紅い蝕痕1
紅い蝕痕
雨秤教団の本拠地へ足を踏み入れる目的は二つ。
一つは、雨秤の依代の確認。
もう一つは、家探しだ。
どうにもミュアニスに話を聞く限り、雨秤教徒の行動は理性を欠いている。幾ら不要となったからと、大して食い扶持も取らない、まして神の子たるミュアニスを足蹴にするなど、真っ当なニンゲンの感性ではあり得ない。
考えられる理由は幾つかあるが、一番有力なものは『捨てろ』と強く命令されたのではないかという事だ。
信心も薄まったであろう教徒達からすれば、神の娘に命を懸ける程ではないからだ。例えそれが人道に反そうとも、自らの命が懸かった場合は別だろう。
雨秤の依代の確認は、それを証明する為である。
また、家探しについては、何が欲しいという事でなく、彼等がオカシクなる事態に陥っている証拠があればそれで良いし、また証明書の類が見つかるなら丁度良い。
「おい、雨が降りそうだぞ」
岩肌を飛び越えながら、グリジアヌが言う。流石に力の神というだけあり、この一法刻山道を走りっぱなしでも、息の一つも上がらない。
「雨ぐらいならば大丈夫です。僕等は、ですがね」
雲が厚く、日光が全く地面に届いていない。恐らく本降りになるであろう。その場合心配なのは、下流の村だ。護岸工事を終えたとはいえ、数日降るような豪雨であれば決壊する可能性もある。
不謹慎な話ではあるが、一度決壊して、家を数軒巻き込まないと、彼等は雨秤を失った重大性に気が付かないだろう。
「そろそろですね」
足元に気を付けながら深い森の川沿いを進む事一法刻。人工物が見えるようになってきた。
(あれは魚取りの罠だな。他は、大岩と大岩の間を紐が通してある……あ、なるほど、注連縄だ)
雨秤の夫は、扶桑文化により近い文化圏からやって来たニンゲンなのだろう、信仰の方向性が扶桑国の国教である『皇龍樹道』に似る。
大本こそ大樹教なのだが、陛下である十全皇を頂点とした上で成り立っているのだ。大樹教から袂を分かちかなりの年月が経っているので、その祭祀形式も独特である。
「このまま上流まで上がりましょう。直接依代を確認します」
「あいよ。見つかるなよ?」
「まあ隠れるのは得意ですし、森ですからね」
都会派と侮って貰っては困る。生きる為には都会顔をするし、逃げようと思ったら田舎顔もするのだ。ただ長期の潜入などは向かない。どんなにふざけた素振りを見せても、女性が近づいて来るからだ。『残念だけど美形』とはひどい言い草であるも、的を射ている気がしてならない。
当然、これを利用した事はあっても、得をした記憶はない。
「さて」
岩を乗り越え、湿った木々を抜けた先に大きな水たまりが見えた。ここがこの川の源泉であろう。未だに水はコンコンと湧き上がっている。
だが。
「……祭具が壊れてんな」
「ええ。注連縄も切れていますし、これは、荒れ果てている、が正しい」
ミュアニスは、この事について言及しなかった。近づく事すら禁止されていたのだろう。
三段からなる立派な祭壇は真中から折れている。玉串も散り散り、紙垂は真っ黒。
真中に飾られる鏡も、くすんで割れている。
泉の周囲も清められた気配はなく、落ち葉に枝、折れた木が浸っていた。
「ヒトが居ない訳ですよ。一切祀られていませんもの」
「ぐっ……」
「どうしました、グリジアヌ」
「……いいや。ひどいもんだ。雨秤が浮かばれない」
もう依代たる泉は終わりを迎えていた。ここに神が宿る事は二度と無いだろう。
雨秤教団は、終わっているのだ。
「……おい」
「はい? あ、臭いますね」
「これ」
風がこちらに吹いて来た為か、腐臭が強くなる。
何度嗅いでも慣れない、鼻孔に張り付く動物の死骸の臭い。
泉の近く、その木陰に虫が集っているのが見えた。
夜目を利かせて良く見ると、それはニンゲンの死体である事が分かる。
この時期ならば、死後一週間といったところか。
質量的に男性。服装は……明らかに高位のものだ。ミュアニスが着ていた服と、同じような刺繍が見て取れる。もし、これがトリックなどではなく、ただ打ち捨てられた死体であるならば、答えは明白だった。
「……ミュアニス神の父君ですね。彼女に確認は、させたくありません」
「完全に、ヒトの道を外れちまったな、アイツ等」
傍らには焦げて黒ずんだような槍が、木の根元に刺さっている。
(なんで焦げてるんだ……?)
