大龍和祷祭1
一度は多少の落ち着きを見せていたフォラズ村の建築ラッシュだったが、今はまた行政区街からの建築業者や日雇い労働者、祭りがあると聞いてやってきた住人達が増え始めた。
神シュプリーア生誕祭は、新参者の神であるし、最初は村内で盛り上がって、徐々に広げて行けば良いだろう、などという気持ちでいたエオの思惑とは裏腹に、噂が噂の船を作り、勝手に出航し、大量にヒトを乗せてやって来てしまっていた。
「三日間を想定します。それ以上は村のキャパシティを大幅に超える。どう考えても備蓄が足りませんから、買えるだけ買いこんでください。お金? ええ、我が神からの治癒を受けたお貴族様が馬鹿みたいに寄与されていますから、何一つ問題ありません。外部者が大量流入しますから、普段村で見かけないヒトをみたらすぐさま我が教団の若葉のシンボルを配布してください。監視装置じゃありませんけど、激情を覚えると鎮静する魔法が施してあります。まあそういうヒトはシンボルも捨てるでしょうが、何もないよりマシです。この前落成した日雇い労働者向けの宿は全部生誕祭割引と称して宿代を安くしてください。労働者に村中でごろ寝されると治安が悪すぎる。自警団は生誕祭用警備要綱を策定して提出してください。駐屯騎士の皆様も、お忙しいとは思いますが、見回りの配置とスケジュールを提出してください。細かい調整は僕がします。信徒の皆さんは当日イベント班、大道具班、進捗管理班、炊き出し班諸々兼業して貰うので、暫くは寝不足になる事を覚悟してください。まあお水を飲んでください。そこのボックスに入っています。味は劇的に改善されまして、今はぶどう味、オレンジ味、サルミアッキ味がありますから、お好きなのをどうぞ。あ、時間ですね、僕は扶桑に行きます。五法刻後に戻りますね。我が龍ー」
「はいな、お忙しいですわねぇ」
あらゆる手配を済ませ、イベントの大枠を設定してから、ヨージは十全皇のポータルで飛んで行った。扶桑は扶桑で大龍和祷祭という国家イベントが明日に迫っている為、ほぼ主役級であるところのヨージが席を離れ続ける訳にもいかないのである。
今回は過去の大龍祭とは違い、冒頭に慰霊式典翌日に婚約披露パレードがある。ヒトの死と生が一緒くたにされていて果たして良いのか、という問題についてヨージは『扶桑人は教育されていますからね……』といって遠い目をしていた。
結婚記念式典となったら、今度は扶桑に新しい祭日が誕生する事になるので、更に忙しそうだ。そして当然、そんな話をしていて、我が神の機嫌が良い訳もなく……。
「んふふ」
という事も無さそうだ。旅館の一件以来、我が神はヨージに殊更情熱を燃やしている雰囲気こそあるのだが、十全皇に呼ばれたからと不機嫌そうな顔をする事もない。一人でお腹を撫でながら微笑む姿は、聖性と魔性を併せ持った空気があり、神といえば神っぽいかもしれない。
「あ、動いた」
「我が神、まだ一週間ちょっとですよ……」
「冗談」
「その冗談すっごく怖いです」
「でも順調。エオちゃんも」
「我が神ならわかっちゃいますよねぇ……凄い便利ですねそれッ!!」
妊娠の発覚など個人差あるものだが、我が神にかかればお腹の中がどうなっているのかすら簡単に分かってしまう上に、何か問題があっても問題を失くしてしまう神である為、妊娠したらほぼ確定で健康児が産まれる事が約束されている。とんでもない村である。
「でも我が神ってニンゲンと同じようなプロセスで子供が産めるんでしょうか? 確かに、他の神様の前例なら幾らでもありますから、産まれる事自体に疑問はないんですけど」
「医学書には何て書いてあった?」
「神様の診療データを見るに、その形態によるところが大きいみたいですね。女性型なら大体ニンゲン女性と同じ期間で出産まで漕ぎつけるみたいですけど、中には意図的に短縮する神や、孕み即出産みたいな神もいますし、最長五年なんて神様も居ますね」
木の神が男の精を受けて根元の洞に子供を産み落とした、岩の神が男の精を受けて岩の下に子供を埋めたままにしていた(勿論健康)、男性型の神が――など、そもそも神に性別をとやかく問う方が間違い、と言われると何の反論も出来ない。
少なくともこの世界のルールでは、それが可能、としか言えないのだ。竜達が作り上げたルールが絶対なのだと、扶桑で散々と叩き込まれた身であるから、納得は容易い。
「あー……短縮は、出来るね」
「出来るんですかぁッ!?」
「でもしない。エオちゃんの子と誕生日一緒にしようね」
「あ、誕生日も選べちゃうんですねぇ」
ましてやこの神――いや、厳密には竜に、常識など通じる筈もなく――
『君がヘルの作った子だね』
『ん。シュプリーアだよ、宜しくね、ミドちゃん』
『よろしく。まだ若いが風格はあるね』
『ほーん、直に視るとこれまた……ヘルの奴の趣味か?』
『よろしくね、ヴァベちゃん』
『お、宜しくなぁ』
『アレはモノ作るのが上手いからな。大昔から。いやホント、大人しくしたヘルめいてるな』
『よろしくね、ファブちゃん』
『よろしくよろしく。乳でっけぇな……』
扶桑の事件が解決した後、三竜王と面談する流れとなってしまった。どうやら三竜王等は、扶桑の異変を聞きつけるやいなや、我先にと飛んで行って、浄化機構狩りを楽しんでいたらしい。あんなバケモノを笑って殺せる辺り、やはり存在が違い過ぎる。
面談は終始和やかに進み……というよりも、三竜王は、旧友に接するような態度だったろう。愛称呼びも不敬判定にならず、なんなら質の悪い冗談のような罵倒も笑っていなしていた。
『正直、竜判定に掛かると思う。君達はどう思う』
『ヘルの野郎、手前の因子モリモリでぶち込んだな。もうこっちがヘルみたいなもんだ』
『そういう引退法もあるのか。考えもしなかったぞ。とはいえ、オレは作るの苦手だからなぁ』
『質問に対して答えが帰って来ない。ごめんね、シュプリーア』
