悪龍滅殺2
……。
……。
……。
次に目を覚ましたのは、見覚えのない医療施設であった。
身体は鉛のように重く、思考もハッキリしないが、青葉惟鷹に殺されたという事実だけは明確に覚えていた。
脳に焼けるような痛みを感じる。壮絶な戦闘の記憶が雪崩れ込んで来る。
「あ、あ、あ、」
「戦闘データをみるに……出力自体は――」
「アオバコレタカの戦闘力は――……恐らく――単体での性能が……」
「理不尽に尽きる――……ただし手がかりは……」
「可能性はある……――我々の覚悟が――……」
「あああああああああぁぁぁあッッッ!! アオバコレタカァァァッッッ!!」
「む、起きた。鎮静剤、三倍量で」
アストが起き上がると、胸元に研究大佐のバッジをつけたエルフが近づいて来る。
人体に有害そうな量の鎮静剤をこともなげにぶち込み、アストの顔の前で手を振った。
「同志アスト・ダール。お目覚めかい。ああ心配しないでくれたまえ、多少の薬剤で君は死んだりしない」
「はっ、ハッ……はっ、ああ、はっ……はぁ……俺は」
「死んだよ。完膚なきまでに叩きのめされたというより、君を構成するアミノ酸の一欠けらまで全部消し飛ばされたね――……起き抜けで悪いが、この資料を見てくれ。君と青葉惟鷹の戦闘記録とその数値だ。ハッキリ言ってしまうが、青葉惟鷹は、あれで本気ではないね。恐らく君と戦った時ですら二割だ。感情的には絶頂だったろうが、能力的にはだいぶ抑えられていた。彼にはまだまだ余力があり、君が何度正面からぶつかろうと勝てる相手ではない。だがしかし安心してくれたまえ、我々は研究者であり、君の活動を強力にバックアップする為に存在する。君は死ぬまで戦い続け、死んだ後もまた戦い続けられる。この数値を更新して行く事こそが、君と我々が目指す真なる世界への道しるべなんだ。我々は先ほど覚悟が済んだところだ、君には覚悟があるだろうか。これからまた沢山ヒトを殺して行く事になるだろう。その過程でまた青葉惟鷹と戦闘にもなる。我々は君の戦いを逐一観察し考察し最適解を導き出すよう努力しよう。血が滲もうと涙が枯れ果てようと、死のうが生きようが君を支援し続ける。どうかね?」
どうやら暴れて起きる事が前提だったらしく、全身が拘束具で覆われていた。
アストの調子を確認し、エルフが拘束具を外していく。
「……話が、長い。俺はまだ、やれるんだな」
「そうさ。あ、口調が少し荒いな。昂ったままで固定化されたかな。まあ根底が変わったワケではなさそうだからいいがね。君はやれる。幾らでも戦える。戦う為の素体はこちらが用意し続けよう。君はそのスペックの全部を引き出し、全てを叩き伏せ、そして叩き伏せられてくれ。その都度君は強くなる。死んだ後になるがね。死んだ後、また君は新しい君として、戦場に向かえる」
「俺は……不死身、なのか」
「いや、死ぬ。物理的にはね。ただ君の保有する"コア"は情報を常に記録し常に発信し必ず如何なる形でも魂のバックアップを取るようになっている。我々の技術では、ないんだがね。あるものは使おう。君は常に複数の魂が控えている状態にある。肉体はこちらが用意したものだ、そこにその魂を乗せ換える。君を複数、同時運用出来るならば良かったのだけど、そうも上手く行かないから、君は常に一人となるが、君の魂は不滅であり、肉体が用意出来る限りは何度でも蘇る事が出来る」
「ハッ。まるで工業製品だな」
「それでもかまわないかい?」
「構わん……俺の目的は、十全の首だ」
「よろしい、同志、頑張ろうじゃないか。諸君、ご本人から意思確認が出来た。すぐさま取り掛かってくれ。アスト・ダールという個体そのものを複数用意は出来ないが、類似品ならば可能だろう。"ルルムゥ"の開発も急がねばならない。この世界は最強の一を是とする。その最強の一を下すには、やはり数しかない。我々は最強の一とはならずとも、良質の複数を用意しなければならない。良質の複数と、最終段階に至ったアスト・ダールが居るならば、勝てない戦いじゃないさ。扶桑雅悦を叩き伐ろう。十全を殺そう。君達は私達はその為にここに居る」
