咎の宿痾1
目の前で起こっている光景が、理解出来ず、シュプリーアは口を半開きにしたまま眺めている。
上の穴から崩れ落ちて来た瓦礫、それに潰されたであろうニンゲン顔ではないヒトの死体。
腰を抜かして茫然としている、扶桑の偉そうなヒト。
悲しそうな、懐かしそうな、そんな顔をして攻撃を受ける、十全の分身。
そして、十全に襲い掛かった、ヨージ・衣笠。
……。
「惟鷹様ッ」「よーちゃんッ」「うぉぉ何事ッ」
洞窟の奥に居たのは、若そうに見えるがそうでもなさそうなエルフ男。近くには魚顔をした男の死体があり、ヨージと思しき死体……だったものがあった。
ヨージの死体には十全曰く根幹魔力帯の光が降り注いでいる。
十全の表情は読み取れない。『それもそうか』という顔か。判然としない。
「へ、陛下の分身であらせられますか……ッ」
「理人、お黙り」
「はっ」
白い光はヨージの遺骸を照らす。やがて変化が起こった。
……これは蘇生、と称すればいいのだろうか。
時間が戻っている、と表現した方が、良いのではないか。
何せ肉体のみならず、衣服まで再生されているのだから。
じわじわと光はヨージの肉体を編み上げて行く。光の糸で束ねられたヨージはやがて、シュプリーアの知る形に戻った。
「なん、と……」
「――シュプリーアさん」
「んっ、んッ!?」
全く意識出来ない隙間から差し込まれた十全の張り手がシュプリーアを突き飛ばす。ひっ転んだところを受け身を取って反転、何をするのかと批難しようとした、その目の前を、音のない雷が駆けて抜けていった。
真っ直ぐ。定規でも当てたかのように、地面がえぐれている。いいや『消えて』いる。
「こ、惟、鷹……」
「状況が宜しくありませんわね。何の準備もない」
「十全?」
「喋らず。黙って、動かず」
制止され、止まる。ヨージがゆらりと起き上がり、そして十全に視線を向けた。
知らない顔。知っている顔なのに、瞳に色はなく、正気も感じられない。
「――贖罪……を」
「ああ、やっぱり――"繋がって"おりますのね」
「麗」
「――懐かしい名前」
……。
そうして、ヨージは十全に斬りかかった。
「白雷剣。当時のままね」
……ヨージの手に握られているのは、一振りの刀。その複雑な魔術的構造は、恐らく魔法武器だが、理解の足らないシュプリーアでは詳細が読み取れない。その剣は月の魔力と共に、月から降り注いだものだ。
「――……アソラ」
「うん。わたしだよ。どう? 何か、思い出した?」
「――贖罪を……僕は、許されない事を、したのだから……」
「うん」
「僕は、君を、いかなる手段を用いても、排除、しなくては、ならない」
「もう諦めたら? 何百万年経ったと思っているの?」
「出来ない……」
「諦めの悪いヒト。貴方からのアプローチにも似て、ちょっとシツコイのよね」
「死ね、死んでくれ」
「……もう無理よ。愛しい貴方」
「ッ!! お兄さん危ない」
「なぬっ」
ヨージが構え。
「"××"」
唱え。刀を振る。
リーアは死の気配がしたエルフ男を弾き飛ばし、自らも軽やかに避けて逃げる。
白色の雷が直線に伸びたかと思えば、その射線上にある岩肌を、まるで鉛筆で黒塗りにした紙に、消しゴムでもかけたかのように、スラリと消し去って行く。洞窟には大きな亀裂が、整えた堤防のように出来上がり、頭上は一直線に、空まで見える程削り飛ばされていた。気圧の変化で風が吹き荒れる。
九頭樹の根も傷つけたのだろう、九頭樹の薄暗い咆哮が、遠く遠くから響いて来る。
「……"自動"で動いているの?」
「回答を否定する」
「月に人間なんて、もういないでしょ」
「回答を否定する」
「貴方が護らなきゃならないものなんて、もうないのに」
「回答を否定する」
「"彼女"は元気よ。生きているだけ、とも言えるけれど」
「か、え、せ」
再び、ヨージが構える。リーアは頭を巡らせたが、現状、どう動けばいいのかわからない。ヨージはそのカラダこそヨージだが、中身が違っている。いいや、厳密に言えば、いつもと違う、だろう。絶対に別物が入っている、とも言えない。
あの傀儡のようなヨージもまた、彼を構成する一つの要素なのだろう。
「青葉惟鷹ぁッ!! 貴様、誰に刀を向けておるかぁ!!」
エルフ男が叫び、両手を広げて十全の前に立つ。ヨージは……その手を止めた。
「貴様は、貴様は、女に易々と刀を向けるような男ではないッ!! まして、十全皇に、何の考えも無しに、やるものではない!! 訳を話せ!!」