『いいよ。それで、竜だと何か不味い?』
『我々を害し、領地を奪う気はあるかな?』
『え、なにそれ。無いよ。私は静かに暮らしたい』
『ぶははっ!! そりゃそうだろ。自認は神だしよぅ』
『ドラグニール姉妹増やすか。もう一段階乳でけぇの。なあ?』
『私ってもしかして面接されてる?』
『そうだね。君は既に神の段階にはないんだ。終末兵器は?』
『はいこれ』
『うぉ……――ドギツイな。俺達殺す気満々の武器でやがんの』
『おおおおッかっけぇ!! デザインがイカしすぎる。あいつは気狂い女だが、モノ作るのがホント得意でやがるんだ。母ちゃんに感謝しろよ、リーア』
『ふぅむ……ねえシュプリーア』
『なに、ミドちゃん』
『うん。その武器だけ封印させてくれないかな』
『お母さんから貰ったのに?』
『かなり危ない。君の理性を疑っている訳じゃないんだが、何者かによって君の理性が奪われ、それが本気で放たれた場合、想像し得る限り最悪の結末が訪れる可能性があるんだ』
『こわー。でも解るよ。これねぇ』
『うん』
『全部消せるの』
『消せるとは』
『エオちゃん』
『はい、なんでしょ?』
『第二鍵の祠で、私達を襲った後逃がしたヒトが居たでしょ』
『誰ですかそれ』
その発言に、全員が沈黙する。エオは言われている事が理解出来なかった。第二の鍵の祠で、雁道の侍達が襲って来た。それは覚えている。ただ、逃がした人物――なるものが、いたかどうか、それがハッキリしないのだ。エオの記憶力から逃れられる事象など無い筈であるにも、関わらずだ。
竜等は当然、エオの能力を把握している。故の沈黙だろう。
『能力をわざわざ公開したという事は、封印しても良いって事だね』
『私は、皆が幸せならそれで良い。皆が健康で、少しでも悲しみが減れば良い』
ミドガルズオルムが頷く。ファブニールが欠伸をし、ヴァーベルが口を窄めて目を瞬かせる。
『その意匠がもう見れんのは残念だが……あ、威力だけ落とそうぜ』
『優しい子じゃねえの。俺ぁこういうガキに弱いんだよ……』
『――わかった。済まないね。本質的な能力と威力を九割減にするよ』
『みんな、仲良く。三人は、仲良さそうだね』
『ああ』『まあ』『おう』
『それでーだけど』
『なにかな?』
『タダは流石にないよねー?』
『……エオ。君の神は良い教育をされているね』
『あ、アオバコレタカの薫陶を受けておりますのでぇ~……』
『アイツ、アイツ見たかよ。アラタよりイケメンだぜ。喰いてぇ』
『ヴァルハラん時のアラタより強いだろアレ。殴り合いてぇ』
『ぼ、ボクは良いかな……。まあともかく、出来る限りの配慮をしよう』
『書面に起こしてね』
『エオ、君の神は良い教育をされているねぇ……』
『アオバコレタカ謹製ですのでぇ~……』
という流れがあった。終末兵器なるものの実力は知らないが、それを封印するにあたり、相当……かなり……破格の交換条件を提示されたのだ。
――今文明世界崩壊までの間、治癒神友の会は三竜王が保護し、あらゆる勢力の敵対を許さず。
――治癒神友の会は大樹教加盟に際し、布教の制限を一切設けず。
――神シュプリーアに第一等神格を授ける。
細かいものは除き、主なものがこの三つだ。つまりどういう事かというと、治癒神友の会は三竜王の下絶対的に守られます。大樹教に加盟してくれたなら、大樹教勢力圏においての布教活動は一切邪魔しません。神シュプリーアは原始自然神同格です。明日にでも大聖堂を建てて構いません。
という事である。破格すぎてエオの顎は外れたままになるところだった。保護と大聖堂に関しては大樹教加盟の是非を問わない辺りが、もう狂っている。そこまで保護されている大樹教外部宗教など存在していない、とまで言えるだろう。
「順調。全部順調。十全は、まあちょっとムカっとするけど、ゼロツーだと思うと、そこまで否定感もないかな」
「いいことです!! みんな仲良くッ!!」
十全皇と我が神の間に割って入って仲裁する事も覚悟していたエオからすると、その言葉は福音に近い。当然エオは天才である為、あらゆる手段を脳内シミュレートしていたのだが、それ等が全て無駄になったので、こんなに嬉しい事もないのだ。
みんな幸せにヨージの子供を授かって笑顔で暮らせれば良いのである。
……ただし。
『ヨージ・衣笠君の事なんだけどね』
『うん』
『君の権限で借りられたりはしないだろうか』
『戦力としての期待?』
『戦力七割、政治三割かな。ご存じかもだけど、彼は既にニンゲンの領域にはない。しかしニンゲンではある。その意味が解るかな?』
『――……竜はニンゲンの諍いには介入しない。けど、今後敵となり得るものは非ニンゲン的に強い。動かす駒として都合が良すぎるから借りたい』
『不甲斐ない話だが、我々は青葉惟鷹に準ずる存在を作成するに至らなかった。準々ぐらいなら居るのだけれどね。最初に制定したニンゲン社会に対するルールのお陰で、竜が直接出向く訳にもいかない。竜精だって、首都に対する直接攻撃や、大樹教の根幹を狙うような攻撃に対してしか本格的な武力行使は出来ない。我々は最強足り得るが、全てを網羅出来ている訳ではないんだ』
『当然個人としては嫌』
『そうだろうね』
『けど、よーちゃんが頷くなら、私は観ないフリを出来る』
『――本当に産まれて一年の神とは思えないね。勿論タダじゃあない』
『何をくれるの?』
『十全皇相手に、君一柱では分が悪いだろう……?』
『上手だねぇ』
『長く生きているからね』
『それでもよーちゃんが否定するなら、是が非でもダメ。それでいい?』
『ああ、ウチの準備不足の穴埋めを任せるのだからね。それは仕方ないさ』
当然、仮想敵はバルバロスとなる。つまりヨージは、扶桑側からも、大帝国側からも、最強のジョーカーとしての戦力を期待されている訳だ。バルバロスが相手だと言われて、ヨージは否定はしない。次こそはアスト・ダールを殺すのだという話は、既に聞いている。
