頼りなき者達6
が、そうでもなかった。
「本当に申し訳ありません」
ミネアが平謝りをしているのは、つまりヨージ達の仮住まいに関してだ。
「納屋ですな」
「納屋ですねぇ……」
「雨風凌げれば、良いよ」
そこまでは期待していなかったし、納屋であっても悪くはないと考えていた。だが古すぎる。しかも村の端っこだ。
ボロボロの戸を開けて中を覗くと、申し訳程度に『ヒトが住めます』と手入れされた空間が広がっている。そして神に信徒がいる事を考えていなかったのか、ベッド一つだ。
「まあ、僕は良いのです。野宿が常ですからね……しかし、神をなんだと思っているのでしょう」
「その、言い訳になってしまうのですが……前任の神が去ってからというもの、宗教管理課に割かれる予算が減ってしまいまして。しっかりと手入れをしたのは、立候補された二柱分で……」
無い所に金など出さん、という非情さは良いとして……この村に神が集まらない理由は、その政治体制だけではなく、敬う心の無さなのではなかろうか。
当然力の無い神は誰も敬わないが、それにしたって超常に対する畏れが無いと見える。
力の強い神を見た事がないのかもしれない。
もし、力の強い神が後先考えず奇跡を使った場合、こんな村、一晩で消えて無くなるというのに。
「前任の神が消えた理由が何となく察せますな」
「前任は雨秤という神でした。雨を幾分か操り、豊穣の神として作物を齎していたのですが……」
「ミネアさん。取り敢えず、これはこれで構いません。立候補もします。ただ、幾つかお願いしたい事が」
「はい。出来る限りでご協力させて頂きます」
ヨージはミネアに幾つかの頼み事をする。
ミネアは少し目をパチリとさせたが、納得した様子だ。
「ではそのように」
「ご依頼のモノなら、すぐ用意できます」
「契約書関連も、そちらを持ってきてもらった時にですね」
「はい。寝床なども、何とかするよう申し出てみますので、宜しくお願いします」
そういって、彼女は去って行く。
リーアは早速寝心地の悪そうなベッドを占拠し、エオも気疲れしたのか、筵の上に座って身体を伸ばし始めた。
ヨージは天井を仰ぐ。高い。しかも穴が開いている。壁もあちこちと節が抜けて、この時期はまだまだ寒そうだ。
打開せねば。
そしてこの不遜な村に信心を齎さなければならない。
「よーちゃん。あのヒトに、何かお願いしたの?」
「はい。この村の資料です。ここは民主主義という政治体制でして、村民自身が政治に介入して、物事を決めます。なので、村の情報はおおやけにされていなければなりません。資料はすぐ集まるでしょう。僕がやる事は、まずこの村がどんな仕組みで動いていて、誰が力を握っていて、何がウィークポイントか探る事ですから」
「みんなが選んで、みんなが決める村……力を持っているのは、村人みんなじゃあないの?」
「そうです。建前上。ただ、代議制ですから、皆が選んだ代表者がいるのです。その選出された代表者たる議員は高額の報酬を受け取っているでしょうし、その金と力で村人達の意見すら捻じ曲げられる」
「そうなの?」
「ええ。西国の小国などではもっと厳格な決まりで雁字搦めにされて、不正も働き難いと聞き及んでいますが、ここは所詮実験的な村社会です、選ばれた者というのは、大体地主でしょう。そういった人達の利権、権力は推して知るべしという所です」
「調べると、どうなるの?」
「何か不正な支出があるかもしれない。不法な献金などを貰っていたり、税金逃れに不合理なお金の動きがあるかもしれない。そういったものを少しでも探って、突き止められたなら……神様を選ぶであろう議員に『お願い』出来るでしょう?」
ヨージの話を聞いたリーアは、一〇秒ほど頭をぐるぐると回し、目をパチクリとさせた。
本来もう少し簡単な方法を取るつもりでいたのだが、政治が面倒となればやる事も面倒になる。しかしだからといって退散する気は微塵も無い。
