日鎮める国1
心底どうでも良かった。どうせこれは自分の身体ではないのだから。
奴が自分の中に居ると気が付いたのは、十を数えた頃であった。もっと小さい頃から達観した子供であるなどと持て囃されていたが、そうではない。自分が他人に対して反応を示したところで、どうせこの身体が自分のものでないという大きな自覚がそうさせた。
無駄に思っていたからだ。この身体はやがて明け渡される。
自分という形を大きく示したところで、塗りつぶされて行くだけなのだ。
奴は強大だ。それは日に日に強くなって行く。元服した頃にはとうとう声まで聴こえて来た。
「なあ、なあ。こんなにハッキリ相性の良い奴ってさ、君の家系を数万年遡っても初めてなんだよね。だからさ、僕さ、嬉しくてさぁ」
「ガキみたいな奴だな……五月蠅いったらない」
「んまぁー、享年15歳だったかなあ。といっても三百万年以上前の話だけども」
「早逝だな。俺と同い年だ」
「別にさ、君を乗っ取ろうとか、僕に身体をよこせぇ、とか、そんなホラー漫画みたいな事したいつもりじゃないんだよ。でもほら、こうして話も出来るの、すごい嬉しいじゃない?」
「お前にそのつもりが無くとも、お前が強大すぎる。俺の精神はそのうちお前にすり潰されて終わりなんだよ。他人を中に入れてるニンゲンの気持ちが解るか? というか誰だよお前は」
「僕ぅ? 美公傑だよ。日本人。美公四兄弟の末っ子だよ」
「誰だよわっかんねぇって……ニホンジンってなんだよ……」
「長男が将。次男が駆。三男が来……あ、いやそれ生前の兄弟だ。あー、この世界だと、上からミドガルズオルム、フェンリル、スコル、んで僕がハティ?」
言っている事が一つも解らない。その力を考えても、ただの悪霊や神如きでない事は確かなのだが、そんな話を真に受けられる筈もなかった。生前が何を意味するのかすら不明だ。
……自分が竜だとでも言うのだろうか。
「まあ確かに俺も波貞の名を授かったものだが……」
「きみんちのお社に祀られてる赤い玉があるでしょ。あれが僕の本体。炉心だよ」
「――……冗談だろう? ならなぜそちらから実体化しない。竜なのだろう」
「アソラちゃん……十全皇と取り決めたんだよ。同じ土地に竜なんて沢山居たら邪魔だしさ。そこは納得してるんだ。僕は汚染されてるし」
「汚染がなんだか知らんが、お前は狼竜ハティご当人様で、社の玉は炉心で、故あって十全皇陛下との取り決めで実体化はしない、それが真実で良いんだな」
「そーそー。血族……というか因子混入者ぐらいしか喋れるヒトいないし。流石に寂しいっていうか……アソラちゃん元気にしてる?」
「十全皇陛下に体調の良し悪しなどあるか」
「昔はあんま強いカンジじゃなかったけど。まあーそっか。逢いたいなぁ」
「……今度元服の祝いで日没宮へ参内する。視ているぐらいならいいぞ」
「やった。でももう流石に結婚とかしてるよね? 三百万年未婚とかある?」
「陛下は未婚だぞ」
「――……へぇぇぇぇ~~~ッ」
「なんか気持ち悪いガキだなあ、お前……」
力が強い故圧はあるが、当人は本当に子どものような存在だった。なんにでも興味を持ち、笑い、騒ぎ、要らない事を言い、くだらない話をする。
蕃主の子息が元服……蕃によって年齢は違うが、大人と認められると十全皇の宮殿、日没宮への参内が許される。正直それ自体に興味などなかったし、跡継ぎとして認められる儀式の一つ程度の認識であり、波貞の心を揺さぶるようなものではなかった。
のだが。
「――――……」
「波貞。朕の顔に、何かございますかしら」
「お、お美しいです。すごく」
「ほほほ……参りましたわねぇ」
ちなみに後程親父に物凄い勢いでぶん殴り散らかされたが、そんな事はどうでも良かった。
世の中が何処か空虚で、うすら寒くて、下らなく見えていた自分の世界が、まるで突如彩色されたように華やかになったのである。自身も含め、他人は馬鹿か阿呆しかいないと考えていただけに、その衝撃は波貞の脳の一部を欠損させるには十分すぎる衝撃であっただろう。
いや、そうなのだ。彼女以外は全部馬鹿で阿呆なのだ。
「あれが美。アレが完全。あれが十全。存在というものの究極。俺達がちっぽけすぎる。陛下は何故、俺達ニンゲンをこんな小さくお造りになられたんだ?」
「え? 獣人って現実には居なかったしなあ。いや存在しない訳じゃなかったけどメジャーじゃなかった? というか今も現実か。うん? 獣人に限った話?」
「昔は獣人なんていなかったのか」
「人間種だけだよ。まあでもみんな、魂が変わった訳じゃないから、ヒトっちゃあヒトかなあ。アソラちゃんはさ、自分から何かを創るのって、凄い苦手なんだよね」
「ほぉん?」
「元から存在したモノを基礎に、弄ったりアレンジしたりポテンシャルを引き出したりして、かつ数を大量に造るのが得意なの。ゼロをイチにするのは下手。ただイチをセンにするのがこの世で一番うまい」
「……この世界が大樹、そしてリュウ達によって創られたって話は?」
「まさか。僕達にそんな力はないよ」
常識、というものが吹き飛ぶのを感じた。今まで学ばされていた知識は全て人類を支配する為の方便であり、仮初であり、必要な嘘であると知り、波貞は興奮した。絶対にニンゲンが知ってはいけない知識を手に入れてしまったからだ。
若さ故の万能感も、劣等感も、無力感も、全てがない交ぜになり、波貞の元来から有する共感性の無さが人格形成を加速度的に破壊する。
「……結局、リュウってなんなんだ?」
「アズダハを支配した者がそう名乗ってるだけ。勿論、ただ者じゃないからこそ支配してるんだけどさ。僕なんかはビコゥ……ミドガルズオルムのオマケだけど」
「アズダハっていうのは?」