ただ、今まで存在した、湿っぽい感情は感じられなかったのだけは、幸運だろう。
かくして、我が神は対十全皇対策も手に入れた事になる。
順調とはそういう意味だ。
エオとしては……得るモノの為に得る筈のモノを差し出すのは、論理的にどうなんだろう、とか。じゃあお前ひとりで十全皇と恋愛地獄バトルの仲裁出来んのか、とか。ある程度察しているであろうに、それに頷くヨージこそ何なんだよ、とか。
思うところはあるのだが――……本人達が合意したものに、口出しも出来ない。ましてヨージが頷いたものを否定するような愛は持ち合わせていない。死ぬときは一緒である。
『大扶桑女皇国陸軍 条約違反者適法内報復執行員』
『ノードワルト大帝国陸軍 条約違反者制裁執行騎士』
これがヨージの新しく授かった立場であり、軍人ではなく軍属だ。文官でありながらに戦闘員とはこれ如何にというのは御尤もなのだが、同盟二国軍間で同時配属するにあたり、軍人そのものではどこかの部隊に所属しなければならない。
だが執政侍王を将軍として据えられるのは扶桑だけで、大帝国の規定からすると準帝国人を軍人として起用する場合外国人部隊に配属となるが、同盟国の王配をまさか外国人部隊になど置く訳にはいかない。では扶桑なら軍人扱いで良いのではと思うが、扶桑の将軍を大帝国が小間使いにするのは塩梅が悪すぎる。
では自由度の高い選択をする他無かった。
執行者の身分自体は問われないので『あくまで彼は裁定者であり、適法範囲内の制裁を自力でこなす事を可能にしているだけ』という反則めいたものだ。通常の戦争では絶対に存在しない立場だが、そもそも存在自体が条約違反であるバルバロスが相手である為、誰からも文句が出ないという仕組みになっている。
逆に、軍人ではないので通常戦闘行為には参加出来ない――のだが、自己防衛の為の戦闘は許されるので『たまたま最前線にいたら巻き込まれました。自己防衛の為に戦いました』となると適法となる。
ちなみに、軍人ではないのでポータルでたまたま戦闘地域に赴いたとしても違法ではない。これが一番大きいだろう。
そして問題となる法執行承認先であるが……。
「ふんふんふふーん……はい、出来ましたわ」
「ありがとう、修道女様ッ」
「気を付けて遊んでくださいな」
子供相手に破れたズボンを縫ってやり、笑顔で手を振る彼女である。
『統一征伐軍統合法規管理官 フィア二等修道女』だ。
これによりヨージは
『軍人ではないが馬鹿みたいな戦闘力があり、条約に縛られず敵の意図的な違法行為を速攻で断罪可能な上にポータルでどこにでも出現する怪異』
としての条件が成立したのである。
ちなみに我が神においても『統一征伐軍統合法規管理予備官』としてヨージに同行する事を認められてしまっている。軍隊において神や竜種は戦闘員としては参加出来ないが、後方支援や文官であれば問題にならない。
(キナくさいなあ)
とは思うのだが、大扶桑も大帝国も、バルバロスを放置する訳にはいかない。覇権国家として、海と港湾と物流を私物化しようとする奴等を野放しにしておけば、当然沽券に関わる。これがニンゲン同士のただの争いならばよかったのだが、アスト・ダールが居る限りそうも言っていられない。
アスト・ダールおよび火竜党の悪行は大帝国の一般市民にすら知れ渡っているものであり、当時第二次南方戦争を傍観していた大帝国においても、その戦火が内陸部にまで飛び火するのではないかという懸念は常にあった。
大帝国の軍部としても、アオバコレタカが居てくれるならばそんなに頼もしい事はない。もちろん、他の騎士団からするとプライドが傷つくものだろうが……プライドが傷つくぐらいで人的消耗が抑えられるのであれば、それは飲み込む他無いのである。
(ふーむ)
治癒神聖社の集会所も疎らとなって来た。執務室に戻って業務を進めようと席を立ったところで、神美月が入って来る。彼女は笑顔だ。
「ふっふっふ」
「おっとぉ……? 神美月、どうされましたかぁ?」
「皆に、聞いて欲しい事があるんだけど……ッ」
「はい?」
「私様ね……どうやら……ヨージ神官長の……お母さんらしいの……ッ」
常識が通じない神であるが、弁える事は出来た筈だ。だというのに意味不明な言論を持ち出すあたり、何があったのかと心配になる話である。
この事実を巡り、クソ忙しいのにイデンシについての講義が開かれ、途中でフィアレスが『あ、これまだニンゲンに公開していない情報でしたわ』と言い放った為、皆は耳を塞いで美月から逃げていった。
大扶桑女皇国 首都実京 臣民友好広場
首都中枢付近に設けられている大広場に、白い装束を纏った民衆が行き交う。広場中央には、雁道の違法上洛によって死亡した者達を慰霊する為の巨大な石碑が鎮座し、その前には大量の供え物や献花が並んでいた。
木の苗が多いのは特徴的な儀式風景と言える。死者が死後寄る辺を無くさぬように、という願いからのもので、その数から周囲は植林を終えた山肌のような香りが漂っていた。
慰霊式典自体は既に先日終えられており、供養に訪れているのは大体が首都近郊の者達だ。
「大通りはもう凄いヒトだよ」
「開催式は……あと一法刻後だね。あ、更衣室はあっちだって」
普段の着物から白装束へと着替え、慰霊し、また更衣室で着替え、今度は華々しい姿で戻って来る。この切り替えの早さと言ったら世界でも類を見ないであろう。全ては『龍陛下がそうおっしゃるから』であると同時に、合理的な判断を下すよう教育されて来た賜物である。
確かに事件から時間も置かない間の話であるが、大龍和祷祭という扶桑最大の祭事をスキップした場合、その経済的な損失は計り知れず、この為だけに用意をしていた商店や企業がどれだけ潰れるか分かったものではない。そうなった場合の被害額と被害者は、ヘタをせずとも雁道の無法を軽く超えてしまうのだ。
