姉妹陛下2
「相手の狙いは僕一人だ。陛下、走って逃げてください。ここで殺します」
「りゅ、竜精を、こ、ころ、殺す……!?」
「僕が馬鹿でした。つい二法刻程前にも、奴の強襲を受けた。あの時殺していれば」
「ご、ごめんなさい。何を言っているのか、いくら、大英雄でも、竜は……」
「叩き!! 潰す!! ぶっっっっっ潰す――ッッ!!」
「おのれッ」
グリジアナを離す暇もなく、急速度で落下してきたヴァーベリオン……エイルストを受け止める。
激突、衝撃、爆音。
すかさず鈍色に光る竜の爪と拳が襲い掛かる。ニンゲンの膂力では到底防ぐ事の出来ない突撃と連打を魔力とグラムでブーストしてはじき返す。一撃一撃に重力魔法が乗っているのか、受け流す度に周囲の地面を抉り飛ばす。
(速い――重い――ッ)
生涯唯一の強敵といえた男、アスト・ダールの炎の刃とて、ここまで速く、そして重くはなかった。反射神経だけでは反応出来ない。相手の呼吸、微細な筋肉の動き、経験からの勘で、先んじて防御しなければならない。
「"制裁を。父なる破壊よ、今ここに"『吐鈍重声』」
連撃、からの破壊魔法。
「ちっぃぃッッ!!」
反応が遅れたら最期、身体の半分を持っていかれるような衝撃がヨージの脇を突き抜ける。
衝撃波は砂浜を抜け防波堤を貫通、居住区中央までを一直線に更地にする。
「"制止を。父なる破壊よ、今ここに"『破砕圧掌』」
「マジか――ッ」
破壊魔法、からの連撃、及びそれに組み込まれた破壊魔法。左右から不可視の圧力が襲い掛かり、空間を捻り潰す。圧縮された空気が弾け、周囲に暴風が巻き起こる。
今のを避けられたのは、完全に勘だ。恐怖が左右から来たと、分かったからこそである。
観察を。洞察を。頭脳を回し、肉体の可動域限界まで振り絞って動く。
見るべきはバランス、視るべきはそのズレ、察するべきはその隙だ。
(――! 左腕に精細さが欠ける……ッ)
先ほど切り落とした左腕。繕っているのは形だけか。右腕、左脚、右脚に比べれば、精度が劣る。ただそれでも、当然ながらヨージ・衣笠という男だからこそ受けられる攻撃であり、はた目から見れば苛烈そのもの、例えるならば巨岩が高速度で衝突を繰り返しているようなものだ。
「だ、あ、あ、ああ、あああ、あああああ、あああああ、アアアアアッッッッ――!!」
あちらの隙は攻撃機会だが、こちらの隙は死そのもの。
気を抜いたその瞬間に哀れ馬車に踏まれた蛙と相成る。
針に糸を通すよりも緻密で、繊細な動きと読みを要求される。
試行、錯誤。エイルストの重厚な連撃の合間に、刀を差し込む。
「――ッ!」
「――……ッ」
――視える。
ヒトと比べるべくもなく、神をも一撃で粉砕する竜種の拳圧に刹那の鈍さを見出す。
「"五吹明神に奉る"」
「させるかッ! 馬鹿が!! "魔力散逸!!"」
「なに――ッッ!!」
ほんのひと時、垣間見た勝利への一言が、エイルストの魔法で破綻する。
失念、失態、これは傲慢であった。
ディスペル。本来長大な詠唱を必要とする、魔法無効化魔法である。原理は単純で、その場に敷かれた敵術者の魔力を散らし、魔力の集中を解消、魔法の無効化、もしくは詠唱を破棄させる事が可能だ。神やニンゲンでは、戦闘中に唱えられる程短い魔法ではないのだが、竜精はやはり別格だ。
これでは容易く外在魔力魔法を行使出来ない。
この魔法を掻い潜れるのは、肉体に依存する為魔力散逸を免れるものの、威力に劣る内在魔力魔法か――魔力散逸では散らしきれない程膨大な根幹魔力を使用する魔法となる。
「私が! ニンゲン、相手に! ディスペルなんぞ! 使うなんて! はは、ハハハッッ!!」
「ぎ、いぃぃ、いぃッッ!!」
長引けば長引くほど、不利だ。相手は無尽蔵の魔力で何もかもを押し潰し蹴散らす怪物。こちらは戦闘巧者とはいえ、ただのニンゲンだ。強大な相手には強大な一撃をもってして殺害を遂行しなければ、ジリ貧である。
――女皇龍脈、ならば。
(いいや、いいや、まだ手はある……ッ)
死に際の最終奥義を奥の手とは呼ばない。それは、頼りたくない。