「――理人。死にますから、お退きなさい」
「いいえ、お心遣い感謝致しまするが、退けませぬ。こやつには、問いたださなければならない事が山ほどある!!」
「――……対象外だ。そこを退け」
「退かぬッ!! 何を血迷っている!! その刀は龍に振るわれるものではない!! 貴様は、大切なものを守る為に、戦ってきたのではないのかッ!! 今それを振り抜いて、どれだけのものが失われるか、考えてみよ!!」
「大切な、もの」
「そうだ!! 我の顔を観よ!! 貴様が護るべきものだった筈の面影が視えるであろう!! 兼仲ミオーネは、貴様にそのような行為を望んだかッ」
どうにもヨージに深い所縁のある関係者らしい。リーアは機会を窺っていた。とにもかくにも、ヨージを一端止めねばならない。
「……」
十全が目配せする。こちらに何かをしろ、と言いたいのか。
彼女が改めて視線を移した先に、細い細い、蜘蛛の糸のようなものが見えた。それは常人が知覚出来るものではないだろう。蜘蛛の糸は長く、ずっと天空まで伸びている。
――どうしたものか、と思う。切れ、と言いたいのだろうが、切れるものなのか。
リーアにはそのような奇跡がない。魔法も、使おうと思えば使えるかもしれないが、適切なものが思い浮かばない。
いや、論理的に何かを考えるからマズイのか。
十全があえて目配せするぐらいなのだ、あの女が出来ない事を他人に任せる訳がない。
「"死んで?"」
「――ッ!!」
一言。あの糸を切るべき言葉が思いつかなかった。自分は切るものではない。壊すものでもない。では何かと言えば、生かすものだ。しかしコレを生かしたところで意味はない。
(ちょっと借りたねー)
では母の権能を借りる他無いだろう。やがては引き継ぐものであるし、正式に跡継ぎとして認められているのだから、きっと使えない事もないのだ。
一言によって死が齎される。
頑強であったと思しき蜘蛛の糸はフツと切れ、風に溶けてなくなる。
「ぶはっ!! あ、あ、何……何が」
「惟鷹ッ!!」
「り、理人閣下!! じゅ、十全皇に――わ、我が神ッ」
「よーちゃん起きた」
「……まあこんなものでしょう」
十全が胸を撫で降ろしている。龍にして相当、マズイ状況だったのかもしれない。龍がマズイと判断する状況というのが、想像を絶する。
「ぼ、僕は何を……というかこの刀なんですか、ヤバそうですね……」
「"去れ"です」
「は? 去れ?」
というと、白色の刀は光を失って元の刀――ヨージが愛用している、いつもの無銘に戻る。
「僕、死にませんでしたか……? 極大魔法を受けて、命を持っていかれた、と思ったところから、記憶が判然としないのですが……というか何です、いつからココは洞窟ではなく、大渓谷に……うわ、削り取られたみたいになってますね、怖い」
「よーちゃんがやったよ」
「マジですか我が神。というか我が神何故ここに」
「飛んで来た。死んだみたいだから」
「やっぱり死にましたか僕。というか飛んで来たってなんで……いや、それで、蘇生を……どちらが?」
ヨージが十全とリーアを交互に見る。これはどうするべきだろう。
などと悩んでいると、十全がヨージの手を取った。
「朕が。ワガママで勝手気ままな朕ですから、惟鷹様の御気持ちなど一切汲み取らず、考えもせず、サクッと復活させましたの、御許しになって?」
……月からの魔力によって蘇生した事実を伏せたいらしい。今はその方が良いのだろう。
何せ十全が『嘘を吐いた』のだ。
リーアは黙って何も言わない、という事を選択した。
「言いたい事は沢山あるのですが、そうですか。確かに、死んでもいられない状況です。我が神、ここは危ないですから、すぐさま退去を。十全皇――貴女も」
「……あら、どうされましたの、惟鷹様。朕を心配してくださるの?」
「――兼仲ミオーネの死の原因が分かりました」
「なに、なにッ!! 惟鷹、それはまことか!!」
「ええ……ええと……陛下」
「……はい」
「貴女に、疑いをかけた事を、心から、謝罪します。当時、貴女という魔性にしか、視点が向かなかった。僕をどうしたいのかと、あの女ならばやるだろうと、そんな事ばかり、考えていた」
「まあ、事実、そうでもありますが」
「以来ずっと不信感を抱いていた。何につけても、貴女が暗躍しているのではないかと」
「……」
「申し訳御座いません。僕が浅はかでした」
ヨージが膝をついて土下座する。十全は――複雑そうな顔をしている。