それでなくとも危機回避緊急法第3番の影響で、扶桑は時間がズレてしまっている。ズレて受けた分の損失は国が負担したが、流石にこれ以上の経済支援は限度がある。
「来週から、六か月前にやった授業をまたやるんだって」
「あら、予習も復習も要らないのだから、勉強できる時間が増えて良いわね」
「うん。何か資格の勉強でもしようかな」
「それが良いわ。技能資格になさい。喰いっぱぐれないから」
扶桑は、ズレた分の時間を社会的に巻き戻して修正をはかる形になった。結果今年のカレンダーは買い直し需要で爆売れし、紙資源が心配されている。大人達は大人達で時間の齟齬による問題修正に追われ、子供達は子供達で、既に終わった授業と課題をまたやり直している状態である。
何より大変なのは農家だ。また作付けが始まるのである。土壌の管理などは――などという問い合わせが無数に蕃主および農林省に寄せられたが、十全皇が『大丈夫』と仰られたので大丈夫となった。
危機回避緊急法第3番は、異常な状態であった事こそ間違いないのだが、これを応用出来るならば、扶桑は資材が持つ限り、他の国とは比べ物にならない生産速度を可能にする。が、その辺りを菊理龍聖位に問うたところ『緊急だったから良いのであって、あんなもの何度もやってたら大帝国に殴られるわ』という話をされた。当然か。
「疲れた」
近くのベンチに腰を下ろし、空を見上げる。龍宮省大臣の久久は、随分と久しぶりに何も考えずボケッとしていた。雁道の落石に遭い前大臣が死去した為、繰り上がりで大臣となった訳だが、仕事の量自体は大して変わらなかった。
とはいえ、これで一番の仕事を終えた事になる。次に大変なのは結婚式典になるだろうが、その場合はむしろ、あらゆる省庁が関わる事になるので、自分の負担は減るだろう。
鞄から通帳を取り出す。仕事を終えると同時にイカレた桁の特別手当が支給されていた。正直趣味らしい趣味もなく仕事一筋数百年であるから、資産が膨れ上がりすぎて、逆にクビが回らなくなっている。経済バランスを崩さないレベルで分散して寄与でもするのが一番だろう。
立ち上がり、開催式パレードの為に設けられた雛壇に昇って辺りを見回す。とんでもない人だかりだ。今回はパレードの最後列で陛下と侍王がお披露目となる為、支配体十全皇と本物の大英雄を見る為にと、遠隔地からも相当のニンゲンが集まっている。ポータルによる扶桑国内お披露目行幸がある為、どこでも観られる筈なのだが、理由をつけた首都観光という趣が強いだろう。
『大臣閣下』
「ん。なんです」
これまたボケッとしていると、遠隔会話が届く。部下からだ。
『イナンナー部族連合王国、王位継承権第一位であらせられます、ナナリナナ王女殿下がいらっしゃいました』
「はえー……えっ!! 招待出してませんよねッ!?」
そもそも敵国である。間違ってもそんなものを呼ぶ筈もないのだが、一体どうしたらそんな事になるのか。
『それが。現在、ナナリナナ王女殿下は修行の身であり、その……執政侍王閣下の下、大帝国フォラズ村にご滞在であったそうです』
「それは、ええ。しかし、いらっしゃったと?」
『その……キシミア自治区街神の神エーヴもご参加なさるという事で……』
「それは知らないッほんと知らないッ」
『ど、どうしましょう』
イナンナー女が二人。あの傍若無人なイナンナーの王族の女など、一体どんな文句を吐いて狼藉を働くか分かったものではない。しかもイナンナー本国からの連絡もないのであるから、つまり敵国の皇帝の婚約式に勝手に上がり込んだ事になる。政治問題すぎる。
「ひっ、ひっ、はひっ」
『大臣閣下、落ち着いてください。お二方は、どこにも口にはしておらず、お忍びで見に来ただけ。ただ何も言わないまま参加すると、それはそれで問題だろうから、と』
「イナンナー人ですよね。信じられないぐらい謙虚で驚きなのですが」
『いかがしますか』
「お二方はどちらに」
『ひとまず、式典関係者の、出入り業者控室に……』
「文句言わずに?」
『はい』
「謙虚すぎるぅ……信じられない。絶対女王になって欲しいですね、その王女には。わかりました、自分が行きます。それまで、高いお茶とお菓子を出しておいてください」
『畏まりました』
連絡を受けてすぐさま動き出す。スパッとスイッチが切り替わるのは長年の業だろう。そもそも仕事が趣味のようなもので、仕事がなければ抜け殻にも等しい自分であるから、ボケッとしているだけ国家の損失とも言える。
人だかりはあまりに邪魔であった為、屋根を飛んで目的地へと向かう。戦闘技能はほぼないに等しいものの、これでも一応守人なのだ。
式典関係者の為に借りられたビルジングまで赴き、教えられた部屋へと赴く。中では数名の出前業者と、件のお二人が並んでお菓子を食べたいた。イナンナーの姫君が、なんだってこんな場所で文句も言わず控えている事があるのだろうか、想像もつかない話である。
「失礼いたします。わたくし、龍宮省大臣の久久イーミュンです。この度は大龍和祷祭にご来場誠にありがとうございます。突如の御来訪でしたので、対応が遅くなり申し訳ございません」
「構わん。ナナリナナだ。こちらはキシミア街神のエーヴ二等神」
「よろしく、久久」
青みがかった髪に狼の耳。獣人判定第一種別であるが、恐らく術式で第三種別に転身可能なタイプだろう。大人と子供ほどの見た目さがあるものの、部位が似通っている事から、神の方は姫君のご先祖様だろう、と即座に判断する。
ナナリナナについての詳細は知っているが、エーヴについてのデータを頭に入れてはいない。この前お忍びで惟鷹達と乱痴気騒ぎをした、という噂程度だったが、まだ扶桑に居たのか。一度戻ってまた来たのか。この辺りは、十全皇が勝手にやっていそうだ。
「御招待させていただいております王侯貴族がたの待合では……不都合でしょうから、一等のお宿を別途ご用意されていただきます。そちらでも、扶桑式のおもてなしを存分にお楽しみいただけますので、どうかご容赦ください」
