キシミア自治区1
ビグ村編までのあらすじ
ヨージを死から救った神、シュプリーアと神官エオ。だが神はまだ生まれたばかり、神官のエオは常識知らずと、とても生き抜く力の無さそうな一柱と一人だった。
今後の為にもと宗教団体『治癒神友の会』を立ち上げ、ビグ村の村神募集に応募する。出来たての弱小宗教故に苦戦は強いられるだろうと予想していたが、どうやらビグ村は世間一般の村とは違い、神をあまり敬わない場所であった。苦戦どころか戦いになるのかすら怪しい。
ヨージは四方八方に手を尽くし、リーアを村神にすべく奮闘する。だが、やがてこの村が『意図的に』信仰を抱かないようになったのではないか、という疑念が持ち上がる。
そんなさなか、森の残滓と呼ばれる怪物が襲来、また村の井戸に呪いが掛けられるという事件に遭遇する。一連の事件には前村神の宗教団体である雨秤教団が関わっているのではないかと怪しんだヨージは、雨秤の娘であるミュアニスを保護し、村を去ったという雨秤教団の隠れ里へと向かう。
雨秤教団は既に、この世界では滅ぼされた筈の火の神によって支配されていた。同時に村へ森の残滓が襲来、ヨージは経験を生かしてコレの撃退に奮戦する。やがて現れた領主の騎士団によって難を凌ぐも、その領主であるアインウェイクこそが曲者であった。
村が信仰を抱かなくなったのも、滅びた筈の火の神が荒ぶるのも、アインウェイクの策謀であった。信仰を証明する為だと宣うアインウェイクに強制的に火の神討伐を任されるヨージ一行。逃げようと進言するも、シュプリーアはそれを却下。
火の神の勢いを、雨秤神の娘であるミュアニスに信仰を集めるという強引な策で、なんとか弱体化に成功、いざ雨秤教団の隠れ里へと向かうが、敵は神一柱だけではなかった。
原初の存在。この世を統べる竜の娘。大宗教大樹教の竜罰代行。竜精フィアレスが現れる。ヒトはおろか、神すら敵わぬ敵を前に、ヨージは切り札を切らざるを得なくなる。
女皇龍脈。大樹扶桑の子にして大帝国に拮抗する女帝十全皇が保有する力の根源を用い、何とか竜精フィアレスを撃退。ミュアニスもまた神の力を借りて火の神を退ける。
驚愕の事態にアインウェイクも観念するが、恩を売る形で手打ちとする。ミュアニスの信仰が戻り、またシュプリーアを同時に祀る事で、村は当たり前の村へと戻り始める。
宗教団体としての本拠地、安住の地を求めて、治癒神友の会はビグ村を離れ、交易都市キシミアを目指す。
イナンナー部族連合王国キシミア自治区
ほんのりと夏の気配を感じる風を受けながら、運河の注ぎ込む大ホロゥ河を下る。大変な水量があり雄大なこの河は三か国に跨り、この河を巡った争いも多々起きた。
河を下った先にある港の国が、目的地キシミア自治区である。連合王国とは離れており、数十年前は大帝国との一大決戦場として戦火に見舞われ散々な目に遭った土地だが、今は連合王国が実質的に支配し、北方、南方大陸及び中央と取引のある貿易商業都市となっている。
「外国なんて初めてですよー。言語は?」
「一応イナンナーの土地なので共通部族語ですけれど、商売相手が大帝国ですから大半が大帝国語で通じますよ、ご心配なく」
「色んな土地のヒトが居るってお話でしたねー」
「貿易都市ですからね。連合王国本国は、ここを北方大陸南部の拠点として貿易しています」
ここで買えないものは無い、という程の物流が飛び交う場所であるから、物もヒトも溢れんばかりである。神が築いたとされる城壁が覆う城塞都市でもあるが、今は城塞をはみ出して民家や商店が建てられている。
海からの入り口にも壁が築かれており、この壮大な景色を見る為として観光に訪れる者も多い。また火山が近い為、温泉地でもある。
ビグ村を発って三週間が経つ。
険しい山道や渓谷を超える間に色々とあったが、旅は比較的順調だ。キシミアは目の前であり、ここまで来るとキシミアの軍隊が巡回警備しているので、山賊に襲われる懸念も無いだろう。
「我が神、そのお召し物、如何です?」
「可愛い。すき」
「それは良かった。良い買い物でしたね」
「んー」
乗合船の甲板に設けられたベンチに座り、我等が神シュプリーアが満足気に頷く。
乗り合った商人から買った服は一見すると喫茶や飲食店の給仕のようであるが、西国女性向けのゆったりとしたフリル付きのシャツ、装飾の施されたコルセット、短めだがしっかりと作られたスカートが、リーアのご立派なスタイルを強調しつつ優しく包んでいる。