なんとも口の達者な研究大佐が部下に指示を下し始める。
しかしどうあれ、十全を殺す事には熱心であるようだ。
「お前も"ヴァルハラ"の人間か?」
「私かね。私は"ヴァルハラ"の人間ではないよ。ただ、複数代に渡って魔法科学を研究している世襲の魔法使いでしかない。ただし、一族は魔法研究の深い場所に辿り着いた。所謂竜が封じている部分まで。結果、竜に目を付けられてね、逃げ出したんだ。故にバルバロスに身を置いている。似たような境遇でいうなら、カルミエスタ・エベルナインという女がいる。彼女の父は大帝国の賢者だったけれど、魔法が得意過ぎてね、同じように目を付けられ、そして殺された。故に彼女は大帝国への復讐と、この世界の根幹を司る十全を目の敵にしている。大変聡明で、大変魅力的な女だから、その内顔合わせして貰う事になるよ。興味はあるかい? いい女だよ」
「前にあった。それより火竜党はどうなった」
「ふむ、記憶はバッチリ。と。ええと、全員死亡だよ。いや、正確には八十名、君が率いてフェニクス島に乗り込んだ火竜党員は君を含めて全員死亡だ。その内四十九名が青葉惟鷹に殺されている。ハンパじゃない。本物の化物だ。あれで何故ニンゲンの形を保てているのか不思議でならない。救世機構は眉唾じゃなかった、現実に存在したんだ。奴をどうにかしない限り、十全に刃が届く事もないだろう。君の仕事だ」
「ああ……。そうか。弔ってやりたい」
「バルバロスは無宗教だからね。本来やらないんだけど、葬儀を含めた決起会は行ったよ。敗戦が決まった日にね。我々バルバロスは主要港の三つを削減され、主力戦艦の五隻を標的艦にされる事と相成った。賠償額は天文学的数字だよ。が、まあ安心してくれ、想定内だ。主要港なんていくつでも作れるし、戦艦なんて時代遅れな品、クルージングにも役立たないから、大した被害はない。賠償金はキツいが、我々はバルバロス、金を動かすのが仕事さ」
「お前の話には余計な情報が付随しすぎる。簡素に喋れないのか」
「性分なんだ、そう怖い顔をしないでくれ。こんなに可愛い私が怯えているじゃないか」
「……名前は」
「メルテ。メトル・リッター研究大佐、御年八十五のエルフだよ、宜しく、アスト君」
メルテは、可愛げのある表情を作ってそんな事を言い出す。
長い耳に褐色の肌、黒い髪は後ろで一つにまとめられている。髪の結い方からしてエウロマナ南方のエルフ一族だろう。目立つのは、顔のある大きな傷だ。大変整っているのだが、その顔は斜めに斬られた痕がある。かなり荒い刃物の傷だ。
良い顔に傷を入れるのは、イナンナーの十八番だろう。趣味の悪い話だ。
「私は醜いかい?」
「傷で他人を判断した事はない」
「世界に悪を成す男であるというのに、君の誠実さは底抜けだね。育ちが良いのかな。"ヴァルハラ"では何を仕事にしていたんだい?」
「冒険者だ。この世界でも、ひと昔前にあった職だろう。今は趣味人しかいないだろうが」
「日雇いで危険な事を率先してやる冒険野郎だったのか。"ヴァルハラ"には君のような人間が沢山いたのかい?」
「剣が振れて、魔法が使えて、馬に乗れるならば、まず一番に選ばれる職だ。危険ではあるが報酬もデカイ。安定はないが、夢があった」
「そんなスペックの高いニンゲンがうじゃうじゃいた世界とか、怖いねえ。剣が振れて魔法が使えて馬に乗れるなら、道なんて幾らでもある筈なのに。ふむ」
メルテが……何か面白いものを見るような目をしている。不愉快、ではないが、奇妙な気分だ。
「なんだ」