「よーちゃんは」
「はい?」
「よーちゃんは、どうしてそこまでしようと思うの?」
「何をおっしゃいますか。僕は命を救って頂いた。僕なんてものはあのままのたれ死ぬだけの生物だったのです。ではこの命、救済者たる貴女にこそ捧げて当然です」
「本当だ」
「本当だ、とは」
「下心が見えないの。でも、何か隠してる」
「うっ……」
リーアの視線が突き刺さる。流石我が神だ、とヨージは納得する。ヨージの言葉には嘘などない。ただ、一切自分の利益を考えていないかと言えば、それは違う。
「ヒトは隠し事をする生き物だって」
「はい」
「エオちゃんもそう」
エオに視線をやる。馬車に長く揺られた所為で疲れたのか、筵の上で伸び上がって寝息を立てていた。
……修道女が、一柱の神を仰いで外へと飛び出したのだ。
大樹教は金がある。修道院もなかなかに裕福であると聞く。つまり、そんな安寧から抜け出してまで、彼女が求めたものが、この神にはあったのだろう。
そして、抜け出さなければいけない理由もまた、あったのだ。
「私は、神として生まれたの。どこで、どういう風に生まれたかなんて、覚えていないけれど。気が付いた時には森の中に居て、でも、そのままじゃいけないような気がして、ヒトの居そうな場所に出て来たの。エオちゃんね、怪我してたの。崖から落ちたみたいで。たぶん……誰かに、落とされたって」
「……――」
「あんまり、詳しく話したがらないけど。すごく、寂しい想いをしていたんだと思う。それにきっと、よーちゃんも。あれは矢傷。戦争?」
「……いいえ」
「うん。いいの。話したくなったら、教えて欲しいの。私が、告白するに値する神だって、そう思った時に。私は、その、まだ、ヒトは苦手だけれど……貴方達みたいに、寂しそうな顔をしているヒトに、寄り添って癒すぐらいは、出来る。たぶん、それが、生まれた意義だから」
饒舌ではないリーアが、一生懸命に言葉を紡いでる。己の心を、下からそっと支えるような言葉に、ヨージは不覚にも目頭が熱くなってしまった。
自分の選択は、間違いではないのだ。出会うべくして出会ったのだ。
「だからね。この村で、失敗したとしても。無理、しちゃだめだからね」
「温かいお言葉、感謝に堪えません。我が神の言葉に従い……身の安全を第一として、僕と、そしてエオ嬢は、貴女様の下に広がる栄華の為、努力して行きます」
「うん」
慈愛に満ちた顔は、そこにあるだけでまるで太陽だった。
ヨージは実際のところ、信心なるものを全面的に肯定している訳ではない。尊いものを敬う気持ちこそあれど、心酔する程の神など知らないからだ。
森の民、そして現世界の人民すべてにおいて、神とは自然そのものである。当たり前に寄り添っているものだからこそ、強い気持ちは薄れがちだ。
しかしこうして目に見える奇跡がある。その奇跡は自分を救い、生きる気力と目標を与えてくれる。ヨージは東国の礼法に従い、正座し、深く頭を下げた。
「少し休むね」
「はい。ごゆっくりお休みください。ベッド、硬いでしょうけれど」
「二人がいるから、そうでもない」
リーアがベッドに横になる。それを確認してから、ヨージは懐から紙と鉛筆を取り出し、早速作業にかかった。品質の悪い茶色紙に思いつく限りのものを書き出して行く。
(……民主主義ねえ)
西方の小国で一部、東方でも代表者合議による半民主主義的な制度をとっている国がある。この村の代議制というやつも、状況からして後者のものに近いだろう。
さて、力を持っているのは大地主か、アインウェイク家に連なる人物か、はたまた商人か。その全てもあり得るだろう。
(たしか村の公認商会があったな……あっ)
思いを巡らせ視線をあちこちと飛ばしていると、とある事に気が付く。
目の前の壁。そこに紙が詰まっている。節を埋める為に詰め込んだものだろうが、文字が沢山書いてある。引き抜いて取り出してみると、それは新聞である事が分かった。
