龍血慕情4
肉体関係に置く親愛の比重は、ひとそれぞれである。一晩楽しかったね、で済ますヒトが居れば、寝たからには死ぬまで一緒だね、というヒトも居る。
どちらもそれはそれで良いのだが、一晩で済ませた筈なのに死ぬ程重くなるヒトは居るし、死ぬまで一緒だと宣った口で別の男に流れるヒトもザラだ。
ちなみに楽しく済ませた筈なのに小刀を持って襲い掛かられた回数は片手では足りないし、女の子同士で殺し合いになった場面にも出会ったし、目の前で割腹自殺を見せられた事もある。
人間族女性(×七歳)『え、青葉惟鷹様……ですか? ええ、何度かお相手していただきました。はあ。正直若かったというのもありますけど……彼、上手すぎるんですよね……。いえ、いえ、私なんて人間族でそれなりの歳ですし、旦那も、子供なんて五人いますし……まあその……思い出すと、本当に凄かったなって……この話をすると、旦那が盛り上がっちゃって、あはは……ええ、彼は越えられません。何かの魔法でしょうか?』
人間族女性(×五歳)『一種の洗脳に近いわ。ベッドの上に居る間、あらゆる美辞麗句を浴びせられて、アタシがこの世界で一番可愛い生物であるって自覚を植え付けられるの。その間世界は間違いなく輝いて見えて、美しい彼はより美しく見えて、アタシは……以降、他の男で満足出来なくて、ふらふらしている間に、もう随分歳も取っちゃったし……はあ。まあ、代償よね。他じゃ味わえない天国を、味わい尽くしたのだもの、払うものを、払っただけなんだわ』
森林族女性(二××歳)『貴方、彼の所在をご存じですの? そう。知りませんのね。はあ……。彼の事。とある伝手で知り合いましたの。何か刺激のある事はないかと鬱屈としておりましたら、お声がかかりまして。そもそもエルフなんて大体顔が良いですから、見飽きていたというのもありますが、彼は一味違いましたわね。つまらなそうにする私を、煽てるでもなく、窘めるでもなく、静かに寄り添って……美しい話題も、世相のお話も、冗談も、言葉一つ一つがなんだか染みるような……だから、身体を許してみましたの。ええ。宇宙。宇宙が見えましたのよ。足先から脳天までを貫くような刺激が鮮烈で明白な快楽と共にやって来て、己が雌である事実を叩き込まれましたの。あれ以来、けれどどうしてもそこに至る事は出来ず……ねえ、本当に、彼の所在をご存じありませんのね? 本当に?』
獣人族女性(×三歳)『……実は私、彼の子がいるの。みんなは否定するけど、絶対絶対、彼の子なの。もう大きいし、独り立ちしたけど。彼はたぶんまだ私の事好きだと思う。いつでも帰って来て良いのに、ずぅっと顔も見せないで。あ? 彼の悪口言うの? 殺すぞ……違う? ならいいや。夜の彼? 私は第三種別の見た目でしょ。一応良いところの娘だよ。まあ、ちょっと毛深いから、ツルツル人……あ、差別用語か。ヒトとかエルフは苦手がるヒトいるけど、彼全然気にしないの。口も大きくて可愛いねって。彼エルフなのにさ、性欲凄く強くて、何回戦したかわかんない。楽しかったんでしょ。だからあの子も旦那の子じゃなくて彼の子なの。あ? 馬鹿にした? してない? ならいいや』
神族女性(一×××歳)『御座母屋に上がり込んで、何を聞き始めるかと思えば、飽きれた。他人様の性事情を話せなんて……――え、惟鷹? 彼奴はいまどこに。知らない? まったく。まあ良いでしょう、暇ですし。彼奴は……まともではありません。とある筋から紹介されて御遊びしましたけど、アレを使って遊びなんてものに興じるべきでない事は確かです。世界には彼奴と自分しかおらず、他なんぞ正直どうでも良くなるような体験をさせられます。ワタシの場合、それが一週間続き、また交わると、また一週間続く。仕事など手につかず、巫官からはボケを疑われ、信徒からは心配され、筆を執っては惟鷹、盃を掴んでは惟鷹、厠に行って惟鷹、とにかくあらゆるものが彼奴に結びつき、私生活が送れなくなります。はあぁぁぁぁぁぁ……――今は何をしているやら……――もう一度逢いたいです……』
ゴシップ誌から抜粋される青葉惟鷹の当時の事情は大体こんなカンジだ。青葉惟鷹は化物であり、簡単に火遊びする相手でない事は明確であるというのが、噂好き達の評だ。
では、今彼にもっとも近い女性達は、どうか。
人間族女性(××歳)『え、奥方様、これなんです? インタビュー? 感想ですか。あーーー…………その、ふふっ!! たぶん××は宇宙で一番愛されてるんだと思います。じゃないとあんなに毎回毎回獣のように……あ、下品でしたね、うふふふっ!! 思い出すとまた凄いですね、もうアレの効果は切れてる筈なんですけど、関係ないかあ。あれだけしたのに全然足りませんね。これ足りる事とかあるんでしょうか? あ、子供の名前何にしましょう? 痛みとかですか? そんなに痛くなかったです。熱くって熱くって、それは驚きましたけどッ!! 今後は予約制にした方がいいですよね、お相手する方は多いですし。あ、管理しまーす』