「夢、夢。天下の火炎魔法使いが夢とは」
「夢ぐらい、誰でもみるものだ」
「うん、そう思う。私も夢がある。その為にここに居る。ひとまずここは皆に任せて、君は私と食事なんてどうかな? 君はまだ流動食の方が良いかもしれないけど」
「飯か。構わん」
「いいね、すこし近寄りがたい雰囲気なだけで、ツッケンドンでもないし。何せ顔が良い」
「お前こそ、俺の目を見てなんとも思わないのか」
緋色の瞳。この世界では忌子そのものだ。
炎が禁じられたこの世界において、生まれつき火属性魔法が扱える緋色の瞳を持つものは、生まれた瞬間殺されるのが習わしであった。
「なんとも」
「そうかい」
研究室を後にし、表へと出る。どうやら南方にある秘密研究所の一角であったようだ。
何せバルバロスは常に世界各国から目の敵にされている為、首都がない。明確に領土すらない。彼等がバルバロスという括りで存在しているのは、主要港と、船と、そして金である。アストですらバルバロスがどれだけの秘密港や秘密研究所を抱えているのか知らない。
移動や転居が多いバルバロスの研究所にしては、古くから使われている雰囲気がある。錆と薬品、海風と湿気。人によっては具合が悪くなりそうな場所だ。
「わざわざ見せる必要もないだろうけど、ハイ」
そういって、メルテが身分証を調理場の男に見せる。彼は小さく会釈してメニューを提示した。
「顔見知りだろうとなんだろうと、いちいち階級確認させなきゃないの、面倒だね。とはいえバルバロスはスパイも多いから、省けない手順なんだろうけど。それに、階級でご飯違うしねえ」
「俺はいいのか」
「シェフー。美味しい料理二人分なんだけど……一人分は全部マッシャーで潰して出汁で溶いてくれるかな?」
「はい、大佐殿」
「……」
この身体が今、どんな状態になっているのかは不明だが、確かに、固い食べ物をモリモリと胃に放り込めるような体調ではなさそうだ。
上級研究員用の食堂なのだろう、鉄くさいバルバロスにしては景観に配慮したバルコニーに案内され、そこで食事となった。やがて運ばれて来たのは……缶詰を頑張って美味しい料理にしました、という見てくれ努力賞料理と、全部が茶色になった半固形の食物だ。
「……顎が上手く動かんな……」
「その内戻るさ。その身体での運動が初めてになるから、慣れは必要になるね。しかしそれも回数を重ねるうちに減らせる不具合だから、存分にやってくれよ。というか会話できるし歩けもするのが驚きだ。まあ一週間、二週間の辛抱だ」
「その都度死ねということか」
「酷い言い方をすればそうだね。うん、缶詰の割にはなかなかだ。扶桑の物流制限を受けて物資が滞っていてね。肉や野菜が届くのは一週間後さ。ま、我々研究者は取り敢えず腹を埋められて、必要な栄養価を摂取出来れば良いから、不満は殆ど上がらないのだけど。ああ、砂糖は沢山ある。なのでデザートは楽しみにしていてくれよ」
「……それは、いいな」
「なんだい、君、甘いものが好きなのかい?」
「ああ」
「んふふ」
「なんだ」
「いいや。可愛らしい奴だと思ってね。ここにいる間なら好きにデザートを頼んでくれよ。なんと、アイスも作れるぞ」
「なにっ」
「すごい食いついたな……ああ、見ての通り、ここには電力がある。冷却装置もね。"ヴァルハラ"にはあったかい?」
「一部だが。そうか、発電施設があるのか……潮力か?」
「風力と潮力と小水力だね。発電効率はまあ、お察しだけど、研究所を運営するだけなら問題ないさ。こういった工業品をもっと増産しろというのが、総統閣下からのお達しだから、増えるよ」
過去に存在した超科学国家レムリアの血脈を受け継ぐ国家である、というのがバルバロスの謳い文句である。勿論嘘だが、何にしても建前は必要なのだろう。
