ビグ村情勢3
石造りの『サウザンドポスト社ビグ村支社』の脇に連なる長屋のような建物から、労働者風の者達がぞろぞろと出て来るのが見えた。手や頬に黒い染みを作っていて、一仕事終えたという顔だ。
どうやら新しい新聞紙を刷り終えたタイミングなのだろう。一団は井戸で顔や手を洗うと、メシと酒にありつく為商店通りへ消えて行った。
「新聞なんて作ってるんだよなあ、こんな田舎で」
「不定期紙ではありますが、ちゃんとした印刷所も併設しているのですね」
単純計算になるが、サウザンドポスト本紙定期購読分の月発行部数は二一万部。
一部二小真鍮貨であるから、月八七五大金貨分の売り上げだ。
更に広告料なども得ているであろうし、周辺地域の大樹教広告紙なども作っているので、その年間売上は……計算すると頭がクラクラする。ちなみに、村議の月収は約六大金貨である。
儲けている。少なくとも本社は凄まじく儲けている。不定期紙を出しているビグ村支社とて、赤字は無かろう。経済的に余裕の有る相手に、金銭的な取引の持ちかけはあまり意味が無い……と思うのだが、建物を見たヨージは顔を顰める。
「で、ここ来て何するんだ。宗教の宣伝なら、たぶんしないぞコイツら」
「……え、マジですか」
「マジマジ。てか、アタシが新聞なんて便利なもの利用しないと思うかよ」
それは尤もな話だ。彼女は古風な神と違って、ちゃんと情報を重視しているし、政治的な見地から自身を村神に押し上げようとしている節があるのだから、利用しようとするだろう。
「何故でしょう」
「本社が大樹教の機関紙発行してるからな。『大樹教的見地からの中立性』で、加盟宗教以外の宣伝は、あまり好まないらしいぞ。勝手な話だ」
「ぐぬっ」
少し甘く見ていた。幾ら大樹教お抱えだからと、まさか他宗教の宣伝も許可されていないとは。
マスコミがそれで良いのか……いや、良いのだろう。民主主義的とはいえ、所詮は大樹教根幹地を抱えるノードワルト大帝国という怪物の一領地でしかないのだ、ココは。
例えば扶桑国などは確かに強権的ではあるのだが、陛下と皇族を批判するような記事でない限り、新聞社は宣伝など幾らでもしてくれる。大らかさの認識が少しズレていた。カルチャーショックだ。
「……大樹教加盟宗教ならば?」
「そりゃ当然大丈夫だろ。むしろ支援金くれる筈だぞ」
「おのれ世界宗教――」
「くっくっ……アンタだって元は大樹教徒じゃないのか?」
「ええまあ、遠からずですが、末端の神を信奉した時期があります」
あれはまだ一〇代の頃。西真夜移民区で学生をしていた時代だ。
……その神は移民区の前身であるアースタ王国民が拝んでいた神であり、力は弱いが集落神であった。王国が扶桑国に国土の一部を売り渡して西真夜移民区となると、集落神も扶桑国所属となる。扶桑国は扶桑国で国教があるので、まずそちらの神として再登録された。
のちに扶桑国と大帝国が和解し、西真夜移民区での宗教的自由が許可されてから、神は大樹教に改宗した、という訳で一応は大樹教の神である。
その神は移民が建てた社をねぐらにしていて、とても近所であったので、行事と年末年始は良く拝みにいっていた。なお、とても恋愛脳の神であり、見目麗しく、そして下半身が緩かった。
「……」
「――な、なんか思い出してたのか、ぼうっとして」
「いえ、その。若気の至りです」
「何のことだかサッパリだけど、まあ無理だからやめた方が良い」
「仕方ありません、自主宣伝に切り替えますか」
早速商会のお世話になった方が、話は早いだろう。だがああいった場所は信用が第一だ。何か仕事を手伝って、交友を深めてからでなければ訝しまれるばかりである。
ため息を吐きそうになり、飲み込む。出鼻を挫かれた程度で凹んでいてはこの先やっていけない。
暫くどうしようかと考えていると、社屋から疲れた顔の男が煙草をふかして現れた。
