兆し2
古鷹家首都蕃邸
裏山の神社に聳える、扶桑の分樹から湧く清水が庭を渡すように流れている。傍の庭石に積もった雪の上に舞い落ちた椛をジッと見つめ、古鷹佐京守在綱は口をへの字に曲げた。
歩み、斬り、殺すその運命に逆らわず生きて来た。齢三四五歳になる。まだまだ生きるつもりであるが、衰えというものはやってくる。それに、いつまでも古鷹の当主として居座り続けるのも、後続に申し訳ない。
さっさと隠居し、道場でも開いて地元の子供たちに剣を教えてやりたいのだが、如何せん、なかなか世情が許してくれず、また後継が決まらない。
抜刀、納刀。
椛が綺麗に三つに割れる。下に積もっていた雪には何の跡も残らない。常人では何が起こったのか、理解すらできないであろう、この理合、剣技。自分でも、捨てて置くには惜しい力だ。死ぬまで女皇陛下にお仕えするのも、きっと悪くはないだろう。
あと一、二百年も待てば、後継らしい後継が、現れるやもしれない。
(……古鷹本家は有象無象、衣笠は期待株が死に、加古はアレ……か)
だが――やはり。
自分を越える者、となった場合、青葉惟鷹の他ないだろう。女皇陛下には既にお許しを得ている事だ。『青葉惟鷹が執政侍王となった場合でも、古鷹家の当主は惟鷹とし、子孫を繋げて行きたい』と。女皇陛下は快く許可した。
例え彼が王配となろうとも、古鷹に胤を残して貰う取り決めである。
惜しい。惜しいが、この手から零れ落ちてしまう事もまた、予想していた事だ。
アレは優しすぎる。また怖がりでもある。
アレはニンゲンなのだ。女皇陛下の武力装置として、傀儡のようには動けない。
それ故に、女皇陛下の目に留まったのであろうが、惜しくてならない。
「親父、呼んだか」
「蒼坊。ちと遅いぞ」
縁側から呼ぶ声。加古蒼鷹だ。眉目秀麗である事は間違いない。才能とて他よりもあるだろう。剣は、褒められたものではないが……血を繋いで行く為だけならば、問題無い。
ないが……妥協が、劣化を招く。コレが古鷹の指導者として、他を圧倒出来るか。近衛を任された後、指揮官として使命を果たせるか。
無理だろう。器が小さすぎる。せめて惟鷹の父、幹鷹の如く清廉な精神を持っていたならば……。
『親父――お覚悟』
『その刀は陛下の為にこそ振るわれるものだ。陛下に振るうものではない。女に絆されたか、幹鷹。貴様という男にとって、その女はそれほどにも尊いものなのか』
『男が、おのれの愛する女の為に、刀を振るえないとするならば、そんな生は無用だ』
『よくぞ吐いた。では死ね。死なねばならん』
いいや。詮無い話だ。おのれが手で斬り殺した男の事を考えても仕方がない。
全く、青葉家は恵まれている。だというのに、状況は常に、青葉家を選ばない。
「惟鷹の居場所が分かった」
「……」
「貴様に殺せるか?」
「――ああ」
「クッ……くっ、クククッ」
「なんだ、親父、何が可笑しい」
「貴様、道場でひと掠りもさせられなかった相手を……殺せるのか?」
「――……」
「三日見なければ、倍は強くなっていた。ひと月見なければ、百倍は強くなっていた。アレは成長の権化だ。いったいどこまで強くなるのか、儂にも分からん。あの剣はやがて他竜の喉元にまで届くやもしれない。大陸でやり合ったのだろう。どうだった」
「……負けたよ」
「何故生きている」
「逃げて来たからだ」
「矜持ばかり高い貴様がアレから逃げたのか? これは面白い」
「何も――何も面白くなんかねえ!! まともにやって勝てる相手じゃねえことぐらいわかってらぁ!! じゃあもう、逃げようが隠れようが、どんな手使おうが、何度でも挑んで殺すしかねえだろうが――!!」
「そうしろ」
「何ぃ……?」
