龍血慕情5
旧主支配体十全皇07a号。『七枝』が静かに語り始める。それは途方もない時間をかけた群れからの離脱、独り立ちの叶わない御令嬢の苦悩であり、リュウが『変化』するという、証明の物語である。
「どこに正しさがあるか、などという話ではございません。十全皇という強大かつ巨大で膨大な群体の中に、ひとつ、違う考えを持った者が産まれてしまったというだけのもの。私はそれを自覚した瞬間、準支配体を除いた罪業炉心と分身に対して、一部同期を切断いたしました」
「その時点で、個を自覚した、という事ですか」
「最初は良く分からなかった、が正しいかと。年月を経る中で、誤差が大きくなり、その誤差を精査する度に、己という存在が十全皇と定義された怪物から、解離して行くのを自覚し、ようやくそこで、とんでもない事をしてしまったのだと、気が付いたのです」
「罪業炉心レイや、他の分身に対する敵対心は」
「ございません。言ってしまえば、仲の良い家族そのもの、でもありますもの。しかし家族とはいえ他人、一番大事な部分にまでは干渉して欲しくはない、という気持ちですわ」
世界でもっとも濃密で、解離性のない一族。自身もその一員であるという間違いのない認識はしかし、訪れた変化によって齎された自意識により、今までにない方向から十全皇という総体を客観視したのだろう。
「……結果が、バルバロスからの根幹魔力帯攻撃の被弾ですが」
自嘲する。十全皇が十全皇足り得たならば、まず受けなかった攻撃なのだから、笑えてしまうのも仕方がない。
「それは、本当に。個人を大切にするあまり、セキュリティを疎かにいたしました」
「ニンゲン臭いですね」
「うふふっ。理屈も道理も理解している筈であるのに、それが実行出来ない……まさに、ニンゲンの悪い部分ですわね。そうなってしまえば、今まで通りの完璧な統合と統治は不可能となる。支配体としては致命的な、重篤なエラーを抱えたものです」
「そして問題は起こった。危機回避緊急法第3番というローカルルールが制定されるに至り、僕達は罪業炉心レイ再起動の為の旅を始めた。この構想は、いったいいつから」
攻撃の被弾自体が偶発的であったのは間違いないだろう。しかし無数にあった筈の対処方法は全て破棄され、もっとも遠回りに思えるような対策が打ち出された。前々から、そうなるように準備していなければ、起こり得ない事だ。
「危機回避緊急法第3番は、まだやる気があった頃の私……01号の発案でした。本来は恒久法として立ち上げたものであり、順調に進んでいたならば、貴方様が経験なされた第3番よりも、もっと安定した恒久法となる筈でしたの」
「しかし頓挫した結果、予備の法となった」
「はい。ユグドラーシルの竜等との共同開発でした。元来……私はモノ作りが、ヘタなのです。形のあるものを真似、真に迫る事、それを大量に生産するような事は、得意なのですけれど。曖昧な記憶から第3番……『ヴァルハラ』を再現するには、私だけでは不足でした。共同開発したものの、方向性の違いから凍結に。妥協点を求めて共通したルールを導き出したのが、普段の皆様が暮らしている世界法、恒常法1番から3番です」
「ヴァルハラ……仮想精神サナトリウム、でしたか」
「私達にとって、世界とはその仮想精神サナトリウムでした。様々な世界が再現されておりましたが、その中でもヴァルハラは、剣と魔法、数々の危機と歓喜、仲間達との冒険の世界。名前の通り、仮想です。精神を病み、現実世界で生きられなくなった者、身体を失い、脳だけになってしまった者、全てを諦め、仮想に在る事だけが全てとなってしまった者……そんな、どうしようもなくなってしまった者達の、魂の拠り所。それが、仮想精神サナトリウムですの」
顎を擦る。炉心区画で見た、あの光景が、その仮想精神サナトリウムを管理していた場所だったのだろう。医療現場というには緊急性が無く、静かで、厭世的な雰囲気が漂っていたのは、そういった理由だ。
医療従事者達が、そして患者達が、果たしてどのように思い、考えながら暮らしていたのか……当時の常識や文化、精神の分からない惟鷹では、想像も出来ない。
「貴女は……罪業炉心レイは、疑似脳でしたね。つまり……疑似脳の性能をテストする為に、仮想精神サナトリウムに、投入された、という事ですね――鈴谷新の妹、鈴谷黄萌の疑似脳として」
「仰る通り。しかし、鈴谷黄萌疑似脳は、失敗いたしました。疑似脳の働きのみを検査するつもりで投入されたものであるのに、黄萌ではない自我が形成され、増大していった。確固たる個を確立したそれは、明確に『アソラ』という個人となり、現実世界に終焉を送り付けた」
頭を指さし、七枝が笑う。実験に失敗はつきものである。ただし、扱うものの危険度によっては、絶対に許されない失敗は存在するのも常だ。そしてそれが、見事に起こってしまったのである。
「アズダハ脳……全ての願いを叶える可能性がある、アズダハを脳として形成したが、それは従来の挙動をせず、一個のニンゲンになり……つまり、願いの塊が、自分の願いを叶えた」
「現実世界は……滅びかけておりました。フォールンと呼ばれる宇宙からの飛来物は、あらゆる生命体を蝕み、人間の生活を脅かしておりましたの。鈴谷黄萌もまた、その犠牲者です。しかし疑似脳の研究開発は、禁じられておりました。この通り……大変に、危険なものですから。研究所に捜査の手が入り、開発者である鈴谷新は、疑似脳を隠す為に、他の器に移し替えました」
「……それが、あの少女型傀儡、罪業炉心レイですか」
「突然現実世界に引っ張り出された私は、大変に混乱いたしました。警察に接収され、他の研究機関に引き渡され……そも、男性向けガイノイドですから。恥辱の限りを、受けましたの」
それは、想像を絶する驚愕だっただろう。今まで当たり前だと信じていた世界が、根底から覆り、お前の歩んできた人生はすべて、夢と同じようなものであったのだと突きつけられて、唖然としない筈がない。そんな世界に慣れろなどと言われたところで、叫んで否定したとしても、誰が責められるだろうか。
挙句、慰み者も同然の扱いをされれば、全てに対して絶望し、何もかもを覆したくなったとしても、誰も疑問には思わない。
そして十全皇は、実際に――ひっくり返すだけの実力を備え、全てをご破算としたのだ。
「……」
「こんな世界はありえない。こんな世界はゆるせない。みんなを――私の知っている世界を返して、そう……"願った"のです。結果、世界は一変いたしました。この世に散らばる全てのアズダハが私へと呼応し集約し、私の願いを叶えた」