獣人、恐らく犬。形態は一種別(人間族寄りの容姿)年齢は三〇前後か。
短髪から伸びる無精髭、草臥れたシャツとネクタイ、煤けたズボン、まず間違いなく記者だろう。
イナンナー系ならば犬人種は高貴な身分だが……。
「済みません、この新聞社の方ですか」
「んー、ふぅーあ、あー……うん。何、オタク」
「わたくしヨージ・衣笠と言います。こちら、お金を払えば宣伝などをして頂けると聞いたのですが」
「あー、お仕事の話か。ん、じゃああれだ、上の受付で……」
「いえ、取り敢えずお尋ねしているだけです……あっと」
ヨージは身分を証明するものを取り出すフリをして、懐から財布を地面に落とす。
入っているのは大金貨と大銀貨なので、真鍮銭のような音はしない。
拾い上げながらチラリと記者の顔を窺う。
「あらら、失礼。ま、それは良しとして、こちらに印刷の委託などは可能なのでしょうか」
「あ、ああ。うん。印刷も引き受けてる」
「それは良かった。では機会がありましたら、お願いしようかと思います」
「オタクさん、商人にゃ見えないな」
「はい。宗教家でして」
「あ、宗教の宣伝かあ……大樹教加盟の宗教?」
「生憎と」
「あー、加盟じゃないと宣伝厳しいな」
「左様ですか……残念です」
「あ、ま、印刷とかはさ、出来るから。なんかあれば声かけてよ。これ、名刺」
「これは有難うございます。その内名刺などの印刷もお願いしますね」
「ああ。村神関連だろうけど、まー宜しく。俺はノブヒデだ」
「響きが扶桑的な名前ですね。ご先祖は犬神系列の神族でしょうか」
「ああ、わかるか」
「ええ」
どうやら厳密には獣人ではなく、扶桑国分類では神人に類する者だろう。相当薄まっているようだが、今も議会の後ろ辺りでふんぞり返っている犬神家の末裔だ。
扶桑国は大帝国の人類種分類を国際基準としながら、国内ではかなりの人類種を個別に扱っている。はっきり言ってしまうと、神すら人類に分類している。
神は直接的な能力を振るって戦争に参加する事を禁止されているが、別に政治に関わってはいけない、という決まりはない。そもそも扶桑は貴族王族等が神であるし、陛下に至っては……。
「数十代前な。オタクも東国生まれっぽい……てかエルフか。こんな奥地に良く来たな」
王族貴族は神とエルフがのさばっている為、当然彼の反応も少し引いたものになるだろう。
「ええ、流れに流れ。どうやらお疲れのようですし、今日はお暇します。後日一杯」
「おう、東国人なんてココじゃ出会わんから、楽しみにしてるよ」
そのような会話を終え、ヨージは愛想笑いのまま手を振って別れる。
隣で二人の会話を聞いていたグリジアヌは、何か呆れた顔をしていた。
「露骨だな」
「健康状態、身に着けているもの、金銭への敏さからするに、ビグ村支社はあまり良い財政とは言えませんね。ほら、この村はとても田舎とは思えない程建物がキッチリ整えられているのに、この社屋はあちこち罅が入っていますし、柱の一部は防腐剤が剥げて虫が食っている。本社からあまり支援は無いのでしょう」
「つまり?」
「あの記者さんを足掛かりして、少しお金を払えば、小さい村で宗教宣伝ぐらいはしてくれそうじゃありませんか」
「吹っ掛けられそうだけどな」
「ま、手段は色々あります。あまり、ライバルの貴女に手の内を見せる訳にもいきませんしね」
「あー、そう敵対視するなってー」
腕に絡みつく他宗教の神を振り払い、本日の予定を再確認する。ビグ村支社での交渉に時間をかける予定でいた為、だいぶ空いてしまった。
『暇だ』などと口にしたが最後、グリジアヌに様々な理由を付けられて振り回されそうである。
これがもう少し御しやすそうな神であるならば吝かではないのだが、見た目のワイルドさに反してかなり知的だ。こういった類は取引をした上で真っ当な手順を踏んだ協力関係が望ましい。
なので、お暇なお時間に適当なお付き合いをする、というのは、得策ではない。