「んー、凄く小さい蟲みたいなもの? いや、普通の生物でも生命体でもないし、死の概念を有さない。当時の人間の技術では消滅させる事すら出来なかった。魔力と結合している個体が大半でさ、ある一定の手順を踏む事でそのアズダハを通じて"魔力"に意味が与えられる。カタチを為せとか、火を起こせとか、ね? あー、それもまた厳密じゃあないけど魔力そのものは元から存在したけど通常の人間には認知がー……」
「つまり、それ等を十全に扱えるからこそ、十全皇は、十全皇足る訳か」
「うん、まあ。地球……あー、この星ね。人類が産まれる前から存在した、生命っぽい何か、がアズダハ。過去の超人、神、大宗教の教祖、みたいな人間を越えた人間が扱って来たんだ。アズダハ自体が何にでもなれるから、ほんと、何でもありなんだけど……」
「聞く限り万能だが、今はそうでもないな」
「うん。人間には扱いきれなかった、というのが答えさ」
「……為政者は頭が痛いな。ともなればやはり……なるほど、制限する」
何故、ヒトとカミとリュウではこれほどまでに差があるのか。人類がどこから来たのか、我々は何者なのか。その答えが次々と明示される。そんな事を聞いてしまえば、当然……深入りしてしまいたくなるのがニンゲンだ。
達観したような素振りをしていようと、波貞は所詮子供であった。
しかしその子供は、一般人の躊躇うような事をして悪びれず、常人が足踏みするようなものに対して、平然と踏み込むような、厄介な人類である。
「アズダハを扱うには、どうしたらいい」
「わは、それ聞いちゃう? 気になるよね」
「もったいぶるなよ」
「ま、当然なんだけど、人類には手出し出来ない。この世界にはルールがある。世界法って言ってね、十全皇を中心に竜達が取り決めた、人類や神が守るべき大きな大枠のルールだ」
「そりゃあそうだな。好き勝手されたら溜まらない。で、抜け穴はあるのか?」
「ないよ。兄さん……ミドガルズオルムは天才だからさ、その辺りもキッチリルールに含めてる。このルールを打ち破るには、リュウの炉心を乗っ取るか、大樹を乗っ取る他無い」
「デカすぎる相手だなあ……」
「逆に言えば、それさえ出来れば、少なくともその大樹の根が届く範囲はルールを変えられるんだ。勿論十全皇なんかはセーフティを何重にもかけてるから、簡単じゃないけど」
「なあ、それは人類じゃどうしようもないんだろう」
「そうだね」
「――……お前にならどうにか出来るんじゃあ、ないのか?」
「ははは……で、そんな事してさ、君はどうしたいの?」
「十全皇を嫁に貰う。俺はあの女が欲しい」
「馬鹿じゃないの?」
「いいだろ」
「いいね。ずっと未婚だったら結婚しようって話してたんだ。それにさ」
「おう」
「大人しくしてるの飽きちゃったから」
こうして芽生えた野心は、誰にも気が付かれぬまま、一直線に進み続けた。機会を窺い、協力者を募り、待ち続けた。既に自身が波貞かハティかなどという問題は些末なものとなり果て十数年、ヒトとリュウの精神を持つ男が、父の死後とうとう蕃主となった。
金と権力を自由に行使可能な立場に、なってしまったのだ。
「拙者は今すぐにでも、北東王の御首をすっ刎ねて陛下にご献上出来ましょうぞ。それはご理解なさっておられますかな」
実京目前、首都構成外郭地。獣車に乗り換えた雁道が、古鷹佐京と対面していた。
間近で見たのは初めてだったが、そのエルフらしからぬ覇気と気配の強さは常人に非ず。気を抜くと飲まれてしまう。それもそうだ、古鷹佐京が指を動かすだけで、雁道など瞬く間に死人になっている。
「正直な話、貴殿の存在は俺の詰みだ。が、その詰みは行使されんと踏んで今ここにいる」
古鷹佐京が首都防衛に当たっているであろう事は当然考慮に入れていた。高レベル侍達というのは、何も他の土地を蹂躙する為に用意したものではなく、古鷹佐京に勝てずとも時間を稼ぐ為に用意したものである。
他の土地の侍など多少レベルを上げた侍を数充てれば済む話なのだ。
だがコレだけは違う……筈だったが、想像した流れとはだいぶ変わって来た。
「はははっ。お約束通り日没宮までご案内いたそう」
「忝い」
「その好青年然とした態度、実にイラつきます故、やめた方が宜しいかと存じますぞ」
「……――いつから?」
「貴君の顔を初めて拝んだ日からですな。他竜の気もある」
「……貴殿等古鷹はおかしい。いったい貴殿等の血は、何なのだ」
「身内の事ゆえ、ご容赦を。クックックッ……」
この化物とまともなコミュニケーションを取ろうというのが無謀だ。切り替えて考える。
「で、古鷹殿。見返りに何を望む」
「これから不肖の弟子が乗り込ん参りましょうぞ」
「まず間違いなく。俺もそれを待ち構えるつもりだった」
「無用に。拙者が殺します故」
「……ふうん?」
「手出し無用。手出しした瞬間、貴君等の首も無いものとお考えくだされ」
「こちらとしても願ったりだ。では、青葉惟鷹に関しては全てお任せする」
「ははは。話の分かるお方だ。では数法刻後」
「乗って行かんのか」
「外苑に辿り着いたならば、また拙者が五十減じに参ります」
「……素直に置いて行く。殺さんでも良かろうに」
「似非侍の跋扈など、拙者が赦す訳にはいきませぬ故。今から参内するであろう王以外の二人を見繕っておく事をお勧めいたしますぞ、三名まで、三名まで、はははははははははっ」
古鷹佐京が風のように消えて行く。雁道は肩で息を吐いた。
古鷹佐京については、足止め策の他に懐柔策、人質策など幾つか用意していたが、無駄になったようだ。アレが嘘を吐いているようには見えない。何を考えているかもわからないが、少なくとも、青葉惟鷹を殺したいのは本心だろう。
「選定勇者ってさ、一柱の竜に一人が制限なんだけど」
ハティが言う。
「……古鷹佐京もまた、選定勇者だと?」
「というか、正式に引き継ぎしてないんじゃない? だから半分ずついる感じ」
「半分でアレなのか? なんなんだ、選定勇者っていうのは」
「むかーしむかしの習わしだから、形骸化してると思うけど。竜の代理戦力だね。竜が直接ぶつかり合うと被害が大きいから、その代理者」