「この星に存在したアズダハ……全て、ですか」
「誇張しました。九割九分九厘、ですわね。アズダハは……大きな想いに呼応しますの。強い願いに。結果、当時の人類約二十億人は……新しい世界に適合出来る身体構造に組み替えられ、世界そのものも、アズダハによる魔法を基調としたものと、なりましたが……」
「実際にやってみると、世界を作るのは、苦手だったと」
「はい。お恥ずかしながら。全部が中途半端で、不出来で、穴だらけ。なので、仲間が欲しかった。だから、第3番というのは、その時の残滓……失敗作に手を入れて改変を重ねた、一定の役割だけを担う、しかし今後はまず顕在化しないであろう、法なのです」
そこまで話して、ひとつ息をつく。
「うふふっ。我ながら、前提条件が煩雑で、なかなか本題に辿り着けませんわね」
「構いません。時間なら幾らでもありますから。それになんだか、辛い過去であるにも関わらず、楽しそうに語るじゃあありませんか」
「もう、思い出話ですもの。大好きな貴方様に、私というカタチをさらけ出している。信用を言葉として紡いでいる。二度と、語る事もないと思っていた、お話ですから」
「それは、良い事ですね」
「……ええ。とても。つまり、07号とは、そんなバグだらけの世界に一つの夢をみたのです……鈴谷新に……救って貰う夢。願えど願えど、ついぞ叶えられる事のなかった願いを、再現したかった。本当に……ごめんなさい。私は、貴方様という存在も、疑ってかかっていた。他の分身達は、貴方様こそがまさに鈴谷新の転生体であると信じておりましたし、私も、半ば信じておりました。けれど、引っかかりだけは常にあった」
「魂が同じでも、同一人物足り得るとも、限らない。エレインと密名居のように」
「ええ。魂の数値なんていうのは、所詮数字です。魂が同じだからと、同じとは限らない。貴方様は、第3番の中で、それを示し続けた。鈴谷新は、そもそも、ただの人間ですもの。貴方様程勇敢な訳でも、強い訳でもない。むしろ、もっと理想化された、新しい英雄ですわ」
「そ、それで納得出来たのですか?」
「魂はほぼ同じ。そのうえ、うふふっ。顔が良くって強くて優しいのですもの。そんなの、随分と贅沢で、酷い話じゃあございませんこと? その、理想化された鈴谷新を、結局のところ、十全皇等は、それが良いですと、浮気したのです。それが、悪いとは決して言いません。だって、探しに探し続けた男と同等の魂を持つ男を、とうとう発見したのですもの。責められませんわ」
「ちなみに、僕は魂が云々について、大して感想はないのです。僕が居て、貴女達がいる。それ以上の事を求める必要性を感じないので」
「そして、私は」
「ええ」
「今の、貴方様を愛しております。逸れて別れた不具合人格である私は、貴方様という存在を疑ってかかり、様々な試練を与えました。その試練の結果なんてものは、二の次だと知りながら。その上で、この第3番で、貴方様を試したのです。最悪すぎて、泣けてしまいますけど」
「別に構いません」
「……ほら。すぐそんな事仰るのですもの。失敗したなら、私は責任を取り、人格を消去し、消えるつもりでおりました。けれど……貴方様は、02号を殺さず、07号の思惑に勘付きながらも、人格をデリートせず……全部、救われてしまった。選択肢の一つでも間違えば、きっと諦めもついたであろうに、貴方様は、全部正解してみせた……」
「七枝?」
拭っても零れる涙を、尚拭いながら、七枝が続ける。
「こ、こんな……愚かで、馬鹿馬鹿しい、失敗支配体を、貴方様は赦してくださる……あんなに、辛い目に遭わせたのに、あんなに、惑わせたのに、あんなに、無理を強いたのに……私には、支払えるものが、なにも、何もない。偉そうに、試練なんて与えるクセに、その対価を払ってあげられない……人格を、残していただいて、名前まで、いただいて、こうして……嫌な顔一つせず、私の前に居る貴方様に、私は……ッ」
言葉は紡ぐだけ無駄だろう。立ち上がり、七枝の傍に寄り添い、抱きしめる。彼女のやって来た事は、間違いなく、青葉惟鷹という人物の人生を捻じ曲げただろう。思うところがない訳ではない。ただ……それが、群れを抜け出してしまった羊が、疑心暗鬼の中彷徨い続ける不安を抱きながらも、道標を探し続けていたのだろうと思えば、どうしても、責める気にはなれなかった。
「なら、罰は必要ですね」
「なんでも。なんなりと」
「他の子にはナイショですからね」
「あっ……」
唇を寄せる。不意を突かれたのか、七枝はキョトンとした顔をした後、破顔した。それが、妙に愛しくなり、惟鷹は彼女の胸に手を――
「どりゃあぁっしゃああッ!!」
「うぉッ!!」
「まあ?」
などと始めたところで、扉を打ち破って女の子が乱入してきた。なんだか最近似たような展開に覚えがある。
「小龍閣下?」
「菊理。殺しますわよ」
「あ、うわっ!! そんな、致す寸前にッ!? いやあっその、ええと、う、うちはじゃな……」
菊理が七枝から滅茶苦茶に睨まれている。『イイカンジだったのにお前マジなんなんだよ』と言いたげな七枝を抑えて、菊理も座らせる。
「それで。菊理。申し開きは?」
「えっとぉ……その、は、母上の、泣き声が聞こえて……こりゃ、惟鷹が、碌でもない事を言って、母上を悲しませておるのじゃな、と考え……もう、申し訳ございません」
母想いの良い子である。とはいえ感情が右から左へすっ飛んだので、面白くなって笑ってしまった。
「ふふっ、まあ良いじゃありませんか。小龍閣下は実の子といって差し支えないのでしょう?」
「肉体は介しておりませんが、手ずから育て上げた事に間違いはございませんわ。それで、菊理。泣いていようといまいと、惟鷹様との逢瀬を邪魔立てする理由は?」
「ええ? 親が泣いておったら介入するじゃろ、子ぞ……?」
「そういうものですかしら」
「そういうものですよ、たぶん。親は知りませんけど」
「いやその……母上は、身の上が特殊じゃろ。惟鷹は母上の人格を消さないと、言ってはくれたが……それを是としない十全皇の代理として、ココに現れる可能性も……あったじゃろう? だから、ウチはその、心配になって」
「なるほど。理解いたしましたわ。平気ですわよ。私、お名前もいただきましたの。七枝だそうです。可愛らしいお名前ですわよね」
「惟鷹、型番からそのまま取ったな?」
「名前なんて解り易い方が良いのですよ。それと、七枝の人格については、心配無用です。十全皇の気が変わったとて、僕は絶対に反対しますから」