「さて、では僕は狩りに出ます」
「なんだ、忙しいやつだな」
「幾ら神や僕の食が細いと言っても、食べねばなりませんしね。商会からお手伝いの仕事が来るまでは、やりくりして食つなぐ他無いのが現状です」
高等エルフ、つまりほぼエルフ純潔で繋いでいるような血族は草食が主流だが、ヨージぐらいの雑種エルフはそもそも食事を選んでいられない為、雑食が殆どだ、当然酒も呑む。
森の民らしく動物と仲良くやれ、と言われれば人間族よりもずっと上手くやれるだろうが、そんな事をしていると大変食べ難いので、動物さんは餌と割り切っている。
しかし命を粗末にするような教育も受けてはいないので、獲る動物は最小限、使える部位は全て使う事を心掛けていた。
「付き合うけど」
「いえ、他宗の神とはいえ神。お手伝いして貰うなんて気が引けます」
「そーいうこっちゃないんだけど……まー、そういうなら良いか」
それでは、とグリジアヌに手を振ろうとした所で、遠くが何か騒がしくなった様子が伺えた。
――同時に地響きのような音も聞こえる。村民が顔を見合わせた。
「何でしょう」
「火薬庫に引火でもしたかねえ」
「まさか。こんな村にないでしょう、火薬なんて」
火薬と言えば黒色火薬の事だろう。恐ろしい破壊と炎をまき散らす為、大樹教が扱いを厳にしており、こんな村には存在しない。
森林文化たるこの世において火というのは神聖かつ邪悪という二面性が強調されている。つまり少なくとも民衆においては『畏れ多い』ものだ。森の守護である大樹教は火薬の拡散を防ぐ為に、連合加盟国決議まで利用して制限している。
同様に炎を扱う魔法は高位であり、大樹教においては、ニンゲンの魔法使いにその術式が『授与』されるに通常五〇年かかる。
炎とは謂わば特権なのである。
「じゃ、森の残滓しかないな」
「……」
村に不穏な空気がある。そのような広告を見て、ヨージ達はこの村へやってきた。不穏の一因が、この『森の残滓』なのだろう。
神の残りカス。神の成り損ない。大樹教的に言えば『竜族の悪』に触れた超自然体だ。悪魔の一形態とも言えよう。
神というのは、人類種基準で言う所『理性的』である。
生まれながらに言語(全共通語)を解し、人類種(人型の生物全般)との対話を好み、自身の力を披露して恩恵を齎す代わりに、その神が好むモノを要求する。
また神は生まれながらに強力な存在で、人類種単体ではそもそも、傷一つ付けられない。
あのふわふわしたシュプリーアとて、隙だらけの容姿に性格であろうとも、人類種が殴ったところで小首を傾げられるだけである。
森の残滓は神に近い特性を持ちながら、理性が無い。対話も出来ず、取引も無い。
森の中をひたすらに徘徊する者、大岩の如く動かず時折地を揺らすだけの者、居るだけで周囲の生命力すべてを奪う者、動物を見つけて襲う者――、一番厄介なもので、火をつけて回るような奴も居る。
その容姿は神と同じく様々であり『依代』が影響する。
神が『成る』筈であった依代が汚染される為大体が醜悪な形をしており、見る者に嫌悪と恐怖を与える。一番多い者は樹木だ。続いて岩。特殊なものではその土地に発生する霧、なんて滅茶苦茶な者もいる。
「現状、村には神が三柱いますよね」
「ああ、ただ居るだけじゃ意味ないけどな」
この世のありとあらゆる土地に存在する集落、村、街には必ず守護となる神が居る。
守護を受け持つ神は己の縄張りのようなものを持っており、この力が展開されている間は、森の残滓は絶対に近づかない。
この村は正式な神が居ない。故に、森の残滓が襲って来る。ただ――
「ほいほい襲って来るような、気性の荒い残滓なんて、多くないと思うのですが」
「良く気が付いたな。ま、何かあるんだろ、きっと」
「ふむ、仕方ありませんね」
ヨージとグリジアヌが爆発音の聞こえた方向へ走り出す。煙は上がっているものの、これは砂煙だろう。では単純に暴れるだけの者だ。