「それに選ばれるとどうなる」
「命運を背負う事になる。世界の。与えられる力も絶大になる。例えば竜および竜種は占有根幹魔力帯に接続出来るだろう。青葉惟鷹もそうだけど」
「ふむ」
「接続から解放に権限が増える。接続して魔力を引き出すだけじゃなく、様々な制限を突破した魔力を行使可能になる。そうなると、僕でも勝てるか怪しいなあ……」
「結局竜並に強くなるなら代理の意味などなさそうだが、規模感の問題だろうな――……」
「あっ」
「古鷹佐京は、権限の全てを青葉惟鷹から奪う気でいる、か?」
「青葉惟鷹が勝ったとしても、同じことになるね。現状のルールでは占有根幹魔力帯の使用制限がされているみたいだけど、それは接続までで、解放は異なるかもしれない。二人を揃えていい事はないね。殺さないと」
「どちらかを殺せばどちらかに権限が寄るのではないか?」
「いや。古鷹佐京が手ずから殺そうと目論んでいる事を考えても、継承には直接の譲渡か殺害が必須なんだと思うよ。だからどちらかを殺せればいい」
手元には二つの鍵。策が一つ。炉心へ無事辿り着けさえすれば、何とかなる算段ではある。ただそれが問題だ。首都で暴れて貰いたかったアスト・ダールは既に亡い。役割は果たした故に責められないが、手駒が足りないのは事実だ。
「統春」
「はいはい、いるよ」
「正念場だぞ。佐京と惟鷹に介入して必ずどちらかは殺せ。その手段を期待してお前を取り込んだ。役割を果たして貰う」
「平然と不義理働く辺りさっすがだよねー」
「こんな状況で口約束など守って居られるか。ともかく、俺のやりたい事に水を差さん限り、お前を止める事はない。お前のやる事に、俺も意見しない。その為にも、ここは気張って貰う」
「代償は常に必要。んなの当たり前じゃん」
「素直じゃないか」
「あてしだけじゃまずここまで辿り着かなかったし。そゆ意味じゃ感謝してるよ」
統春がフェイスベールをまくって素顔を見せる。獣人第二種別の美しい狐女だ。額には第三の目が輝いている。普段は閉じていると聞いていたが、臨戦態勢、という意味なのだろう。
「切り札も切る。あてしは本気。アンタも本気になりなよ」
「俺はいつも本気だぞ」
「軽いンだよね。今更だけどさ」
「ここ最近誰かに説教されてばかりだ」
「んじゃ、タイミング見計らって出るから。鍵はどうにかする算段あるんでしょ」
「ある」
「あっそう。またね、お坊ちゃん」
女としてだけ見るなら魅力的なのだが、ニンゲンとして見ると果てしなく付き合いたくない類の人類である。
自分があの女に抱くこの嫌悪感の理由は知っている。
ニンゲンとしての強度の話だ。残念ながら自分は弱い。信念がない。大義がない。夢も希望もあったものではない。己を支えるもの、なる存在は上にも下にも存在しない。
何も視ていない。先も見ていない。ただやりたいと思った事を実行しているに過ぎない。
故に、目的の為に真っ直ぐを向き、己の使えるもの全てを使ってでも成し遂げるのだというニンゲンを見ていると、心根が冷え込んで来るのだ。
しかし、そんなご立派でご大層なものを抱えて生きるニンゲンが、どれほど居るか。
ここは大扶桑。自分の希望とは裏腹に、進むべき道など決められている国だ。
そのような意味で、自分程扶桑人らしい扶桑人も居ない。
ただ少しやんちゃなだけである。
「目的は違えどやりたい事は同じだからな。どっちかが成功すればそれで良い……んだが、負けたら死ぬより酷い目に遭うんだろうなー」
「ゲームしてる途中で負けた後の事考えるのやめなよ」
「痛いのは嫌だろ」
「いやだけどさぁ。だから逃げる算段はつけてあるよ」
「なんだ。保険まであるのか、お前凄いな」
「思いっきりの良さは任せるよ。慎重な事は僕がやるからさ」
――この世界を創ったとされる竜達。その者達が何者なのか、粗方ハティから聞き、知っている。にわかには信じ難い事実ではあるが、全ての事象はアズダハという超存在が実現しているのだ。
生物でなければ物質かすら怪しい存在。魔力と同化し、ニンゲンには感知すら出来ない筈の魔力を利用可能物質として扱えるようにする、想像を絶する、ニンゲンの手には余り過ぎるものだ。
一時期はこの全てを十全皇が握っていたというのである。誰も彼もが彼女の顔色を窺い続けるのも納得だ。
まさに、この世界は全て、十全皇の機嫌一つなのである。
そんな世界を破壊する為に、炉心を掌握し、大樹を通じてこちらの命令を実行する。
言葉にすれば単純だが、そう簡単にも行かないのが現実だ。
目の前に迫る青葉惟鷹率いる防衛隊は解り易い脅威であるし、手段こそあるが炉心への道は鍵一本分閉ざされたまま、古鷹佐京というイカレた化物は健在であり、十全皇が奥の手を持っていないとも限らない。
とはいえ、それでもだ。それでも、人類がここまで竜に迫った事など、有史以前からあり得ない事実であろう。自分は歴史的革命の、その最前線に立っているのである。
「虚無垢、準備は」
「ええ、お殿様。もうすぐです」
視線の定まらない、白い肌、白い髪の少年は小さく頷く。
バルバロス通商国から寄こされた、最終兵器だ。根幹魔力帯を介して竜および大樹になにがしかの攻撃力を持っている。詳細は解らないが、現に扶桑雅悦と支配体十全皇の一部機能を停止させるだけの力があった。
連発出来ないのは問題だったが、時間も経ち、今度は扶桑雅悦の根元からコイツをぶつける事になる。
適切な場面で、適切に運用する限りは、勝てるはずだ。
だが、その一歩が、どうにも遠い。平穏無事に炉心へ辿り着くには、どうしても駒が足りない。
「……――そうだ、ハティ。予備鍵は首都に有ると話してたな」
「有る、というか、来るね? 何となく察せるでしょ」
「他の鍵分身と仕様の違いは」
「戦うかどうかは不明だけど、殺さないと手に入らないね」
