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龍女皇陛下のお婿様  作者: 俄雨
扶桑事変
322/326

龍血慕情2



「……山奥だ。しかも滅茶苦茶にデカいな……」


 魔動力路面車に揺られて一法刻半、更にそこから獣車に乗り換えて一法刻。やっと辿り着いた旅館は、もはや森の中に佇む悪の拠点かと見紛う程に壮大な造りであった。


 貴族の保養目的で建てられた物件を買い取ったものだろう。無駄に凝った装飾が建物の端々に見受けられる。


 見渡す限り森森森。獣避け、残滓除け、蟲除けの結界が至る所にあるのが解る。どうしても、ヒトの少ない場所にはヒトに害をなす者が寄り易い為だ。つまり普段はあまり使われていない施設という意味でもある。


「すみませーん。ヨージ・衣笠到着しましたぁ」


 ずらっと従業員が出迎えるかと思ったがそういう事もなく。呼び鈴を鳴らすと、着物の女性が静かにやって来て、小さく頭を下げて案内される。ヒトの気配が少ない。やはり、最小限の人数で回していると思われる。


「静かな場所ですねえ。普段から普通の旅館では、ありませんよね」

「はい。高貴な方々がご療養なさる場合にのみ、運営されております」


「他のヒトは?」

「侍王閣下のお妾様方でしたら、既に個別のお部屋へご案内させていただいております」


「一人を除くと違いますが……そうですか。あれ、他は」

「いいえ、お客様はそれで以上、と龍宮省の方からお聞きしております」


 ……猛烈に嫌な予感がしてきた。祝賀会というには随分参加人数がこぢんまりしているではないか。これなら別に、実京のどこかで催しても良いだろうに、こんな山奥に送り付けられるのは、不自然だ。


「陛下は」

「後程ご参上なされるとお伺いしております」


「ふーむ」

「こちらでございます。何かありましたら、いつでもお呼びつけください」


 そういって女将が近くの部屋に視線をやる。すぐ傍に専属の仲居が駐在しているのだろう。


 案内された部屋は長い廊下を歩き、階段を三つ上がった先にあった。山の斜面に引っかかるようにして建っている旅館であるからして、ここが客室としては最上階だろう。


「……広すぎて落ち着かないのですよね、金持ち用の部屋って」


 国から宿やら旅館やらを手配される事は度々あったが、毎度大仰すぎて扱いに困るのだ。与えられたこの部屋も、入ってすぐに広いリビング、長大な革張りソファに必要性が解らない謎のオブジェ、高峻な山並みを拝める広々とした窓があり、窓枠の装飾も華美極まる。


(貴族と言っても、かなりアレな貴族から買い取った療養所だな)


 板張りの部屋が二つ、畳敷きの部屋が三つ。修学旅行の学生が全員泊まれそうな広さだ。しかしこういう部屋に泊まる場合、かなりの人員がお付として用意されるものだが、ヨージを気遣ってなのか見当たらない。それは本当に助かる。


 ひとまず荷物を置いてソファに座る。テーブルの上には『手引き』が置かれていた。旅館の案内図もついている。手に取って読んでみる。


「広い……デカいな……何百人泊まれるんだここは。あれ、でも客室自体は少ない目だな。ただ、部屋自体は沢山ある。用途が不明だ。というか廊下なっが……迷ったら出られないかも」


 お手洗いに行くだけで迷子になりそうだ。


「うん?」


 手引きの中から挟まれた紙がはらりと落ちる。拾い上げると、直筆のものであった。


「この筆跡は陛下だな……何々。お好きなだけご滞在ください。望まれるものは全て係へ申し付けてください。惟鷹様の目に映るもの……全てが惟鷹様のものです……あ、僕のなんだこの旅館……管理嫌だな……」


「ふうむ……ん? 『全ての使用権が惟鷹様にあります。モノに限らず、全てです。ご滞在中、あらゆる物事が許可されます』」


 うんうん、なるほどな、と頷き、紙を地面に投げる。


「扶桑で一番倫理観なさそうな場所だな」


 まかり間違っても、従業員に手出しするような事はないが、ちょっと流石にそれは……ヒトとして……色々と……などと、チラつくスケベな思考を振り払っていると、ドアが叩かれる。ソファのひじ掛けを叩くとドアのロックが解除された。ものぐさな貴族用の拵えである。


「失礼いたします」


 部屋に入って来たのは、年頃の娘が三人。


「え、あ、どうも」


 にっこりと笑って三人は退出。それから入れ替わるようにまた別の三人が入って来る。


「あ、はい、どうも」


 そしてまた三人が出て行く。最初は人間族、次は獣人族、その次は森林族。皆、うら若く……ヨージの趣味趣向を完全把握されたような見た目の子ばかりである。


(露骨すぎるッ)


 つまりそういう事だ。いやいや、なんだこれはと頭を振っていると、また別の人物が、今度は一人だけ入って来た。


「んっ!?」


 んふふ


 直接脳内に響く声に、思わず固まる。


 やっほ


「密ぁ……」


 ……密名居姫であった。彼女は近づくと、そのまましゃがみ込んでヨージを見上げる。物凄く嬉しそうだ。ズボンに手をかけ始めたので、顔面を両手で掴み、横にやんわり投げてやる。


「てぁッ」


 あんっ


「貴女ねぇ……」


 十全皇が。こっちも色々非はあるから、お詫びだって。

 ここに来れば、惟鷹をそれはもう、好きなだけあれそれをこれして良いって


「その、なんというか……色々あったじゃあありませんか……」


 だからこそ


 密名居が少しだけ寂しそうな顔をしてから微笑む。わかってやっているだろう。ヨージは致命的に、そういった女の表情に弱すぎるのだ。そしてそれは大体、この女のせいである。


