既知の知2
「長い事生きていると、世の中の常識というモノに疑問が生じて来る。最初は百歳の頃か。しかし大樹の御心を信じる私だ、その考えが不敬であると思い、封印した。やがて忘れるだろうと。しかしまた百年、また百年と重ねると、この世の在り方そのものに対する違和感は膨れるばかりだった。なんとなく、解るだろう、ヨージ・衣笠君」
「……――」
「例えそれが強権的でなくとも、ニンゲンは何故神の庇護下に置かれなければいけないのか。神に伺いを立てる必要があるのか。私が信じるものは大樹『ユグドラーシル』であり、古竜のお三方だ。どこの出かも分からぬ神などではない。しかし如何に疑問に思おうとも、それがこの世の理であり、神とヒトの最古の契約だ。そして私は子爵、民を預かる者として、勝手は出来ない」
「しかし、疑念は払拭出来ず、やがて機会が訪れた、と」
「そう。なんと私の領土に、都合の良い場所が在り、都合の良い神が居た。それがビグ村であり、火の神『インガ』だ。まさか大粛正を生き延びた火の神が、この私の足元に居るなど、思いもしなかったが……あとは君が想像する通りだろう。私は神を殺し、大樹教教会を退け、神の就き難い土地を、出来る限りニンゲンの力だけで運営するよう、村に申し付けた」
それは、長い構想と永い年月に及ぶ行いだ。
大樹の御心を信じるあまり、大樹以外の存在を何故拝まなければならないのかと、疑問に思った者の信心からの信心欠損である。
この発言の何が恐ろしいか。
隣の参謀は筆を止め固まってしまった。
隣の侍従は完全に震えている。
我が神は欠伸を一つ。
大神官様は……相変わらずである。
今行われたのは、つまり――犯罪告白である。
「大樹教の法に、村神の扱いについての項目があります。村神を妄りに犯してはならない。村神の有益な奇跡は村を挙げて宣伝せよ。村神の奇跡で利益を得た者は、必ず還元せよ――……今、あえて私が、口にする必要など、無いかと、思われますが。アインウェイク子爵閣下」
ヨージが構想した、村を黙らせるその方法とは、この事実を突きつける事だ。
ビグ村は村神を一切敬わず、利益還元も行われていない。この事実を大樹教が知れば、タダでは済まされない。調査官が調査に入り、責任者は確実に罰せられる。
しかしそれはあくまで村神に対する不敬の行いが、村主導であるとする場合だ。
子爵が御自ら『俺が犯人だよ』などと開き直っている場合、脅すべきトカゲの尻尾である村を飛び越し、本体へ攻撃する事になる。
そうなれば少なくともヨージがタダでは済まされない。
(僕、慎重で良かったな――)
あのまま『順調に脅せる』手順を踏んでいたならば、危うい橋を渡る事になっただろう。
「はは。まあ君ぐらい博識なら、この村が法を犯している事実に気が付くだろうし、それをネタにあの村長を脅せるんじゃあないかと、考えるだろうさ。ああちなみに、大樹教の調査官が入っているのも、当然把握している。別に殺さないし、罰さないよ。何せ私が犯罪者だからね。更に、神まで無断で殺したとあらば――それは竜精の領分になる。生憎老い先が短い。永い信仰の果てにあった、最期の疑問を解決したかったんだ。命はもう考慮されていないんだよ」
……が、彼の言葉はヨージの想像の上を行っていた。
「して、結果は」
「失敗さ。駄目だね、コレは。神はどこからでも現れる。何度でも村に就く。神の祟りは百年経っても減りはしない。まして、力をつけて戻って来る始末だ。私はね、ヨージ君」
「はい」
「君達の存在が必然であると思っている。如何に隠そうと、不心得者には竜の罰は確実に降り注ぐ。それだけでも、信仰を改めて確認出来る偉大な事だ。君達は私に対する鉄槌だ。例え出自が分からぬ神であっても、結局は大樹に連なる尊い存在であったと――その証明が出来たと言えよう。そういう意味でならば、この実験村は、大成功だ」
子爵閣下が嗤う。信仰を証明する為に、彼は村と神を巻き込んだのだ。強い信心を抱いた事の無いヨージには、多少理解に苦しむ。
あらゆるヒトと神を犠牲にしてまで成り立たせる個人的な信心など、邪悪でしかない。
ヨージは頭を抱えそうになるのを堪え、咳払いを一つした。
「雨秤をご存じですか」
「ああ。前の村神だね。火の神の祟りを抑えきれなくなり、逃げたと聞いたが」
「状況から言って、雨秤は火の神と対峙し、そして死んだと思われます」
「それは、痛ましい。逃げなかったのかね、かの神は」
「……」
この事実について、彼に追及した所で無意味だろう。真実を知っている訳ではないし、彼の抱く神に対する感情など聞いても得るモノがない。だが、一時とはいえミュアニスという娘を保護した立場からすると、その無慈悲さ、薄情さには辟易とするものである。
「いいえ。それでは、私達はこれで退散します。一先ずサウザまで戻って、練り直しですかねえ」
「――コラコラ。何を言っているのかね」
「……如何なさいましたか、子爵閣下」