グラムを扱っている時点で、彼女の力を借りている事にはなろうが、女皇龍脈は彼女そのものに触れる行いだ。
確かに、エイルストは苛烈だ。竜精の暴力そのものを、そのままにぶつけて来る脅威だ。
だがそれでも、おのれの手の内のみで、対処する手段がある筈だ。
『愚直な魔法ばかりに頼りおって。貴様はどう足掻こうとニンゲンだ。ニンゲンが唯一、強大な敵に有利となり得るのは、日々感得した術理と、日々積み上げた技術のみ。思いあがるな』
心の中で、不愉快かつ尊敬するべき男の顔が浮かぶ。
奴が言いたかったのは、これか。
だとするならば、ではその通りにしてこそ――古鷹家空前絶後の、天才である。
「どぉしたニンゲン!! 防いでばかりで! 一体何になる! 持久戦!? ニンゲンが、竜精相手に!? ははははははははッッ!! はははははははははッッ!! 馬鹿がいたもんですねえ――!!」
「――……"迅間"」
勝ち誇った笑い声が砂浜に響く。挑発になど乗っている暇はない。
覚悟を、技術を、術理を――怪物、青葉惟鷹を、今ここに再現するのだ。
「無駄無駄――!! 魔力なんぞ、幾ら集めたところで、散らして終わりですよ!」
確かにその通りだ。だがそれは、外在魔力の話。
今から用いるのは、自身の魔力のみ。内在魔力を直接散らせるディスペルはない。
「――"故心"」
武術、体術、鍛錬――そして特に、根性なるものを、竜精は持ちえない。
完成した時点で完全である彼女達に努力は必要ないからだ。
『策を弄する』なんて考えがない。羨ましい話だ。
「――なんだ、何を、何をしているんですか? 内在魔力を集めている? 内在魔力なんかで、竜精が傷つくわけ、ないでしょ……なんですかその目は!! どうして、まだ生きる目があるような顔をしているんですか? 今から、ほら!! 貴方は! 潰れて!! 死ぬのにッッ!!」
「"人虚"」
ヒトは脆い故に、おのれを護る手段を持たねばならない。
技術とは、策とは、気合いとは、悪あがきとは、弱い故に許された手段だ。
そして、古鷹風神明道流という剣術は。
「ッッッ!! 潰れろ!! 潰れろ!! 潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ潰れろォォォ!!!」
「"風来"――」
どのような戦場にあろうとも、どれだけ大人数に襲われようとも、相手が如何に強大であろうとも、その場を強制的に個人と個人、一対一とし、斬って開く為の殺戮剣である。
「"古鷹風神明道流――奥義"」
「――ッ!?」
こちらの動きを感知したエイルストが即座に距離を取る。
やっと距離が開いた。これならば『差し込める』
屈辱だろう。竜精様が、ニンゲン相手に、退いたのだ。彼女の額には青筋が浮かんでいる。
彼女はこの男を……『何をしでかすかわからん』と、評価してくれている。
読み勝った。
騙しきった。
「――魔力散逸……撃たないのですか。呪文、唱え、終えました、が」
「撃つも何も、詠唱だけして、魔力なんて、集めてないでしょう!!」
冷や汗が流れる。『常識を逸脱した詠唱に』肉体が悲鳴を上げる。
『詠唱の途中に会話』をしている時点で狂っているのだ。魔法を撃たず、堪えている現状、いつ暴発するか分からない。
「――なんだ、なんだ、何がしたい……何故そこまで詠唱した」
「……」
「何かある! あ、あ、貴方だもの! 貴方はただのニンゲンじゃない! 貴方の行動に無意味な事なんて、有る筈がない! 絶対に何か企んでいる!! エイルストは分かる!」
「……――なあ」
「なに?」
「来ないのか――竜精とは、口ほどにもない。お前……」
「……」
「弱い。フェアレスの、百分の一程度だぞ」
ブチン、という音が聴こえるような、キレ方だった。いや、事実、エイルストは怒りのあまり、力みすぎて、こめかみの血管がはじけ飛んでいた。
「ヴァーベリオンを馬鹿にしたか貴様ぁァァァァァァッッッ――――!!」
無心の一撃。極度の怒りによる、白色の打撃。
ニンゲンの動体視力では絶対に捉えきれない速度で、激怒のエイルストは突っ込んできた。
だがそれは、用意周到に『覚悟』した敵対者にとって、またとない好機。