 それはともかく。


「真昼間から勘弁してください」


 じゃあ夜にねぇ


 といって投げキッスをして去っていく。どうやら龍宮省および十全皇は本気であるようだ。放っておけばどこかへと消え、強く迫るとサラリと躱され、ナアナアで済まされてしまう状態に業を煮やしたと思われる。


「――げっ」


 外を見る。強い魔力の発動を感知したからだ。目には見えないが、強烈な……それこそ、統春が張っていたような結界が、旅館を覆っているのである。


(ま、本気マジ真剣マジで逃がさない気だな……)


 先ほど地面に投げ捨てた紙に魔力感知。さらさらと勝手に加筆されて行く。


「結界内の時間の進みは危機回避緊急法第3番同様です。ともかく、惟鷹様の国内での諸問題はほぼ全て解決しました。ではあとは未来に進むばかりです……」


「馬鹿の作ったエロ空間かな?」


 未来。確かに、自分が引き摺っていた過去は、かなりの整理と荷下ろしが済んだ。気になる部分……自分の力や血族の問題はあるが、一先ず置いて置けるくらいのものばかりである。


 真百合は赤城と添い遂げると決めた事で、彼女に対する未来への懸念も軽減されたと言える。


 そして彼女も言及した事だが……。


「子供ね。子供」


 十全皇とエオは既定路線である。反故しようものなら流石にロクデナシの烙印を免れない。真百合に関しては棚上げだが……。


「ねえねえ」

「うおっ」


 ソファの後ろから突然声が聞こえ、思わずずり下がる。顔を上げると、そこにはリーアが余裕そうな笑顔で浮いていた。


「予習は、したけど。実際にしてみないと解らない事は多いから、宜しくね」

「――……我が神、ほんと、本当にそれで構いません?」


「逆に悪い事ってなにー?」

「いやその……僕神官長じゃないですか。自分の神様のその、子作りっていうのは」


 そのように言うと、どこからともなく黒縁の眼鏡を取り出してかけ、バインダーと万年筆を構える。白衣も着ていた。眼鏡の我が神めっちゃ可愛くて正直ビビッている。


「大樹教加盟宗教はノードワルト大帝国勢力圏においておよそ五千七百宗。その内ニンゲンに類似する肉体を有する、神籍登録された神は一万一千柱。神官や信徒と家族を構成している神は五百柱ほど。それとは別に特定供物など趣味実益を兼ねた肉体関係を神官や信徒と持つ神は、三百柱を超えるぐらいと報告されてる。一万一千柱のうち、そういった関係を持つ神は八百柱程になる。割合にするとおよそ七%。これは決して少ない数字とは言わない」


「あ、統計? 我が神、統計とか操り始めましたか?」

「あと、近いところだと雨秤教団は神と神官長が夫婦だった」


「そ、そうですね」

「えー。よーちゃん、そんなに……私とするの、嫌?」


「いやな訳ないじゃありませんか」

「やった。じゃあ、夜にね、よーちゃん」


 うふふっ、と笑ってリーアがどこかへと消える。いやマジで消えた。今までそんな能力があったとは知らなかったが……危機回避緊急法第3番以来、使える能力が大変に増えているので、ヨージは我が神の全貌をまるで把握していない。


「眼鏡かけた我が神めっちゃ可愛いな」


 知らない味付けの絶品料理でも食べた気分だ。ともかく、リーアは本気だ。キメに来ている。


(……するとして。するとしてだ。ここを出る頃には、僕は出涸らしか干物になっている可能性が懸念されるな……)


 もしやと思い、近くの戸棚を開ける。中にはとても子供には見せられない大人用の玩具がみっしり詰まっており、別の棚には効果抜群、一本五十乙もする精力剤がところせましと並んでいた。


(殺されるかもしれない)


 とんでもないところにホイホイ来てしまった。とはいえ……とはいえだ。ここのところ、本当にご無沙汰であるし、その辺りをちょちょいと解決してくれていたグリジアヌもいない為、ここまでお膳立てされると、否が応でも期待はしてしまう。


 そもそもそういう性分であったのだ。名を改め身分を変えてから控えていたとはいえ、女性が近くにいないと不具合を起こしていたのは間違いではない。


「……館を見てまわりますか……あ、ついて来なくて平気ですよ」


 一応声を出して控えている仲居に伝え、手引きだけを手に外へと出る。長い廊下と階段を昇ったり降りたりしていると、直ぐに自分の現在地が不明となった。


 命に関わるマッピングであれば意識はするのだが、まさか旅館にいて気を張っている訳もなく。仕方なく目に入った部屋を開けてみる事とする。


「名前がないな。ここは……普通の部屋だ」


「こっちは……こっちは遊戯室か」


「地下もあるのか。本当に広いな……秘密の実験室などがあっても不思議じゃあない」


「この部屋は……石造り……? 拷問器具……? 磔台……? 三角木馬……?」


「鉄格子。ヒト一人通れる隙間あるし。縄。鞭。拘束台」


「この部屋は……公衆トイレだけど……水気がないな。個室のトイレも、なんか座高が高いし……ベッドが据え付けてあるし……」


「こっちは……え、魔動力路面車両の車内……?」


「ふうむ……教室だね……制服もあるね……」


「オフィスかあ……」


「ああ、うん、秘密の実験室だね。白衣とナース服。分娩台。バカタレ」


「うお……なんでベッドが回転してるんだ……全面鏡張りだし……」


「お風呂かな。タイルがピンクで落ち着かなさそう」


「小料理屋の二階。これはしっくりくるな……」


「大名の寝室。あ、こんにちは。清掃中ですか。お疲れ様です……」


「馬車……馬車の内装再現……どうなってんだここ」


 一通り歩き回り、ここが本当にロクデモナイ場所であると理解した。後から改装されたのではなく、ここを所有していた貴族の趣味だったのだろう。まさか十全皇がいちいちこんなものを指示指定して作らせる訳もない。維持しているだけだ。