竜種女性(三×××××歳)『……――正気ですの、十全皇。正妻として聞いておきたい? 偉そうに……ヨージさんも大変ですわね、こんな偏執的な女に迫られて。一番愛しているのはわたくしですのに。ええ、理解しました。愛。これですわね。そもそも竜精がニンゲンの持つ感情の一つも理解出来ない訳がありませんもの。自分が一番愛されていると思っている勘違い女達は道を開けると良いでしょう。感想? まあクビを斬られる三分の一くらいですわね。逆に言えばクビを斬らずとも三回すれば満たされる訳です。合理的ですわね。朝昼夜で丁度ですわ』
神族女性(一×××歳)『想像していた七千倍くらいよ。ちょっと信じられない。彼、全身がなんかヤバい成分で出来ていたりする? お姫様を連れて来なくて本当に良かった。嫁入り前に味わう男じゃない。ほら、あの子。あの子には申し訳ないと思ったけど、申し訳ないと思うと余計気分が良くって。そりゃあ、狂う女が多いのも仕方がない話ね。ほんとダメ。たぶんもうワタシも頭がおかしくなってる。ほんと……やば、何なのあの男。やば。キシミア帰りたくない……ずっと一緒にいる……離れたくなさすぎて気が狂いそう。十全皇。彼、増やせない?』
神族女性(三××××歳)『わたしがそだてました。うらやましいでしょ、十全皇。女の子がどんなふうに出来ているのか、ぜんぶ教えました。今回? 千倍くらい上手くなってた。昔から思ってたけど、彼ってこちらの欲しい事、自分がして欲しい事、多く語らずに読み取るし、伝えるよね。普段からそうなら良いのだけど。交わっている時ばかり。なんか、そういう能力もってる? うん、冗談じゃなく。鋭い? まあ母なのでぇ』
神族女性(×歳)『――……これ、いる? 下品じゃない? 記録? そうなんだ。貴女に語るのは、なんか不愉快だけど……――あの、ええと。あれ、この世界に存在して良い快楽なの? なんか法とかに触れない? 脳味噌爆発するかと思った。以降ずっとふわふわしたままで。彼が視界に入ると、もうなんか、いてもたってもいられなくなって。感想? ひたすらに、貴女に渡したくないなって。どうやったら貴女を退けられるかなって。消えて欲しいなって思う。でもたぶん大丈夫。彼は私を一番愛してくれてるから。最後は私が勝つから。それまで夫婦ごっこしていれば良いと思う』
龍女性(――――歳)『と、まあこの通りですわ。一週間もすれば多少落ち着くでしょう。シュプリーアさんの敵愾心がエゲつない以外は大して問題になりませんわ。貴方様のお相手をすると、自分が一番愛されているのだと勘違いしてしまうのは、常ですもの。仕方のない事情があったにせよ、相変わらず怪物めいていますわね。朕も久しぶりに随分と熱くなってしまって、とても楽しめました。毎日あると良いのですけれど。一番愛されているのは朕ですし。ねえ、惟鷹様……ああ、館に居た関係者外の女性達ですか? 彼女達は全部朕の分身ですので、ご心配なさらず。お望みでしたら、いつでも、如何なる女にでも、化けて差し上げますわ。朕は、貴方様の妻であり、母であり、姉であり、妹であり、幼馴染であり、下女であり、娼婦ですもの、おほほほほっ』
「――…………いやぁ」
実京 新設侍王領主蕃邸
改築した下男用の部屋で筆を執っていたヨージに対して、十全皇が要らない報告を上げる。十全皇はニコニコと楽しそうだ。
あの旅館での出来事は、思い出すと……幾つかの後悔と、またちょっと味わってみたいなという下世話な感情が入り乱れるので、仕事中にはしないで貰いたかった。
いつの間にか寄こされていた領地の庶務に追われているのだ。二つの蕃地域から二割、十全皇の直轄領地である皇地から八割を割かれて齎された新領地であり、今のところ現地では中央から派遣された『執政侍王領管理局』が回してくれている。龍宮省の外局だ。
「惟鷹様がお幸せである事が一番ですわ。言ってしまえば、何をやっても許されるお立場ですもの、なんでも仰ってくださいまし」
「怖い事言わないでください。ネジの外れた権力者なんて最悪ですよ」
「不味いならなかった事にするまでですもの」
「それが最悪なんですってば」
「とはいえ、07号が強いた試練も全て突破いたしましたから、十全皇の総体としても、疑う事は一切ない、という答えがはじき出されましたでしょう。命まで何度も失ったのですもの。多少倫理にもとる事を行ったとて、批難されるいわれもございませんわ」
「遠慮します」
「左様ですの。いつでも仰ってくださいまし」
話が通じないカンジが出ていて、これはこれで懐かしい気分だ。07号よりも話は聞いているが、それでもゼロツーだった頃より強権的である。
「そうだ。07号……元主支配体は、どんな様子ですか」
「何も。どうなろうと朕ですもの」
「それはそうですが。彼女から個性、除いてませんよね」
「そのようにお望みでしたから、当然」
「近く逢いに行きます」
「あら、直ぐお呼びいたしますわよ、二法秒後にでも」
「それはなんか違うのですよ……」
「……――あ、左様ですわね、ええ。では、朕はこれにて。いつでもお呼びつけくださいまし。愛しい愛しい貴方様」