「ん。あいわかった。惟鷹の決定を無茶に捻じ曲げるような真似を、十全皇がせんな。お邪魔したのう。いやほんと、申し訳ない……続き、するかのう?」
「しませんよ……」
「え、しませんの??」
「しません」
七枝が菊理をジッと睨む。いや、はや、などと言いながら頭を掻いて退散していった。
「全く」
菊理にとって、間違いなくこの七枝が母なのである。他の十全皇にも、当然忠誠を誓ってはいるだろうが、それでも、扱いは別格なのだ。
もしあの時、自分が判断を誤り、07号の人格を消去するよう進言していたのならば。修復不可能なニンゲン関係の亀裂を生み出していたに違いない。
「もう五千歳を超えて、子供も沢山いるのに、なんだか、あまり成長いたしませんのよね、あの娘は」
「母想いで良いじゃありませんか。家族は……仲が良い方が、良い」
家族。血縁を差す場合の常識を、惟鷹は知らない。ただどうあろうと、仲は睦まじい方が良いであろうし、因習や因果など、存在しない方が良いだろう。
そうだ。存在して欲しくはない。しかし、目の前には依然として、不気味な影をちらつかせているのが現実である。
「――ああ、ええ、そうですわね。家族。惟鷹様のご家族、それについても、ご希望があれば、お話いたしますわ」
本日はそれも含めての旧北東蕃入だ。
場所を庭の東屋に移す。扶桑建築邸宅の内庭に突然西方趣味のガゼボが現れるのだからアンバランス極まる。七枝はお茶だけは自分で淹れ、お菓子類は亜空間から取り出した。
周囲を見渡す。煉瓦で組まれた花壇に、ポツポツと緑が規則的に植えられている。
「急ごしらえで備え付けさせましたの。物凄い違和感が出て、逆に面白くて面白くて」
「庭仕事もするのですか」
「ええ、まだ植えたばかりですが。本来なら、願い、指を弾くだけで、実現されるものです。我々リュウは、生命の礎。生命であるならば、如何様にでも出来てしまう。ですから、戯れですわ」
「良い趣味になるといいですね。何でも、続けてみるべきだ」
その言葉を受けて、七枝は静かに頷く。人類的な感性を、当然知ってはいるのだろうが、果たして悠久の時を生きる龍が、人類の細やかな楽しみを掛け値なしに受け止めて情緒を上下させる事などあるのかどうか。そればかりは解らない。
「――実は一度、全てを諦めかけた事がございます」
「長い年月、そんな時もあるでしょう」
「全部途中で放置して、アズダハに対して、一切の変化を禁じましたの」
「一切の変化?」
「例えばこのカップ。割れたとて、必ず元に戻るようになります。例えばニンゲン。傷付こうと、死のうと、必ず元に戻ります。当時あったそのままの状態を、完全維持するのです。箱の中に仕舞いこんで、時を止めた模型の如く」
カップが割れる。時間を巻き戻したかのように、元通りとなった。疲れてしまい、何も動かせなくなってしまう事は、ニンゲンにもある。龍がやると、それが世界規模になるのだろう。
「結局また、歩み始めましたけれど、待てども暮らせども、彼は現れなかった。地球胎内に手を入れ、ニンゲンという器を精査し、再構築し、滅ぼし……幾度の試行錯誤を重ねるうち……彼が入りうる器が足りないのでは、という考えに至りました」
ヒトは死ねば、魂を地球胎内へと落として行く。そこで全てを真っ新とし、また大樹の根に吸い上げられて、現世へと帰還するのだ。
しかし件の鈴谷新は――月にいる。幾ら地球胎内を漁ろうとも、死していないニンゲンの魂は、地球には存在しない。
月から、奴を引っ張って来なければならないのだ。
「それが、古鷹一族の始祖ですね」
「はい。鈴谷新は、私を生み出し匿ったとして逮捕されました。その後、地球を支配するに至った私に対する対抗策として、月へ送られたのです。それからの彼の足跡はほぼ分かってはおりませんが……私達、地球型アズダハを操るリュウに対して、メタ……カウンターとなり得る月型アズダハを用いた兵器を、幾度となく地球へと降臨させたのです。その手法から、間違いなく鈴谷新であろう、という予想が立ちました」
「鈴谷新は、当然、もうニンゲンではありませんよね」
「月面に聳える大樹『竜滅神樹』と統合していると、考えられます。これは月面におけるあらゆるものの操作権限を有する、司令塔ですわね。大方……月面政府のやり方に異を唱えて、クーデターでも、起こしたのでしょう。そして、地球を攻撃可能な形態に……大樹に、その身を変化させた」
「僕と、彼は同じだという。主本体と分身の違いですか?」
「とても、細かいお話になってしまいますが。長年の検証により、数値が近ければ近い程、存在自体も近いものであると答えが出ましたの。とはいえ、双子ですら下十桁は異なるものなのですが……」
「その誤差が、僕と新では、少ないのですね」
「下二桁。これは、つまり同じ魂の人間が、次の生で歩んだ人生の差異、程度のものなのです。魂の数値は固定ではなく、ある程度の幅がございますの」
「あるヒトはパン屋だったが、次の生では床屋だった、ぐらいの差だと?」
「うふふっ。いつも分かりやすいですわね。その通りです。貴方様にはその程度の差しかない。ズバリ本人である、と言ったところで差支えがないのです……私の目論見は正しく、そして、成功してしまった」
「鈴谷新の分身、それを収めるに足る器が、僕であった……ああ、なるほど。大樹と融合しているような存在が、その辺りの人物に、突然魂を降ろせない。パンクしてしまう」
「はい。だからこそ、今まで彼は、その魂を地球に介入させられなかった。直接物理的に送り込む手段も考えたでしょうが……彼、そもそも、凡人ですのよ」
「研究者ですものね」
「それもまた厳密ではなく、本当に凡人なのです。アズダハは扱えますでしょうけど、リュウのホームグラウンドである地球にそんなものを投げ込んだら、即座に殺されてしまう。少なくとも地球に馴染むまでは、隠匿せねばならない。その試行錯誤の痕跡が、魔法少女です」
「僕の母の美月。そして、フォラズに眠っていた美月ですね」
「同型です。型番と魂は異なるにせよ、肉体的に――貴方様の母美月と、フォラズの美月は同じ」
「衝撃的なのですけど……」
魂は異なれど、肉体だけならば同一。勘弁してくれ、という気持ちと、自分の理解の外では、そんな事もあるのだろうという納得がある。必然的に、彼女は自らを美月と名乗ったのだ。十全皇の話では、母が前期型、神美月が後期型、という分け方をしていた。
惟鷹としては――次からどんな顔で彼女に接すべきか、という点の方が問題である。