「情緒とかさぁ……ッ!! あるじゃないですか……ッ!! 彼女達さぁ……そりゃもうご立派なご血族であらせられるんだからさぁ……ッ!!」


 性を多種多様に、面白く楽しみましょうという話には同意するが、お相手がお相手である。いきなりこんな場所に連れ込まれたら、泣いてしまうかもしれないではないか。


(あいや、エオは泣かないどころか、楽しみそうですが)


 口元をひん曲げながら地下から上がり、準備してくれている従業員の皆様には申し訳ないが使用はしません、と心の中で唱えて表に出る。ヨージのタイミングに合わせていたら、いつまで経っても子供が望めない、とおっしゃる女性陣のお気持ちには配慮したいが、それにしたって強引がすぎるではないか。


 帰りたいが、十全皇も来るとなると、いきなり消えては失礼がすぎる。ひとまず祝賀会については済ませ、そこからご相談となるだろう。


「あら、いらっしゃってましたのね」

「ふぃ、フィア殿」


 フィアレスが随分さっぱりした顔で現れる。露天風呂から上がったばかりなのだろう、髪も完全にほどいており、浴衣まで着ている。彼女のスタイルは今更形容する必要もない程素晴らしいので、扶桑人向けの浴衣では、胸元のサイズがキツすぎる。


「でっか(お寛ぎのご様子で)」


「ん? あ、ええ。おほほ。正直代謝は抑えられますし、汚れれば拭ってしまえばきれいさっぱりではありますけれど、お風呂も悪くありませんわね。何よりここは広くて綺麗で」


「それは、なにより」


「ヨージさんも如何?」

「まあ、後程。しかしその」


「はい?」

「なんというか……俗が馴染みましたね」


 そのように言われたフィアレスは、しばらくポカンとした後、口元を抑えて顔を赤くした。


「竜精が、ニンゲン如きの娯楽施設でこんな、何が楽しいのやら。ふん、解りませんわ。解りませんわ、わたくし」


「まあまあ」


「……――はあ。だいたい貴方のせいですわよ」

「それは良かったのですか?」


「さあ。ただそれで、貴方と少しでもお話出来る機会が増えるなら」

「ええ」


「肯定しますわ」


 ふっと微笑む。彼女は常に対話を求めていた。見下していたニンゲンにクビを斬られて以来、彼女の心に発芽した想いが何なのか、その答えを求めるようにして、彼女はヨージと話す事を選んだ。


 もし、あの時ビグ村で、シュプリーアがヨージを止めず、女皇龍脈エンプレスコードを用いた斬撃を放っていたのならば。このような関係にはなり得なかっただろう。


「そうです、そうですわ」

「なにか」


「浄化機構γを打ち破る際、常識の範囲内でわたくしの願いを聞いてくださるというお話でしたわね? あの言葉に嘘はありませんわよね。まさか、わたくしに、嘘など吐きませんものね?」


「それは、勿論。ただ所詮僕はニンゲンですから、竜精公にご満足いただけるようなものを、果たしてお渡し出来るものかどうか」


「それは簡単ですわよ」

「あの」


「はい?」

「まさかその……フィア殿も、欲しいですか」


「何がですの?」

「僕の子供ですが」


「……――うっ」

「フィア殿?」


「それもありましたわね……」

「別の願いだったのか……」


「ま、もう少し考えましょう。候補は幾つかありますもの」

「お手柔らかにどうぞ」


「常識の範囲内がどの常識かによりますわね。契約は、曖昧にしない事をお勧めしますわ」

「竜の常識は困るなあ」


「ふふっ」

「どうしました?」


「もっとお話したいですわ。お酒を飲みながら、いつか見たいに、ゆっくり」

「それは、願われずとも。僕だって美人とお酒を飲むのは好きですからね」


「まあ、軟化しましたのね。竜がーとか、立場がーとか、言っていましたのに」

「僕ももう、普通じゃありませんしね」


 フィアレスが、本当に嬉しそうだ。フォラズ村を巡る問題を解決して以降、仲は近づいたとは思っていたが、ヨージが思っているよりもずっと、フィアレスは心を許しているようだ。


 最初は敵として、次は監視者として、次は上司として、次は仲間として……思えば、自分達の旅路には、常に彼女が居ただろう。竜精、などという大仰な立場は変わらないが、以前のような否定感はすっかり無く、一人の女性として見れるようになったとも言える。


「では、後程。夜は忙しくなりそうですし」

「あ、あはは」


「あ、エオでしたら、二階の図書室で本を漁っていましたわよ」

「そうですか、丁度良かった」


 そういってフィアレスがまた露天風呂に消えて行く。相当気に入ったらしい。事件では強制的に巻き込んだ挙句苦労をかけた、ここで過ごす事で慰安になるのならば、それに越した事は無い。


 手引きを確認しながら二階へ。おおやけな施設についてはちゃんと名前がついているようだ。地図に従い図書室へと向かう。区画が近づくと、どこか懐かしい雰囲気になる。造りが学校に似ていたからだろう。