「俺達は鍵を一個分スキップ出来る手段がある。あいつ等にはない。俺達の問題は首都で無事に炉心まで近づけるか否か、でしかない。そうだな?」
「古鷹佐京と青葉惟鷹及び仲間達を掻い潜って近づけるなら、そうだね」
「――首都の奴等に危機が迫れば、俺達に向く手勢も減るよな」
「その手駒がないんだけど。まあ確かに、奴等は鍵分身と対峙しなきゃないから、一時的には足止めになるだろうけど、他はどうかな……え、あるの?」
「一つは古鷹佐京に宛がうつもりだった特別性の特等兵一体」
「アイツは気まぐれにかなり強く造ったけど、心元ないね」
「もう一つは、盗聴改ざんに充ててるルルムゥだ。呼んでおこう。炉心の開錠には使えないし、ルルムゥ一番号より格段に劣るからと放っておいてが、役割が出来た」
ルルムゥという少女神の力は強大だ。もっとも力があったルルムゥは既に亡いが、弱くとも五、六体あるなら可能性は出て来る。
本来は扶桑のルールを穴だらけにする為に協力させていたが、いざ一番の問題である炉心への扉を貫通するには至らない、青葉惟鷹等にぶつけても時間稼ぎにすらならない、という結論が出てしまった為、諜報員としての役割を与えていたのだ。
「うわー、何するの? というか何出来るかな? ただ首都で暴れさせるだけじゃ、古鷹佐京が秒で処理しちゃうよ。特等兵と一緒に暴れさせるの? あんまり意味無さそうだけど
「つまりだな……」
「ふんふん……わはははッ――!!」
世界が無邪気にかき回されて行く。ヒトの命を勘定に入れていないニンゲンにとって、それ等は自分の為の素材でしかない。自分の気にしないものを相手は気にしてくれる、作戦上こんな都合の良い素材はなかなかない。
青葉惟鷹が正義である限り、非道を見過ごす事など出来はしない。
これは貴様等が決めたルールだと、雁道はほくそ笑んだ。
実京中央統括特別区地下
地下水が頬を掠める。指示された通り壁に魔力を通すと、樹石結晶が一斉に、道なりに光り始めた。コンクリート造の果てしない地下道は、ここから近隣地区の山奥まで繋がっており、複数の出口があると言う。
かなり年期が入っており、ところどころの崩落も見られる。長い間使われておらず、手入れもされていなかった事が伺える。そもそもこんな通路を使う事になる場合、扶桑自体の終わりが見えた頃になるだろう。
つまり今がその時だ。
これだけ大規模な地下道ならば軍部も知っていそうなものだが、惟鷹が近衛時代に視た首都防衛地図にも記載はなかった。今の時代……今の文明世界が築いたものでは無く、故に考慮もされていなかったのだろう。
「道幅が広い上に、全部鉄筋コンクリートですか」
「前文明世界の遺物ですわね。核爆弾が雨あられと振っていた頃のものですわ。文明世界が終わった後も、十全皇が暫く手入れをしていましたけれど、必要を感じなくなって放置したものかと思われます」
「前の世界を知るヒトがたまに口にする『カク』というのは?」
「放射性物質はご存じですかしら」
「ああ、研究禁止の御触れが出て破棄された物質ですねえ。詳しくは分かりません」
「大変大雑把なお話ですが、ある一定量が揃うと膨大なエネルギーを発生させる物質ですの。量にもよりますけれど、街一つは簡単に消し飛ばす事が可能ですわ。また、そこから放たれる放射線……目に見えない波長が人体を貫通、人体の設計図を破壊しますから、再生不能のダメージを被ります」
「えげつない兵器ですねぇ」
「前文明では核爆弾……あ、これはまた原理が異なる水素爆弾というもので、三百万人が一撃で消滅いたしました」
「……――」
「平和利用も可能なのですけれど、これで他人を脅せると思ったのなら、使いますでしょう?」
科学の行きつく先を恐れている節があった竜達が、何故文明の制限をするのか、その理由が解る。そんなものをポンポン投げられては、剣や魔法など振るっていても全く意味が無くなる。一個人の強さの虚しさに泣きたくなるだろう。
「つ、使いますか? そんな簡単に?」
「視座の違いですわね。大昔というのはリュウという絶対存在がおりませんから、完全に統制して制止するような真似も出来ません。そんな中に現れた絶対暴力ですわよ。敵を諸共吹き飛ばし、破壊と死を齎し、長い時間恐怖を植え付けられる、なんて便利でしょう」
「邪悪すぎます」
「そのようにならないよう、統制して参りましたの。ま、リュウにはあまり効果もございませんけれどね、核」
しかしそんな力を持っていても、ニンゲンはリュウには敵わないのだろう。人類の最大火力を用いて殺せないのならばどうしようもない。
だからこそ、リュウを攻撃するとなれば全てが搦め手となる。
樹石結晶を焚いて尚暗い道をひたすら歩いて行く。地上からの振動なども全く響いて来ない事から、ここがかなり深い区画だという事が分かった。放射線なるものを防ごうと思ったならば、それだけ潜らねばならないのだろう。
長く長く引かれた何かしらのコード、経年劣化で垂れ下がったコンクリート、制御盤の文字は一部のみ判別可能だが、電力が主だったエネルギーであった事が伺える。
電力は本当に極一部用いられるだけで、民間には降りてこないものだ。発電するのにコストが大きすぎる上に、化石燃料を大量消費し、更に山まで切り崩す為、森林文明たる現代社会と大変なミスマッチを起こしているからだ。
「先ほどの核もですけれど、使い方次第です。魔力も、電力も、核も、アズダハも」
「刀自身がヒトを殺すのは特殊な案件だけですね。ヒトを殺すのはヒトです」
「――しかし、ニンゲンには難しかった故に、我々が制限する他なかった」
「創るも壊すも貴女達次第であるのに?」
「前にもお話しましたけれど、ニンゲンは管理がなければ、絶対に暴走いたします。それは誰かが暴走したいからする訳ではなく、自分も、周りも、真っ当であるという自認の元進められて行く狂気ですの」
「なるほど?」
「核も、アズダハも」
「……アズダハも?」