だが、何かに納得したらしく、小さく頷いた。
「はい、勿論。そもそも咎めておりません。全て赦します。むしろ、謝るのは朕」
「……」
「理人が何かと惟鷹様に突っかかろうとしておりましたから、出会えないよう呪いをかけましたの。そのせいで、随分と拗れてしまった事実を認めますわ。理人」
「はっ」
「兼仲家再建、お手伝い致しましょう。生きて帰るように」
「――!! は、ははぁッ」
「では、落着。シュプリーアさん」
「なに?」
「男同士のお話もあるでしょうから、退散致しましょう。出番はおしまい」
「えー」
「無粋な事をしないこと。そうすれば、もっと好かれますわよ」
「なるほどー」
そうなのか、どうなのか。確かに理人と呼ばれたヒトとヨージは深い関係にありそうであるし、意味不明に飛んで来た神様に用事もないだろう。リーアは小さく手を振って、ヨージに一旦の別れを告げ、十全皇について行く。
ヨージの一撃で出来上がった大渓谷から空に抜けて外へと降り立つ。
「十全」
「はい、如何なさいましたかしら」
「よーちゃんが、ただの男の子じゃない事は、知ってた。大抵のニンゲンは青か赤。私は紫だけれど、よーちゃんと、あと美月は白だった。あれは月から降りて来た魔力と同じ色」
「厳密に、色イコール魔力では、有りませんけれど。ま、似たようなものでしょう」
「よーちゃんは、月に由来があるの?」
「彼の母は、月より飛来した、竜を滅する魔法少女。美月と名乗るものよりも、少し前の世代のもの。父である青葉幹鷹が、悪辣の根元から連れ帰った女でしてよ」
「それだけじゃない。十全は、昔馴染みみたいな話し方だった。よーちゃんも、別人……というより、よーちゃん自身の知らない自分が、会話しているようだった」
「小賢……いえ、敏いのですねえ」
「教える義理は、ないだろうけど。でも、よーちゃんが、私を『我が神』と仰いでいる間は、私の信徒だから」
敵対している、という訳ではないかもしれないが、彼女にとってシュプリーアは頼りたくないだろうし、視界にも入れたくない相手だろう。十全がシュプリーアに配慮する物事などない。
だが、形どうあれ同じニンゲンを想う者としては、知っておきたい事もある。
間違いなく――ヨージ・衣笠が身に宿す力は、この星の者にとって正しいものではない。
思い返せば成る程だ。
そんな力を持った彼が、大きな物事に巻き込まれてしまうのは、道理だろう。
「シュプリーアさん。貴女はどうやって、ヒトを蘇生させますの」
「……イメージするだけ。難しい事は知らない」
「そうでしょうね。ヘル謹製の、超常現象ですもの、貴女」
「――お母さんに何か、聞いた?」
「色々と。ただ、ヘル曰く」
「うん」
「朕と敵対させる為に造った訳ではないのだから、そうカッカなさらないで、との事でしたわ。朕とヘルの関係性は、言葉にするには多少難しいモノですから、彼女の言葉の全てを、信じるワケでは、御座いませんけれど」
「ふーん……」
十全がシュプリーアにヨージの蘇生をさせると決断した、その速さに驚いたが、そういう事か。
理由こそ知れないが……ヘルという『竜』が『わざわざ』そう言い放ったのならば、様々な理屈はあれど、現状争って欲しくないのだろう。
「ふふっ。ええ、朕も、最悪な気分にございます。けれども……もうご存知かも、知れませんけれども。朕には、知らないモノを蘇生出来ない。というよりも『元がないもの』は蘇生出来ない」
「万能じゃないんだ」
「ええ。言うなれば、それだけが出来ない。いいえ、他に出来た者がいない」
「他の竜にも、出来ないの」
「出来ません。シュプリーアさん」
「なに」
「心の底から、絶望的に、最悪に、嫌ですけれど、同盟を組みましょう」
「同盟? なんの」
「彼が、死んでしまわない為の、同盟。破壊されたと思っていた月の機能はまだ停止しておりませんでした。ともするとまた、惟鷹様はあのような状態に、なってしまわれるかもしれない。今後も大きな物事に巻き込まれて、死んでしまうかも、しれない。想像するに、恐ろしいお話にございます。ねえ?」
「それ、私に利益ある?」
「今、とは申せませんけれど。時期がくれば、彼にまつわる事、朕にまつわる事、この世界がどのように生成され、どうして群雄が割拠し、今の形になったのか、その全てを、教えて差し上げます」
「……」
「貴女に出来ない事も、してさしあげられますわ。完全な蘇生、というもの以外の全て、それが、朕には可能です」