「……その女に、アラタは自分の因子を、与えていた。そしてそれは――……これは、私も想像していなかった事です。私が拵えた器たる古鷹の男が、因子を持った女と、結んだ」
「――……十全皇の、想定外、だったのですか」
「上手く行きすぎた、とも、言います。かくして、完璧な才能と、最強の器と、脅威の因子が揃い、貴方様は、お産まれになった。言いましたでしょう。貴方様は、鈴谷新の同一にして同一にあらず、理想化された貴方様である、と」
自身の血、その意味、その形を、ようやく把握するに至る。
十全皇と鈴谷新、双方別枠の試行錯誤がかち合った結果――完全な答えが生まれた。見ていた方向自体は同じだったのかもしれないが、意図せず共同制作を敢行してしまったのだ。
そう考えると、他の竜達の青葉惟鷹を見る目が異様である事実も納得出来る。
地球産の特別な肉体に、月産の異常な魂を有した存在。それが、青葉惟鷹だ。
「青葉幹鷹の不毛地入りはぞんじておりました。しかし、本当に『悪辣』に辿り着くとは、考えもせず。しかも魔法少女を持ち帰り……恋仲になるなど」
「母……美月による操作でしょう。最適な器を、自分の下まで導いた。そこから先は……どう、思っていたのやら、分かりませんが」
「かくして、貴方様はお生まれになった」
「つまり、確実に、明確に、僕は貴女の敵なのですね」
「殺したいですかしら」
言われ、小さく頷く。強迫観念としか言いようのない、強さへのこだわりは、実際どこから齎されたものであるのか、分からなかった。とにかく強くあらねば、何者にも負けない力が必要なのだと、自分に迫り続けていた。
そして実際に十全皇という『目的』を目にし、彼女が自分如きではどうする事も出来ない人物だと知るに至ると、自分を極限まで否定されたような恐怖が押し寄せた。
女として扱っている間は――それが、紛れたとも言える。真正面から彼女を捉えれば捉える程、自信が目減りし、自尊心が傷つき、悲しみに暮れる他無かったのだ。
リュウなど、本来ニンゲンと比べるべくもなく強大な相手に対して、そんな感情を抱く時点で、狂っていたという他無い。
だが、今はもうだいぶ、その心の形も変わっていた。
「たぶん殺したかったのだと思います。今は、ありませんがね」
「そう。貴方様は彼ではない」
「僕は僕ですよ」
「とはいえ、最適解の器です――彼による、介入は心配されるところではあります。どうか、お気をつけて」
「ええ。しかし、ともすると、器云々の話なのですが」
「はい?」
「僕の双子はどうなったのでしょう」
七枝の手が止まる。震えながらカップを置き、目を瞬かせる。これは、相当に意外だったと見える。青葉幹鷹の部下、剣崎山元少佐から齎された事実は、かなりの精度でひた隠されていたのだろう。
「それは――……どちら、様から?」
「絶対に言いません。解ったとしても、報復だけはしないでください」
「……落ち着きます。ええ、そうです。貴方様が悲しむ。ダメですわね。はい……」
「そこまで、僕に知らせたくない事実があるのですね。聞かれないから、答えないだけですか」
「――いいえ。これに関しましては、聞かれても、答えられませんわ」
「そんな事、あるのですか?」
十全皇は、嘘を吐かない。言葉が足りなかったり、詳細が省かれていたりはするのだが、聞かれた限りは答えを出すからだ。これを否定出来るあたり、やはり七枝がはみ出した存在である事が窺える。
「うふふっ。だって、私は十全皇であり、なおかつ、別人」
「じゃあ他の十全皇に訊きます」
「それは、答えられてしまいますわね……はあ」
七枝が項垂れる。本当に、心の底から口にしたくないのだろう。長い沈黙が続く。
どれほどの時間が経ったであろうか。七枝がテーブルに手を差し出した。その上に手を重ね、吸い込まれそうな金色の瞳をジッと見つめる。
「心を、強くもってくださいまし」
「――僕の双子は、どちらに」
「――……言いたくありません」
「もう今更です」
「絶対に、貴方様は背負い込む。絶対に、殺さねばならないと、飛び出して行く」
「――まさか、僕の知っている人物なのですか?」
「もう、幾度も、殺し合いましたでしょう」
言われ、眼が外れるのではないかと思う程、見開く。阿呆のように、口が開く。手が震え、それを、七枝がしっかりと握りしめた。胃が刺さるように痛い。脳味噌が興奮で茹る。全身から発汗し、筋肉が蠢く。
脳裏に、瞼の裏に、世界を染める紅が滲む。
喉が渇く。熱い。
燃えるように、焼けるように熱いのだ。
「惟鷹様。私を視て。貴方様に全てを捧げる覚悟のある女が、ここに。貴方様の、痛みも苦しみも、怒りも悲しみも、その全てを受け入れる女がここに。愛しい愛しい貴方様。どうか」
「七枝」
「はい」
「ありがとう。貴女は悪くない。何もかも――既に終わってしまった物語を、ひっくり返そうともがいた愚か者の所為です。貴女は悪くない。貴女を恨む事もない。僕は――君の夫だ」
「はい――」
「そうか……どうりで、不愉快な訳だ――……アスト・ダール」
奴が、何ゆえ産まれて直ぐ殺される筈の、紅い目でありながら生き永らえたのか。弟を殺された故の殺意以上に、排除しなければならないという怒りが存在したのか。
嗚呼、そうだ。
運命は、フェニクス島以前から全て決まっていたのだ。
「彼奴がいる限り、貴方様は狙われる。必ず、また出会う。故に、知らぬまま、殺してしまった方が、良かったでしょうに。私自身による暗殺も考えましたけれども……」
「今のところは、怪物であろうとも、リュウには至らないのですね」
「はい。故に、私は直接手を下しておりません。リュウに届くというのならば、問答無用となりますが……。正直、この決断は、間違いであると思いますの。今すぐ殺してしまった方が良い。絶対に、禍根を残しますわ」
「奴の中には、何が入っているのですか。鈴谷新の、別の因子ですか」
「実は、それを確定出来ずに居るのです」
「――龍が見て、中身が分からない……?」
「月は、私達とは違うアズダハの技術ツリーを擁しております。本来因子でしかない筈のものを、魂として再現するのも、我々の知らない技術ですもの」
「そうか。因子は所詮要素ですものね。そしてやはり、バルバロスはかなり深く、月と絡んでいる」
「はい。大龍和祷祭が終わり次第、大扶桑は大帝国と統一征伐軍を編成、バルバロスに対して大規模攻勢を仕掛けます。バルバロスは、癌そのもの。この世界を、食い破りかねない」
「戦争ですねぇ……」
「惟鷹様は、ご心配なさらず。ヒトの手にて、滅ぼしますので」
「そうも行かないでしょう」
「しかし」