「……このぐらいにいたしましょう。そろそろ着きますわ」
どこか寂し気に、懐かしそうにゼロツーが語る。ニンゲンの狂気は個から発せられる事などなく、あらゆる考えが集合した結果に導き出されるものだと言いたいのだろう。
そんな話をしながらどれほど歩いたか、やがて大きな鉄扉に辿り着く。船の扉よりも重く厳重なそれを引き開くと、天井がぎりぎり見える程度に高く、果てが見渡せない程広い場所に出た。壁には無数の樹石結晶が埋め込まれているのか、一瞬目がくらむ程に明るい。
「……――広い。ここは」
「当時の人類の最期の場所。第三避難民区画です。人類浄化が発動し、全て無に帰しましたから、残骸などもございません」
「……それで、何故僕はここへ連れて来られたのでしょうか。方角的に実京の真下ですよね」
「幾つかお話がございまして」
「皆に聞かれたくないものですか。わかりました」
ゼロツーが地面を小突く。すると椅子が二脚せり上がって来た。隣り合う形で座る。
白く、明るく、何もない空間で、音は無く、自分の呼吸だけが気になる。
秘密の話ならば遠隔会話……は不安が残るので、少し離れた場所にでも移動してすれば良いものを、わざわざこんな場所に連れて来たのであるから、何かしらの意味があるのだろう。
「まず統春のことです」
「あれは神出鬼没ですし、現ルールでどこまでの力があるか不明なだけに不安要素ですね」
「主眼は恐らく惟鷹様です。ご存じかと思われますが」
「はい、そういう事だろうという憶測は立てていました」
「あれは巫女です。そも仏教に巫女などおりませんが、少なくともあの島ではそういった文化が形成されたものだと思われます。遠く覇郷の地から逃れた妖怪変化の血を一部受け継いでおりますわね」
「やはり祖先はニンゲンではありませんか」
「とはいえ、その辺りにうろついている獣人より少し強い程度でした。自己完結能力に関しましても、まあ一定範囲を洗脳する程度ですもの。リュウとしては脅威度も低く、見過ごしていましたわね」
「力の強い神なら、洗脳などせずとも民衆を心酔させる事も出来ますしねぇ」
「逃げ出した後、扶桑各所を訪れていた様子です」
「救世真教布教の為でしょうか」
「いえ。これは神グリジアヌに少し類似いたしますわね」
「……巫覡として活動していた、と?」
「十全皇によって滅ぼされた神の土地や社を周っていたと記録がありましたわ」
「むっ……」
ビグ村での事を思い出す。世界各国を周って、死した神を降ろし、元信徒達を慰めていたのがグリジアヌであった。ビグ村でもグリジアヌはインガに影響を受けたり、雨秤を降ろしてみたりと、巫覡らしい活動をしていた結果、あれだけの問題になったと言える。
グリジアヌは基本善性の塊である。そのココロにあったものは言うまでも無く哀れみだろう。
だが統春はどうか。
十全皇に敵対した神を選りすぐっていたとなれば、かなり怪しい。
「伊勢、出雲、諏訪、それと熱田などには足しげく通っていた様子でした。そして東京にも」
「聞き覚えの無い土地の名前ですが、昔のものですか?」
「この扶桑は、当時とはだいぶ形も異なりますが、元を日本という国の国土と重なっております。今名前を挙げた土地は昔の一大信仰地ですわね」
「力のある神所縁の土地であると」
「十全皇が世界を創り替える過程で、リュウを頂点とし、神とヒトを用意しました。個別に用意したものもございますが、ある程度の方向性は与えた上で、基本的には自然に任せておりましたの。つまり、十全皇由来のアズダハを撒いて、自然に育つようにしていた、という意味ですわ。途中管理が必要となれば手を加えます」
「しかし土地などの影響もあり……過去に信仰されていた神が、魔力を得てカタチを得た?」
「ご明察通り。特に日本という国は神が土地に着きますの。現代の神の定義に近いものですわね。人々の信心を得て強大化した彼等彼女等は増長し、十全皇に歯向かうようになりましたわ。当然始末しましたが……全部殺すのも忍びないとして、小規模での信仰は赦しておりました。故に未だにその神に対する信心は、多少なりとも残っております」
ここでも彼女の甘さが彼女に刃を向けている。全て刈り取ってしまえば起こらなかった問題だ。
しかし彼女はそれが出来なかった。恐らく性根故なのだろう。
「大昔の神とは異なるながらも、大昔の神と似たような神性を持って産まれた神、これを『名のある神』と呼称します」
「当然力も強い、と」
「はい。十全皇に日没の神としての神性がある理由は、これが元です。太陽の化身、天照が名のある神として降臨、絶大な力を振るって十全皇と敵対しましたわ。主依代と分依代、これら複数が元伊勢、そして元東京などにございましたが……今回のどさくさで持ち去られましたの」
「統春ですね」
「お気をつけになって。今の統春はまともではございませんわ」
顎を擦る。統春を警戒せねばならないのはそうだ。仰る通りである。が、随分と他人事のように言うではないか。これから実京を舞台に戦わねばならない場合、統春は絶対避けて通れない。即ちゼロツーもその場に居合わせる事になる筈だ。
嫌な予感がしてきた。
「あと、ハティについて」
「元はユグドラーシルの竜ですよね。フェンリルの、子か、弟か、文献によって違いますが」
「ミドガルズオルムに西方権限を与えた際に蘇られた彼の肉親ですわね」
「西方権限……? 与えた?」
「西方統治管轄権限。十全皇が全てを支配した筈であるのに、何故ユグドラーシル派が大きな力を持っているか。そんなものは当然、十全皇が分け与えたからに決まっておりますでしょう」
「本当に全てを支配していたのですね……そうなると、ミドガルズオルムを産み出したのも、十全皇になってしまいますが」
「狭義には違いますが、広義ではその通りですわ」
「ええ……」