「失礼します……うお、結構な蔵書だな」


 引き戸を開けて入る。一個人の所有というには膨大な、旅館として考えると少し狂った数の蔵書に圧倒される。市民用の図書館の三分の一は間違いなくありそうだ。


 少し黴た空気、インクの香り。本を守る為に光の入りは制限されているのだろう、樹石結晶に照らされている程度で薄暗い。人文、社会、理工、芸術、実用、魔法魔術に文庫本……少し古いが、あらかた揃っていそうだ。


 奥で物音が聞こえる。書棚の隙間からチラリと覗くと、彼女は大量の本を積み上げてその真中の地べたに座り、一心不乱に読書に励んでいた。芸術書の上に檸檬が乗っているのは意味不明だ。


「ん? 誰ですー?」

「忙しいですかね」


「あ、ヨージっ!! おはようございます、もう来ていたんですねえ。こっち座ってくださいっ」

「……」


 フィアレス同様浴衣のサイズが合っていない。まろびでそうな乳をぐいっと持ち上げて隠しながらエオが振り返って笑う。


「ここ、凄くって!! 扶桑の本って品質が良いですねえ。今、お国が発行している『大扶桑女皇国通史』全52巻を読み終えたところなんですよー。これから地域を限定して地方史を頭に入れたら、文化史と宗教史を交えつつ魔術史を並行して勉強しますっ」


 一巻千ページを超える皇国通史である。かなり有名な文献で、公務員になる者は必ず読まされるものだ。ヨージは数か月かかった。エオは特別製である為、おそらくものの数分で読み終わったであろう。


「扶桑の娯楽小説も面白くって!! 龍や貴族の祖神をあからさまに言論でぶん殴らない限り、かなり自由に創作出来るんですね。ちゃんと社会批判も出来るの偉いですねぇ。あと、古鷹への悪口の多いこと多いこと、恨まれてます?」


「強権ですからねぇあいつら。仮想戦記や政治小説となると、古鷹類似家系を出さない訳にはいかないくらい、どこにでもいますからね」


「ヨージっぽい登場人物沢山いますねっ!!」

「う、ははは……」


 そりゃあ扶桑始まって以来の大英雄だ、創作のネタにならない筈もない。当然自分でも気になりはするのだが、創作中の青葉惟鷹類似存在は古鷹と対比され、孤高であり、聡明であり、非の打ちどころのない完璧な英雄として書かれる事が多く、創作演出上仕方ないとしても、本人としてはとても眩しい存在なのだ。


 実際のところはこの通り、屈託なく笑う女の子の谷間に目がいってしょうがないおじさんだ。


「今は忙しいでしょうから、またあとで」

「ヨージ」


「はい?」

「色々考えたんですけど、エオはココでするのがいいです」


「えぇ……」


「対外的なペルソナを被った状態でするのも違うと思うんですよね。エオという実存在はつまるところ政治的に本来隠蔽されていてもおかしくはありません。何重にも覆われた目隠しの先に居た筈のものです」


「お辛い話だなあ……」


「けれどこうして認知され、皆の視界の届く範囲にいます。ひとえにそれはヨージのお陰ですし、であるからには、印象や背景といった抽象を纏ってヨージと向き合うのは失礼だと思うわけです」


「うんうん」


「なのでココです。本の虫を明確に表した場所ですし、それはエオという知性のリヴァイアサンを留めておくには打ってつけとも言えます。本来するべき場所でない事による背徳感も演出出来て、ヨージも大喜びって寸法ですよ?」


 といって、小脇から大量の、ナンバリングのみが表示された本を取り出し開く。中に書かれたいたものは……恐らく、この旅館の元主人の……性遍歴、相手をした女性による心情や感想、またあらゆる趣向に対する試行錯誤の後であり、技術書でもある。全十巻ほどある。


「凄いですねえ、ニンゲン」

「刺激強すぎませんかこれ」


「他にも沢山、そういった本がありましたよ。全部覚えました。単純計算四百人ぐらいの体験と技術がエオの頭にはあります。あとは実技のみですっ」


「知識の素振りすぎる」

「脳味噌だけなら大剣豪ですよっ」


 普段なら取り上げてしまうかもしれないが、エオが楽しそうなのでそうもいかず。


「あっ」

「どしました」


「実践します?」

「い、いまはやめておきます」


「はーい。じゃあまた夜に」


 そうしてどんどん夜の予定が積み上がって行く。みんなやる気満々すぎる。


(に、逃げたら致命的なニンゲン関係の破綻になる気がする)


 図書室を後にし、部屋へと戻る事にする。歩き回ったお陰で何となく旅館の構造は把握出来て来た。一応、一応と唱えつつ退路の確認を怠らない。いざとなったら窓から飛び降りである。


「あら、ちゃんと居るのね」

「――……なんでぇ……?」


 部屋に戻ると、ソファの上で女の子が仲居から給仕されていた。その青みがかった髪、立派なお耳、魅惑的な痩身をくねらせ、少女姿の神が微笑む。


「神エーヴ。いや、マジで、なんで居るのです?」


 キシミア自治区の街神、エーヴである。本来はキシミアから動く事はなく、本国に召還された時のみ出歩ける、という立場であった筈だ。ナナリの女王選定試験の参加表明を持って、フォラズにまで来ていた事は知っていたが、それが何故扶桑にいるのか。


「まさかナナリも」


「あのお子様は置いて来た。あの子にはまだ早いと思ったの」

「はあ」


「シュプリーアとエオがお出かけすると言うから、何事かと伺えば、こんな楽しそうな事をするというの。だからね、十全皇にお話したら、構いませんわよって。以前遭った十全皇よりも随分懐が深いのね」