「誰が、アスト・ダールを殺せますか?」
少しの沈黙。これ以上、惟鷹を戦地へと引きずり出したくはないのだろう。だが、アストが居る限り、向こうにもう一人の惟鷹が居るようなものなのだ。それを、人類の手で止めるには、相当の無茶が必要になる。この無茶とは当然、人命の事だ。
「宜しいのですわね」
「全部終わらせてやります。貴女の為に。僕の為に。皆の為に」
「――『大樹扶桑雅悦へと命ずる。皇が認めし英傑へ、その大いなる力の大河を授けよ。名は青葉惟鷹。皇の婿に、願いの全てを』」
七枝がそのように唱え、指を弾く。惟鷹の身に、変化らしい変化はない。
「な、何をしましたか?」
「権限を。今までは『接続』まででしたが、一段階引き上げました。『解放』と唱えてくださいまし」
「ふむ……『女皇龍脈・解放』」
それは、静かながら力強い、清流のようなものであった。周囲の魔力が吸い上げられ、急激に外在魔力が補填されて行く。それに呼応して占有根幹魔力帯から占有根幹魔力が引き上げられ、全身を駆け巡った。
痛みも、熱さもない。ただ、この手を振るったのならば、全て終わらせられるだろうという、一種の恐怖があった。そして何より――簡単には傷付かないのでは、今までよりも更なる無茶が可能なのでは、という嫌な自信が湧いて来る。
「惟鷹様は一応、まだヒトの肉体ですもの。直ぐ傷付いていたら、大変ですわ」
「崖から落ちても、ベッドから落ちたぐらいになりそうな、カンジです」
「それと、こちらも」
七枝が空間を裂き、中から一振りの刀を取り出す。見覚えのある拵え、反り、尋常ではあり得ない気配。忘れる筈もない、これは。
「魔刀グラム……?」
「前の男の剣などお嫌いでしょう。新しくこさえました。龍刀レヴァンティンです。仕組み自体は、グラムと同じですけれど」
受け取る。神断竜滅金属製のそれは、手に馴染む程度の重量、元から自分の物であったかのような握り心地だ。抜刀して刃を確かめる。
『あっ、うっすうっす。お久しぶりですー。グラム改めレヴァンティンでーす』
「喋るのかぁ……」
「グラムの人格は移植いたしました。仲が、お宜しいようでしたので」
『惟鷹とアタシはズッ友ッ!! 竜斬ろう竜斬ろう竜斬ろう竜斬ろうッ!!』
「剣呑ッ!! 物騒!!」
『使用者の再登録をおねしゃーす』
「うう……武器が喋らないでほしい……まあでも、人格無事で良かったですね」
『武器なのに心配されちゃった……陛下、アタシ彼が好きかも』
「幾ら惟鷹様でも、刀は抱けませんわねえ」
『おほほほほっ。血ぃくださぁい』
「はぁぁぁぁ……」
竜すら斬る、本来存在してはならない武器。これが無ければ、九頭樹事変において、惟鷹は更に数度死んでいただろう。これから先戦う相手を考えれば、過剰とも言えない戦力であるのが、悲しい所だ。
慎重に刃に触れる。指から流れた血液はレヴァンティンへと吸い込まれて行った。
『んおっ。味濃くなってる。魔力的には、十全皇六、シュプリーア三、月一ってカンジ』
「なんですそれ」
『成分分析? みたいな? 惟鷹固有の魔力以外に、関わってる魔力』
「そうですか……普段は大人しくしていてくださいね。僕はお淑やかな女性が好きです」
『りょっすッ!!』
納刀すると大人しくなる。なるほど、多少は改善されているらしい。
「……正直、そうおっしゃると思って、前々からご用意しておりましたの。一日四回のポータル使用権限も付与しておりますから、普段からご活用くださいまし」
「便利すぎる……有難うございます」
「……リュウから剣を授かった者は、例外なく非業の死を遂げております」
「ええ」
「惟鷹様は、それを打ち破ってくださいまし」
「僕は負けません。何度か、負けに近い事も、あった気はしますけど」
「あ、相手が相手ですもの……」
「僕が死ぬと、悲しむヒトが増えましたからね。そして、これからも増えます」
「――……はい」
「今日は、ここに泊まります。構いませんね。まだまだ、細かい話も聞かねばなりませんし」
「も、勿論ですわ。うふふっ、ええ、勿論」
七枝に手を差し出す。彼女は静かにそれを取った。
もう、あの頃の自分ではない。そしてこの命はまた、一人のものでもなくなった。結果、剣が鈍るような事があるならば――所詮、自分はその程度の、他愛ないニンゲンだったという、だけの話である。
「あら、そうですわ」
「なにか?」
「『解放』許しまで至ったとあらば、もはや惟鷹様は十全皇の一部のようなもの。是非観て頂きたいものがございますの」
「なんだか恐ろしい話してます?」
「十全皇の機能分割再編成で、私が授かった役職がございますの。元より管理しておりましたから、そのまま継続しての引継ぎ、という事となりますが」
「十全皇における七枝の主要業務ですか?」
「はい」
「それは、なんでしょう」
「あの世ですわ」
そういって、七枝が惟鷹の手を引っ張り、家の中へと引き入れる。何もない廊下の真中で足踏みを五回すると、床がせり上がり、地下へと続く入口が現れた。意匠が扶桑の建築ではないので、十全皇等が直々に設えたものと解る。
「地下室かあ……」
「ただの作業所ですわ。さ、こちらへ」
自分の仕事を見て貰いたい、とでも言うように、七枝が笑う。
ここまで十全皇と深く繋がっておきながら、今更否定出来るものもない。頷き、彼女に手招きされるまま、地下へと下って行った。
物理的におかしな空間である。しかし、ここが十全皇の管理する空間だというのならば、はぁ、と納得する他ない。あの階段を下った時点で、ズレた位置にいる事は明白だ。
ドーム状の部屋が幾つも連なった造りになっており、そのドーム一つ一つの中央部に椅子がもうけられている。天井には映像が映し出されており、物凄い速度で切り替えを繰り返したり、大型化したり、細分化したりと、実にせわしない。
「ようこそ。七枝の仕事場へ」
「あの世ってこんなカンジなのですねぇ」
「ここは管理室ですわ。あの世自体は、罪業炉心レイの中にございます」
「では監視ルームで、貴女はそれを管理する立場にあると?」
「はい。あの世自体は安定した世界ですから、余程でない限りは問題など起こりませんけれど……この度の事件で、犠牲者が多数おりましたでしょう」
あの世というからには、死人の世界である。当然死体が増えれば仕事が増える。あれだけ大規模な事件で、むしろ二千人程度で済んでいるのが奇跡ではあるが……。
「……待ってください。ヒトは死すれば、魂が地球胎内へと向かいますよね」
「ええ」
「どういう矛盾です?」