「ともかく肉親ですわね。地球と月が争っていた当時の事、狼竜王兄弟であるスコルとハティ、そしてフェンリルが月へ特攻。月の施設の大半を破壊しましたが、スコルの炉心は宇宙空間の彼方へ、フェンリルは満身創痍で戻りましたが、汚染された為ミドガルズオルムが手討ちに。ハティは地球に辿り着いたものの、炉心のまま扶桑に安置となりましたわ」
「だから扶桑に残っていたのですね。その後の扱いは?」
「子も残せぬまま終わるのも忍びないと思い、ニンゲンにハティの因子を与えました。それが雁道一族ですわね」
これまた同じか。十全皇は甘すぎる、とは良く言ったものだ。残っていなければ起こらない問題が噴出している。
ここまで来ると『優しい』ではなく――……殺す覚悟がない、まであるのではないか。
「しかし随分急ぎ足で語りますね」
「時間が……ございませんので」
「確かにあまり時間はありませんが」
「……ハティは賢いながら子供です。月への特攻とて、ほぼ独断のようなものでした。フェンリルもそれを止める為に月へと赴き、汚染されて戻って参りましたの。結果ユグドラーシル自身も汚染され、ミドガルズオルムでは対処出来ないと判断、十全皇が一部伐採いたしました」
「だからユグドラーシルは梢がないと言われているのですね。それで、先ほどから頻出する汚染に関してですが」
「月は、ご存じの通り地球のリュウと敵対しております。当時の対十全皇型アズダハ機蟲……月型のアズダハですわね。これに汚染され、本人は狂化、その身は根幹魔力帯を侵すようになってしまいます」
「ハティも、未だにそれに侵されているのですか」
「最後の検査記録では、その炉心の月型アズダハの割合は数%台にまで減少しておりましたが、残ってはおりますわね。そもそも揮発性はございませんから、本人の努力次第か、我々竜種が強制的に書き替えるかしない限り、ゼロにはなりませんの」
「で、貴女は書き換えを良しとせず、彼の努力に任せたと」
「……――お察しの通り、今起きている問題の殆どが、十全皇の不始末と言えますわ」
「仲間だったのでしょう。自ら手を下したくないのも致し方ない話ですよ」
「それは……」
「それに、僕は将来的に貴方の夫となるでしょう。妻の苦労の一部を背負って悪い話はない」
「貴方様からそのようなお言葉が聞ける日が来るなんて、思いもよらず……むせび泣いて縋りたい気持ちばかりですが、今はそうも行かず……憎めしいお話です」
「それで、ハティは顕在化、していますよね、恐らく」
「はい。雁道も自覚しておりますでしょう」
「リュウに弱点なんてものがあるとは思えませんが……」
「炉心しかございませんわね。そして、雁道が持っておりますでしょう」
炉心の破壊。ヨージは既に経験しているものだ。グリジアヌ、グリジアナ融合体、クトゥルフティタノマキア。その炉心を一刀両断している。ただし、それは盈虚(月の魔力)あってのものであり、今のヨージにそれだけの力があるとは思えない。
「困難です。苦難の道です。また死んでしまうかもしれませんわ。しかしながら、貴方様ならば、やり遂げられると信じております。惟鷹様が防衛装置の一部という事もございますけれど……つ、……つ、妻として……し、信じておりますので」
顔を真っ赤にするゼロツーの手を握る。まるで初めて恋愛した少女のような顔をする彼女が、随分と愛しく感じられ、複雑なヨージの心中をかき乱す。
彼女には酷い目に遭わせられた。思うところが無い訳ではない。だが、彼女という存在を知り、彼女の歩んできた道なりを想像すると、やはり、既に口汚く罵るような気持ちは無く、憎しみも絶望も、過去のものであると感じるのだった。
「僕は、幸せになりたいのです」
「……えっ」
「僕の手の届く範囲が、長い苦悩で滲むようなものではなく、お互い支え合って、辛くとも苦しくとも励まし合い慰め合い、過去の大変だった出来事が『あの時は苦労したね』と言えるぐらいの幸せを欲しています」
自身の願い。これを口にする事で、惟鷹は苦難を歩んできた。ただその願いを叶えたのは、常に他の女であり、十全皇であっただろう。しかしこの願いは違う。自分で望み、自分で叶える為に発している。
「は、はい」
「手伝ってくれますか。まだまだ越えねばならない壁は多くありますが」
「勿論……」
「よかった」
「そう、言って差し上げたいのは、山々なのですけれど、この身での実現は、難しい事だけが、心残りです」
「ゼロツー殿?」
そう言ってゼロツーが立ち上がる。嫌な予感がカタチを成して目の前に現れ始めた。
こんな場所にわざわざ連れて来た時点で、ヨージならば察していておかしくはないのだが、否定する気持ちが蓋然性を妨げた。
「最後の鍵ですわ」
「それは最初から知っていたのですか」
「いいえ。他の鍵を解析した折に、気が付いてしまいましたの」
そういって胸元を撫でる。無骨な鉄の塊のような鍵が、彼女の胸に輝いている。
ヨージは立ち上がり、ゼロツーを見つめる。
「惟鷹様?」
「却下です」
「……お気持ちは、嬉しいのですけれど、私は所詮分身ですのよ」
「だからといって仲間に手出しなど出来ません」
「け、けれど。鍵の二つは雁道の下にございますわ。この二つを今から分捕るとなれば、直接ぶつかる他無くなってしまいますもの」
「どうせぶつかるでしょう。ではその時に頂きましょう。確かに今手に入れれば僕達の手は数手先に進みますが、それは仲間を犠牲にしてまで手に入れたい進捗ではありませんね。まして貴女をですよ。妻に手をかけるような真似をさせる気ですか。もう沢山です」
「し、しかしっ」
「僕が切り開きます」
「えっ」
「何もかも、なんだかんだと、この手で切り開いて来たのです。女一人救えない手など要りません。だから、ゼロツー殿。大丈夫。僕がやります。貴女はそのままで良い」
どれほどの覚悟で居たのだろうか。ゼロツーがはらはらと涙を流している。十全皇周りは複雑怪奇極まる。全て終えた後は、分身の整理について提言した方が良いだろう。