「じゃあ、条件をつけてもいい?」
「ものによります」
「彼の困る事は、しないで」
「飲みましょう」
「彼を戦場に連れて行かないで」
「飲みましょう」
「最後に」
「ええ」
「……私、よーちゃんの赤ちゃん欲しい」
「――……」
十全の口元がへの字に曲がる。大嫌いな女が、愛しい彼との子が欲しい、などと言うのだから、通常ならば許容し得ない。しかし、天秤にかけているものの大きさは果てしなかった。
意思ある生物として、正直、最悪な要求である事は理解しているが――生憎、シュプリーアは神である以前に、強く自分を女だと感じている。好いた男との間に子が欲しいと願うのは、繁殖可能な生物として不合理ではないし、恋慕の帰結とも言えた。
頷くとは思っていない。けん制も含めたものだ。
「――……う、うぅ……」
「……十全?」
「……――エオと、同じ条件に、致しましょう」
「貴女との子を作った後、ってこと?」
「最大限……最大限の譲歩です」
まさか飲むとは。儲けものだ、と喜んでも良いのだが、随分大きな妥協だろう。
本当の価値なんてものは、本人にしか分からない。故に、この天秤がどう傾いたのか、シュプリーアに量る術はなかった。出来る事と言えば、質問ぐらいである。
「よーちゃんのこと、愛してる?」
「それは、勿論」
「さっきの"なかのひと"じゃあなくて?」
「もしかすれば、いつかは問われるのではないかと、感じてはおりました。断言致しますけれど、"アレ"と"青葉惟鷹"に、差はない。故に、愛しております。逆に、もし惟鷹様が完全に"アレ"になってしまった時、貴女は、直視出来て?」
ヒトを呪わば穴二つ。絶対の安全圏に無い者からの詰問というのは同時に自身をも責めたてるものだ、というのは、ヨージの言葉だったか。
「私は、よーちゃん好きの初心者だから」
「――まあ、うまい逃げ方。確かに、時間という観点で比べますと、朕と比類するものはおりませんから、ソレを貴女と彼の間柄に持ち込むのは、卑怯というものですわね」
「本当は、独り占めしたいけど」
「それは、こちらも」
「……よーちゃん悲しませたくない。また、死ぬような目になんて、遭わせたくない」
「ええ、ええ」
「あのヒトの為に」
手を差し伸べる。今まで怯えていた強大な影である十全皇との、限定的な和平だ。
彼の根源にあるものが、十全皇ですら配慮せねばならないものであると分かったからには、彼女というファクターを無視も、排除も出来ない。
本来ならば万能と思しき彼女であるから、同盟などハナから考慮されないだろうが――そんな彼女にも不可能があったのだ。
そこに差し込まれたのか、自分。
シュプリーアという、種の神である。
互いを嫌悪しつつも『彼を守る』という価値において完全な合意が可能である。
『のっぴきならない状態にある二つの国家を結ぶに必要なのは、二国共通の外敵です。勿論、その二国は以降も足の引っ張り合いは、しますけどね』
エウロマナの現状をヨージが説明している時の話だったか。二国が本格的に争うのは、その外敵を完全排除した後。
つまるところ自分達も、問題を先延ばしにしたに過ぎないが……先延ばしにしている間、何が起こるか分からないのが、この世界だ。
「彼の為に」
十全が手を握る。途中『どこがお手ですかしら……あ、ここ』などと言われ、眉を顰めたが、手は握られた。十全は本当に、シュプリーアがニンゲンの形をしているようには、視えないのだろう。
自分が何か幻術を纏っている気配はない。
十全も、それを払う様子が無い。
龍が意識しても、どうにもならないような事――そんな事が出来そうなヒトといえば……母であるヘル、なのだが。
シュプリーアは、まだまだ、知らねばならない事が沢山ある。
今回の同盟で、十全の齎す情報が、その穴を埋める一助になれば、良いのだが。
「では、同盟と致します。あとは……空から、観戦でも致しましょうか」
「観戦?」
共に上空へと上がり、南方大陸を一望する。陸には地から這いだしたミミズの如く奇妙に枝をくねらせる九頭樹、海には途方もない大きさの大怪物。ヒトが死ぬ気配がする。沢山の恐怖とうめき声が、脳内に響く。
「助けないの?」
そう問うと、十全が怪物の先を指さす。そこには十全と似たような気配を湛えた少女がいた。
顔に見覚えがある、女の子。つまり、あれが衣笠真百合だ。
「じき、終わるでしょう」
「手伝って来る」
「……ご自由に」
メリー