サウザのものかと思いきや『ビグ村不定期報』とあり、地方紙だ。発行は『サウザンドポスト社ビグ村支社』となっている。三年前の記事には、サウザでの出来事、大帝国首都での流行り、ビグ村のイベント告知や面白記事などが見て取れる。
(マスメディア戦略かあ……門外漢だなあ……あいつら苦手だし……)
ブン屋の類に良い思い出は無い。無いが、金を出せば宣伝はしてくれるであろうし、議会よりも御しやすそうだ。何せ彼等は反権力をしていないと呼吸が出来ない生物であり、もしかすればビグ村村議のスキャンダルを掴む糸口になるかもしれない。
(あとは、アインウェイク家に直接的なコネクションがあれば、上から圧力もかけられるだろうけど、少し難しそうだな。ミネアさんの反応を見ても、アインウェイク家からの干渉は受けたくない様子であるし)
貴族領地の中に存在する独立行政。なんとも奇妙な立場の村がここだ。
自分達の生活は自分達で支えているのだ、という矜持がある為か。
それともアインウェイク家様のお手を煩わせるような事をしたくない為か。
「失礼しま! ……す」
「あ、ミネアさん。お早いですね」
腰が治った調子で元気良く扉を開けようとして、中を覗いたら二人もご就寝では、そのような反応になるだろう。ミネアはコソコソと扉を閉めて、ヨージに近づく。
「ご注文のものです」
そういってミネアが取り出したのは『アインウェイク子爵領地図』『ビグ村周辺地図』『村議総覧』『ビグ村農業白書』『ビグ村商業白書』『ビグ村建築白書』その他おおやけにされている資料だ。
「良いのですか、こんなに」
「ええ。役場図書室に複数冊、肥しになっているものですから。私名義で一週間借りているので、延長の場合でも、不要な場合でも、声をかけてください。それと、これ」
ミネアが懐から、大きな葉で包まれたものを差し出す。受け取ると少し暖かい。食べ物だろう。
「何から何まで済みません。借りが出来てしまいましたね」
「とんでもない! お医者さんなんて張り薬を出すだけですし、運動しても伸ばしても痛いし、ずっと悩んでいたんです。この腰痛。それが、全く無くなったなんて、まさに奇跡です。動ける事がこんなにも素敵だなんて、すっかり忘れていたんですよ。だから、こちらこそ返しても返しても足りません」
「それです」
「はい?」
「我が神は、ヒトのその喜びが欲しいのです。今度是非、直接言ってあげてください。喜びますから」
「あ、あはは。お兄さんみたいですね」
「ですから、頑張りませんと」
「うふふ。そうですか。分かりました。また何かあれば、言ってください。あ、少し薄いですけれど、敷布団を後で運ばせますので」
「お仕事早いですね……」
「伊達に、役職ついていないので」
ミネアが自信あり気に、小さく力こぶを作ってみせる。まるで少女のような仕草に、ヨージも思わず綻ぶ。あと、例に漏れず西国人は胸が大きいので、そんなに近くでアクションするとすごく揺れるのが見えてすごい。
「こちら、立候補の書類です」
「確かに。今日中に処理します。ではでは」
「はい、有難うございました」
小さな動作で下がって行き、扉を音もたてず閉める。
初対面時のキリリとした表情が嘘のようだ。健康とは性格も明るくするのかもしれない。
(ミネアさんには今後も役立って頂こう。一番のコネクションであるし。もしかしたら、僕等以外の初信徒になるかもしれないし)
打算兎も角、身内の居ない場所ではあのようなヒトの温かみが大変沁みる。
(ふうむ。まずこれを読み込んで……か)
備え付けられていた樹石結晶灯器を灯す。
己を知り、他を知り、考え抜いて、出来る限りの手段を講ずる。
金も権力も地位も名誉も無い者が伸し上がるに必要な事は、最善であろうとする努力のみであった。
しかし幸いな事に、自分達には、自分達を一番心配してくれる神が居る。
その分だけ、他の持たざる者達からすれば羨ましい事だろう。