この世界の文明は機械工業の類をかなり抑えている。過去、科学を手にしたニンゲンによって竜達が反旗を翻された経験からそうなっているらしい。
バルバロスの表向きの大義は、ニンゲンに科学技術を広め、竜に支配されない世界を構築する事である。そのような世を造り上げるには、やはり、とにもかくにも、竜が邪魔なのだ。
「他の火竜党員達の戦闘データも取得していたのか」
「勿論。ただフェニクス島は扶桑に抑えられてしまったから、こちらの情報収集用使い魔が消されるまでのものだけどね。あとで君にフィードバックするよ。しかしデータはデータ、実際のところを聞きたい。起きて直ぐで申し訳ないが、私達には時間が無い、現場を経験した者の所感が必要だ、話してくれるかい?」
「ふむ……クルーガはどうだった。第三部隊隊長だ」
「クルーガね。記録では君達がフェニクス島を再占拠に向かったあと、扶桑軍人を三十名殺害、現地民百五十二名を殺害。山鷹中隊がやって来たらすぐ踵を返して迎撃にあたった。そこで衣笠隊と衝突、クルーガ以外が殺害され、逃げた後に君の命令を受けて青葉惟鷹を襲撃――だけど二法秒で殺されたね」
「働きはしたな」
「二法秒って。君に次ぐ実力者と謳われていたのに、あれにはガッカリだ」
「俺など――掛かって行った瞬間に死んだぞ」
「それもそうだったね。しかし、君は青葉惟鷹に重傷を負わせている。青葉惟鷹は死んだ可能性が高い」
メルテは、パスタをくるくると巻きながらこともなげに言う。
何を言っているのだ、この女は。
(ぐっ――)
頭痛。頭の奥にこびり付いた染みが広がるような痛み。
自分の記憶には、ある筈の無い、青葉惟鷹との戦闘の情景が断片的に浮かんでは消える。
「俺は、初撃で死んだ筈だ。それに、青葉惟鷹は……何、死んだ? しかし生きているように話したではないか。あれも、簡単には死なないよう、出来ているのか、俺のように。そも、死ぬのか、アレは」
「うん。ええとねえ……これは話して良い事だったかな。コンプライアンスを確認するよ」
そういって懐からメモ帳を取り出し、バサバサと捲って、頷く。
「君には構わないようだ。ま、本人だしね。まず君だが、君は初撃で確実に生命活動を一度停止させた。が、刎ねられた首は即座に修復、自我を失い、青葉惟鷹に徹底抗戦を始めた。正直、私達も君がどんな構造をしているのか、イマイチ理解していないんだ。"ヴァルハラ"ではどうだった?」
「……蘇生魔法は存在した。回復魔法もだ。ただ、あの場にそんな者はいない」
「じゃあニーズヘグだね」
「……我が竜が」
「君とニーズヘグは強く結びついている。ニーズヘグについて研究はトンと進んじゃいないが、彼女ならまあ、蘇生ぐらいするだろう。昔は当然の技術だったようだし。ただ、元の肉があればね。しかし、君は元の肉すら消し飛ばされた。故に私達研究者の出番が回ってきたわけさ」
ニーズヘグの命を受け、アストはこの世界に現界した。彼女の解放こそが大きな使命であり、彼女が翼大きくはためかせ、世界を飛び回れるようにするのが望みだ。
一度は守られたが――しかし、跡形もなくすべて、吹き飛ばされたわけだ。
「それで、青葉惟鷹はどういうことだ」
「今のところ死亡扱いになっている。ただ、君との戦闘後、十全が降り立ったところまでは観測しているから、蘇生されただろう、というのが予想だ。扶桑の情報統制が厳しいけど――む。新聞、ほら、これ。ちなみに君が死んでから二か月経っているよ」
目の前のラックに挟まっていた新聞――扶桑のものだ。そこには、青葉惟鷹が終戦に寄与したと大々的に報じられている。
『フェ島奪還作戦 バ主力火竜党撃滅 青葉惟鷹権中尉獅子奮迅ノ働キ』
「しばらくは統制していたみたいだけど、おおやけにしても良いという目途が立ったのかな。それとも、生きているというのはブラフか。本人を確認しないと、何とも言えないね」
