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龍女皇陛下のお婿様  作者: 俄雨
フォラズ村編
201/318

治癒~ドット~



 産まれた時から僕の身体は弱かった。エルフ種であるというのに、二〇年は生きられないだろうと医者に言われてから、僕の扱いは一家においてぞんざいなものとなっていった。


 今日もベッドの上から窓の外を眺める日々だ。元気に学校へ通う同世代の子達を見る度に、とても憂鬱になる。目を瞑り、僕が健康であったならば、どんな生活を送っていただろうかという事を、夢想するぐらいしか、僕には許されていない。


「坊ちゃん。新しい御本を用意致しました」

「ありがとう、エンデル」


 メイドのエンデルが本と薬をもってやってくる。好きな作家の新刊だ。本が沢山ある時代とはいえ、初版は少なく結構な値は張るけれど、その辺りを気にする必要が無いぐらいに、ウチは裕福だ。


 薬を飲み下し、本を受け取る。この飲み薬に、どれだけの効果があるかなんて、僕にはわからない。きっとこれも高い薬なんだと思う。扱いはぞんざいになっても、捨てるような真似はされなかった。その辺りは……恐らく家の体裁があるのだろう。


 僕の家は大神官家だ。三十五代前から大樹教の神官で、神と竜と大樹を祀る事だけを生業にして来た。街で一番大きな聖堂も、ウチが建立したものであるし、当然そこの神官長もウチの祖父だ。


 地元の名士であり、当然その家の長男ともなれば期待もされる。

 まして個体数の少ないエルフであるから、僕は待望の長男だった。


「年始のお祭りの準備、進んでいるのかな」


 エンデルに言う。彼女は人間族のメイドで、確か二五歳。旦那に若くして先立たれて以来、ウチで勤めている。なかなかのインテリで、眼鏡がとても知的だ。


「坊ちゃんは……」

「ドットでいいよ。もう、何年目だい?」


「ドットは、お祭りに参加した事、ありませんでしたか」

「小さい頃に、何度か。それからは病気が悪化しちゃったからね。エンデルは?」


「良く。修道院に居たので、むしろ準備側でしたけれど」

「そうだったね」


 僕の話し相手は、彼女だけだ。幼くして直ぐ家の中から出る事も出来なくなったので、歳の近い友達もいない。僕はこのまま、一生を家で過ごし、家で終わる事になる。


「……ドット。実は……」

「ドット」

「父さん」


 エンデルが何か言いかけたところで、父が入室してくる。僕の部屋にやって来るのは随分珍しい事だ。歳は百を過ぎているけれど、とても若々しい。どうして彼の息子である僕は、こんなにも弱いのだろうか。


「何、父さん」

「お前の療養先が決まった」


 療養先。突然の話だ。そもそも、ここ以上に療養出来る場所などあるのだろうか。

 ふと考えて、僕は嫌な気分になる。


 やはり邪魔なのだろう。跡目が外にも出られない病弱では家の体裁が悪い。逆に他の兄弟がいたならば、むしろ適当に放っておかれそうだけど……見えないところに置きたいのだろう。


「遠いのかい」

「ああ」


「――そんなに目障りなのかい、僕は」

「ああ」


「エンデルは」

「彼女はお前の付き人ではない」


 もう隠すつもりもないらしい。歴史ある家の、待望の長男。一族諸手を上げて喜ばれた存在が、今はこれだ。他の神官達から、何を言われたか知らないけど……父はヒトの話を気にしすぎる。そんなにも活き活きとしているのに、どうして心はその限りではないのだろうか。


 小さく弱いヒトだ。なんと狭量で、虚しいココロの持ち主なんだ。


 僕は何一つ悪くなんてない。しいて言うならば、こうして作った貴方達両親が悪い。


「父さん、僕は、初めて貴方に、悪口を言おうと思う」

「……」


「くそったれ、地獄ニブルヘイムに落ちろ」

「――ッッ!!」

「坊ちゃん! 旦那様、なんてことを――ッ」


 左頬が熱い。過去感じた事がない程に痛い。けれども僕は、弱々しい足で立ち上がって、僕を庇おうとするエンデルを制止する。


「これが、偉大な祖父の息子なんだ。小さい男さ。この家がこの先どうなるかなんて、手に取るようにわかるよ。この男が世代を継いだ先なんて、碌な事にはならない。周りの話ばかり気にして、アッチにコッチに手を出して、纏められなくなって破綻するのが、目に見える」