さりげなく頬にキスをしてから、恥ずかしそうな顔をして消えて行く。あの慣れない雰囲気は、マジで良いなあ……などと思いながら筆を執る。
(西真夜青葉家守護役代理――こちらは祖父方の、青葉華風君に任せよう。剣は……まあ、中の中だが、頭が良い。衣笠家守護役代理は、まあ時鷹の父君にしばらく居て貰うか)
青葉家の整理、衣笠家への口出しまで任されているので、時間が幾らあっても足りない。
「侍王閣下、古鷹那善様がお見えです」
「この部屋まで通してください」
蕃邸詰の宮内官に返答する。しばらくして、一人の男が静かに入室した。加古那善――現古鷹家当主代理、古鷹那善である。
「おはよう、那善君」
「はい。侍王閣下。お忙しい中御目通りいただき、感謝いたします」
「二人の時はやめてください」
「分かりました」
そういって胡坐をかいて座る。その顔は――実に不服そうだ。白い海軍軍装に、また幾つか増えた勲章、蕃主を現す蕃主章も胸に輝いている。
「不満そうですねえ」
「――折角逃れたと思ったのですけどね、古鷹から」
「無理ですよ。君は優秀すぎますから。本気で離れたいなら、馬鹿なふりをするしかない」
「それは――無理ですね」
加古那善。加古蒼鷹の従弟にあたる。その家柄として陸軍色が強い中、彼は早々に舵を切って海軍に入隊した。陸軍である限りは古鷹の威光には逆らえないが、海軍であれば理由をつけて面倒な申し付けもテキトウに出来るからである。
ただどうしても、那善は優秀過ぎた。望まずとも出世してしまう。その才覚から、どうも十全皇にも目を付けられているらしく、重役を重用されている。まして馬鹿を出来る才能がないのが致命的だ。
「少なくともあと十五年は代理をして貰う事になります」
「そう、ですか。代理という名で永遠に縛られるものかと」
「まあそれも、僕の子が責務を果たせるような子になれば、の話ですが」
「――えっ。惟鷹殿、の、子ですか」
「身近な娘は皆、位が高すぎたり、表に出せなかったりですから、まあ他の陸軍系蕃主の娘さんを迎えて、そちらに子をもうけて貰う事になりますね」
「それは」
「当然、十全皇の認可の下です」
「お、大らかになられましたね、陛下は」
「元より、自分が一番なら、後は好きになさって、というカンジでしたからね。僕も整理がつきましたし、色々あったのです、この一年」
「――お任せされたからには、成し遂げます。ただ生憎海軍畑ですからね」
「ああ、貴方のキャリアを傷つけないよう配慮します。しばらく陸に上がって下さい。海軍でのポジション云々については、兼仲理人閣下にお声がけしましたので、心配せずに」
「兼仲殿とも、お話がついているんですね」
「ええ。そうだ、まゆりについては。君は心配していたでしょう」
「いえ、何も」
「赤城君と結婚するそうです」
「――ええ……? で、では衣笠は」
「暫くは衣笠の親父殿に任せて、子が育ち次第、ですかねえ。まあ、最悪僕がなんとかします。ええ、一族血族……皆、心配せずに。折角様々と押し付けられたのですから、使える伝手と権力は、上手い事使っていきますよ」
真百合の結婚は意外だったのか、那善が目を瞬かせる。
「ところで、那善君に良いヒトはいますか」
「いえ。何せ常に海の上ですから」
「では兼仲の娘でどうでしょう。見合いを幾つか預かっていまして」
「古鷹が、海軍と結ぶのは……」
「良いのですよ。もうアイツの支配はありません」
「――……古鷹佐京殿は」
「北東蕃跡地の第七皇地で、道場を開く準備をしているようです」
「もう政治には関わらないと」
「僕が勝ちましたからね。嬉しそうに出て行きましたよ」
「そう、ですか。お見合い写真は」
「何せ兼仲は一族が散りましたから、大変でしたけど……この娘とかどうでしょう」
「――……ビックリする程美人ですね」
「それは良かった。整い次第席を用意しますね」
「いや、あの」
「無理強いはしませんが」
「いえ。有難いお話です。お受けしますが……」
「なにかありましたか」
那善が何かを言い淀む。今更語れない一族の内情もないだろう。那善は腕を組み、しばらくしてから口を開く。
「……惟鷹殿。ひとつ」
「ひとつと言わず、幾つでも」
「惟鷹殿は、古鷹佐京殿から、古鷹一族の特殊性について、お話は聞いていますか」
「何か、そんな話をするとかしないとか言って、出て行きましたが」
「そうですか。では、一応、御耳にいれておくべきかと」
「――うわあ、なんか嫌な予感がするぅ……」
那善は古鷹から意図的に離れて行った。古鷹のやり方が気に食わないものとばかり思っていたのだが……事情がありそうだ。
「――遡る事、第七文明世界」
「遡ったなあ……」
「陛下は、ある男と再び逢いまみえる事を望み、一つの決断をされました」
「……ほうほう」
「どうもその男は、この世にも、あの世にも居ない男だったそうです」
「……鈴谷新ですね」
「ご存じでしたか。我々一族とはつまるところ――……その男の、受け皿です」
「――……詳しく」