「確かに個体は変わりましたが」


「扶桑で何があったのか、それはわたしに話せる?」

「曝したところで何の影響もない、というのが十全皇の見解ですね」


 流石に不味いだろう、と思われる部分は伏せつつ、今回の扶桑における大事件についての流れを一通り話す。難しそうな反応こそなかったが、特定人物の名前を出すと、露骨に耳が動いた。大きな耳がぴょこぴょこ動くので、見ていて可愛らしい。


「雁道? あれ、殺したの?」

「直接ではありませんが。しかしご存じですか。確かに、狼様ですしねえ」


「ははぁ。ま、その事については追々」

「ふうむ」


「今は無粋になるもの。それより、ここは時間の歩みが遅いのでしょう」

「ここの一日が外の一法刻です。つまり一日が二十四日あります」


「馬鹿の考えたエロ空間?」

「皆忙しい立場にありますから、そういう配慮だと考えたいですね」


「じゃあ、時間はたっぷりあるのね……楽しみ、楽しみ」


 ずいっと顔を寄せ、ヨージの頬を指でなぞる。こんな見た目であるが、彼女はそれなりの御歳であるし、数十代に渡って受け継がれる血統の祖である。ナナリはその末裔だ。ちなみに、彼女は当時の女王の王配を寝取って血族を広げた化物である。


(ずっとずっと期待していたの……滅茶苦茶にして良いからね)

「ぬ、ぬぅぅ」


「くふふふっ。なんだか若い頃に戻ったみたいに、胸がいっぱい」

「あ、後戻りさせるつもりなさそうですねぇ、十全皇」


「貴方の下半身なのだから、貴方が管理なさいな」

「ごもっともですけど」


「ま、ここで主導権を維持するのは、不可能でしょうけど」

「ま、負けたくない……」


 おほほほほっ、と笑いながら退出して行く。なんだか皆楽しそうだなぁ、などとぼんやり考えて思考を彼方に飛ばす。実に、実に男冥利に尽きる話ではある。ツケが回り過ぎた成果でもあろう。


(超軍事大国の皇帝と、遠方の超大国の姫君と、大宗教の象徴存在と、死の竜の娘と、狼竜王の末裔と、実質義理の母を、一気に抱くのか……頭がおかしくならなきゃいいな……いや、良いのか? 本当に? 平気か僕?)


 本当に不安になって来た。なんだか超高級牝馬ばかりを宛がわれた高額種牡馬のようだ。いやもう実質そうだろう。


(来週は軍馬育成競走でも観に行こう……)


 そして血統を眺めて己の悲哀と向き合うのだ。


「そういえば、一番居そうな神フレイヤがいませんね」


 などとぼやくと、テーブルに置かれた紙切れがまた勝手に加筆される。


「薄まった種は困るので、後程……確かに、彼女にとっては死活問題ですものね」


 神フレイヤが生かされて外に出されたのは、ひとえに大帝国にとって利用価値が認められるからだ。元から淫乱な神なのであろうが、ことこの交接においては自分と兄の命が掛かっている。彼女にとっては遊びではないのだ。


(他人の種に他人の命かけるの、純粋に酷いな)


 とはいえ、逆に言えばその程度で命が助かるのである。人助けと思う他無い。大帝国の竜王等に盾突く理由も、こちらには無い。


「……みんな幸せになれれば、それで良いのですけどね」


 世界は動いている。自分もまた、決してその流れの遠くにはいない。少なくとも、本流の傍か、本流の端には、必ず流れている側のニンゲンだ。それはやはり、バルバロスという野心が潰えていない事、そのバルバロスが、アスト・ダールという怪物を飼っている事に、大きく起因する。


 失敗はしたものの、バルバロスが今回得た利益はかなり大きいものだ。それが実証されたからには、他の大樹に属する勢力もまた、歩みを早めない訳にはいかない。反バルバロスを掲げている者達にとって、横のつながりを増やし、強固にする事は、急務なのだ。


 自分はその一助として存在しているといっても、過言にはならないだろう。






「エオや。エオや……」

「あれ、お母様?」


「頑張っていますね」

「エオは常に頑張ってますッ」


「そんな健気な貴女に、これを授けます……」

「この小瓶は?」


「はい。ニンゲンのやる気をバチクソに上げて、そりゃあもう元気にしてくれる魔法のお薬です」

「うわあ、お母様の倫理観どうなってるんでしょ」


「ぶち込みなさい、ヨージ君の酒でも飯でも、味は変わらないので、ぶち込みなさい……丹精込めて、ヨージ君レベルですら気が付けない程の精度にしました……ぶち込みなさい……そして襲い掛かられなさい……むしろ襲いなさい……」


「娘にかける言葉として適切とは思えませんけど、ありがとうございます!!」


 ついこの前母が夢枕に立ったのである。いや、もしかしたら物理的に立っていたかもしれないが、朝目を覚ますとその小瓶が枕元に置かれていたのだ。


 取り扱い説明書まで付属している。


「えーと。小さじ一杯で三日間頑張れます。小さじ二杯で六日間頑張れます。小さじ三倍だと、使用者の生命に危機が生じますので、シュプリーアさんの回復でも受けながら使用してください。水に混ぜても味は変わりません。空間に撒く事によって、周囲の空気をなんかいやらしいカンジに出来ます。予備の小瓶も鞄の中に詰めておきました。皆さんで使ってください」


 竜精に真っ当な理屈を求めるのは酷である。母は狂っていた。


 とはいえ願ったり叶ったりではある。いざとなってヨージが得意の弁舌で行為を誤魔化さないとも限らないのであるから、保険は持っておくべきだからだ。


 彼とて何も考えず女の子と仲良くしたいに決まっているのだ。しかし彼を取り巻く環境がそれを許さないし、彼はニンゲン関係の破綻に敏感であるからして、事なかれを貫く可能性も存在している。


