兆し1
治癒神友の会は本拠地を得て、本格的に活動を開始しようとした矢先の事であった。
謎の神『無貌』によっていざなわれたグリジアヌは、彼女の出生地である南方大陸へと、断わりも無く帰ってしまう。同時に訪れる九頭樹が目覚めたという報を鑑みるに、大きな物事に巻き込まれたであろう事が想像される。
既に他教の神というには近くなりすぎたグリジアヌだ。度重なる恩義を返さない訳にはいかない。ヨージは南方へ赴き、グリジアヌを連れ戻す決意をする。
しかし、大樹が目覚めたという事は、世界の変動を意味する。
力ある者達……竜が、神が、魔女が、武人が、呼応するようにして動き始める。
生命が絶滅した海の水面の上に、異形が二つ。
かたや全長三〇〇大バームはあると思しき巨人。
そしてそれを見上げる、極端に長い尾以外はニンゲンと大差のない大きさの少女。
「おしまい。海神如きがどうして朕に勝てましょうか」
大樹『円環径海』の竜『オケアノス』はその巨躯を屈した。右腕と左足は既になく、顔も半分が吹き飛んでいる。
勝てる見込みのある戦だった。海を根城とした大樹と竜の連合は、その少女がネグラとする島を囲い、四方八方から攻め入った。竜という種族が、五柱の連合を組む、そんな現代では絶望的な状態、真っ当な存在ではどうする事も出来ないだろう。しかし。
残念ながら、戦いにすらならなかった。少女は海に住む竜達を『見逃していた』だけに過ぎない。決して恐れていた訳でも、攻めあぐねていた訳でもない。殺そうと思えば、いつでも殺せたから、放置していただけ、ただ、それだけの話だったのだ。
少女の鉾の一突きで、連合を組む大樹と竜達が構成した生物が、絶滅した。
的確に『その大樹と竜から生まれたものだけを』確実に、滅ぼしたのだ。
「――この世を、どうしたいのだ」
「貴方様如きが知るべき事では、ありませんの、大海竜」
「この世とは……いったい、なんなのだ、誰の思惑で、こうなっている」
「世はもっと単純でしたのよ。でも、誰かさんが滅茶苦茶にしてしまった。朕は……それを、均しているだけ。元に戻るように、動いているだけ。貴方様達は、まあ、その『滅茶苦茶』の副産物に、過ぎませんの。死に際に、良い事を知れましたわねえ」
「どうして、貴様はそれを知り得る」
「どうしてだと、お思いになりますかしら?」
「……――存在がペテンだ。貴様は――"反則"だ」
「くふふっ。良く言われますの。では、お休みなさいまし」
鉾が唸る。至高の光を帯びたソレは、少女の嫋やかな手腕に操られ、二回転。
オケアノスの胴体を四つに割る。そしてその光を帯びた遺骸は、海に吸い取られるようにしてなくなっていった。
防衛者を亡くした大樹達が嘶く。少女は嗤い、自身の大樹『扶桑雅悦』に命じて……他大樹を、根から取り込んで行く。地中に巡らされた、力の根源。各大樹が持つ色の全てを、扶桑雅悦に染めて行く。
これでおしまい。五つの大樹と五柱の竜は、結局扶桑雅悦と少女の……十全皇の、栄養分にしか、ならなかった。
……。
「……――」
夢を見る、というのとは少し違う。
ただ、これを見ている間は間違いなく休眠しているだろう。彼女の場合は、それを意図的に引き出す事が出来る。あまりも膨大な、溢れんばかりの記憶の海から、好きな思い出を実体験のようにして、夢の中に走らせることが出来た。
悲しいかな、その七割が戦の記憶である。殺し殺し殺しぬいた殺戮の歴史だ。
あらゆる残虐、あらゆる虐殺の果てに見るのは、いつも空だった。戦闘後の一息、殺戮の残心、白痴の如く空を見上げて、小さい吐息を漏らす。
その手にあるものは一つの鉾。