那善が目を瞑る。何故、彼がそんな事実を知っているのか、今は脇に避けておこう。
「陛下は、我々古鷹一族の祖となる人物に、ある種の呪いを施しました。不在の男が、実在可能になる為の肉体――血を与えたのです」
「なるほど? して、その男はどうやって、やって来るのですか」
「我々は器。その男が入る隙間が出来た時、です」
「――隙間とは」
「一定以上の実力、魔力的許容量の膨大さ……魂の数値の類似性です。我々の意識が健在であれば、それは容易く退けられるものですが……条件が揃った一族の男の意識が、薄れた場合、顕現するものだと」
「――……あ」
言われ、思わず口を手で押さえる。九頭樹での出来事はまさに顕著であろう。死にかけた際、月から魔力がやって来た。知らない男の記憶が、滂沱の如く降りしきり、濁流の如く押し寄せた、あの感覚である。
『月から……手を、伸ばされてている、夢をみるんだ』
『兄貴……みたいな、雰囲気の、ひと』
『そいつは……言うんだ。勿体ないから、明け渡せって』
『俺は、明け渡さない。けど、このままじゃあ不味い』
『ころしてくれ』
時鷹の頸を刎ねたあの夜。時鷹は、何者かが己の中に入ってこようとしていると、しきりに訴えていた。あの時はせん妄状態にあるものとばかり考えていたが――那善の話を信じるならば、それこそまさに、自分の経験した、あの状態だったのでは、ないか。
「力のある、古鷹の男子に、訪れるものですね?」
「ええ」
「……僕にも経験があります。九頭樹を叩き伐った折に。そして、時鷹も。彼は怯えていた。何者かが、自分の中に入ろうとしているのだと」
「そして、自分もです。幼い頃、熱病にうかされ、死を垣間見た最中、自分には月が見えました。月から、男が語り掛けて来た。その身体を、明け渡せと。幸い、自分は回復し、何者かに乗っ取られるような事はありませんでしたが、暫くして、十全皇陛下が」
「ええ」
「他言無用にと。時期が着次第、身近な者に語るのは宜しいと。臨死を経て以来……自分は、余計魔力の扱いが上手くなり、力が如実に強くなるのを感じました。だから……恐ろしくなり、自分は剣の道を棄て、海軍へと」
「……そういった事情だったのですね」
少し前の自分ならば、何をバカな話をと一蹴したところだろう。だが、那善の話を否定するには、あまりにも実感があり過ぎる。
……十全皇を責めるには、昔過ぎる。かといって、問いたださない訳にもいかないものだ。こんな一族を作ってしまう程……彼女は、思いつめていたのだと考えると……それはそれで、虚しく、悲しい話である。今は正式に婿なのだ。後ろ暗い話があろうと、妻を根本から疑うような真似はしたくない。
「事情を知らず、申し訳ありません。古鷹蕃主代理は、他を立てますか」
「いいえ。これも流れなのかと、思います。不服ではありますが、承服しかねる程でもない。何より、苦労に苦労を重ねた貴方に、これ以上心配事は作りたくない、というのが本音です」
「うう、君程優秀で性格が良くて美形な男が、もう少し傍に居てくれたのならば、僕の悩みの幾つかは消し飛ぶのですが……」
「褒めすぎです、褒めすぎ」
「とはいえ、その月の男――鈴谷新は、事情が複雑でしょう。十全皇は僕がソレだと言い、しかし月にも存在している。どれが主本体でどれが分身か、というぐらいの差かと。そして、月の彼が寄りたいのは、僕でしょうね」
『本人』をどう定義するかに寄る。魂が分割可能であり、それは分割前の自身と寸分違わないというのならば、それもまた『本人』なのだ。高位に魔力およびアズダハを操作可能な者は、そういった芸当を難なくこなせるものである。十全皇然り、他の竜然り、我が神然りだ。
月の男は、地球での操作可能な肉体を探している、と考えられる。きっとそのままでは地球に分身を送り付ける事が出来ないのだ。
「そう思います。ですから、お気をつけて」
「誰にも口に出来ず、辛かったでしょう」
「……それは、あります。しかし、今こうして口にして、少し荷がおりました」
「まあ、僕は常に背負わされる側です。今更ですね」
「また近くに。古鷹は、しばらくお預かりいたします、侍王閣下」
「よろしくお願いします」
那善が去る。古鷹佐京が何を言いたかったのか、その理由を知り顎を擦る。
そして明確に――自分が、本来は十全皇に敵対する立場である事が明白となったのだ。月の男、鈴谷新は地球を支配するに至った十全皇の存在を悔い、度々地球のリュウを脅かしていた、と大まかに聞いている。何度となくそれは失敗し、十全皇および他の竜に退けられ、やがて力を失って行った。
ただそこに――月の男が直接地球で活動可能になる肉体が用意されるようになり始めた。
十全皇がどのような意図で、どこまで本気で考えていたかは知れないが……それは、とうとう成り、青葉惟鷹という最良の器が現れたのである。
自分は――もし、乗っ取られるような事があろうと、近くには即座に対応可能な者達も居る。他の古鷹の男児は……器として、脆すぎるであろうから、脅威足り得ない。
問題は。
「……双子かあ。妹で在って欲しいが……」