「どんな手を使っても構わん。殺せ。息の根を止めろ。女皇陛下に背いたその罪、身をもって知らせねばならん。貴様のその腕、その足が奴に斬り飛ばされようと、止まる事まかりならん。歩め、走れ、そして殺せ。扶桑武人が、女皇陛下に対する不敬を、赦しておく訳にはいかんのだ、分かるか蒼坊。これは絶対だ。たとい陛下がお許しになろうと、絶対だ」
「叛逆に、ならねえのか」
「なるとも。そして儂は死ぬだろう。だがそれでもだ。貴様は奴を殺し、叛逆者の儂を処刑台に送り付けて、やっと古鷹の主だ。扶桑の大英雄を殺し、扶桑の守護者を殺し――凡人である貴様が天下を取るにはそれぐらいはせねばなるまい」
「ケッ……後悔するなよ、クソ爺」
「後悔させてみせろ糞餓鬼。奴は南方だ」
焚きつけはこの程度で良いか。正直な話、本気の惟鷹を殺そうと思った場合、古鷹佐京とて思いつく策は少ない。剣術だけならまだしも、何の制限もない状態では、奴の魔法の餌食だ。まして対人必殺の奥義を三つも会得している惟鷹である、一対一では勝ち目が見えない。
ただ……ニンゲンの悪あがきを舐めてはいけない。蒼鷹は既に後がない。あの馬鹿者が最大限に馬鹿をやったならば、あるいは惟鷹の息の音を止められるやもしれない。
さて後は……。
「ご当主様。御久しゅう御座います」
「おお、真百合……いいや、紫天女殿。ようく参られた。冷えまする故、中へ」
供を連れて、庭先に一人の女が現れる。西真夜から呼びつけていた女だ。
上等な漆塗りのように深く輝く色合いの黒髪、絵画から切り抜いて来たのではないかと見まがう程の美貌。ピンと張った森林族原種特有の長い耳。言葉も仕草も嫋やかであり、この度は女皇陛下から、紫天上三位の魔法冠位を賜った、歩く宝玉である。
衣笠真百合。冠位名は『紫天女』であり、女性の冠位者としては歴代一位の高位である。彼女より上は二人しかいない。扶桑の魔法使いとしてならば、既に頭を上げられるニンゲンはほぼいないと言って良い。
衣笠時鷹。青葉惟鷹。そして衣笠真百合。
まったく革命的に才能あふふる世代だ。
屋敷に上がり、真百合を応接間へと招く。幾ら古鷹佐京とはいえ、紫天上を差し置いて上座には座れない為、脇へと避ける。
「……真百合の頂いた冠位というのは、佐京様を脇に退けねばならないものなのでしょうか」
「拙者は当主でありますが、何よりも、女皇陛下の御定めになった位こそを尊重すべきでしょう。一族からこれほどの人物を輩出出来たとあれば、誉こそすれ、卑屈になるものでは御座いません」
「……ご当主様、話し難くてかないません、いつも通りになさって」
「ではお許しも得た事だ。普通に話そう」
「ほっ……」
真百合が胸を撫で下ろす。暫くと見ないうちに随分と女になったものだ。じぃじぃと言って追いかけっこをしていたのが懐かしい。やはり力のある女は違う。得も言われぬ魅力がある。それにコレも、アレを追い求める身だ、恋焦がれるその想いは身体にも影響を及ぼすのだろう。
まったく、惟鷹に関わるものは皆碌な目に遭わない。
「まずは紫天上三位、良くぞ賜った」
「はい、有難うございます」
「陛下は何か仰っていたかな」
「自由にせよ、とだけ」
「ほう。本土の大学には」
「行きません。もうお前に学ぶ事などないだろう、と仰られて。身の振り方を決めかねておりました」
「では婿でも取るか」
「それは……」
そのような反応だろう。あの魔性に囚われたのだ、簡単には抜けられまい。
「女となれば何でもかんでも家に押し込める時代でもないしな」
「ご当主様から、そのようなお言葉があるとは、思いもよりませんでした」
「時代は生き物だ。常に同じ形はしておらん。で、だ」
「はい」