七枝が頷く。部屋の真中にある椅子に腰かけ、映像を見上げる。惟鷹もそれにつられるようにして映像に目をやった。
大きく映し出されているのは、実京の街並みだろう。過去のものなのか、破壊された痕跡が見当たらない。
「昔の首都ですか?」
「いいえ。あの世の今の姿、ですわね」
「――……うん?」
「ここの映像は、全て今ある、あの世の景色。死後と死後の間。煉獄ですわ」
「なんですって?」
扶桑で死した場合……地球胎内へとそのままは向かわず――罪業炉心レイに、一度収容される、という意味だろうか。
「――こういった世界が、無数にございます。死した者達の時代に合わせた世界が、数多と」
「それは、どういった意味があるのでしょう。死した魂を捕獲し、つなぎとめ続ける理由など、あるとは思えないのですが」
「扶桑で死んだ場合……いいえ、この場合『十全皇関連死』という名称で呼んでおります。十全皇の関わる問題で死した者の魂を、任意で引き留めているのです」
「任意で? つまり死した者に、地球胎内へと下るか、罪業炉心の中で暮らすかを、選ばせているのですか?」
「はい。これが――十全皇という弱い女の、精一杯の贖罪であり、十全皇という機構のリソースを多大に消耗している、最悪に非合理なシステムですわ」
言われ、理解し、思わず顔を顰める。
ここは、十全皇の罪の意識の世界だ。罪業炉心が、何故罪業炉心などという名前なのか、その理由そのものである。
つまり彼女は――
――自分が関わったヒトの死を、許容しきれていないのである。
「今丁度、お知り合いの方が」
「えっ」
映像が切り替わる。伽藍洞のオフィスに、光が二つ。一つは事務机に向かって座る人物……こちらはスーツ姿の十全皇を照らし、一つは軽装具足を身につけた男性を照らしている。顔がハッキリと映るが、誰かは分からない。知り合いならば覚えもありそうなものだが……。
『ごきげんよう』
『ここは、どこに。貴女は……陛下で、いらっしゃられますか』
『頭を垂れずとも宜しいです。この度、貴方様、幸田山為様は、お亡くなりになられましたわ。十全皇関連死案件として、貴方様には選択権をご用意してございますの』
『選択権……?』
『このまま死して、輪廻を待つか。生前と違わぬ世界で、寿命を全うするまで生きてから死に、輪廻を待つか、この二つにございます』
『なんと。そのような仕組みになっていたとは……』
『いかがなさいますかしら』
『質問などは、許されるものでしょうか』
『はい。何なりと、お幾つでも』
『紫天女……衣笠真百合様は、ご無事ですか』
『はい。傷一つございませんわ』
『俺の……家族は』
『はい。無事にございますわ』
『よかった』
『以上ですかしら』
『はい。陛下、御配慮感謝致します。拙者は、そのまま死にとうございます』
『――仮初とはいえ、現実と違いません。どのような要因で再び死すかは、その世界での行いによって異なりますけれど、寿命までは生きられます。それでも、構いませんのね?』
『はい。拙者はやり切りました。これ以上ない誉です。また、扶桑人として……次は、本当に侍として、産まれたく思います』
『……――畏まりましたわ。では、行ってらっしゃいまし。どうか、幸多き来世を』
幸田山為――遠隔会話でしか繋がりは無かったが、なるほど。真百合はしきりに、彼は立派で、素晴らしく、扶桑人男性の魂そのものであるとまで、惟鷹に語っていた。それは惟鷹に語るだけでは留まらず、その武勇は必ずや扶桑人に語り継がれるべきだとして、マスコミからのインタビューには断らず答え、そして彼の名も常に口にしていた。
つまり――真百合は、この男に脳を焼かれてしまったのだろう。
思わず苦笑いする。そして、その真っ直ぐな精神性が、惟鷹には羨ましかった。
「彼は全生命力をエネルギーへと変え、浄化機構γを一刀にて屠りましたの。彼の功績は大きい為、次の人生の要望も、取り入れます。次は武家の息子ですわね」
「眩しいです、あまりに。そして悔しくもある。これだけ素晴らしい人物が、若くして死なねばならなかった事実が」
「……故に、こうしておりますわ」
「仮想精神サナトリウムというのも、似たような仕組みですか」
「あちらは、一応生者の為のものです。ただ、間違いなくそのイメージで運営しております」
『十全皇関連死』今の時代は、かなり少ないだろう。だが、過去はどうなのか。
「過去、文明を丸ごと滅ぼした折は、どのように」
「同じです。満足行くまで魂のまま、生きていただきました――数は数十億人に昇ります」
「――増えれば増えるだけ、管理しなければならない世界が増えてしまう」
「はい、その通りに」
「負荷が大きすぎるのでは」
「……はい。十全皇はその罪悪感から、数多の仮初の世界を運営し続けております。結果、この事業を始めて以来、文明世界が滅びる都度、十全皇は弱体化を余儀なくされておりますの」
「蘇生ではなく、死後の世界を運営するのは」
「誰でも蘇生出来てしまう世界では、人類は人命を軽視し始めます。危機回避緊急法第3番において、経験なされましたでしょう。全ての資本は命。これが暴落すると、人間は人間では居られませんのよ」
この世界に生まれ落ちた十全皇は、アズダハの殆ど全てを掌握した。しかし、仲間達への想いは捨てきれず、そのアズダハを他の竜達に分け与えていた。世界を構築する上で手放さなければならないアズダハは多く――そして、更には、他の仮想世界を運用する為に、力を割いているのだ。
十全皇は零落している――そのように口にしたのは、誰だったか。
未だに強大な力を有しているのは間違いなくとも、時間の経過が彼女を弱めているのは間違いではなく……そして、その大半が、自己の判断によるものなのだろう。
「貴女を知れば知る程、絶大な力を有している割には、優しすぎると思っていたのですよね」
「とんでもない。ただひたすらに、己の咎を恐れるだけの、小さい人間の一人ですわ」
「では、何故こんな弱みを僕に見せたのですか」
「そんなの、決まっておりますでしょ。自分の弱い部分を、好きなヒトにさらけ出しておりますのよ。十全皇の行動原理なんて……惟鷹様の為のものが、殆どですもの」
「業の深いことだ」
「お嫌いですかしら」
「いいえ。誰も貴女を裁けない。裁けないならば、自分で背負うしかない。そうなのでしょう」
「……はい。仮想世界も、皆がなるべく幸せになれるよう、運営しております」
「立派な仕事ですよ」
「うふふっ。他人をダシに惟鷹様に褒めて頂くなんて、最悪ですわ」
「まあ、魔王ですものね」
「ええ、魔王ですもの」