「しかし、お前はこれからも、俺が奴と戦うと話していたぞ」
「それは、うん。救世機構がそんな簡単に死なない。死んだとしても、十全がそれを認めない。可能性が限りなく高かったからそう話した。ただし、前の青葉惟鷹と、今の青葉惟鷹が、同じであるとは誰も言えないだろうね。機能としては同等でも、本人かどうかは、怪しい。まだ詳しくは解っていないが、蘇生にも種類があるようだしねえ」
「そういう意味か……ふン」
「どうだった、実際、青葉惟鷹を目の前にして」
思い出す。全身を怖気が駆け抜けた。
死、死、死、どこを見ても死の塊。自分の死が奴によって運命づけられているように思える程、それは確実であり、否定しようのないものであった。
「うわ、一瞬で顔色が悪くなったな……人殺しをしない私では想像もつかない事だけれど、そんな、けた違いに強いのかい、アレは」
「……強い、弱い、ではない。お前は、目の前の燃え盛る溶鉱炉に放り込まれる時、自分がこれからも今まで通りの生活を送れる未来を想像出来るか?」
「とっておいたアイスを食べれば良かったと後悔するだろうね」
「脳に直接死を叩き込まれる気分だった。このままでは……絶対に勝てない。しかし、お前が何とかするのだろう。複数の、俺を犠牲に」
「するとも。その為にはデータが必要だ。どうしても、青葉惟鷹との戦闘の記憶が欲しい。君は正気を失っていたようだけれど、確実に戦っている。もしかすれば、何かの拍子で思い出すかもしれない。その為にも、頻繁に私とお話して欲しいんだが、構わないかね?」
「構わんさ。ここに居る間はな」
「バルバロス総統は君に休暇を与えているよ。しばらくは動きもない。何せ扶桑に負けた後だ。では存分にお話しよう。それに……君には、仲間を弔う時間も必要だろう」
「墓は」
「ある訳ないだろう。バルバロスなんだから。死体も全部扶桑に焼却処分されたよ」
「当然の話だったな。ふむ……」
「私は資料をまとめに戻るよ。君の部屋は研究者宿泊棟の地下三階奥だ。別に女を連れ込んでも構わないんだけれど、尻の穴まで身体検査する事になるから留意してくれ」
「女は――しばらくいい」
「レスティは残念だったね。彼女が最近じゃ一番君の面倒を見ていたから、思い入れもあったろう。君ときたら、強いのはいいけど、生活力がないからねえ」
「……彼女の死を悲しむ事も、怒る事も出来なかった。目の前に転がって来たレスティの頭部を見た瞬間、身体が硬直した。俺は……何も救えないのか」
「救えるさ。何もかもを犠牲にしてね。それは、君だけじゃない。バルバロス総統も、私もだ。全部全部を、竜から取り返す長い旅路が始まる。外部の女の都合がつかない時は言ってくれよ。ストレス解消に私が付き合おう」
「お前は、倫理観とか、道徳観とか、貞操観念とか、どうなっているんだ」
「自身が生物として持ちえる欲求、感情を否定することなく受け入れているよ。じゃあね」
後ろ手を振ってメルテが去って行く。テーブルの上にはアストの身分証が置かれていた。
アストは、味だけならマシな半固形を流し込み、席を立つ。
外に出て周囲を見て回ろうとした途中で購買部を発見。飴玉と煙草を購入する。
強い日差し、青い空。木陰で煙草に火をつけて煙をくゆらす。
(……心肺機能自体は以前と変わらんな。喋るのに少し難儀するが、まあ許容範囲だろう。魔法も苦労せず使える。筋力は……)
落ちている枝を拾い、握りしめる。ビシッという音を立てて、握った部分が粉々になった。
(ふむ。悪い仕事はしないようだな、あのエルフ女)
何もかもが終わったあの瞬間から今に至るまでというのは、体感的に数分でしかない。思い出すだけで冷や汗が流れ、先ほど飲み込んだ半固形物が込み上げて来る。
全滅、全滅だ。自分を含め、全滅。