 それでは困るのだ。もうここまで来てしまったら全部していただく。


「えー、皆さま、お忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます」


 十全皇の祝賀会挨拶が始まる。座敷の広いフロアに案内された各人は、十全皇の挨拶を後目に勝手にお酒を飲み始めていた。隣に座るヨージを視ると、彼は気が付き、小さく微笑む。あ、エオの旦那様最高だなぁ、などと考えながら呆けているふりをしながらヨージのコップに粉末を仕込む。


「臣民が傷つき、死した事実については誠に遺憾です。合同葬儀も控えている中ではありますが、皆さまはお忙しい身でございますし、自粛は重ねれば重ねる程取れる行動と時間は減じて行くばかりです。悲しむべき時に悲しみ、楽しめる時に楽しむ事を是とし、流れは経たず切り替えにて対応して行くのが、大人の有るべき姿かと存じます……」


「――つきましては、扶桑に残られる方々に――……また、延期されておりました、大龍和祷祭の再開もございまして……――しかるに……――」


「我が龍、そろそろ」

「あ、失礼いたしました。それでは、乾杯」


 無限に続くかと思われた十全皇のスピーチが終えられる。フィアレスなどはもう酒瓶が三本も開いていた。グリジアヌがいたら、それはもう悔しがっただろう。声をかけても良かったのだが、政治的にまだ不安定な南方を離れる事を強要も出来ない。というか知らせたら無理やりでも来るだろうから、言わない判断をした。


 逡巡する。正直、十全皇の言う通り、実京はそれなりの被害を受け、死者も出ているので、あまりはしゃぐのもなぁ、という微妙な罪悪感がある事は否めない。だがこのメンツをじゃあ次いつ揃えるのか、となると、かなり難しい問題になる。


 自分達は間違いなく命を賭したし、通常では考えられない強敵を倒したのは事実であり、論理的に考えればこのメンツが労われずにいるのは嘘である。国家を上げて大々的に祝えというには死者も多い為、結果として、この先に行われる扶桑の大行事である『大龍和祷祭』に合わせて、全臣民で合同慰霊を行う形で決着が付いた。


「ヨージ、はい、あーん」

「あ、あーん」


「よしよし~」


 ……とはいえ、なんだか全然関係ないヒトも混じっているが。


「神エーヴ、それ楽しそうですねえ」

「若い男に餌付けする事の楽しさといったら、交接の次くらいよ」


「そんなに……ヨージ、はい、お口開けてください」

「皆でヒトをなんだと……」


 といって調味料につけるような仕草と共に素敵な粉薬をまぶして口に突っ込む。ヨージは何の警戒も無しに口に運んだ。我ながらヒトとしてどうなのか、という気持ちが無い訳でもないが、それはともかくこれで彼は貰ったようなものである。そして皆さまにもご提供だ。勝ちだ。


「しかし、十全皇。祝賀会というからにはパーティ会場で立食かと思って、ドレスまで用意させましたのに」


「政治的に雁字搦めなオジサマ方を集めてするならばそうでしょうけど、仲間内も仲間内ですし。それに、皆ガチガチに衣装を固めていたら、惟鷹様が手出しし難いでしょう」


 ゆるい方がいいです、ゆるい方が。豊満な方も多いですし


 物凄くおっとりした雰囲気の女性が脳内に語り掛けて来る。知らない会話方法すぎて少しびっくりしたが、これが噂の密名居姫だろう。主本体は竜精序列第七位のエレインだというが、今はほぼ分離しており、別存在らしい。


 かなり込み入った出自だ。それがヨージの教育に悪い教育の母であったのだというから、世の中の狭さを思い知るところである。何が凄いって何の違和感も無くヨージの傍に近づいて無限にお酌を繰り返している部分だ。


「え、エオですか?」


 あなたはジュースね


 と密名居に言われ、咄嗟に開いたグラスを手に取る。なみなみと注がれたジュースを溢すまいと口を付け、飲み下してから思い出す。


(――あ、これ)


 ヨージに押し付ける予定であったグラスだ。当然中には素敵な粉が入っている。


(うおおお、エオのアホ、馬鹿、間抜け、可愛いッ!! 可愛いのに何してるのっ)


「エオ、どうしました?」

「んへへへへ、いえ、なにも、なにも」


(これ、効果どんなもんなんだろ……普通の薬なら、ちょっと今のエオには効かなそうだけど)


 などと思ったが、作ったのは母である。しかも魔力に敏感なヨージが気が付かないようにまで綺麗に製薬された、一級品だ。


「んぁ……っ」

「え、えお?」


「はい、大丈夫です。美味しいですねお料理」


 ちょっと信じられないくらいに効く。脳内に、普段自分が妄想している十代特有のエロ叙事詩が湧き水の如く溢れて来た。飲むにしても流石に行為前か……などと日和っていた自分には覚悟が足らなかった。


「密。エオにお酒注ぎましたか?」


 あれ、そうだったかな。ごめんね、エオちゃん


「い、いえいえいえ。大丈夫です、生理現象を抑えればなんとでもなります」


 正直まだニンゲンとしての自覚が強いので、生理現象を抑える手法など知らない。というかそんな化物にすら通じる薬であるのだから、たぶん出来たとしても無駄だろう。


 大きく息を吸って吐く。まだ、まだ大丈夫だ。まだその時ではない。こんな大人数の居る場所でハッチャケてしまったら、一生引き摺るトラウマになりかねない。自分の脳は特別製だ。一度見たり経験したら、まず二度と忘れはしない。つまり嫌な場面も辛い感情も真空パックで未来へお届け可能なのである。最悪だ。


