエの人造生命体がネグラにしていた場所から、類似品が発見された。オリジナル程じゃないけどロストテクノロジー。あの女は、危険」
「……まさか、これ単体でポータルを開けるのですか?」
「魔力の自動充填もするけれど、個人の魔力を消費して指定先に転移出来る。ただ膨大な量が必要になる上に、一度訪れた場所にマーカーが無いと難しいけれど。だから、神様用」
「行きたい場所に我が神の偶像などがあれば?」
「容易い。神社を建立したならば、もっと楽に行き来出来る。つまり、貴方は貴方の神の力を使ってわたしの顔をたまには見に来なさい、あわよくば抱きなさい、という事。不倫みたいで良いでしょう」
「ただのゲスでは」
「ゲスでも良いじゃない。神と褥を共にするのがそんなに嫌?」
「い、いやー……あはは」
「それに――あの子の為にも」
ランタン……『星の洞』を受け取る。華美な装飾はないが、銅製のフレームに透明度の高いガラスが張られ、中には小さな木が生えており、大変風流だ。しかし、大魔法を簡易に行使可能になるというのは、素晴らしく便利である。
というのが一般的な感想だが、軍事的な視点で見ると、もうヤバすぎて何がなんだか分からない品だ。
マーカーが設置出来、魔力が用意出来るならば、敵本陣どころか、敵本国の中枢に軍隊を送り込める。勿論ポータルの通過可能人数などもあるだろうが……暗殺者を向かわせるには最適だ。更に敵国の情報や技術奪取、破壊工作、女風呂を覗くなど、常識も理屈も通じない運用が出来てしまう。
正直、これを持っているという事実がバレるだけで、あらゆる者達から命を狙われるのでは……と、思うが、それにかえてもこんな便利なもの、他に無い。
「まあ、ヒナの為にも会いに来いとは言ったけれど、当然わたしの次いでにしなさい」
「友情ってなんだ」
「わたしは、貞操や婚姻などに拘らないから」
「……こんな大層なモノを貰って何ですが……ぼ、僕の権利は?」
「有る訳ないでしょう。だってここ、イナンナーの土地だもの。愛しているわ、わたしの英雄様」
神エーヴが頬を赤らめ、いたずらっぽく笑う。
見た目こそ幼女だが、その顔で愛しているなどと呟かれた日には、流石にコロッと行きそうだ。
ダメだぞ、ヨージ。ダメだぞ。そう心を戒める。ダメだぞ。
「ふぁぁぁ……おはよ。なんだ、優雅にお茶か。大層なご身分だな」
「大層なご身分なの。おはようグリジアヌ。貴女も協力ご苦労様。報酬はお酒が良いと言った?」
「おー、そうだそうだ」
「酒蔵から好きなのを選んで持っていきなさい」
「そりゃ有難い! 悪いが目利きだ。高いもんから無くなるぞ」
「安い神」
「いいんだよ。アタシは困ってる奴助けるのが趣味なんだから。報酬なんてオマケだ」
「それを聞くと、一転尊い神に思える」
「彼女のお節介焼きは筋金入りです。我々も助けられていますよ」
「あー、そうだ、ヨージ。アンタさあ。裸の美少女二人に囲まれて、何もせず寝るとか、どんな精神してんだ? アレコレしてもまったく元気にならないし……」
「い、良いじゃないですか。疲れてたのですよ。というか、最近そんなのばっかりです」
「ええ、ええ、そうですかい。エーヴ、この通りなんだよ。全く面倒な男でさあ」
「面倒なくらいが丁度良く可愛いもの。ヨージ」
「は、はい」
「少し視えるの、貴方の未来」
神エーヴの両目が見開かれる。銀色の瞳に、朱が混じり始めた。
未来視……神ほどに力は無く、魔法使いほどに戦える訳でもない彼女が、キシミアの都市神として揺るがぬ立場に居る、その所以だ。
彼女の力が無ければ、きっとキシミアは今頃廃墟だろう。彼女が視て、そしてヨージを引き当てたからこそ、現在のキシミアがある。
「聞く?」
「……いえ、止めておきます」
「あまり良いものではなかった」
「え、それ伝えちゃうのですか?」
「でも。わたしは知っているから」
「はて」
「――わたしが死ぬという未来も、貴方は変えた。なら、貴方自身の運命だって、きっと貴方が変えるもの」
強い、強い信頼を感じる瞳で、彼女は言い切る。
分かってはいた事だ。きっとこの先も、碌な事は無いのだろう。
ただやはり……どうあっても免れないのならば、自身の手でスラリと斬って開く他無い。
「ヒトの前でさ、見つめ合っていちゃつくの止めないか?」
「あら、ヤキモチ?」
「うん」
「なら貴女はあとでして貰いなさい。わたしは、彼の旅にはついていけないのだから」
「という訳だ。ヨージ」
「はいはい……お礼も有りましたしね……」
「にひひっ」
そういえば、グリジアヌにお礼としてキスをする、という話があった。
口約束とはいえ約束だ。履行せねば信頼に関わる。
しかしその場合、勘の良いシュプリーアに勘づかれないよう、ものすごく距離を放してから行うようにしなければ、いけないような気がする。
「取り敢えず、リーアとエオの前でしてみようぜ」
「絶対ダメです」
その場合、神エーヴの予知よりもずっと早く惨劇が訪れそうなので御免被る。
「頑張りなさい、男の子」
「ははは……」
先の事もそうだが、現状にしても、なかなかに前途多難である。