「なんだ。勝手に上がり込んだだけであるのに、配慮させて悪いな」
「ナナリ、久久が面食らってるわ」
「なにゆえ? あっ……うむ。余は他のイナンナー女よりは、控え目だぞ」
「ワタシの血なの。イナンナー女が来たと聞いて、ビックリしたでしょ」
「いえ、いえ……」
その見た目は高貴であるし、実際血もかなり高等なのだろうが、イナンナーの王侯貴族といえば男は奴隷であるし、女も階級が低ければ家具も同じような扱いと聞いていただけに、姫君の印象は久久の知っている常識からかけ離れている。
「ヨージ師に散々教育されたからな……」
「事情自体は、上から伺っておりますが……その、大変失礼かと存じますが、ひとつ、お聞きしても」
「構わん」
「青葉惟鷹ですよ。執政侍王は第二次南方戦争における大英雄です。イナンナーの方々からすれば、仇敵にも等しいものかと存じます。それを踏まえた上で寿いでいただけるというのであれば、これほど嬉しい事はございませんが……」
その言葉に、王女殿下が目を瞬かせた。エーヴは、え、今更何に驚いてるんだコイツ、という顔でいる。まさか――まさかとは思うが。
「ご……ご存じでは、ありませんでしたか?」
「ヨージ・衣笠であるよな?」
「え、ええ。大帝国へと出奔した際に名乗った偽名です」
「――……ええッ!? エーヴ!! 神エーヴ!!」
「貴女今まで知らないでいたの????」
エーヴが本気で困惑している。つまりこの数か月、ナナリナナ王女殿下は……仇敵と知らずに師事を受け、扶桑にまでやって来たという事か。わざわざ。
「理不尽槌だぞ!? 雷光槍だぞ!? イナンナーの軍団を個人戦力で千切っては投げ千切っては投げ、神は斬り倒し山は切り崩し砦は真っ二つ、弓だけで軍艦を沈める化物ッッ!!」
「そうよ?? というか、そんなのヨージ以外に誰が出来るの??」
「たーしーかーにーッ!! 確かにッ!! 出来る奴おらんわッ!! ええ? エーヴよ、我が祖神よ、何故黙っていたッ!!」
「少し調べればわかるでしょう!?」
「友の会の皆は知っておったのかッ!?」
「近いヒトはそりゃ知ってるでしょう。というかイナンナーの姫にわざわざ教えたら状況がこんがらがるから黙ってるだけで。それだってあの男の身の上気になったりしなかったの? 諜報部でも何でも呼べば一発で解決したでしょ」
「おあーッ」
マジで知らなかったらしい。王女殿下が頭を抱えて机に顔を突っ伏した。エーヴは……申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。
「ごめんなさいね」
「い、いえ。しかし……すると、どう、いたしましょう」
「ナナリ、起きなさい、ナナリ」
「これでは余が馬鹿みたいではないか」
「実際バカタレよ。そこを武器になさい」
「なに……?」
「貴方を信じていたから……いちいち調べたりしなかったのって」
「おお……花も恥じらう乙女すぎる……その線で行くか。流石長生きは違うな」
「尻の穴を二つに増やすわよ」
「勘弁、御勘弁、我が祖神」
エーヴがあれやこれやと理由をつけて繕ってくれる。本当にイナンナー女とは思えない心遣いに涙が溢れそうだった。あのまま暴れていたら外交問題まっしぐら、敵対国を余計に刺激するところであった。
「ふむ。まあ、余は無慈悲極まるイナンナーの姫であるから、軍人がどれだけ犠牲になったところで知った事ではないが……というのは強烈な冗談だが、正規の軍隊として正規の軍隊にぶつかって死んだとあらば、むしろ誉であるから、個人的な恨みなどは無い」
「まあ実際そうよね。貴女は青葉惟鷹の出現と戦績を見てどう思ったの?」
「余の大好きな英雄譚の英雄が実際に現れたみたいでメッチャ興奮した」
「そうよね」
「というわけで予定通り観覧して行くぞ、久久」
「さ、左様でございますか。ではこちらが、特別招待者用のパスでございます。提示を求められた際に示していただければ」
「ん、大義である」
「案内役をつけさせていただきます。小間使いにお使いください」
「ありがとう。急に来たのに悪いわね」
「とんでもございません。期間中、どうぞお楽しみくださいませ」
今しがた別途用意した貴賓用の控室にご案内し、なんとか一難が去る。一時はどうなるかと思ったし、トラブルもあったが、イナンナーの認識を改めるレベルで衝撃的な人物であった。その立場故過去何度もイナンナー貴族とは接しているが、どれもこれも蛮族が着飾っているとしか思えない輩ばかりであったから、この認識は仕方がない。
「はい、平気です。問題ありません、引き継ぎます」
外務省から連絡が来る。あとは任せて構わないだろう。
(しかし……侍王閣下は外でどんな人脈を作られたのやら……)
あれだけの力があると、寄って来る人物も真っ当ではないのだろう。影響力とは引力であるからして、強大な存在が動けば、それにつられて周囲も動くようになっているのだ。
『大臣閣下』
「うおー……今度はなんです? 久久になんの用です」
『ヘル女王陛下……』
「嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘やめてやめてやめてやめて」
『の、使いの方が。ヘル女王陛下直属メイドのリコリス様です』
「せぇぇぇぇふッ!! でもメイドなら君達で対応したらよいのでは?」
『全権委任されているそうです。ニブルヘルでは他に人員も居ないとかで』
「そりゃ流石に私ですね……今行きます……」
これから一週間は休暇であった筈なのだが。しかし仕方がない。ここは扶桑なのだ。扶桑では、偉ければ偉い程クソ程働くのが美徳である。
「こんにちは」
「はい、お使いご苦労様です。龍宮省大臣の久久イーミュンです。本日はどういったご用向きでしたでしょうか」
龍宮省備品調達出張所内に招かれていたのは、エルフ……的な人物であった。