彼女は普段稼働していない。このルールの為に存在している分身だ。故に、このルールが撤廃されれば、彼女も消える可能性が大いにある。それ等全ての記憶は記録として炉心に保管されるかもしれないが、今を生きるように励む彼女自身は、消えてしまう。
エレインと密名居然り、本体から分かたれた存在は、別の存在足り得る。
同じ肉を持っていても同一人物ではないその証左は、生き様という時の中で生み出される個人なのだ。
「まあその。同一人物なのに性格の違う奥さんが何人もいたら、それはそれで楽しそうじゃありませんか。だから減らしたくありませんねぇ。あ、本人同士で喧嘩しないでくださいね」
「こ、心にもないことを……え、ありましたの?」
「三割くらいは」
「まあっ」
「ともかく。僕は負けません。貴女も殺しません。雁道も統春もあと佐京も全部ぶっ飛ばして、全部丸く収めます。僕の負担程度で全てが収まるなら、なんと幸せでしょうか。だから、貴女は何も心配しなくて良い」
そう口のすると、何か力が湧いて来るように感じた。それは比喩ではなく、ステータスに直接影響がある様子だった。
覚悟と正義が道を開く。このルールの上では、それが如実に表れるのだろう。
「良い結果には、ならないかも、知れませんのに」
「良い結果にするのです。僕の後悔の旅路もここで終わりだ。前を向きますから」
「惟鷹さ…………あら?」
地鳴り。また差し伸べられた手を握りしめた所で、上面から埃が降って来る。地上からの振動も届かないような深さにある筈だったが、それを貫通してくる響きとはなにか。
『よーちゃんっ』
「我が神、どうなさいましたか。この揺れは」
『空から……岩が降ってくるッ』
「雁道かなあ……」
「雁道ですわね」
「――行きましょう。あの阿呆をとっちめねば」
手を引いて地上へと向かう。後ろは振り向かない。
扶桑男児に二言はない。やると言ったらやるのだ。
「おい、あらぁなんだ?」
一人の臣民が空を指さす。防衛隊からは、雁道軍がやって来るから、家から出ず大人しくし、要求には応えるようにと御触れされていたが、空が突如陰った事を気にした者が外へと出始めた。
太陽を遮る何か。次第に影は大きくなり、それは落ちた。
「うああああああッッ」
「なんだ、雁道軍か?」
「岩が降って来る、岩がッ」
まさしくハチの巣を突いたような騒ぎとなり、木造建築物では耐えられないからと、コンクリ造りの役場や集会所、百貨店などに人々が押し寄せる。大きいモノは家程、小さいもので大人が一抱えする程度の岩石が次々降り注ぎ、建物と民衆を圧し潰し始める。
その勢いは衰える事も知らず、時間を経るごとに数を増して行った。
「あ、あっちの建物、あっちは防御が敷かれてるから、安全だから……」
「お母様、お母様、今、退けるから……ッ」
「わたしも後で行くから、貴女は先に行きなさい」
「お母様ッ」
「また、降ってくるから……早く……ッ」
「置いていけないよぉッ!! 誰か、誰か……ッ」
無慈悲に降り注ぐ岩塊は、ヒトの命を選んだりはしない。足を潰された母親に泣き縋る娘、死んだ息子の前で崩れる父、この世の終わりだと叫ぶ陰謀論者、神と龍に祈りを捧げる信仰者――共栄を規範とする臣民であったが、他人に手を伸ばすにはあまりにも苛烈なものであり、皆自分の命を守る事に必死であった。
そんな中。
「降って来るから……はやく……」
「いや、いやぁ……ッ」
今にも母子を圧し潰さんと注ぐ岩塊の影に、人影が混じる。
「ハアァァァァッ!!」
空間を裂くような鋼の煌めき。家程も大きな岩が粉々の砂となって空中に舞う。人影は地面に降り立つと、母の足を潰していた岩を蹴りの一つで退かせる。
「だ、だいじょうぶ、ですか。こ、ここは危ないので、頑丈な建物か、郊外に。地下も良い」
「あ、ありがとうございます……あなたさまは?」
「こ、幸田山為……さ、侍です。これは一体……とにかく、避難を」
「ありがとう、ありがとう、お兄さん……」
「侍は……ヒトを守る為にいるので……」
母子を見送り、雁道軍特等兵、幸田山為は空を睨みつける。幸田に学はないが、何が正しく、何が間違っているかは知っている。
幸田はゼロツーのリンク・ポータルで溶岩内部に飛ばされたが、死ななかった。常軌を逸する耐久性と、強烈に適合した純礎水晶の結果であるが、それにしても異常な生存性を発揮し、溶岩を泳いで渡り、皆と合流すべく首都へと先回りしたのである。
侍はヒトを守る為に居ると教えられた。そしてその為に剣を振るのだと修行した。
今起きている事態は尋常ではない。誰が一体こんな事をするのか疑問であるが、するような者は例えどんな者でも敵である。
そして自分には役割がある。
衣笠真百合を守らねばならない。不覚を取ったのは痛恨であるが、挽回せねばならない。
「……雁道軍が入京するのに、岩など降らせるものだろうか。であれば青葉惟鷹の所為だが……大英雄がそんな卑怯な真似をするか……? そも、そんな理由がないだろう……ううん、自分にはわからないな……」
事情が分からない。誰かに聞きたいが、雁道軍の姿はまだ見えない。
ふとまた空を見上げる。自分と同じように、跳び上がりながら岩を砕く者の姿が見えた。
「むっ……エルフ青年、あの太刀筋は尋常じゃあない……」
雁道軍では見た事のない男だ。何かを下へ指示しながら、自分と……いいや、自分とは比べ物にならない速度で、岩を砕いて走り回っている。目で追うのがやっとだ。
「顔……見えた。少し紫天女殿に似て……あっ」
あれが青葉惟鷹。青葉惟鷹が岩を破壊しながら戦っている。
幾ら事情の知らない幸田でも、彼の行いが正義である事は十分に知れた。
つまりこの事態を引き起こしているのは、雁道となる。
「な、何故上洛にこのような行為が必要なんだ……? 大殿は何を考えているんだ」