彼女がその深淵に抱くもの。その実は、結局のところニンゲンの感性と変わらない位置にあるものなのだろう。価値の数は決まっており、どこを重視しているかだけなのだ。
十全皇という、あらゆる要素の集合体の、その一部分。
怪物の、一番脆い部分。
罪業の炉心を抱えて、彼女は在り続けるのだ。
七枝に付き添われながら映像を目にして行く。ニンゲンはニンゲンである限り死ぬ為、古い世界は自ずと消えて行く事になるだろう。十全皇の負担というのは、仮想世界の数というよりも、仮想世界内で動かさねばならない、魂のない住人達の数である。
その運営方法の詳細は分からないが……ヒトが死ねば死ぬだけ、その人物に関連した人々を、まるで本物であるかのように動かさねばならない訳であるから、処理は膨大極まると見える。
「――ふむ」
ドームの一つの映像が切り替わる。七枝が死者のリストを眺めながら小首を傾げていた。膨大な数であり、物凄い速度でスクロールしているが、七枝には理解出来ているのだろう。
「何かありましたか」
「――ひとつ、お伺いしても」
「ええ、なんなりと」
「統春――始末いたしましたわよね」
「ええ。この手でしかと」
「おりませんわね、リストに」
「――……なんですって?」
「罪業炉心さん。検索」
『うえ? 何? あ、惟鷹だわ、こんにちは』
「こんにちは?」
『統春ね。居ないわね。えっ!? なんでッ!?』
統春は間違いなく、この手で仕留めた。というよりも、仕留めさせられた、が正しい。
「詳細をお伺いしても」
「統春に近づいた僕は、事情を話させる為にも大樹から引き剥がすつもりでした。その時、彼女が所有していた勾玉……的なものを破壊したのです。それは自分達姉妹の魂で、それを壊されたからには、もう死ぬしかない、と。ほぼ、自殺幇助ですよ」
統春の周囲を回っていた宝石を破壊した結果、引き剥がす事は叶わず、そのまま崩壊してしまった。そんなつもりがなかっただけに、あの時はだいぶ慌てたろう。
「統春はその勾玉を魂とおっしゃいましたのね」
「そう言っていました」
「数は」
「四つですね。全て破壊しました。各々、統春、夏権、秋禍、冬乱の魂だったそうです。魂を破壊したのですから、輪廻の輪に戻っていない可能性があるのでは?」
「戻らずとも、十全皇関連で死したならば、リストには表記されるようになっておりますの。魂は破壊こそ難しくございませんが、消去は不可能に近いもの。魂の数値を読み切る十全皇が、これを取りこぼすとは思えませんわ」
「他の三姉妹は」
「ええ、リストに名前はございます。破壊された魂を修復する為、ただ死んだ者達よりも、輪廻転生は遅れるでしょうが……ございます」
「破壊、破壊しました。四つ」
「――全部が勾玉でしたかしら?」
「少なくとも一つは……あれ、どうだったかな……」
自信がない。言われた通り破壊しただけである。そしてその通り、統春は消えてしまった。その状態で生死不明などと言われても、惟鷹には判断などつけようがない。
「……統春が天照の力を引き出す為に用いた三種の神器の内、勾玉がございませんでしたの。剣と鏡は回収されましたけれど」
「え?」
「三姉妹のリストはある。しかし統春はない。強大な力を秘める勾玉が一つ紛失――やられましたわね。惟鷹様」
「僕が破壊した四つの内、一つは天照の勾玉で、統春の魂では、なかったと」
あの状態で、統春が悪あがきをしたのか。自分が、何者かに操られているのだと、しきりに訴えていた。確かに、それが悔いとなり、最期の最期で生き残る手段を残そうと考えたならば、一つ納得は行くが。
「あの接ぎ木を維持するのに、まさか全力を用いないとは思えませんわ。統春の魂はギリギリまでその場にはあった。惟鷹様に他三姉妹の魂を破壊されたのを確認してから――どこかへと、送りつけた」
「ポータルか、亜空間魔法か、ですね。自分では既にやりきれないと覚悟し、どこかへと希望を託した可能性がある。そしてそんなものの行く先なんて――」
「バルバロスですわね」
思わず額を手で覆う。魂を冒涜する事にかけて、奴らを越えるものはいない。
「統春が何者かによってハメられた、という話はしましたよね」
「ええ、事情聴取の折に、伺っております」
「統春達が、如何にして扶桑雅悦へ浸食したのか、その原因については」
「バルバロスの生体兵器と思しき少年と、統春の何かしら因果深い魂……彼女の起源は万里未踏由来でしょう。ご存じの通り、万里未踏の竜の元となるものは、鈴谷黄萌ですわ。そして罪業炉心レイは、本来鈴谷黄萌になる筈だったものです」
「親和性があったと」
「――……それにしては、強すぎるとは思いますの。なので、それは一要因として、他の力も働いていたものかと。それが、統春を誑かした張本人である可能性は非常に高いと思われますわね」
十全皇にして曖昧な言い方になってしまうのも仕方ない。対統春時においては、根幹魔力帯が混線だらけとなり、なおかつ惟鷹達へのバックアップと、ゼロツーのアップデートも行っていたのだ。視野こそ確保していただろうが、詳細な魔力痕跡を探るような真似までは出来ていなかっただろう。
対統春戦前後の時間は、十全皇の監視が行き届いていない、扶桑に空いた大きな穴なのだ。
「バルバロスの技術でしょうか。妥当ですが、妥当すぎますね」
「もしくは、女王ヘル」
「僕も、それは少し考えました――統春は、名前を口に出来ない、と嘆いていました。扶桑雅悦に取り憑いた状態の統春に対して、それほどの口封じを可能とするのは、おそらく竜だけでしょうしね」
「つまり、全部ですわね。月と、バルバロスと、ヘルは組んでいる。ドレとドコが、どのくらいの深さで交わっているのかは、存じませんけれども」
十全皇の話を信じるならば、ヘルは敵に味方にと何度も入れ替わっている筈だ。彼女の思考回路、行動原理は不明ながら、十全皇と敵対するのならば、他の敵対する組織と手を組んでいても不思議ではない。
これがただの竜の戯れで済ませられるならば良いのだが、生憎その竜は、自分の拝む神の母である。これが大変に、事情を複雑化させてしまっている。
「どうするのですか」
「文句は言いますわよ。ただ龍として、他の竜に介入されたのであらば、それは隙ですもの。私の愚かさ故の問題でもございます。ですから、事情は伺いに参ります」
「女王ヘルは、十全皇をどうしたいのでしょう。理由などはありますか」
「さあ……ただ思うに」
「はい」
「今、娘へと力を引き継いでいる最中でしょう?」
「確かに、そのような節があるようですね」