薄緑色の髪。平均よりも長く張った耳。極度に色白で、身は薄く、異常に短いスカートのメイド服を着た女性だ。エルフではあると思うが……そも、ニブルヘルがどんな場所なのか、何が住んでいるのか、そんな事を知っているニンゲンはこの世に存在していない。
「全権委任されたメイドのリコリスだ。この度は十全皇陛下御婚約、誠におめでとうございます、という有難いお言葉をヘル女王陛下からお預かりしている」
「それはどうも……」
まさしく可憐な容姿であるのに、言葉は随分とハスっぽい。うんうん、と頷き、傍らに抱えていたアタッシュケースを床に置くと、中身を開けて見せる。
「こちらは女王陛下からの贈呈品だ。穢れや呪いの類はカッチリ綺麗にしているから、生者の世界に持って行っても問題無いだろう、とうかがっている」
「これは、ご丁寧にありがとうございます……なん、でしょうね、それ」
「さあ。ただ、十全皇陛下に所縁の深い品であるとだけうかがっている」
ケースの中に入っていたのは、岩石を削って作られたと思しき箱……前頭葉部分が欠けている脳の模型……そして銀色の板のようなものである。銀色の板には何かしらが書かれているのだが、現代文明の文字ではないのだろう、久久には読めない。
贈呈品として……どうなのか、というところは、久久には計れないものだ。何せこれで十全皇が大喜びするかもしれないのであるから、無下に出来ない。恭しく受け取り、係の者へ保管庫へ持って行かせる。
「では、責任をもって陛下へとご献上させていただきます」
「よろしく」
そういって頷くと、背を向けて帰ろうとする。
「ちょちょ、リコリス様。折角です、大龍祭を楽しんで行かれては」
「――……」
「あの、何か、失礼がありましたか?」
「ニンゲン社会に出たのは――……百万年ぶりだ」
「――えっ!?」
「当職は初期型エルフだ。寿命が設定されていないからな」
「ひえっ」
「ちなみに貴様はいくつだ?」
「七百とちょっとですが」
「赤ちゃん……」
「赤ちゃんではないですね……まあ、おかけ下さい。お茶などは飲まれますか」
「生者世界のものは口に出来ない」
「あ、そういう縛りがあるのですね……あ、座りはするんですね」
「生き物の匂いがすごいな……」
リコリスがソファに腰掛け、テーブルに並べられた茶器やお菓子容れを弄っている。むしろ子供のような動作をしているのはリコリスであった。
初期型エルフ……聞いた事もない存在だ。ただ、過去に複数の文明世界があり、何度も滅んでいる事を考えると、最初期のエルフというのはもっと長生きで、それこそ神に等しい存在であったのだろう、というのは想像出来る。
それにしても、本当に、見た目だけならば可憐な少女そのものだ。今のエルフよりもずっと繊細に見え、ニンゲンというよりも造形物と言った方が伝わるかもしれない。お人形さんが生きて動いているようで、実に不思議だ。
「そうだ。次期女王陛下は」
「フォラズにお戻りになられましたよ」
「そうなのか……当職はメイド以外出来ない故、是非次も雇用していただきたい。今から媚びを売っておこうと考えたのだが」
「ひ、人前では言わない方が良いですね」
「ふうむ……ニンゲン、もしかして増えたか?」
「え、ええ。おそらく、百万年前よりはずっと居るかと」
「こんなに匂いがして、色彩が豊かで、目が痛くなるな」
「当時は、どのように暮らされていたのですか」
「当職の前職はユグドラーシルの守人だ。足を滑らせて大断層にころりんちょしてな」
「ころりんちょ」
「陛下に救っていただいたのだ。それ以来ずっとメイドをしている。とはいえ、陛下はニンゲンのような生活をしている訳ではないから、汚れもしない床をひたすらに磨き続け、来ることもない来客を待ち続けている。次期陛下と青葉惟鷹が来たのだって、数万年ぶりだったぞ」
侍王閣下は冥界にも降りているのか。過去の英雄も冥界には何度も降りているようだから、英雄が避けて通れない道なのだろう。
「うっ……」
「ど、どうされました」
「喋り過ぎた……」
「久久は、いつでも耳を塞ぐ事が出来ますが」
「普段も陛下とすら喋らないから……喋り疲れた……」
「その……大変ですね」
「いや。元から感情も薄い。人生なるものに意味も見出していない。当職は当職としてあり、無限に動き続ける故障しない歯車だ。とはいえいっちょ前に死は怖いらしいからな。お前ちょっと十全皇にコレ持ってって、と言われた時には、驚き過ぎて三日寝込んだぞ。ヒトの社会とか……出たら死ぬかもだし……」
「けっこーお喋りですね」
「ちなみに共通言語だ」
「あ、本当だ……意識しないと気が付きませんでした」
「さて、食を楽しめる訳でもないし、誰かが結婚しても正直どうでも良いので、そろそろお暇する」
「あの、失礼ですが、そもそもどうやっていらっしゃいました?」
「ポータルだが」
「――……」
構える。遠隔会話の応用で周囲に信号を送り、即座に職員達が室内へとなだれ込んだ。
「うお、ヒトが多いな」
「ポータルで、来たと」
「そうだが……ポータル以外で遠距離移動などするか?」
「扶桑は、ポータルに対して強固な結界を張っています。そう簡単に破れるものではない。破れたとしても、超超高度からの落下や物体内への強制転移を免れません。それを、貴女は貫通可能なのですか」
言われ、リコリスが天井を見上げ、思いついたように手を打つ。
「こういう時は――十全皇」
「えっ」
「はいな。如何なさいましたかしら?」
何かを思いついたように指を立て天井を見上げたかと思えば、陛下の分身が突如として出現した。職員達が皆地面に平伏する。
「陛下、ご機嫌麗しゅう。リコリスでございます」
「だから事前に許可を取れ、と申し付けましたのに。原初魔法使いの貴女に、今の結界防御なんて無意味なのは承知しておりますけど」
「何故簡単に貫通するようなものを設えておいでか?」
「汎用性と範囲の問題ですの。貴女一人しか使えないものに対策する意味とは?」