「惟鷹の居場所が知れたぞ」
「!!」
思わず笑いを堪える。天下一の才女とて、若い娘なのだ、思い人の所在が分かったと言われれば、驚き、目を見張り、口を半開きにする事もあろう。
「い、何処に。兄様はいまどちらへ?」
「奴は西真夜から西部に逃げた後アインウェイク子爵領へ、そこからイナンナー自治区のキシミアへ、更には首都ツィーリナまで登り、東部へ戻って今はフォラズ村という小さな村の村長をやっている」
「そん、ちょう? 何故兄様が、大帝国で村長を?」
「はぁは。それがなあ……」
こちらが知り得た情報を、包み隠さず真百合に伝える。事実を知った時、佐京も眉を顰めたものだが、やはりあの男は只者ではないのだろう。竜帝と竜精にまでコネクションを作って自分の地盤を固めている。どうあろうと扶桑に戻る気はないらしい。
真百合といえば……話を聞きながら、一喜一憂している。それもそうだ、アレの歩む道は常道ではない。危険が隣にある。
犬神何某には、それなりに包んでやった。この反応を貰えるならば、価値もあったろう。
「兄様……ご無事で……今は、何事もなく暮らしているのでしょうか」
「まあ、おおかた女に囲まれて幸せにでもしておるんじゃあなかろうかのぉ」
などと、老け込んだ事を言う。それを聞いた真百合は、ふくれっ面だ。
「ご当主様!」
「いやなに。あの者の宿命だ。女からは逃げられん。どうやら相当の、身分の宜しい娘達と共に、新興宗教を開いたそうだ。あの馬鹿者が宗教者とは、御笑い種だがな」
「兄様が、陛下に背かれた事は、確かです。しかしそれも訳あっての事でしょう。どうしてあんなに優しい兄様が――真百合を置いて消えたりするものですか」
龍の薫陶を受けた女だ。まともである筈はない。滲み出るのは喜々か鬼気か。こんなものの相手を出来るニンゲンなんぞ限られている。全く因果な話だ。
「しからば、直ぐに支度を。真百合はフォラズへ向かいます」
「今は南方にいる」
「な、何故北方大陸から南方大陸に!?」
「忙しない男だからな。それに龍が言うのであるから、間違いはなかろう。蒼坊経由で話が漏れる前に、お前に話しておこうと思ったのだ。止めねば、南方に行くだろうからな」
「行きます」
「ダメだ。死ぬぞ」
「――また戦ですか」
「どうなっているかは分からん。だが南方の大樹が目覚めた。洒落では済まされん。大事なその身、危険に晒すワケにもいかん。しばらく扶桑で大人しくしていろ」
「そんな――」
「運命の分かれ道だ」
死という男を。
生という女を。
奴に選ばせることとする。
陛下が言う通り――
真百合を選ぶならば、それで良し。
そうでないというのならば、死なねばならない。
古鷹佐京には分からなかった。何せ道を違えず生きて来た男だ。龍に見染められるという誉を投げ捨ててまで逃げる意味が理解出来なかった。だが、アレの父は幹鷹だ。愛の為に死んだ男の息子である、その血を継いでいると言われれば、それまでか。
「屋敷は自由に使え。拙者は暫く日没宮に詰める。良からぬことは考えぬようにな」
「――それでも、という場合は」
「脚の一本でも頂こう」
猛禽の鋭い眼光が真百合に突き刺さる。幾ら才能に恵まれた娘とはいえ、一度戦場に赴けば『首が残っているニンゲンを探すのが難しい』とまで言われた怪物の睨みだ、まるで死をそのまま叩きつけられたような衝撃があるだろう。
「では、紫天女殿、ごゆるりと」
「――……」
だが、真百合は睨み返した。愛に狂ったニンゲンの目だ。
これほど恐ろしいものはない。
(女皇よ。貴女が望まれる世とは、いったいどんな世なのだ)
きっと一生かかろうとも、最初の女――十全皇の考えなど、自分には分かるまい。