 この状況に気が付きそうな人物――十全皇に視線を向ける。

 彼女は――腹を抱えて笑っていた。


「十全。なんで笑ってるの。何か楽しかった?」


「くふっ、ふふふっ、かひゅっ、けほけほけほ……ああ、面白。ええもう、好きなだけ、好き放題に、思いつく限り馬鹿らしいコトを、どうぞ、どうぞ、あはははッ」


「ええ……怖……よーちゃん、十全がなんか変ー」

「楽しそうならよいじゃありませんか。ゼロツー殿が一番苦労した訳ですし」


「そっかな。そうかも。自業自得感は否めないけど。まあいいや。よーちゃんお酌してー」

「はいはいただいま」


 ヨージがお酌の為に席を立つ。スルリとこの包囲網から抜けて行く辺りは流石だ。また、リーアも意識してこの囲いから外したのだろう。


 ヨージを目で追う。びっくりするくらい目がヨージについて行く。意識がずっと彼に引っ張られている。ああ、今日でわたしもオボコじゃなくなるんだなぁ、という、下品極まりなく、しかし実に栄光輝かしい未来が期待感を爆増させて行く。


 ここに来てすぐ、旅館内を見回った。最終的には図書館が良いな、と思ったのは確かだが、どう考えても変態的なシチュエーションを可能とする数々の部屋は、十代の若い性欲に強烈な好奇心を植え付けるには十分であったと言える。


「す、少しお花を摘みに」


 いってらっしゃい。ごめんね~


 密名居姫に手を振って広間を後にする。吐いてなんとかなるとは思えないが、気合は入れねばならない……。





「フィアレス、フィアレスや……」

「え、お父様?」


「おう。元気か?」

「ええ、大変に」


「そりゃよかった。で、青葉惟鷹とはどうだ? もうヤッたか?」

「いえ、肉体関係にはありませんけれど」


「バシッと行ってバッとやってスパッとしちまえば良いのに」

「とはいえ時間の問題でしょう。彼もわたくしを魅力的だと思っている様子ですし」


「そらお前、俺が丹精込めて造ったからな。という訳でお前にこれを授ける」

「これは?」


「俺の宝だ。金を魔法で編んだ……金の水着だ」

「紐じゃありませんのっ」


「ああ、魔法の金の紐だ」

「着るという概念を再定義する必要がありますわよ、これ」


「やべぇえげつねぇ魅了の魔法が掛かっている。竜種の精神が揺らぐくらいの奴だ」

「すげぇやべぇですわねそれ」


「これを着れば……間違いない。さくっとヤッてアイツを俺の前に連れてこい」

「まあお父様が仰るなら……」


 そういってサムズアップした全裸男であるファブニール王が去って行った。本当に全裸で歩いて来たのだろうか。ともかく受け取ったのは、水着という名の紐である。父から宝を授かる、という事は、非常に稀だ。


 彼はこの世の財を集めに集めた財宝竜ファブニールである。強欲の塊である彼は、他人にモノを簡単に授けたりはしない。それは娘であろうと例外ではなく、欲しければ自分の力で奪い取れ、というのが、三姉妹の家訓のようなものなのだ。


 戯けているが、宝は宝だ。確かに、あやしげな魔法が掛かっているのが解る。着るのが発動条件なのか、一先ず身につけてみる。


「信じられないくらいはみ出ますわね」


 信じられないくらいはみ出る。何も隠れちゃいない。フィアレスのフィアレスが爆裂している。が、父が造ったこの身体、出して恥ずかしい場所など一つもない。水着としての機能が不全である、というのが問題なだけだ。


 というわけで祝賀会でも着ている。


「流石に安酒を提供したりはしませんわよね。どれも一級品の味。この扶桑のお酒、単体で飲むのが作法なのでしょうけど、柑橘系とカクテルにすれば、もっと良いかもしれませんわねぇ」


 フィアレス様。お酒に御詳しいのですね


「ああ、ええと、密名居姫。元はエレインでしたわね」


 一応つながっています。とはいえ別人物でもあります


「繋がりが在りつつ、かつ他人とあらば、それはむしろわたくし達ドラグニール三姉妹の姉妹の定義とも言えますわね。つまり貴女はわたくし達の新しい姉妹なのでしょう?」


 そうなのでしょうか?


「でなければエレインの子ね。親族といって差し支えないでしょう。ならそう畏まらず」


 ありがとうございますぅ


「確かにエレインっぽいおっとりさですわね……ああそうだ、幼いヨージさんを教育していた、と聞き及んでおりますけれど」


 はい。上の事から、下の事まで、大体は


「下……?」


 うふふ


 怪しく笑い、耳元で囁かれる。なんとも言えない――酷い感情が芽生えて、フィアレスは驚いてしまった。自分にもそのような感情が搭載されていたという事実にだ。嫉妬だ。


(えっ……ヨージさんの初めて、ですの?)

(はい)


(それ、その……彼がお幾つの時に……?)

(××歳です)


(犯罪では?)

(裁く法律はないですねぇ)


 密名居がドヤ顔で言う。信じられない。マウントを取られていた。この竜精が、神に……いや、実質エレインであるから、ただの神ではないのだが……つまりそれは、姉妹に先を越されている、という覆しようのない事実ではないのか?