可愛らしい。我等が神がナンバーワン。そう思わずにはいられない。多少値は張ったが、神様にいつまでも布一枚を羽織らせている訳にもいかない為、思い切って購入した。
そもそも前の服は何なのか……気が付いたら脱いでいたので分からないし、気が付くと着ているので分からない。たぶん神様の謎物質で出来ているのだろう。すごい。
「しかし……」
三週間程旅を続けて、漸く目的地に辿り着ける。ビグ村を出る直前からついて来た神グリジアヌは、思ったよりもずっと大人しくしていた。夜になると当然のように添い寝して猥談を始めたり、暇になるとヨージを誘惑したりはするが、流石は旅の達人で、不測の事態にも淡々と対処するのが何とも頼もしい。
今は操舵室の上に座って遠くを眺めている。風を受けて腰布がヒラヒラと舞っているのでいつ中身が見えてしまうかと恐ろしいが、彼女もやはりリーアと同じく神だ。見えないのだ。
「そういえば、キシミアにはお知り合いがいるとか?」
「ええ。元扶桑陸軍の軍属技官です。技術士官ではないので、軍人ではありませんね」
「男性です?」
「いえ、女性です。扶桑の植民地から本国に召還されたハーフドワーフでしたね、たしか。応用錬金術師ですから、博識で知己に富んではいるのですが……」
自分が陸軍省に居た頃を思い出す。
戦地を点々とした後『英雄が死ぬと士気が下がる』として内勤を命じられ、その後目敏い、という理由だけで陸軍魔法科学研究所の常駐監査役を任されたのだ。
丁度魔法科学技術における大帝国との見劣りを気にした本省が、躍起になって技術屋を集め始めた中に居たのが、彼女『三三寺ヒナ』(みさんじ)である。
入植民と現地民の間に生まれた子であり、扶桑人間族と南方ドワーフ族のハーフである。お互い別種の血が流れているという事もあってか話が合い、監査(という名の軟禁)の合間を縫って良く飯を食べに行っていた。
ドワーフの血が良く出ているのか大変な健啖家であり、その見事な食べっぷりは、将来一緒になる旦那さんの収入を気にしてしまう程である。身の丈はヨージの半分で、扶桑ではあまり見ない緑色の髪を短く結った、愛らしい容姿の女性だ。
なお、とても胸が大きい。
あの身長で……?
あの大きさ……?
どうかしている……。
「我が神ぃ、ヨージさんのあの顔……明らかにおっぱいの事考えてます……」
「好きだもんねえー」
「ハッ。失敬な。ヒトをおっぱい星人みたいに。兎も角、小さくて可愛らしい方ですよ。性格は……だいぶ豪快ですが」
その上で更に、自分が可愛い事を自覚しているわるいニンゲンである。
「ん、んんっ。その、本当に人当たりが良くて、頭が良い方ですから、信頼も出来ます」
「良くキシミアに居るなんて分かりますね?」
「数年程前でしょうか。任を終えて移住したから来いと手紙がありまして」
内容を語るのは憚られるが、任期を終えて地元に帰るでもなく、キシミアに移住したからお前も来い、というものであった。扶桑とイナンナーは四年前程に講和を結び、今は不可侵である。一応敵国の領土であるキシミアに元扶桑の技術屋が移住して大丈夫なのだろうかと思ったが、そのあたりは不明だ。今更漏らして困る情報は持っていないのかもしれない。
「仲良かったんですか?」
「まあ、友人程度には」
「ヨージさんの友人程度という言葉に対する信用度が無いです!」
「ほ、本当に友人ですよ」
何もなかったか、と聞かれれば答えに詰まるが、友人である事に違いは無い。
……エルフ族ではヒヨッコでも、人間族からするともうオジサンなのである。
色々あるのだ。いや、あったのだ。
「よーちゃんは、私達よりずっと年上だし、私達では経験しないような事を沢山して来ただろうから、あんまり責めちゃダメ」
「えー、我が神、なんか懐がふかぁい……」
「エオ嬢も見習ってください。さて、あと一法刻もしないうちに着くでしょうから、荷物纏めておいてくださいね」
「はぁーい! あ、あれが城壁? たかーい!」
「エオ嬢、お早く」
「はーい!」
視界の端に映ったものを見てから、ヨージは一人と一柱に指示する。グリジアヌに目配せすると、彼女は頷いて船内部の共有スペースに入って行った。
船が近づいてくる。木造だが外には鉄板が張られており、船体の横には『キシミア守備軍』の文字が有る。軍隊様のお出ましだ。
別に神を見かけたからなんだ、という事はない。問題は女である事である。