自分には、双子の弟か妹がいる可能性がある。これはまだ、十全皇にも問いただしてはいないが、ほぼ確実だろう。消えた母と、同時期に産まれなかった双子。
もし、青葉惟鷹に寄りつけないとあらば……月の男が、そちらに目を付けないとも限らない。
いいや、もう既に、宿っているのかもしれない。
しかしその場合、十全皇が放っておくだろうか。
聞くべきだろう。
「――傍流の力は、決して本流には敵わない。僕が日和れば、悲しみは必ず増える。早急に対処して、大きな流れに戻すべきだろうな」
つくづく、自分というニンゲンは体制側に有利な存在である。安定を志すよう教育されて来た賜物でもあろう。同じ魂、同じ血を持とうとも、育った環境がその全てを変える。月の男、鈴谷新は、一体どんな心持ちにおいて、もはやどうしようもない程の年月を経た地球を取り戻そうなどと、考えているのか。既に彼はヒトなどではなく、単なる機能なのでは、ないのか。
(皆を……幸せに)
少なくとも、手の届く範囲のヒト達が、苦しまぬように。
役職の範囲で、出来る限りの人々が、理不尽を味わわぬ為に。
力がある限り……それは、常に求められるのだ。不条理に思う者もいるかもしれないが……こんなものを抱えて産まれてしまったからには、今更である。
「常に付き従っていた、と報告してくださいよ……護衛とか要りませんから」
「侍王閣下をお一人で歩ませる訳には行きません」
「護衛とか一万人用意しても僕以下でしょう」
「否定出来ないのが何とも。が、そうのような形式となっておりますから」
「じゃあ貴女一人で」
「……――他、下がれ。これで宜しいですか」
「んもぅ」
旧雁道北東蕃 現第七皇地 日輝高城 現管理事務局前
雁道の一族は一時的に退き、現在は中央から派遣された官僚によって運営されている。といってもまだまだ途上であり、雁道一族は領民からの信頼も篤かった為、反対運動なども盛んに行われている。
実に誇らしい話だ。中央の決断に文句があるから文句を言う、ちゃんとニンゲンがニンゲンしている。ちなみに大帝国でそんな真似をすると住民は全て流民にされかねない。
「雁道一族を領主復帰させろーッ」
「中央の横暴を許すなーッ」
「元気ですねえ」
「陛下のご決断に異を唱える愚か者でしょう」
執政侍王領地管理局局長、化野権台御三位初音が、アジテーションを繰り広げる民衆を見下しながら言う。彼女は典型的な役人エルフであり、気位が高く、あたりが強い。そんな性格を反映するかのように少しキツめの顔をしているが、美人である。
局長級だろうが何だろうが、仕事となったら現地に駆けつけねばならない扶桑の超現場主義は認めるのだが、彼女がいては話も拗れるだろう。
「ふン……あれだけヒトが死んで、家族だって死んでる筈なのに、なんだってそんなに雁道に忠誠を誓っているんでしょうか。理解不能です」
「元から右派ですし、北東は自分達の手で土地を開拓して来たのだ、という意識がまだまだ根強いですからね。領民も、陛下の御為に上洛したのだと信じていますし」
「彼等にも情報は伝わっている筈です。奴がやった事はテロ以外の何物でもない」
「所詮は中央から齎された情報です。まして信じているものが間違っていたと認めるのは、なかなか難しい」
「……侍王閣下は誰の味方なのです」
「権台三位殿、扶桑から出たことは?」
「ありません。三百年間」
「なら出た方が良い。この光景は、自由のそれです。強権的と言われる扶桑でありながらも、臣民が声を上げられるのは、暴政が振るわれていない証拠でもある。例えば大帝国で臣民がこんな真似をしようものなら、軍隊が来ますよ」
「軍隊で片付けられるなら楽ですね」
「困った圧政主義者だなあ」
侍という制度上の領地軍人が認められている事が示すように、各領地には独自戦力が存在する。大体は武家が担うものであり、それがそのまま領地の守り人となる。
扶桑の軍事力というのは複雑怪奇で、まず史行(貴族王族)領主および上位武行(武家)領主が国軍の上部を占めている。典型的であるのは古鷹家や荒鷲家で、国軍の要職を担っている。
それ以下の武家は、一族の中でも領地管理に関わる者が侍に、関わらない者が国軍へと入隊する。解りやすく言えば長男が侍領主、次男以下や分家が国軍といった具合だ。
家々の事情でその関係性は前後するが、家を支える者と、国を支える者で分かれる事になる。
侍は普段領地の内政に関わり、中央招集とあらば準軍事力として国軍傘下となる。
問題は、その家がどちらに比重を置いているか、である。
雁道は典型的な領地守護侍の地位が高く、国軍の地位が低い。また思想的にも自立独立といった空気が強い為、中央からの承服しかねる決断を寄こされると、こうして文句を言う訳である。分離主義という訳ではなく『自分達が国家を支えている』という自負からだ。
「こんにちは」
「え、侍王閣下ッ!?」
「はい、こんにちは……げぇ、青葉惟鷹ッッ!!」
「元気で宜しいですね」
「なな、何をしにきたッ!! 雁道修理を殺したのは貴様だろうッ!!」