「ぐっ、ウゥ!!」
腕に亀裂が走るような痛み。だが堪える。被害は鑑みた上で、読み通り激突を受け流し――その隙に、今まで唱えていた呪文の全てを『正式な手続き』に戻す。
たったこれだけ、本当に刹那の隙が欲しかった。
基本、魔法というものは、その呪文ひとつひとつに魔力を集め、総合して放つものである。
一項に一割、二項に二割……そういった手順で魔力を込めて、肉体にかかる負荷を分散するのと同時に、魔法発動のリスクを減らして行くものだ。
だが、そんな悠長な事をして魔力を集めていては、すぐ魔力散逸されてしまう。
そうさせないよう『先に外在魔力の受け入れ先を作った』のだ。
呪文を詠唱して『魔力を受け入れる状態』を残し――敵の隙をついて、必要分の外在魔力を取り込むのである。通常の手段ではない。本来必要な外在魔力を、全て内在魔力で賄い、自身とエイルストを、同時に騙していた状態だ。
外在魔力と内在魔力の差は激しい。足りない分は自身の命を削る。肉体的負荷は想像を絶するものであり、まして詠唱途中に他人と会話するなど、もっての他だ。
だが、ヨージはそれをやりきった。
今まで騙す為に使っていた内在魔力を放出、それを贄として瞬時に呪文分の外在魔力を吸収。受け入れ先が定まっているのだ、外在魔力は即座に呪文に収まる。
魔法は既に完成している。ここに魔力散逸を挟み込む余地は残っていない。
「――ッ!! "魔……」
それがたった一言の呪文だろうと、もう遅い。
即ち、既に、こちらは放つばかりなのだから。
「『暴切刃』」
「なっ、ああッッ!!」
エイルストの退いた先、地面を踏みしめた瞬間、奴を封じ込めるようにして局地的な暴風が巻き起こる。高密度に編まれた風魔法の刃が、十、百、千、万――エイルストを閉じ込めた暴風の中へと差し込まれ、次々と突き刺さる。
皇龍樹道という宗教が敷かれた土地。
アオバコレタカという、稀代の怪物の技量、魔力。
そして魔刀グラムという、唯一無二の竜殺兵器。
「あ――アッ」
すべてが竜精エイルスト・ヴァーベリオン・キリエナイナという超存在にとって、最悪を導きだすに足る、経験のない激痛として襲い掛かる。
「ぎあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ――ッッッ!! ああああああ!! ぎぃぃぃぃぃぃッッ!!」
他の土地だろうと、アオバコレタカはきっと強い。その業だけで他のニンゲンを、多少の怪物程度を、圧倒出来る程に、強いだろう。
だが"本拠地"となると、もはやその強さは異次元的だった。
アオバコレタカは南方において、敵にとって災害であり、天変地異であり、準竜種的存在であり、地上に顕現した地獄そのものなのである。
「……――」
次を練る。竜精は通常の生物の常識など当てはまらない。木端微塵にしたところで安心出来ないのだ。肉片の一つからでも、再生するものだと警戒しなくてはならない。
「……」
暴風が止む。周囲に齎されていた異常な重力が消え失せた。暴風の中央には、紫色の血だまりと、質量分と思しき肉片の塊だ。
殺したか。どうか。自分では判断出来ない。
「グラム」
『あい。活動停止確認。まー最低で五百年休眠コース。最高で即死』
「この状態からでも再生可能な竜精がいるのですか」
『時間かかりますけどー。あ、たぶんユーヴィルとかはこの程度じゃ死なないというか、かすり傷負うかなーぐらいですねー』
「彼女を竜精と分類しているのは、建前でしょうからね」
『うふふ。やっぱり他竜を切り刻むのはサイコーです……これこれ、生きてるってカンジ!』
「……ともかく助かりました」
『分析解析完了。やはり新しいタイプの竜精ですから、私に対して耐性が無かったみたいですね。先刻のダメージも回復しきっていないかった様子ですし、土地という属性で勝るオーナー様の前では、竜精も木端微塵!』
「竜精とはいえ気分は良くありませんね。大樹教からしたら、僕程冒涜的な存在もいないでしょう。彼等からしたら信仰対象ですし……現実は、悲惨な相手でしたが」