『斬界鉾・竜樹殺傷』と名付けられた、終末兵器だ。事が起こり、これが振るわれ、終わる。それをひたすらに繰り返す。最終的な目的はあっても、終着点がどこにあるのかは、未だ判然としていない。
ただ、殺さねばならない。他大樹を、他竜を滅せねばならない。
それこそが手段であり、はるか遠い目的の為の行いなのだ。
「世界はこんなにも美しい」
そうだ。世界はこんなにも美しい。輝ける空も、打っては返す波も、肌に心地良い風も、神々の臓物の香りも、竜の体液の味も、すべてが美しい。これが世界だ。これが営みだ。現実はここで、夢は遥か彼方にある。
もっと綺麗にしなければならない。不要な神々を土へと返し、竜を肥料に変え、大樹を自然の苗床とし、もっともっと美しい世界を作らなければいけない。
本当はそうなるはずだったのだから。
十全皇という世界最大級の『機構』は、その為にある。
三億の昼を笑い、三億の夜に泣き、いつか、いつの日か現れてくれる、愛しいヒトの為に、最高の世界を提供しなければいけない。終わるその時まで愛を育める家を用意しなければならない。最期の最期になり、素晴らしい世界だったと、言って貰えるように、設えなければならない。
だから邪魔なのだ。貴方様がたは、確かに美しいかもしれないが、それでも、朕の世界には必要が無いから。
そう。まだ。まだ成し得ていない。しかし、彼はこの世界が良いという。
では様子を見る他無い。そんな簡単に、愛しいヒトが好いた世界を壊せない。
彼が愛する人を殺せない。
だた……ほんの少しでも、今の世界に絶望するなら。
ただ……ほんの少しでも、愛しいヒトに失望したならば。
ぜひぜひ、言って欲しい。
この世界を終わらせてくれと。
喜んで、喜んで破壊しよう。また事業を再開しよう。終末兵器を振るい、不具合を修正しよう。
敵がなんだって構わない。彼が喜ぶならば、ミドガルズオルムだって必ず殺して見せる。
この星が嫌いだというのならば、それはもう仕方がない。
星ごと叩き割って見せよう。
嗚呼、驕る事なかれ、万物よ。
この世の命運如き、朕の匙加減と、彼の選択次第なのだから。
――……
――……――――……
魔力震。増設した四万二千の視界から、何事が起こったのかを探る。折角の夢見を邪魔するとは命知らずがいたものだ。大体こんなものは、竜種が暴れたから出る歪みであろう。竜精がまたどこかの土地を吹き飛ばしたのか。
「違う。南方。ああ、まだ生きていらしたのねえ」
視界の一つに映ったのは、南方大陸に根を張る大樹、九頭樹の固有魔力の色だ。極彩色に彩られたその魔力は、他に類を見ない。純然たる固有魔力色。この星では恐らく唯一。
「――根が動いている」
気が付いた時からアレは眠っていた。この星を支配する意図がないのならば、殺しはすまいと思っていたが、目を醒ましたならばまた別だ。では叩き斬らねばならない……のだが。
正直な話――あの木は面倒極まる。
(この規模を伐採となると、南方は吹き飛んで消えてしまいますわね。彼女――グリジアヌが悲しめば、当然惟鷹様だって悲しむ。それは良くない――一先ず、いつでも動けるように、配置だけ済ませてしまいましょう。最悪は常に目の前にあるもの)
目を開ける。
「潮裏」
「ここに」
「南方北部軍第三、第五師団、北東部鎮守軍第五、第七機械科大隊を待機状態に」
「戦に御座いますか」
「植民と現地民をいつでも避難できるよう整えてくださいまし。近隣輸送艦は全て北部に集めて。一時避難先は……幾つか島を『用意』します。それから、女王キーリッタに繋いで、イナンナーにも呼び掛けて。南方西部の植民四〇万を見殺しにしたくないのならば応じるでしょう」
「承知いたしました。古鷹にも伝えます」
「お願い」