そんな場所に、突如として諸問題の当事者が現れれば、ニンゲンが殺到するのは道理である。化野は民衆に囲まれて縮こまったまま動かない。
「あ、青葉惟鷹が出たぞーッ!!」
「囲め、囲めッッ!!」
老若男女問わず、あらゆるニンゲンが集まって来る。半分はただの好奇心だろうが、一番近い場所まで来た者達は領地侍だ、かなり剣呑である。
「代表は?」
「俺だ」
筋骨隆々、熊かと見紛う姿の男が前へと出て来る。毛深いが獣人ではないらしい。
「青葉権台御龍位侍王惟鷹です。長ったらしい名前で申し訳ない。要らないって言ったのですけどね」
「――鳩原児洋に。権台龍位殿が、一体どんなご用向きで」
「陛下の分身にお逢いする為に来ただけですけど、皆さんが元気なのでつい」
「ここは我々の領地だ。貴殿の来る場所ではない」
「独立したとは聞いていませんね。鳩原は雁道の分家筋ですが、貴方の言葉を雁道の言葉と受け取って構わない、という意味ですか」
「御託を並べに来たのか?」
「いえ。陛下からは『暴れているなら殴って良し』と言われています」
「――正気か」
「僕は正気で、貴方達の正気を量る事が可能です」
「侍王閣下、煽らないで、煽らないでくださいッ」
「権台三位殿、静かにしててください」
結局のところ……不完全燃焼なのだ。事情は沙汰状と新聞でしかやって来ないものである。自分達が負けたという事を、納得したくない。いつの間にか戦い、いつの間にか負け、自分達は突然領主を失い、蕃としての格を喪ったのであるから、民衆からすれば理不尽だ。
全部雁道の馬鹿の所為だが、これは仕方がない。
「分かります、わかります。しかしここでは女子供を巻き込む。広い場所に行きましょう。何万人連れて来ても構いません。僕を殺せたならば、雁道の領主復帰を認めます」
「は、吐いたな貴様。おう、全員集めろぉッ!」
「侍王閣下ぁッ」
「だからついて来るなって言ったのですよ。十全皇陛下がね、権力者を手ぶらで歩かせる訳ないでしょ。ついでに仕事してきてくださいまし、ですよ。陛下ですよ?」
第七皇地を担当する07号に逢うためにやって来たのは本当だが、そこに仕事があって、最適な人物が向かうというのであらば、仕事は寄こすのだ。十全皇最悪の重用システムは、どれだけ偉くなろうと適用される。
つまり、ガス抜きに来た訳である。
男達に連れられて、近くの平原にまでやって来る。不意打ちの一つでもされるかと思ったのだがそれは無く、だいぶ誠実な人々である事が窺える。
「なんでついて来るのですか」
「じじじ、侍王閣下お、お一人にする訳にも、いかないでしょう……?」
「仕事に忠実すぎる……まあ可愛らしいですね。静かにしててください」
「は、はい」
領民が続々と集まって来る。素肌に具足を付け、その手には刀に鍬に鋤とバリエーションに富む。草臥れているモノはおらず、皆身なりも綺麗であるから、この領地が上手に運営されていた事が解った。
一体何重に囲われているだろうか。化野は惟鷹に縋りついたままだ。
「古鷹に始めの掛け声はありません。お好きにどうぞ」
「いくぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!」
『おおぉぉぉおぉぉぉぉぉ~~~~!!!!』
群衆が突撃する。防御魔法を一つ張って、惟鷹はそのまま地べたに座った。
「ぐっ、このっ、このっ」
「どりゃぁぁぁぁっ!! あ、刀折れたぁッ」
「ひっ、ひっ、ふひっ、かた、硬いっ」
最初から分かり切っている話であるし、意外性は最初から期待されていない。青葉惟鷹が護る為に固めて、これを突破するような者が居たなら、誰も苦労しないのである。
「ここ暫く働き詰めで。僕は少し横になりますね」
「え、えっ!!」
化野の真横にそのまま寝そべる。化野は半泣きになりながら、横になる惟鷹の身体をゆする。
「お、起きて、起きて下さい、閣下ッ」
「平気ですから」
ボケっとしたまま、半法刻、一法刻、一と半法刻経ち、目を開けて起き上がる。化野は流石に慣れたのか、手鏡でメイクを直していた。
周囲を見渡す。同じく、梨の礫と判断したらしい鳩原が、胡坐を組んで近くに座っていた。その顔は明らかに飽きれている。周囲には……疲れ果ててぶっ倒れた領民の山が築かれていた。
「おはようございます」
「……そうだよ。隕石弾き飛ばすようなニンゲンに、勝てる訳がねぇ。王に歯向かったんだ、好きにしてくれよ」
「しませんよ。落ち着きましたでしょ。じゃあお話合いです」
「マジで言ってんのか」
「あんまりね、力や権力を誇示して上からガッとやるようなやり方、良くないと思うのです。しかし雁道はやり過ぎた。本来なら一族郎党、分家の貴方も含め全員打ち首です」
「――……」
「それでは領民たちも可哀想だからと、二親等までに抑えてある。そこまでの配慮をして、それが伝わっていないようだからと、僕がココまで来ています。鳩原殿」
「はっ」
鳩原が身を正し正座する。血の気が多く、しかし忠義に篤い類の者達に必要なのは法や金子でなく、常に納得と道理と筋だ。雁道を殺した張本人とされる人物が直接やって来て語らう必要があるのである。