イナンナー部族連合王国は超母権国家だ。世の中の一般的国家の男女関係を反転させた上で、更に女性が強い。つまり超強化版かかあ天下であり、弱々しい女など見つけた日には睨みつけられて尻を叩かれるのが相場である。
グリジアヌは大丈夫だろうが、一応気にしてあげるフリをするのが集団生活のコツだ。
「検問である!」
凄まじくデカイ声が響き渡り、魔動力エンジンの音まで掻き消えそうだ。
乗合船に横づけした警備艇から勇ましく飛び乗って来たのは三人。二人はキシミア地元の人間族だろうが、一人は身長が高い獣人だ。第一種別である。ほぼ人間族だが、耳の位置の違い、毛深さ、尻尾の有無と違いがある。第三種別まで存在し、第三種別となると顔も身体も獣に近く、生命力、身体能力が高く、また高位である場合が多い。
獣人は獣の神を祖としている種族で、その一大信仰を築く宗教が地母神教だ。
三人ともキシミア守備軍警備隊の夏季軍装。まだ夜は冷えるというのに半袖短パンとは恐れ入る。流石に鍛えているらしく、女性だてらに腕や脛に筋が見える。装備は単発式の魔撃銃に銃剣付きだ。イナンナーの銃は質が良く、過去酷い目にあった記憶が有る。
これで千里眼魔法など操る者の狙撃など、考えたくも無い。
「ふむ。おい、お前」
さて、さっそく声がかかった。見るからに東国エルフであるヨージだ、イナンナーの軍隊が見逃す筈も無い。やって来たのはリーダー格の獣人である。
「身分を証明出来るものは」
「ええ、どうぞ」
といって懐からアインウェイクに貰った証明書関係を提出する。サウザ市民権証明書、それとアインウェイク子爵閣下御感状だ。
「ほう。武人か。遠目からは優男に見えたが、なかなか良い体つきをしている。顔も良い。扶桑人なのは気に入らんが、あのアインウェイクがなあ。ふむ。励めよ、益荒男」
「有難うございます」
流石、流石アインウェイク。その名声は他国でも通じるか。苦労した甲斐があったというものだ。もし身分を証明するものも無いければ、捕まりこそしないが、思い切り蹴飛ばされていただろうから、やはり身分証明というのは大事だ。
「おい、お前」
「はい」
ほっと胸を撫で下ろす。基本的にはキシミア守備軍の権威維持の為の検問行為であるから、根掘り葉掘りは調べない。船倉内まで足を踏み入れる事も無いから、女は船の中に居れば良いのだが……タイミング悪く出て来た女性が居る。
長いブロンドの髪。質素だが品のある服装に、一番目を引くのは大きなお腹だ。しかし化粧の仕方が一般人ではない……娼婦だろう。
「身分を証明出来るものは」
「こちらです」
「元キシミア市民……か。身売りが戻って来て何をする?」
「……この子は地元で育てたいと思いまして」
「ハッ。男に股を売る女の、どこの種かもわからんガキをか」
良くない気配だ。イナンナーで春を売る事を許可されているのは、神殿を守護する巫女と、許可を得た娼館だけで、それ以外の売春行為は全て蔑みの対象であり……その守護者たるイナンナー所属の軍隊の、しかも女軍人が良い顔をする筈も無い。
彼女達的には神聖な行為なのだろうし、それを信じているヒトも沢山いるだろう。だが娼館を国が許可制にして税を巻き上げている訳であるから、運営側としてはつまり商売敵を増やしたくないのである。男は気持ち良くなりたければ国に金を払え、という事だ。分かり易い。
しかしどうにも間の悪い女性である。
「済みません……」
「覇気が無い! 弱々しい! 腐った男か貴様は!」
そういって女軍人が女性の胸倉を掴み上げる。
「……」
「なんだその顔は。これからその汚い股からガキをひり出すんだろう。もう少し気合を入れたらどうだ、ああ?」
本来こんなものには触らないのが一番だ。キシミアの軍隊に目を付けられたら後が怖い。まして情報が本国にまで送られて、工作員だなんだと理由を付けられて処罰を受けるなんて洒落にならない。
が、やはり。
「まあまあまあ! お嬢さん、落ち着いてくださいよ」
「お、おじょ?」
暴力はいけないと思います、という風にして間に割って入る。胸倉を掴んだ腕を引きはがし、その間に立つ。
「その身分がどうあれ一キシミア市民ですよ彼女は。キシミア市民を護らないキシミア守備軍がありますか」
「あ、ぐっ、お前、手を」
「おっと、失礼。華奢な腕だったもので」
「華奢!?」