「私は説明しただろう。君達は私に対する鉄槌だ。ここまで知っていて去るなんていうのは、随分惨いじゃあないか」
「どのような意味でしょう」
「火の神を放置して行くのかね。今更他人面はさせないよ」
「……確かに、私は残滓程度ならば、何とか出来ます。しかし火の神などとても倒せない。失礼を承知で言うならば、ご自身の身から出た錆です、ご自身で処理なさってください」
「ははは。なるほど確かにそうだ。私達は『第二陣』として構えよう」
最悪だ。
あの含みはコレであったか。
子爵閣下――いいや、アインウェイクは、ヨージとリーアを火の神にぶつけるつもりでいる。グリジアヌすら操るような神に、ヨージとリーアが対抗出来る筈もない。少なくとも、現状では無理だ。
「驚きです子爵閣下。この期に及んでご自身の命を気遣うとは。もう考慮されていないのでは?」
「折角ココまで来たんだ。更なる証明をして貰うまで。君達が火の神を始末して戻った暁には、私の悪事を大教会に暴露する事を止めはしないし、竜精の粛正魔法をその一身に受けるつもりでいるよ――君達は私に対する竜の鉄槌。それが真実ならば、何、火の神など大した事はないさ。君達の正しい行いによって信仰は証明され、私は塵も残らずこの世から消え失せる……それに――ドアの向こうの君」
アインウェイクが鋭い目つきでドアを睨む。ドアの向こうからガタンッという音が響き、暫くして観念したのか、聴き耳を立てていた人物が現れた。
「――ミュアニス神」
「この子が雨秤神の娘かね。随分幼い」
「ヨージ。雨秤は……お母様は、死んだのね?」
言葉に詰まる。教団の壊滅と父の死については説明したが、雨秤については濁したままであった。世の中、知らなくても良い事は沢山ある。もし、幼く純真な彼女が、他の神に母を殺されたと知ればどうなるか。分かり切った話ではないか。
何せ彼女はもう、捨てるモノが一つも無いのだから。
「証拠は有りません。本当に逃げたかもしれない」
「お母様が、皆を置いて逃げたりはしないわ」
「ですよねえ……」
「ヨージ君。君の国にもあったね。仇討ちといったか。是非、ミュアニス神の助太刀人として参戦してみてはどうかね」
「ミュアニス神。ダメですよ」
「……駄目よ。それでは本当に、ワタシは何も無くなってしまうもの。力も無い。教団も無い。父も死に、更に母の仇討ちすらしなかったら……ワタシは、ただ生まれて来ただけの半端者だわ」
今その矜持を示す必要などあるのか。神は長生きだ。これから楽しい神生など幾らでもあるだろう。例え力の劣る神だったとしても、選択肢は幾万幾億とある筈だ。
両親が死んだのは悲しいだろう。教団を乗っ取られた上に消されたなど、涙も枯れ果てるかもしれない。だがそんな勇気を振り絞って良いのは、戦う力が有る者だけである。
「アインウェイク」
暫くの沈黙の後、背伸びをして椅子から起き上がったリーアが言う。
「これはこれは。おはよう」
「おはよ。えーとつまり、アインウェイクはよーちゃんと私に死んで貰いたい」
「とんでもない。貴女達治癒神友の会こそが私への罰。ならば何事も無く火の神は退けられ、私は死ぬ事になる」
「よーちゃん」
「はい、我が神」
「このエルフ、やだ」
「そりゃそうでしょう。エルフなんていうのは、どこかしら可笑しいのですから」
「確かにー。まあ、いいや。アインウェイク。火の神は倒す」
「――そうだろうとも。それが正しい竜の御心なれば」
彼が純粋に、ヨージ達を始末したいと考えていたならば、まだ納得出来た。大変利己的で、大変分かり易い答えを明示されているからだ。
だが違う。
アインウェイクという男は狂信者だ。
信心を証明する為には他人を犠牲にするし、自らの命だって投げ出す男である。口八丁手八丁でどうにかなる相手ではない、五〇〇年の間に凝り固まった岩のような信心を、一体誰が割って捨てられるだろうか。
「一つ、子爵閣下」
「何かね」
「火の神の依代はどこでしょう。答えてくれるとは、思いませんが」
依代。火の神がこの世に顕現する為に用いた、最初の物体。それが分かるか否かでヨージ達の命運が決まる。
リーアのように受肉した神であるならば主依代など大した問題ではないのだが、火の神はどうも自然現象寄りに見える。そういった神がこの世に存在を留めておくには、やはり依代の傍である事が好ましい。
「教えよう」
「して、それは」
「この土地だよ、ヨージ君」
思わず、本当に思わず、顔が歪む。
火の神はただの自然湧出した神ではなく、何かを媒体として産まれた者でなく――神としての位で言うならば、現代において最上位に位置する――土地を依代として産まれた神であると、この男は真顔で言ったのだ。
「少し、時間を頂けますか」
「ああ、勿論。状況によりけりだが、最大二日は取ろう。信仰の使徒よ」
「……今夜はお暇します。子爵閣下」
「大樹の御心が君と共にありますように」