『ヒトと付き合うような機能はつけて貰えなかったんでしょう。可哀想な子ではあります。指示された事をこなし、破壊するべき対象を破壊するだけの存在。情緒もへったくれもありません。だから、十全皇は竜精嫌いなんですよねー』
「彼女の好き嫌いは分かりませんが。でも確かに、嫌な感じではあります」
『魔力吸収完了。ちょいと質が違うので万能には使えませんが、そこそこのストックが出来ました』
「そんな機能まで」
『先ほどの技、自動で再現できるようにしましたー。十発ぐらい撃てます』
「苦労して体得した技なのに……」
『吸収した魔力をオーナー様が使えるように変換する作業しますから、パフォーマンスが七%ほど低下します。作業時間は七法刻でーす――あっ、オーナーさ、ま!』
「ムッ」
「――※※※※」
ヨージが動くよりも先に、グラムが自動的に前へと出た。深い紫色の、思念。
これは、呪刻だ。
『ぶっなあ! 跡形もなく消えてまだ呪えるだけの力があるなんて! バケモノぉ!』
「――……何ともありませんね」
『私が九割九分九厘程吸収しました。残りはオーナー様が弾きましたね……うげー』
「グラム?」
『呪刻解体式、起動します。再起動は八〇法刻後を予定しています』
「……お疲れ様です」
『ちょいと寝ますー。あ、お休みのキスは?』
「はいはい」
柄にキスしてから、グラムを納め、その場に座り込む。
「いちち……腕の筋が……」
とうとうやらかしてしまった。とうとう、グラムの助けがあるとはいえ、竜精という超存在を、概念的にほぼ殺害せしめてしまったのである。
竜精が殺された、という資料は存在していない為、自分がどの程度の化物に名を連ねる事になるのかは、分からないが――こんな事がまかり通ったのは、それこそ一万年以上前、美月が活動していた頃の話だろう。
竜精にも、数がいて、タイプがある。竜として完成しているのは、やはりミドガルズオルムの娘と、ファブニールの娘か。確かにエイルストと名乗った竜精は恐ろしかったが、底は知れた。しかし、ユーヴィル、ミーティム、そしてフィアレスに関しては、もっと視えない何ががある。彼女達の底にはひたすら、暗がりが広がっている。
彼女達は"生き物として超存在"ではあっても、ちゃんと個人があり、そして"女"なのだ。
まともに理性も実装されず、破壊だけを仕事に生き続けるとは、一体どんなものなのだろうか。殺されかけたとはいえ、エイルストに同情が湧く。
「まずい、か」
赤紫色の肉の塊を眺める。肉そのものが呪いを放っていた。地面を浸食しているのが解る。
これが『竜種の死骸』なのだ。魔力の大部分はグラムが吸い取ったらしいので、まだ深刻な土地の汚染は起こっていない様子だが、きっとそのままにしたならば、土地が壊死するだろう。
「……私が」
「グリジアナ陛下」
下がる暇もなかっただろう。彼女は歩いて来ると、竜精の肉塊に手を翳す。やがてそれは光を帯び、そして砂浜の砂のように、地面と同化してしまった。
ここは彼女の依代。既に肉でしかない竜精ならば、そのような処理方法も可能か。
指を弾く。重力によって押し固められてしまった地面が、さらさらと、もとの砂浜へ戻って行く。
「失礼。不可抗力とはいえ、土地を汚しました」
「……――酷いです。こんなひどい事はありません」
「……? す、すみません」
「なので、是非、さあ、私を、連れて行ってください。お詫びと思って」
少し顔が引きつる。なるほど、グリジアヌとは本当に別人なのだ。思っていたよりずっと我が強い。しかも強引だ。低姿勢に脅迫してくるタイプの女だ。
「……僕の話は必ず聞いてください。危ないと言ったら下がって、前に出ないでください」
「はい」
「余計な事をしない。余計なものに触らない。それで、手を打ちます」
「ありがとうございます、ヨージ様」
竜精が目の前で死んだというのに、顔色一つ変えずその肉を処理し、なおかつ男を脅しに来るこの女性は――ヘタをすれば、竜精よりもずっと、恐ろしいのかもしれない。
「行きますよ。離れないでください」
「……はい」
我が神から貰い受けた水を腕に塗りながら、ヨージは居住地を越えて、森の中へと足を踏み入れた。