「鍛え方が足りません。体のバランスも悪い。右に三度傾いている。普段の姿勢矯正、トレーニング法の改善。あと肉を食いすぎです。食生活も見直しましょう。貴女達はキシミアを象徴する守備軍の、検問班なのでしょう。看板が不出来では本国の顔も立たない」
「な――貴様、偉そうにずけずけと――ッッ」
女軍人が拳を振り上げ、ヨージの顔面を強かに打ち付ける。
「足りませんね」
「ぐぬっ……貴様、卑怯だぞ――ッ」
簡易に張った魔法障壁が女軍人の拳を受け止める。簡易とはいえ拳で貫けるほど弱くはない。基本的には魔法などで飛んで来た木や岩の破片を弾き飛ばすものであり、リフレクタの名の通り、衝撃は跳ね返るので、素手で殴ったりすると痛い。
「しかし軍人の傷害ですか……キシミアではそのような行為が容認されているのですか?」
「そんな訳があるか!」
「ならこれはなんでしょう。キシミアには法廷が無いのですか?」
「じ、人治国家じゃあるまいに、有るに決まって……」
「ならばやめる事をお勧めします。キシミアの品位を貶めて、売国奴と罵られたくなければ」
自分の発言ではあるのだが、なんともうすら寒い言葉である。以前は自分もそのように呼ばれていた。『龍の意図にそぐわぬ大うつけ者』『国家そのものたる龍をそそのかす売国奴』
鼻で笑ってはいたが、いざ自分で使うと寒気がする。
が、軍人にはこのぐらいの脅しが丁度良い。
権力の末端である彼女達が権力という笠から外れる事は即ち死を意味する。違法行為は厳罰で然るべきだ。それは国家統制に必要な権威であり、合理的な判断の結果に齎される制裁である。それぐらいは理解しているだろう。
お互いの為にも無法な行使は止めるべきだ。
彼女達が一般人に振るって良いのは暴力ではなく法である。
「も、もう一発」
「うん?」
「もう一発殴らせろ。それで終わりだ」
「構いません」
が、権力集団ではなく一個人として取引するならば、別に構わない。イナンナーらしい、負けず嫌いの女性だ。顔を真っ赤にして涙ぐんでいる姿を見ると、むしろ愛らしく感じる。
「ふんッッ」
「残念。魔法障壁を突破する術を得る努力をすべきでしょう」
「ぐぬぬぬぬぬぬッッ――もういい! ふん! いくぞ、お前等ッ」
「先輩顔真っ赤……ぶふふっ」
「可愛い所有るからねえ、先輩。ごめんね、エルフさん。あ、今夜どう?」
「丁重にお断りします」
「ふられた!!」
「お前見境無いなあ」
調子の良さそうな二人が茶化しながら、リーダーに引っ張られて警備艇に戻って行く。
ここはキシミアであるから、まだ良い。恐らく本国である場合、問答無用で拘束だろう。自治区よりも本国の方が法的に未熟である、なんて国はどこにでもある。
取り敢えず、場は収まった。今後あの女軍人に遭う事もあるかもしれないが、確率は低い。城塞に囲まれた自治区であると言っても、小国がすっぽりと入っている城塞だ。まして検問班では日がな一日城塞の外である。
こんな調子で大丈夫だろうかと、多少思わないでもないが、キシミアはイナンナー気質の者は少ないと聞くから、彼女のような女性に囲まれて肩身を狭く生きる心配は無いだろう。
「カラダに障るといけません。中へ、お嬢さん」
「有難うございました……何かお礼を」
女性が静々と頭を下げる。その腰の低さは扶桑の女性のようだ。垂れた目に泣き黒子。すっとした鼻と魅力的な唇。胸……は妊娠している事もあってか大きい。いや、元から大きいのか。さぞかし人気があっただろう。
「要りません。世知辛い世の中ですが、無償の助力が有っても良いと僕は思います」
「身重でなければ返すものもあったのですが……」
「とんでもない。さあ、風に当たるのは良くない」
「はい」
実に色っぽい。ハッキリ言うと好みであった。己の身が軽く、まるで気負うモノも背負うモノも無いのならば、喜んでお相手したいのだが、許される身の上では無い。
(我が神の力を考えると、社会的弱者救済を名目にした方が聞こえが良いか。貴族様相手じゃ何させられるか分かったものでも無いしなあ。ま、ヒナに要相談か)
これから赴く国を鑑みるに、ビグ村のような動きは出来ない。いや、そもそもビグ村での動きが普通ではない、が正しい。
完全に人様の土地であるから、まずは役所で宗教活動許可証を得て、国の主要な神に挨拶をして(この場合キシミア守護神と各地域を任されている神)、活動拠点を決めねばならない。
やる事は沢山ある。
「今度は、何事も無いと良いけどなあ」
一応希望はする。しかしヨージの人生において、それが叶えられた試しは無い。