"ヴァルハラ"の冒険者程でないにせよ、火竜党員は皆この世界においては際立った強さを誇っていた。たった一人現れるだけで、その国の戦士も兵士も騎士も、震えあがる程の恐怖を振りまいて憚らなかった者達だ。
それを四十八人。その四十八人を大幅に上回る戦闘力を誇るアストを、一撃。
強すぎる。あまりにも。メルテの話を信じるならば、あれで二割だという。
あの強さで二割など、冗談としか思えない。"ヴァルハラ"の冒険者が束になったところで、きっと青葉惟鷹には敵わないのだろう。
「……すまない」
最初から、全てをぶつけるつもりでいた。彼等もまた、死ぬ覚悟は出来ていただろう。
死ぬ覚悟が出来ないような者を、火竜党員に選んだつもりはないからだ。
ただ、それは、ある程度の健闘を見越しての死ぬ覚悟である。
鎧袖一触にされる事など、想定にない。
まして、アストが即死するなど、思いもしない。
更に言えば――自分が蘇るなど、想像の外だ。
しかも、そんなバケモノに重傷を負わせたなど、信じられない。
だが自分はやったらしい。あのバケモノに一撃加えてやったという。
ならば可能性があると、メルテは信じてるようだ。
あの男は簡単に死んだりしないだろう。死んだとしても、十全が死を認めないだろう。
これから先も、バルバロスが大々的に動く事になれば、あの男と対峙するのだ。
「……すまない……」
手が震える。顔を覆う。零れ落ちる涙を止める事が出来なかった。
今更、ヒトというヒトを焼き殺し、村という村を焼き滅ぼした、世界最大の大罪人が、仲間の死を嘆くなど、もしかすれば、誰も許してはくれないかもしれないが、それでも悲しみはやって来る。仲間の死も、彼女の死も、己の不甲斐なさも、どうする事も出来ない後悔として心を串刺しにする。
容易かった。
世界は弱さに溢れていた。
己の強さからやってくる万能感が全てを満たしていた。
弱すぎるこの世界の人々に辟易していたとすら言える。
簡単な任務だった。
邪龍十全なにするものぞ、ニーズヘグの威光をもってして、この偽りの全てを焼き尽くしてやるのだと――――
しかし、そんな見せかけの強さは、青葉惟鷹という怪物の前では一切通用しなかった。
むしろあざ笑われて然るべきであった。
最強など、無敵など、ポンポンその辺りに落ちているものではない。
あの男だけが、きっと真実の強さだ。
自分は、そんな"最強"に撃ち滅ぼされて当然の存在だったのだ。
『選定勇者』
過去"ヴァルハラ"で自分がそうであったように、あの男もまた、そうなのだ。
個体としての最高水準を持つ者が選ばれる。種族は問わない。
悪しきを打ち滅ぼし、善きを齎す者。
世界名を襲名する者。
竜に選ばれた、最強の剣だ。
しかもこの勇者は、桁が違う。
自分の知っている選定勇者は、当然皆強かったが、それを束ねたところで――青葉惟鷹に、敵うか、どうか。
こんな恐怖を知らない。
竜という絶対存在は、絶対存在であるが故に世界の構造を変革し得る力を持ち、また再構築出来る。これは"ヴァルハラ"の頃から一切変わらない性質だ。しかし竜がその都度動いていてはこの星の耐久度が持たない。
故にその複数存在する竜達によって立てられたのが選定勇者であり、各々の竜の意見が衝突した際の力の代行者であり、また各々が認定した悪に対する対抗手段である。選定勇者同士は平時であれば友好を結ぶようになっており、竜の認めない不要な戦闘はご法度とされていた。
当然アスト・ダールもまたニーズヘグに認められた選定勇者であり、他の選定勇者と友好を結び、所属は違うながらも知人、友人関係にあった。
――だがこの世界の選定勇者は違う。あれは、竜にも届き得る。自分もまた、竜を斬る者として参上したが、それなりの対抗策を持っての現界だ。
『アレは不要に強すぎる』
(青葉惟鷹を造ったと思しき、十全とは……何者だ?)