「――……わかりました。負けを認めましょう」


 え、争ってないです


「幼い頃の彼のお話を聞いても構いませんかしら」


 それならば、いくらでも~


 恐ろしい敵がいたものである。だがこの敵は自分の知らない情報を多大に有しており、かつ友好的であるからには、聞き出して武器を増やした方が得策だろう。ヨージがシュプリーアと十全皇へお酌をしている間の慰めにもなる。


 身体を密名居に寄せる。その時、何かが手に引っかかって零れた。


「まあ、わたくしとしたことが。何か拭くものは」


 どうやら小瓶であるようだ。小瓶は中身が外に曝されると、空中に舞って消えて行った。気化するのが早い物質である事だなあ、などと眺めていると、密名居の顔が、随分と緩くなる。


「……密名居姫?」


 ……なんだかあっつくって


 などと言いだす。生理現象を抑えず酒でもあおった所為だろうか……が、しかし、自分もまた、身体に熱を覚え始める。知らない感覚である。そして自然と、視線が彼の方へ向くのだ。


「ふうむ。前半から飛ばしすぎましたね。ちょいと離席を」


 そういってヨージが広間を出て行った。心の底から追いかけたいという謎の気持ちが沸き上がり、生物として完全体である筈の竜精がそんな謎の感情に負けてたまるか、と押し留まる。


 周囲に視線を巡らせる。


 密名居……はボウッとしつつも、口の端を少し吊り上げており、忌憚なく述べるのならば馬鹿みたいな顔だ。


 十全皇――は楽しそうにシュプリーアに絡んでいる。

 シュプリーアは……絡む十全皇を面倒臭そうにあしらっている。


 エオは――そういえば、先ほど花を摘みに行った。何故花なのかは不明だが、ニンゲンの女の子として育ったのであるから、花の一つや二つ、流れるような所作で摘むのかもしれない。


 そして気が付く。あの何故か紛れ込んでいたキシミアの神がいない。


 一応面識はあるが、かといって知人以下である事は否定出来ない。故に彼女がどんな女なのか、どういった力を保有しているのか、まるで不明なのだ。


 キシミア事変を通じてヨージ達と関係を持ったのは解るが……得体が知れない。ヨージにかなり執着しており、色目を使っていた事は把握している。


(ううん。全体的にぼんやりしますわね。この竜精に影響を及ぼす程の魔法? ともすると十全皇しかありえないですけど……そんな事をする理由がない。いや、もしかすれば、折角の宴会、盛り上がるような魔法はかけたのかもしれない。しかし竜精の対魔法力が、それを薄めてしまった結果、この不明瞭な雰囲気が出ている……と考えられますわね)


 一応自分なりに考察するのだが、やはりぼんやりしており、先ほどこぼした小瓶について頭が回っていない。


 ――事態が動いたのは、それから半法刻後。ヨージが離席から戻って来た。そしていつの間にか神エーヴが着席しており、何食わぬ顔でお酒を飲んでいる。


 席を移動し、神エーヴの隣に座る。


「まあ一献」

「あら、どうも。竜精公にお酌させるだなんて、わたしも偉くなったわ」


「無礼講ですもの。それに、実際一国を預かる神ではありますでしょう」


「おほほ。神エーヴです。どうぞよろしく。大帝国からすれば、キシミア自治区は目の上のたん瘤でしょうけど」


「ある種南部の緩衝地帯ですもの。本国と、仲は宜しくないのでしょう?」

「とはいえ、現女王の祖神にあたるの。どうあがいても敵。大帝国におもねる事もない」


 政治の話を交えながら神エーヴを観察する。魔力総量はなかなかにありそうだ。竜精までとは言わないまでも、神エーヴが有する存在としての大きさは、いち都市神の域を超える……などと考えていると、微妙な違和を覚える。


 鼻を鳴らす。


 ――エーヴの口元から、ヨージの匂いがした。

 念の為にヨージも確認する。


「……何か?」


 エーヴが、何か気まずそうな顔をしたのを見逃さなかった。


「神エーヴ、貴女……」

「ああーーーッ」


 そう問いただそうとしたところで、エオが声を上げた。その手には小瓶が握られている。


「エオ。ごめんなさい、先ほど、わたくしが引っかけてしまって」

「ええ? これ、部屋に撒いたんですか?」


「撒いたと言いますか、こぼしたと言いますか」

「も、」


「も?」

「もはやこれまで――ッ!!」


 エオ、錯乱。小瓶の中に余っていた何かを、そのまま広間にぶちまけた。すると、エオの魔力が部屋中に広まって行くのが確認出来た。何をするのかと身構えていると、そのまま空中にルーン文字を描いて実行し始める。


「え、エオ、何をしてるのですか?」

「あははははっ!!」


「エオ、なんですかこれ?」

「全部まぜこぜにしちゃえばもう一緒ですよッ!! ヨージッ!!」


「ななな、なんですか?」

「今から全員と寝てもらいます……ッ!! 全部終わらせる……全部ッ!!」


「正気ですか……ッ!?」


 それではまるで悪の首領が追い詰められ、最後の力で周囲を巻き添えにしようとしている台詞だ。


 ヨージ、臨戦態勢へ移行。


 十全、大爆笑。


 シュプリーア、呆然とするもエオの意図を汲み取ったのか、力強く頷く。


 エーヴ、一人余裕の笑み。


 密名居、いち早く何かを確信し身を潜め始める。


 全員の行動を確認し終えた辺りで、エオの魔力が強くなる。周囲の空間が、何やらピンク色に染まり、樹石結晶もピンク色に光り、館の構造自体に影響を及ぼし始めた。


(あれ、これ……エオの自己完結能力スキルですわねえ……)


 などと考えていたが、フィアレスは思考を破棄。


「フィアレス、完全に理解しましたわ。エオーナ殿下」

「ええ、やってやろうじゃあありませんかッ」


 ヨージを捕らえる為に立ち上がったのだった。






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ヨージ、もう覚悟を決めるんだ。据え膳も据え膳だぞ………
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