ともかく、ひと段落ついたら、埋めた方が良い。
服も燃やして処理するのが良いだろう。彼女の父君は消えてしまったのだ。母君と同じように。
幾ら彼女が半神とはいえ、いや、神だからこそ、精神が不安定になるようなものを、見せてはいけないだろう。狂乱した神など、それこそ竜精懲罰部隊の処理対象だ。
「進みましょう」
「あ、ああ」
グリジアヌの様子が少し、おかしい。気が付かれないように視線をチラチラと向けてみると、何かを堪えるような表情でいるし、脂汗をかいているようにも見える。
神が体調を崩すとなると、精神的なものが大半だ。この光景は、グリジアヌにとってもショッキングだったのかもしれない。
暗がりの中を隠れるように進んでいたが、やがて馬鹿らしくなってきた。
ヒトの住む区画にまでやって来たのだが、この時間だというのに炊飯の煙一つ見えない。明かりは無く、ヒトの気配が無いからだ。
一応、ヒトがつい先ほどまで居たような雰囲気こそあるものの、人っ子一人居ない。
「父君の家はココでしょうかね」
「ああ。他と造りが違うし、そうだろう。家探しか」
「ええ」
誰も居ないのならば好都合だ。遠慮なく上がり込み、家の中を物色する。
物色すると言っても、簡素な掘立小屋を少し豪華にした程度のものであるから、大事なものを仕舞う場所など限られる。
普段父君が執務の為に使っていただろう机と椅子を見つけ、そこに腰掛ける。
植物の弦を扱いて作ったであろう籠、木目細工の箱、いろいろあったが、中でも目に留まったのは、鍵付きの木箱だ。鍵開け道具はないが、目の前にマスターキーが居る。
「グリジアヌ。これを」
「あいよ」
グリジアヌが錠前を指で摘まむ。力を入れた瞬間、ベキンッと音を立てて錠が剥がれて落ちた。恐ろしい力だ。これで鼻など摘ままれようものなら、あまり自慢出来ない鼻が余計酷くなる。
中に入っていたのは、書類が幾つか。
目に見える範囲で重要そうなものは、雨秤教団の大樹教加盟申請の写しであろう。
(ミュアニス神は申請したと言っていたな。通常なら通る筈だ。当時は数十人の教徒を抱えていた訳だし、形の上だけとはいえ、村神だ。大樹教的に断る理由が無い)
だが、大樹教が雨秤教団に何かしらの施しをした、という証明書が見当たらない。一つもだ。それに村においても、大樹教が宣伝を肩代わりした痕跡が無い。
申請は通らなかった。
いや。
止められたのだ。
「どうだ、何か分かったか」
「ええ。酷いものです。大樹教加盟申請、通ってませんね、これ」
「やっぱりか。村議会め、やりたい放題やりやがって……ッ」
「僕は恐らく、アインウェイクの仕業であると思います」
「子爵がか?」
「僕が思うに。この村は、アインウェイク子爵の政治実験場であると思います。ヒトの居る所に神はどうしても就いてしまう。これは避けようがないので、まず大樹教教会を退け、就いた村神も退任に追い込む。政治で神の在り方を制御し、神が介入しない、ヒトの決定権のみで、村を作って行く……ヒトの力だけでどれだけやって行けるかという、実験」
「じゃあ何で神様なんて募集してるんだ」
「神は必然です。どうやってもヒトの居る場所に現れる。大樹教から派遣される神ではなく、最初から都合の良い神を招いておけば、あとで捨てやすいでしょう」
「……バカな話だ。現状、この有様じゃないか」
「ええ。ですから、データは取れたのでしょう。失敗でもね」