"ヴァルハラ"に十全皇という竜はいなかった。
厳密には『世界の終わりまではいなかった』だ。
ミドガルズオルムも、ヴァーベルも、ファブニールも、存在してはいたが、今の世界を統べている竜とは別存在だろう。だが、十全は名前すらない。元が何なのかが不明なのだ。ニーズヘグもその問いに対して小首を傾げていた。
十全は突如として現れ、ヴァルハラを崩壊に導いた。世界はその瞬間に終末を迎え、全てを変質させてしまったのだ。知らない世界、知らない人々、知らない法則に縛られた世界を、十全の死をもってして、元に戻すのが己の使命である。
……だというのに、このザマでは。
火のついた煙草を握り潰す。
「俺は何も、救えないのか」
過去は戻らない。例え十全を殺したとしても、ヴァルハラが帰って来るワケではない。
だが、この歪んだ世界を、このままにしておく訳にはいかないのだ。
正しい竜が正しく再構築した世界でなくてはならない。
自分と、仲間達が暮らしたヴァルハラを、これ以上侮辱されたくない。
記憶を、想いを、歴史を――全て葬り去った十全を、生かしてはおけないのだ。
「辛い戦いになる」
「……!!」
俯いていた顔を上げる。突如として降り出したスコールの中に、ポツンと一人の少女が佇んでいた。超然とした、清廉で、しかし熱く燃え盛るような鼓動を持つ、ナニカ。
自分はそれを知っている。
「――ニーズヘグ王」
「お主は幾度となく挫折するだろう。死ぬこともあろう。苦難に満ちた道のりは、きっとお主の身体を、心を、ズタボロにする」
「……はい」
「ただ、それでも構わないのならば。我と共に歩んでくれ、アスト」
「……受肉、されたのですか、我が、竜」
ニーズヘグ。この不純な世界を再構築する為に戦い続けた、気高き竜。
幾度となく既存の竜達と戦い、しかし敗れ去った者。
アストを召喚した時点では、既に概念のみが存在している状態であった筈だ。
「火の気が増え始めた。お主たちが起こした戦は、鉄火は、矮小ながらも、我に肉を授ける程のものと、なり始めた、という意味だ」
「……俺達の、火竜党の戦いは、無意味では、なかったのですね」
「勿論だとも。アスト、無駄なものか。無駄なものかよ……」
いま、アスト・ダールという男を支える唯一の柱だ。
彼女の為に。彼女と共に。決して折れない、折れたとしても戦い続ける剣とならねばならない。
少女の姿をとったニーズヘグを抱き留める。
ヴァルハラにした仕打ちを、ニーズヘグをここまで貶めたその報いを、受けさせねばならない。
「俺は、やります。どうか、我が竜よ、俺に力を」
「我が子よ。お主の望むままに。高貴なる炎は、お主と共に」
滅びぬ魂と、滅びかけの竜はその日、何者にも冒されない契を心に、必ずや"正義"を成すのだと誓った。