「雁道の罪状は一切の誇張無しに、国家反逆であり、外患誘致であり、偽勅罪であり、道理の通らない殺戮であり、強奪です。当時その場に居た僕が対処したものです。沙汰状や新聞だけでなく、僕自身の言葉として、お伝えしましょう」
「大殿……何故……」
「鳩原殿、中央役人との懇談の場の仕切り役を任せます。席の準備を」
「大変――ご迷惑をお掛け致しました。全力で務めさせて頂きます」
「お願いしますね。素直な方で良かった。権台三位殿、行きますよ」
「あ、あれだけやって沙汰無しで、済ませるのですか」
「何もダメージ受けてませんでしょ。なら無いも同じです」
「こ、行為自体に問題があると思われますけど」
「何も。無かった。これ以上邪魔するならクビです」
「何もありませんでした」
言われ、化野が何も視なかったと目を瞑る。三百歳にしてやっと抜擢された局長である、昇進が詰まりに詰まっている扶桑のお役人界隈において、これを上司に逆らって無為にする者もいない。
「という訳で第七皇地管理局さん、穏便にお願いします。勿論揉めるでしょうけど、何かあったら僕みたいなのが出て来るのだと解ったでしょうから、以前よりも話しやすいかと。ええ、では」
遠隔会話で、管理局が並べる美辞麗句を適当に流して終える。強権的ではあるが、力で殴りつけて教えるよりも格段にスマートである。雁道のしでかした事件に対する処罰が軽すぎる故に、こうなっているとも、言えるのだが。
(やっぱりヒトを管理するには優しすぎるのですよね、陛下は)
ナメられていた部分をナメられないようにしただけだ。
「侍王閣下」
「なんでしょ」
「侍王閣下は、大帝国のフォラズ村の村長格であり、準領主扱いでもありましたね。大帝国とは、どのようにお話をつけるものでしょう」
07号を奉る社へ赴く道中、化野がそんな話をし始める。確かに、まだ書類になっていない問題ではある。
「ああ。事件の後直ぐ、三竜王の分身がいらっしゃいましてね」
「えっ」
「流石に他国の王族が大帝国の準領主も出来ませんから、準領主扱いは無くなり、一般的な第二国籍者になりました。とはいえ第二国籍者として置いておくには位も高すぎるという事で、フォラズ村周辺領の特別監督官になります。事務仕事も無いので、それは楽ですね」
前例がないので、大帝国においても様々工面してくれていたようだ。領土運営に対する口出しをする程度に留められる立場となる。準帝国民である事に変化はないらしい。
自陣営に取り込む為にとんでもない立場を与えられるのでは、などと訝しんでいたが、そこは配慮してくれたようだ。
問題はむしろエオと我が神である。
双方とも、あんな小さな土地に置いておくには強大すぎるからだ。エオは徹底抗戦の構えで、土地が小さいなら発展させれば良いでしょうごちゃごちゃ五月蠅いです、と口にしている。ユーヴィルがどう出るかによるところはかなり大きいが……治癒神友の会の大樹教参加は近いうちに実現するものと思われる。
そうなって来ると、今度は我が神だ。地方の地元宗教の神にしてはスケールが大きすぎる。大樹教治癒神派としての再立ち上げが必須となる。そうなれば、外の神官達も出入りする事になり、規模は何十倍にも拡大し、大樹教形式に則る形となるので、全てが煩雑化する。
友の会としては、ここからが正念場と言える。自分を欠いたまま話を進められては困るのだ。エオは当然優秀ながら、大樹教のお偉方による手練手管に惑わされないとも限らない。話を優位に進める為にも、ヨージの立ち合いは必須だろう。
「扶桑を出られて……大帝国で武勇を立て、名誉騎士を授かり、準領主に。それが一年足らずで?」
「おかしいですよねー」
「存在力の違いを痛感するところです」
「大変でしたけど、様々なものが見られました。権台三位殿」
「はっ」
「殴りつけて済むのは、殴られて済ませる覚悟があるヒトだけです。先ほどのアレは、僕がおかしいだけなのです。まずは話を。拗れようと、捻じれようと、妥協点を探らねばならない。全部殺して済むなら、もうそんなの、民衆なんて、要らないじゃありませんか」
「……」
「権力者が私腹を肥やす為に民衆が必要だっていうなら、むしろ理解出来ます。しかし龍にそんなものは要らない。その身一つで大体完璧なのですからね。けどそれでも、陛下はニンゲンによる社会の運営を是としている。貴女方領地運営に関わる人々に、陛下が何を求めているか。たぶん、その視点がないから、その歳まで無役職だったのだと思いますよ」
「し、辛辣……辛辣です、閣下」
「まあそもそも、立場上僕に辛辣だなんだと口にするのも、本来ダメだと思いますけど」
「あう」
「……純エルフの傲慢さは、染み付いたものでしょうからねえ」
化野が随分としおらしくなる。典型的な扶桑の純エルフであるから、傲慢であるのは仕方がない。長い長い間、どこまで遡っても権力者家系であるのだから、当然ではある。故に、寿命の短い種族を領主として優遇し、彼等エルフの専横を許さない形にしているのだ。