「仰る通りです。大変失礼いたしました、陛下」
「久久、これはそういうモノですから、お気になさらず。問題ございません」
「はっ。ご足労をお掛け致しました」
そういって陛下が立ち消える。リコリスは改めてソファに座って、手前で持ち込んだであろう何かしらの携帯食を食べ始めた。
「つ、次にお越しの際は、是非事前連絡くださいますよう、お願い申し上げます」
「いやはや。失敬」
「しかし、原初魔法使い……とは?」
「名前の通りだ。我々初期型エルフはアズダハとの親和性が極限まで高められている故、現代の魔法のような制約は殆ど受けていない。つまり、危なすぎるから滅ぼされたのだな、我々は」
「アズダハがなんだか知りませんが、扶桑の防衛上最悪な存在ですね」
「それは流石に失礼ぶっこきすぎではないか? 全権委任されている身だぞ」
「陛下がいらっしゃらなかったら不法侵入者ですよ」
「確かにすぎる。というわけで暫く滞在するかな。宿を頼む」
「えっ……生者のものは食べられないのでは?」
「死者に供えられたものならば飲食可能だ。当職に出す前に、一度墓にでも供えてくれ。二時間程。飲食の判定は当職がする故」
「結構緩い縛りなんですねぇ……畏まりました、では、ごゆっくり」
「うん。よろしく、久久」
常識の通じない来客が多い中、ぶっちぎりの危険存在である。そもそもヘル女王陛下が存在している事自体、通常の人類は知り得ない。冥界が明確に存在している事自体、通常の人類では知り得ない。現世において、ヘル女王およびこのリコリスというメイドは、無いも同じなのである。
無いにも関わらず、一等の魔法使いですら凌駕し得る実力を備えている可能性があるのであるから、その扱いは厄介極まる。
「その……」
「はい、なにか?」
「迷惑……だったか。なら、すぐ帰るが……」
「と、とんでもない。ゆっくりしていってください……ああやめてください、そんな顔なさらないで」
「ならよかった」
そんな、怒られた小動物のような仕草は止めて欲しい。警戒出来なくなってしまう。百万年ぶりに外に出たというのだから、犯罪にならない範囲で楽しんだら良いのだ……あれ、そもそもお金とか持ってきているのかな……などと思い、久久はポケットマネーから二十甲を取り出し、係の職員に手渡したのだった。
それから四回呼び出され、大通りに戻ったのは開催式も終盤であった。辺りは静まり返っている。既に仮設された貴人門(佐京がぶっ壊したので急ピッチ仕上げ)の先頭には、先陣を切る音楽隊が控えている。
最先頭に構えて馬車の屋根に立った指揮者が指を動かすと同時に、管楽器と打楽器の音が響き渡り、隊列が動き始めた。耳をつんざくような歓声が大通りを貫き、無限とも思える程の色とりどりの紙吹雪が実京内に吹き荒れる。
世界最大のリュウのご婚約だ。婚約自体はかなり前に発表されていたが、それから青葉惟鷹諸問題から連なる一連の出来事で伸びに伸び、ようやく婚約式に辿り着いた。
結婚披露でもないのにここまで盛り上がるのは、そもそも結婚となると儀式方面の色合いが強くなり、臣民達も祝うというより拝む意識が強くなってしまう、文化的背景がある。実質このパレードが、結婚に関する祝い事を一括で含めて纏めているようなものなのだ。
先頭音楽隊が過ぎ去り、陛下の因子を起源とする一族親蕃の侍が行列を成して練り歩く。その後ろから来るのが、古鷹家、加古家、青葉家、衣笠家の一族衆だ。中段辺りで輿に乗り、皆に手を振っているのは、古鷹佐京……いや、今は引退しているので、古鷹在綱である。隣にいるのは当主代理となった加古那善だ。
あの古鷹の親父が満面の笑みで皆に手を振っているのが、最高に気持ち悪い。が、あの男は陛下の幸せをおそらく、この扶桑で一番願っている男であるからして、自分の一族が陛下の王配となる事実については、心の底から嬉しいであろう事は窺える。隣に居る加古那善は疲れた顔をしているので、少し可哀想だった。
一族衆が通り過ぎると、次にやって来るのは騎兵隊であり、それに守られるようにして、陛下に一番近い立場……菊理龍聖位含む明確な血族が獣に直接騎乗して練り歩く。希少種の体長三大バームある大化け猫、大化け犬、今や探しても見つけられない歩行竜近似種、大土蜘蛛など、多種多様だ。
その後ろに近衛の騎兵が立ち、漸く陛下と侍王閣下が搭乗する馬車が姿を見せる。姿が見えると歓声はより大きなものとなる。皆が目にする分身十全皇ではない、支配体十全皇は普段表には出ない為珍しく、写真と記事でしか見た事のないであろう本物の青葉惟鷹を拝める貴重な機会だ。
陛下の御召し物……最高級アラクネ絹の真っ黒な生地に金糸で昇り龍が描かれた着物は一点ものだ。下世話な話であるが、一着で首都の一等地に、土地代含め大豪邸が建つ。これを用意させるのに、久久がどれだけ苦労したか解らない。嬉しすぎて泣けてくる。また侍王の衣装もそれに併せたものであり、顔も相俟って抜群に格好が良い。
みろ、あのご婦人方など卒倒しているではないか。惟鷹は自覚的に無粋な格好などして己の容姿を濁したりする理由がだいたいコレだ。普段は仮面でも被せておいた方が良い。
「かぁぁぁ……すげえな、ヒト。鼓膜が破れる」
「うわ、どちらさまで……?」
パレードはこのまま先にあるポータルを潜り、半日をかけて扶桑各地を巡幸する事になっている。先で問題など起きなければ良いのだが、などとぼんやり考えていると、これまた随分の美人に声をかけられた。
性別は……たぶん男だが……女っぽくもある。痩身痩躯、骨格も細め。耳長め。青黒髪に赤い目。赤い目のエルフは存在し得ない為、神だろうという判断になる。
随分整っている。もっとキッチリ化粧をしたら、男女どちらも振り返るだけの美貌だ。
「見た目的にもお偉いさん?」
「あの、実は結構偉くてですね、民衆が気軽に声をかけるような立場ではないです」
「ならなんでこんな場所に居るんだよ」