これは予想しなかった動きだ。いや、不安であったからこそ、十全皇は南方に進路をとったのだが、まさかこの世代で目を醒ますとは考えていなかった。今頃、ユーヴィルや他の竜達が、こぞって南方に監視を派遣している頃だろう。
惟鷹が生きる今の世で、はしたなく大暴れするつもりはなかったのだが――最悪、南方の人類種が絶滅するぐらいは、覚悟して貰わねばならない。
彼はヒトの命を容易く奪うだけの力を持っていても、ヒトの命を軽んじている訳ではない。それに、愛しいヒトにヒトゴロシ扱いされるのは悲しい。
「主上、御前に失礼仕る。古鷹佐京守在綱に」
「佐京」
潮裏の呼び出しから五法分経たずして、正装の古鷹佐京が現れる。ごま塩混じりの髪に髭、まるで風を擬人化したかのように、気配なく当然のようにやって来る。
「如何なさいましたか」
「九頭樹が動く」
「拙者は主上の刀に御座います。なんなりとご命令を」
「近衛から決死調査隊を募るように。心苦しいでしょうけれど、お願い致しますわ。調査隊のご家族には、以降五百年、食べて行くに困らないよう配慮致しましょう」
「彼奴等も誉に御座いましょう。畏まりました」
「仔細は潮裏から。下がって構いません」
「ハッ」
「ああ、それと」
「はい」
「――惟鷹様が、いらっしゃるやも、知れません。殺さぬように」
「――御心のままに」
自分が赴きたいのは山々なのだが、九頭樹の鼓動を感じた他の種族達が軍事行動を起こすかもしれない。そうなった場合戦争となる。ニンゲン同士の戦争となれば、竜種の介入は許されない。自分が出て行くとすれば、何もかも終わった後だ。
調査にエリートを送り込むのは気が引ける。いったい育成にどれだけの金が掛かったか、想像もしたくない。しかし中途半端なモノを送り込んで調査結果が振るわないのでは、更に無駄が嵩んでしまう。
近衛から出したのはせめてもの配慮だ。現地軍のエリートを出しては批難が上がる。幸い南方帰りが複数人居る為、そちらに任せる事となるだろう。ちなみに、惟鷹の元同僚等だ。
「嗚呼、嫌ですわねえ、戦争だなんて。出費は嵩みますし、ヒトは死にますし、朕からすれば大した見返りもない」
しかし、起こったならばやらねばならない。大きな力には責任が伴う。そもそも『この世界の全責任』を負うつもりでいるのだから、これも避けられないだろう。
「……佐京、惟鷹様を殺さなければ良いのだけれど」
彼自身が赴く訳ではない。しかし佐京は惟鷹を殺す手段を部下に持たせるかもしれない。
分かっている事だ。古鷹家の恥さらしを見つけて、殺さない訳にはいかないのだから。
「頑張ってくださいましね、惟鷹様。此度の争乱も、また貴方様の成長の手助けとなりましょう」
フォラズ村に視界を移す。彼は……可哀想に、頭を抱えて悩んでいた。グリジアヌが無断で南方へ帰ってしまったからだ。グリジアヌという神を考えるに、おそらく、惟鷹に負担を負わせまいとしたのだろうが、悪手だ。こうなってしまっては、彼は動かざるを得ない。
優しすぎるから。彼は軍人には向いていない。
けれども、勇者には向いている。
「……シュプリーア、ねえ」
彼の隣で、彼を慰める女。
……ヘル・ギンヌンガップの隠し玉。まさしく地獄から湧いた災いの種だ。
女王ヘルは、生易しい女ではない。十全皇という存在を教本に、彼女は女となった竜だ。話しているだけならば、随分とおっとりとした女だが――まさか、地獄の竜が、腹に何も抱えていない訳がない。しかし、目的は分からない。
「世界、間違いなく荒れますわね」
比較的長く、平穏と呼べるものが続いた世界だったが、終わりは近いのだろう。
随分と久しぶりに、十全皇の手ではない終末が訪れる。
過去の世界を振り返り……十全皇は、大きなため息を吐いた。