「くくくっ」
「おっ?」
「クビですか……ま、まだ局長になって、二週間も経ってないのに……ッ」
「しませんって」
「……いきなりは、変われません」
「そりゃそうですね。なので、努力はしてください」
「畏まりました……」
年上にあれこれ説教もしたくないのだが、偉いなら偉いなりに有能な姿を見せておかないと、あっという間に十全皇がクビにしてしまうので、これは彼女の為である。
「とはいえっ」
「は、はい」
「陛下直々に任命されたからには、期待されているからでしょう?」
「そう……そう、そうですっ」
「頑張ってくださいね。僕はどうしても、席を外す時間の長い人物ですから」
「わかりましたっ」
「僕がいない間専横し始めたらクビにしますから」
「は、はい」
純エルフ相手である、どうせ少しずつ抜くのであるから、釘は何本刺しておいても、多いという事はない。そんな話をしていると、やがて07号が奉じられている社――というより、屋敷に辿り着く。元は雁道家家老の邸宅だ。
家老の家は処罰を免れたのだが、雁道の暴走を止められなかった事を悔いて一族が屋敷内にて自決、服毒自殺などを行った為、幽霊屋敷状態であった。解体するのも勿体ないが、役人達も住みたくない、という話になり、07号用の邸宅となった流れである。
新しく建てられた朱標柱を潜り境内へ。簡易に設けられた拝殿の横を周って邸宅へと向かう。入口には……既に、彼女が控えていた。
「遠路はるばる、御足労をお掛けしましたわ、惟鷹様」
「陛下がお出迎えなんてなさらないでください」
「おほほ、良いじゃありませんの……あら――徒歩……? 侍王が徒歩で? 化野、貴女」
「じ、侍王閣下が、この土地を見て回りたいとぉ……仰ってぇ……」
「お気になさらず。僕は陛下とお話がありますから、権台三位殿は客間に控えていてください」
「かか、畏まりました……」
化野が逃げるようにして去る。実に小物だが、十全皇の分身とはいえ陛下は陛下、それに睨まれたらカエルもヘビもひっくり返るだろう。
07号自ら、奥の角部屋に案内される。小間使いも女中も見当たらない。
「召使いの一人も見えませんね」
「寄こされましたけれど、皆別のお仕事に回っていただきましたの」
「なにゆえ」
「長い間、日没宮から勝手に出る事もありませんでしたでしょう。なら、しばらくは、一人暮らしも良いものかなと」
「陛下のご決断ならば」
「ええ。お茶をお淹れしますわね」
慣れた手つきでお茶を淹れ始める。
彼女の立場は……かなり、特殊だ。今回の事件に大きく関与していながら、しかし主犯とは言い難く、とはいえ監督不行き届きは詰問される立場である。
すべては、彼女が個性を求めたが故の『事故』なのだ。
十全皇がソーサーとカップをとり、優雅にお茶をし始める。見慣れた姿ではあるが、今日は長い丈のスカートなどを履いており、随分若々しい。深層の御令嬢風味が今日の味らしい。
「お好きですかしら」
「可愛らしいですよ」
「うふふっ。そう言って下さると、生きている心地がいたしますわ」
「まあ今日は、無粋な話をしに来た訳ですがね」
「ええ、存じております。でも、惟鷹様が直接いらっしゃるのですから、僥倖この上ありません」
「――話してください。今回の一連の事件、その中で貴女が目指したものを」
十全皇は、にっこりと優しく微笑む。惟鷹の一番好きな表情だ。何かにつけて強引であった彼女……旧主支配体十全皇が時折覗かせる、少女のような笑みは、間違いなく、惟鷹の心臓を掴むに十分な威力である。
「名前」
「名前?」
「十全皇では、区別がつきませんもの」
「……じゃあナナエですね」
「ナナエ?」
「十全皇07a号ですよね、今の型番は」
「うふっ、あははははっ! 良いです、嬉しい、可愛らしい、庶民のようなお名前。大好きです。ええ、それにいたしましょう。惟鷹様がお呼びになる折は、そのお名前で」
反芻するようにして、名前を口ずさむ。
彼女は個性を、個人を求めた。結果、数万年の情報更新を怠り、バルバロスの根幹魔力帯攻撃を直に受け、不具合を起こしてしまったのだ。
長い年月の中、十全皇という総体ではなく、一個の存在として確立する事を、夢みた女。
それが、このナナエだ。
「一番のプレゼントですわ。本当に嬉しい。そのお名前で、朕が……私が、ただの一つの生命体に、成れた気がしますの。象指字は七つの枝で七枝で構いませんこと?」
「はい……僕にとって、十全皇と言えば、貴女だった。そうですね」
「ええ。私と準支配体は私の完全な独立した配下でしたもの。勿論、他の分身にも九割方は共有しておりましたけど、ただの一割……私が抱いた、貴方への気持ちは……私が独占いたしました」
「どうでしたか、僕の活躍は」
「満足行くものでした。そしてやはり……貴方も"彼"などではなく、"貴方"個人なのだと」
そうして、胸に手を当て、一つ息を吐いてから、七枝が語り始めた。
あけましておめでとうございます。
本年もぼちぼち書いてゆきますので、宜しくお願いします。