「私の仕事は準備まで。あとは流れる結果を見るだけなので」
「ふーん。そらおつかれさん。じゃあ今暇?」
まさか、こんな一大行事の最中にナンパされるとは思わなかった。しかしこの人物はそれをさも当然のようにやるのだから驚きだ。確実に扶桑の神ではないが、観光客という見た目でもない。
「もう一度問います。どちらさまで」
「ロキだ。ロムロスの管理をしてる」
「へえ。えっ!!」
「はっ、すんげぇ驚いてる。うける」
ガキのようにケタケタと笑う。なんだって招待もしていないオエライさんがゾロゾロとやってくるのだ。どうなっているのだ。
大樹ロムロスのロキ。知識としては菊理龍聖位から聞いてはいる。基本的に顕現はしておらず、三竜王の呼び出しのみに応じる、管理用竜造神だ。立場がかなり特殊で、格で言えば竜なのだが、別に大樹の管理以外の政治的な事柄に関わっている訳でもなく、好き勝手やっているヴァルキュリア達を諫める訳でもなく、そもそもなんの召喚に応じて顕現するのか不明だ。
竜以下、神以上、原始自然神の下、ぐらいの扱いが妥当なのだろうが……。
「いやあの、それでしたらですね、龍宮省の受付窓口が近くに設置されていますから、そちらでお手続きを済ませてですねぇ……」
「ただの観光客だよ。で、可愛い子見つけたから声かけたの」
「かわ……いいかどうかは不明ですが、私は中性ですよ。性別ありません」
「あ、俺は両方ついてるぞ」
「――え、双方機能するので」
「そう。両方機能する。神だしな。アンタは?」
「気持ち次第……?」
「変なエルフがいたもんだな……」
「ああ、実験一族なので」
「実験? てか見た目まだ千歳越えてないだろ。最近までそんな事してたのか、十全皇は」
「何でも長年データを取らないとはっきりしませんから。現文明世界におけるエルフの丁度良い具合を研究する過程で産まれたみたいですね」
「で、結果は?」
「生存性と頑丈さに関しては間違いないかと。この歳でも精力的なエルフって私ぐらいですし。けれど繁殖に関してはどっちつかずで。結局三代持ちませんでしたね。私で末代です」
十全皇の意図は全く知れないし、正直知るつもりもない。ただ自分達一族は先々代の頃に何かしらを取引に、種族改良の実験台となった過去がある。実験台といっても非人道的な扱いは受けた事もないので、答えが出ているか、飽きられているかのどちらかである。
「まだ決まってないだろ?」
「そりゃそうかもしれませんけど、繫殖欲が無いのですよね」
「試したのか?」
「若い頃は。ここ数百年は、仕事で忙しくて」
「じゃあほら、俺と試せば良くない?」
「あの……失礼ながら、チャラすぎません?」
「こうやって迫って来る奴いなかったろ」
「まあ扶桑ですし、私偉いですからね」
「で、どうする? 暇だろ?」
「むしろロムロスの竜造神がそれで良いのですか?」
「上司には好きにしろって言われてるぜ」
ロキがニヤリと笑う。ムカツクといえばムカツクのだが、その言動も行動も、自分の知らない未知の存在として映り、気になって仕方がない。気が付いた時からそれなりの立場で、己の性別の件も相俟って、わざわざ声を掛けてくるような輩はいなかったし、見合いの話も多数持ち掛けられたが、乗り気にはなれなかった。
あれよあれよという間に時間は経って数百年。そろそろ古漬けどころか漬物石めいて来た自覚がある。このまま十全皇に尽くし続けて、大樹の肥やしとなるのでは、という想像も、難しくない位置に来ていた。
機会の一つでもあればな、などと受け身になるばかりで、自分から動かないその無精はもはや病的であったと言える。保守が身に付き過ぎていた。
「――まあ、良いですよ」
「うお、マジか。堅物そうなのに」
「大きな仕事もこの通り、終えましたし。正直お金と時間の使い処に迷っていたのですよね。じゃあほら、遊びましょう。お腹空いたのでご飯からで良いです? あと買い物」
「もちもち。ラッキー」
「あの、一応聞きますけど、本当に神ロキで間違いないです?」
「そりゃそうか。そりゃそうだ。とはいえ身分証明ができねえな」
「まあいっか」
「いいのか……え、警戒心とかどこいった?」
「大人がこれから滅茶苦茶やろうってんですよ。付き合いなさい」
「うははっ!! 面白、じゃあほら、行こうぜ」
「ええ」
我ながら、とんでもない阿呆な行為に走っているとは思うのだが、こんな事がたまにはあっても良いだろう。欲が少ないだけで無い訳ではないし、随分とご遠方の珍しい神様と一晩過ごすなんていうのは、今後の話の種にもなりそうだ。
「あ、痛いのとかは無しですよ」
「アンタのお望み通りにしてやるぜ?」
「ふーむ、久しぶりすぎて、腐ってないと良いのですけど」
「……風呂は入ってるよな?」
「失敬な。この容姿と同じように透き通ってますよ」
「なら良かった……え、そんなに心配か?」
「お互いどっちにでもなれるとなると、リード役がどちらか困りますし」
「あー……ま、絡まってたら決まるんじゃね?」
「それもそうですね」
「こういう面白いのがいるから、ナンパって止められないんだよな」
このヒトが本当に何も知らず自分に声を掛けたとは、正直思っていない。三竜王の息がかかっているならば、当然諜報も込みであろう。とはいえ、軍事に関わらない自分に声を掛ける辺り、知りたいのは十全皇周囲の内情か――青葉惟鷹が本命と見える。
――が、まあ、楽しそうなので、叱られない程度に喋っても良いだろう。青葉惟鷹の何が漏れたとて、アレに敵う人類も神も居ないのが現状である。
「あ、そうだ。アンタみたいな珍しそうな奴他にいたら、紹介してよ」
「あら、何故です」
「シュミなんだよ。他と違う奴と寝るの」
「はあ……」
そこにどういった意図があるのだろうか。単純に遊ぶのが好きなのか、特定供物扱いなのか。普段顕現していない事、必要だからこそ居る事を考えると――彼のソレは、仕事かもしれない。