子爵にどれほどの考えがあるかは、不明だ。だが大帝国でも有数の土地と経済力を持つ子爵ならば、新しい試みに挑む事もあるだろう。相当の愛国者であると聞いている事から、政治的革新による国家の改造などは考えていないだろう。あくまで、実験だ。
「――村を出る準備をした方が良さそうです」
「そうかい。まあ、仕方のない話だ」
ここまで明確になってしまった上で、この村及び子爵家をどうにか出来るなど、流石のヨージも思わない。今になって手切れ金が惜しくなるが、男に二言は無いものだ。
「雨秤教徒はまだ戻りそうにありませんね、少し時間を貰えますか。十法分ほど」
「構わないけど」
書類の束からミュアニスに父君の直筆を漁り、文字を観察、手紙をねつ造する。
昔から文字を真似るのが得意である。いや、訓練したのだ。
「どうです?」
「『妻を探しに行く。お前は強く生きなさい』か。無粋っつうか、なんつうか。単に消えたじゃダメなのかよ」
「現状、ココに帰って来てもミュアニス神に幸せなどありません。サウザで手続きを改めてした上で、神として別の生き方を考えた方が良い」
「まあそうだろうが。アイツの帰属意識はどんなもんかね」
「あるかもしれません。故にこの手紙です。力が弱く、見目麗しく、しかしニンゲンの力では絶対に死なない女神が、どんな扱いをされるかと考えると、怖気が走りますねえ」
「……――」
グリジアヌが眉を顰め、肌を擦る。大体の神は力が強いので、ヒトに蹂躙される事などまず無いが、ミュアニスのような半神である場合、その限りではない。肉体的な強さはニンゲンで能力だけが神、という者もいる。更に都合良く死なないとなれば、まあそのような事である。
憶測ではない。実際に目にしてきた。未開地ではそれこそ奴隷にまで身を落とした半神を見ている。都合が出来たからではない。『その為に作られた』のだ。市場すらある。
「事情は分かった。なるほど、ゲスも極まる」
「ココがおかしいだけで、帝国内ならば大丈夫でしょう。大樹教が絶対に許しませんから」
「旅した方が、マシだろうな。で、その手紙はどうする」
「直接渡します。では、次に行きましょうか」
そういってねつ造手紙を仕舞い込み外へと出る。未だ人気は無い様子だ。
陽も傾き、より一層外には暗がりが広がっている。視界は問題無いにしても、探るには手掛かりがない。
「雨秤教徒を探すのか?」
「ええ。相手がどこに居るのか分からないなんて、気持ちが悪い」
「確かに。行動範囲は広くないだろう――あっちかな」
そういってグリジアヌが村落の奥を指さす。ヨージでは認識出来ないが、グリジアヌには視えているものがあるのだろうか。
とはいえ協力者を疑っても仕方がないので、彼女の示す先に足を進める。
「……場所からして、父君は最後まで抵抗したのでしょうね」
「だろうな。あのタイミングでミュアニスを外に出したのは、正解だっただろう」
「全く」
果たしてミュアニスが井戸を呪うように指示したのは、では誰だったのか、という事にもなる。そして、その井戸を呪うなんて頭の悪い行いを、誰が考えたのか、という事でもある。
誰かに強要されたならば、一体誰がするだろうか。まさか村長ではあるまい。アインウェイクは今だ霧がかっているものの、村に被害が及ぶような事はするまい。
ぼんやりと、一つの選択肢が浮かぶ。