「娘が完全に力を引き継ぐ前に、十全皇削ってやろう、ぐらいは、考えますわね、あの女」
「なんだか少し納得出来ます。なるほど、ありそうな線ですね」
「ご心配なさらず。事を構えたりなどはいたしません。どうせ引退間近の身ですもの」
胸を撫でおろす。流石にリュウ同士の喧嘩の仲裁をしろ、と言われてなんとかなるとは思えない。リュウの仲裁とは、即ち大陸を一撃で粉砕しかねない生命体の間に立つという事だ。死んでしまう。
「さて、では今後の方針も決まりましたね」
「そういうお話でしたかしら……?」
「執政侍王なので。貴女の補助役ですから」
「まあ嬉しい。そしてその通りでしたわ」
「リュウ同士の諍いについては、お任せします。僕については……たぶん、昔と同じ運用方法ですね。ニンゲンではどうしようもなさそうな場所への投入です。主にアストでしょうが」
「本意ではありませんが、貴方様が仰るのであらば、そのように。私からは……そうですわね、お姫様方のお相手、宜しくお願いいたしますわね。都合がつけば、今回はイナンナーも取り込めそうですし」
「うーん政略的」
「惟鷹様がお集めになられましたのよ、あの異常なメンツ。十全皇なのですから、使えるものは使いましょう、となるのは必然。それに、皆さまが仲良く手を結べるならば、彼女達の未来の為にもなりますわ」
「ははは……」
「では、残っているものを片付けてから戻ります。上でお寛ぎ下さいな。御夕飯、楽しみにしていてくださいましね」
「手伝える事は?」
「私の仕事を取らないでくださいな」
笑って手を振る。なんだか新婚っぽくていいな、などと思いながら上層階に戻ると、廊下で丁度化野と遭遇した。化野は惟鷹の顔を認めると、目元を拭って近づいて来る。半泣きだ。
「侍王閣下、今までどちらへ……化野はまさか侍王閣下を見失ったのかと思い、ひやひやしておりました」
「秘密の部屋で秘密のお話ですよ。権台三位殿は引き上げて構いません。今日は泊まりますから」
「はっ、畏まりました。役場におります、実京へお戻りの際はお声がけください」
頭を下げて去って行く化野を見送ってから、縁側に出て腰をかけ、空を見上げる。いつの間にか陽は傾き始めており、目を細めて夕焼けの行く末を見守る。
「生き別れの双子か。最悪だよ」
十全皇から逃れた母は、そしてあの男を産んだ。胎にいた時点から、魔力計測器を狂わせる程度には、狂った双子が母の中にはいたのだ。
自分達、古鷹の男児は、鈴谷新という旧人類滅亡に寄与した大戦犯の器である。
化物が二人。かたや十全皇の婿として、かたやテロリストの首魁として、生きているのだ。その結末は、きっと語るまでもなくどちらかの死によって齎されるだろう。
(奴は……ヴァルハラからやって来たと、口にしていたか。どういう自認だ。肉体としての自意識は存在しているのか。魂は――何が入っているのか)
赤く焼けた空が、燃え盛る炎へと変わる。奴との邂逅は常に死がある。遠くを見通す事も出来ない程の炎の嵐が、消える事なく青葉惟鷹の視界を奪い続けていた。
ただし――もうあの時のような視野狭窄に陥る事はない。衣笠時鷹の死が、惟鷹の重しとしてのしかかる事もない。純粋に、奴は殺さねばならないという、冷静な殺意だけが残った。そして恐らく、奴もまた、そのように考えているだろう。
「貴様の望んだ世界なんて、もう帰ってきやしない。貴様が望む理想なんてものは、この世に二度と産まれはしない。貴様が偽物だと蔑む世界は、どうあろうと――現実だ」
正当性で世界が回るならば、現世はもっと穏やかである。奴の抱く一理は、所詮一理でしかなく、実現すれば、全人類を危機に曝すだろう。
「過去しか見えていないのは貴様だ、アスト・ダール」
東部諸島、妙高島でぶつかった折、奴はそのように言い放った。しかしいざ蓋を開けて中身を掻き混ぜてみれば、骨すら残っていない、残り香すら感じられない、水の煮物だ。
過去どころか、現実に存在すらしなかったものが正体なのである。確かに、記憶には刻まれているのだろう。その記憶をもってして現実というのならば、否定するような真似はしない。それは他の竜も、十全皇も同じであるからだ。
だが、架空を現実に投影するような真似を出来るだけの力が、アストにある訳もない。
それを――アスト・ダールは認識しているのか。
もし、出来ていないというのならば……虚しすぎるのではないか。
「惟鷹様、指を弾いて目の前に現れるお料理に、ご興味は……?」
「お仕事終わったのですか。というかなんですかそれ……興味ありますけど」
「よかった。しかしその場合人間族成人男性五人前になりますわ」
「んもう。足りないのは材料ですか。調味料ですか」
「指を弾いて目の前に現れる調味料で構いませんなら……」
「買い物行きましょ。まだ商店も開いているでしょう」
「まあ、男性をお買い物を付き合わせるだなんて、そんなそんな……」
「……ほら、行きますよ、七枝」
用意周到準備万端の彼女が、まさか買い物を漏らすなんて真似はまずあり得ない。七枝が嬉しそうに惟鷹へと付き従って歩き始める。
「何か、考え事でしたかしら」
「あれだけの話を聞いて、何も考えないように見えます?」
「何も考えない時間も必要とぞんじますわ」
「この身の上では、難しいですね。来世はそんな人生で良いかもしれません」
「おバカの惟鷹様は……ちょっと……少し……嫌ですわね……」
「責任は取りましょうよ。誰のせいで僕がこんなニンゲンだと思いますか」
「うふふっ。ええ、ええ。お任せくださいまし――地球が、宇宙が滅びるその時まで、私は責任を取り続けますわ」
「物理的にも心理的にも重力が凄いですね」
「そういう女ですもの」
笑う。今間違いなく、幸福を感じていた。願わくば、このような時間が長く続く人生で、あって欲しいものだが。いかんせん、そうも行かないのが惟鷹の人生であろう。
「来週から、大龍和祷祭ですわ」
「また忙しくなりそうですね」
「幸せな忙しさですわ。待ち望んだ、本当に、待ち望んだ幸せ」
「守らねばなりませんねえ」
「……守りますわ。必ず」
故に。
バルバロスの、アスト・ダールの思惑なぞ、実現させる訳にはいかない。月の男が何を考えていようと、許容する訳にはいかない。この身体が動く限り、この刃が届く限り、否定し続けるのだと、心に誓う。
(そうか――僕の"願い"だ。"夢"だ)
お前は何の為に生きているのか。お前は何の為に強くあり続けるのか。散々と問われ続けた、その答え。
随分遠回りしたが――今に至り、漸く明確な目的が、その胸に去来したのだった。