理解出来ずに事態を傍観する。己の正義感と忠義と常識がない交ぜになり、思考停止していた。このまま放置すれば被害が広がる。雁道に具申せねばならないが……。
「動こう。立っていたって仕方がない――」
一息で建物の屋上へと上がり、降って来る岩塊を斬り捌きながら飛び走る。岩塊の落下に法則性は見当たらないが、降るその瞬間に魔力を感じる。巨大な岩の影に隠れて、穴が開いているような印象だった。
(ポータル魔法を応用して……降らせているのか)
とにかく無差別の攻撃だ。止む気配がない。大本を止めようにも、見えない遠方からの攻撃では手段がない。ただ前へと進む事しか教えられていない幸田に、繊細な魔力探知など出来ないからだ。
「むッ」
阿鼻叫喚の都心を飛び回っていると、やがて商店広場に出る。旗印が見えた。雁道軍だ。
声をかけようと思ったがしかし、彼等が囲っている人物を見て思いとどまる。
(本隊じゃあない。先遣隊だ。彼等が取り巻いているのは――)
衣笠真百合、そして軍人風の美男子が一人。
こんなもの、どこからどうみても雁道軍が悪党である。
「紫天女衣笠真百合殿、大殿への協力の件は反故されるのか」
「強制的に手伝わされていただけです。貴方達に従う義理はありません」
「裏切るというのだな」
「婦女子を好き勝手しておいて、随分な物言いである事だなあ貴様等。拙生は貴様等のような誇りも信念もない馬鹿者が本当に苦手だよ」
「赤城王。選王と言えども我々の邪魔だてをするならば容赦いたしませんぞ」
「なぁにが容赦だ。自分で考えもしない蟲が偉そうに」
赤城……赤城選王。真百合を守っているのは王だ。格としては北東王よりも上とされていると、新聞で読んだ事がある。王に手出しするなど不届き千万だ。
「ま、ま、待たれよッ」
跳躍、そして真百合達と雁道軍の間に割って入る。
「な、なんだ貴様……いや、雁道軍?」
「幸田山為、特等兵です。一体全体これはどういう事ですか。首都には岩が降って来るし、沢山のヒトが怪我をしたり、死んだりしている……まして選王と紫天女様に刃を向けるとは、正気の沙汰とは思えません。貴方、どういう事なのですか」
「貴殿、何も聞いていないのか? 首都に潜り込んだ防衛隊の残党と青葉惟鷹を燻り出しているところだろう。そして目の前にいるのは青葉惟鷹等に寝返った女だ」
「な、何を訳の分からない事を……例えそうだったとして、首都を攻撃して何になるのですか。人々を虐殺して、一体何を得ようというのですか。貴方達は僕より学があるのでしょう、そんな事、考えなくたって解る筈なのに……」
何かが可笑しい。これも雁道に対する忠義故、苦いものでも飲み込まねばならないという精神なのか。しかしそれにしても道理が通らな過ぎる。
自分の頭では足りない。では感覚で判断するしかない。彼等をよく見る。
(僕と同じ特等兵かな……あれは、輝石)
雁道より賜った輝石。有望な兵はこれを胸に埋め込んでいる。だが自分とは作用が異なっているのか、酷く歪んで見えた。それが良いか悪いかの判断は出来ないものの、彼等の目に正気がない事実は覆せない。
抜刀する。
「貴様も裏切るのかッ」
「民衆と婦女子に刃を向けるようなものを――世間様はきっと正義とは呼ばない」
「チッ、かかれッ」
号令と共に侍達が幸田へと襲い掛かる。輝石受領者故、明らかに一般兵よりも上等な動きを見せているが――……幸田には、亀の歩みよりも遅く見えていた。
「チェストッ」
正面を切った男を一刀両断。
「チェストッッ」
脇から差し込んで来た男を横薙ぎに両断。
「チェストォォォッッ」
飛び掛かって来た男を切り上げて弾き飛ばし、地面に叩きつけられた上から刀を押し込む。
地面に陥没が出来る程の勢いで打ち込まれた振り下ろしは、男を肉塊に変えた。
「むっ……弱い」
「幸田様」
「あ、あ、紫天女様。御見苦しいところを、お見せしてしまいました」
刀を拭って納めて向き直る。真百合は――以前の自分が知る乙女ではなく、目に光を持ち、意思をはっきりさせた表情でそこに居た。先ほどの話――強制的に手伝わされていた、というのは真実であると解る。
「その、どうやら自分は、とんでもない事に加担させられていたようで……お怪我は」
「ありません。貴方は誠実なヒトなのですね」
「と、とんでもありません。状況判断したまでです……そちらの方は、赤城選王閣下ですか」
「凄まじい剛力である事だなあ。赤城選王だよ。助かった。これからも助けてくれるかな?」
「どういった意味でしょう」
「まゆり殿の力を用いて、首都に防御結界を張る。雁道はこれを止めに来るだろう」
「理解しました。自分が力になれるならば、是非」
「すんなりだね、雁道の兵なのだろう?」
「――陛下にご挨拶するのに、ヒトを殺すなんておかしいとは思っていたのです。とはいえ、それが上洛の習わしであるならば仕方ないと教えられていたのですが……首都を攻撃するのは道理が合わない」
真百合と赤城が顔を見合わせている。変な事は話していない筈だ。
自分はどう足掻いても、自主的に何かを出来るような人物ではない。元はただの農夫だ。侍に憧れ、才能があったからと取り立てられたに他ならない。侍は主君に対して忠義を尽くすものであると聞かされていたが、それが絶対的に間違っていたとしても頷かねばならない、などという理屈に納得するような教育は受けていない。
自分の規範は忠誠でも信心でもない。
学校で習った、ヒトとして正しいかどうかという教えだけである。
義務教育が幸田の倫理観を支えている。
「次がおいでなすった。幸田殿、前衛頼む。拙生は援護しながら、岩塊も打ち抜く故」
「しょ、承知」
「まゆり殿、かなり大規模な結界となるであろうが、いけるかな?」
「兄様が護ろうとするものが、まゆりの護るべきものです『防御結界・広域・カウント300』」
「一度敷けば暫くは離れても平気だ。さあ五法分、耐えるぞ、幸田殿」
「は――はいッ」
――愚直の男が征く。