「貴様――!!」


「なんだい、殺すのかい。療養先とやらにぶち込む手間と費用が省けて良いね。ただ、息子殺しなんて、貴方が背負うには大きすぎるだろう。周りはどう噂するだろうね」


「ぐぬっ……ッ」


「貴方はこの部屋という、唯一の僕の世界すら奪おうって言うんだ。このぐらいは口にするさ」


 父はバタバタと部屋を出て行く。息子に言い返す事も出来ないんだ、彼は。

 何年生きようと、ヒトというのは進んで成長しなければ、子供のままだ。祖父は偉大だったかもしれないが、息子を甘やかしすぎた。


 彼が積み重ねた百年という時間は、小説一冊にもならない程度の厚さだろう。


「今、手当を」

「いいよ、エンデル。いいんだ」


「しかし」

「さっき、何か言いかけたよね。なんて言おうとしたんだい?」


 困惑するエンデルは、持って来た新刊の中から、一冊の雑誌を見せてくれる。

 大樹に寄り添う……大樹教の機関雑誌だ。


「大樹に寄り添う? ああ、新刊が出たんだね」

「ここに、特集が組まれていて……」


 彼女の開いたページを見る。


『治癒神友の会――その活動と奇跡』


 僕は目を見開いた。おおよそ信じられないものがそこにはあったからだ。

 治癒の神。原始自然神イルミンスルしか持ちえなかった奇跡を持つ神が特集されている。


「神シュプリーア? ……大樹教加盟宗教じゃないんだ」

「しかし、ユーヴィル竜精公お墨付きと言う事で……今、話題になっています」


「凄い神様がいたものだねえ……ははあ、なるほど、そういう」


「……値段は、張るかもしれませんが。この奇跡に、かけてみても、良いのではないかと、思うのです。ドット、私は……」


「エンデル」

「はい」


「出る準備をしてくれるかな。コッソリだ。僕は、家の金庫でも破るよ」

「ええ!?」


「名家の長男様がお出かけになるんだから、多少持っていかないと不安だろう」

「しかし……」


「それと、エンデル」

「はい……」


「一緒に来て欲しい。もう、こんな家は沢山だ。僕は病弱で、いつ死ぬかも分からない身だけど……僕をちゃんとヒトとして扱ってくれた君が愛しい。君には迷惑ばかりかけた。これからもかけたい。どうかな?」


 酷い口説き文句があったものだ。けれども、エンデルは、少しの躊躇いもなく頷いてくれる。


 なんだ。


 僕は結構幸せ者じゃないか。いや、むしろ、羨ましがられる側じゃないか。




 さて、逃亡と相成った。

 エンデルが買い物という態で外に出た後、馬車を待機させ、僕はこっそり家を抜け出す。


 正直、止められる事すらなかったのではないかと思うけど、一応無断で抜け出して、あまつさえ家の金まで持ち逃げしている訳だから、コソコソするのは礼儀だろう。


 療養先で長生きさせられるよりも、ずっとリーズナブルに済んだはずだ。案外父は笑っているかもしれない。


「はぁ……はぁ……歩いただけで……これか……キッツいな……」

「……背負いましょうか」


「い、いい。り、リハビリみたいなもんさ……エンデル、もし、本当に、治療が叶ったなら……恩返しさせてほしい。君の新しい旦那として、君の人生に彩りを添えたい。何でも、出来るようになっておかないとね……」


 エンデルは眼鏡を指で直し、自分の頬を撫でて恥ずかしそうにしている。

 年下に言われるのは、なかなか効いたのだろう。


 全く前の旦那さんには申し訳ない。そして悔しかっただろう事に同情する。こんなに良いヒトを置いて先に行くなど、辛かったろう。


 ……二度は味わわせたくない。例えば手持ちの金が足らなかったとしても、なんとしても、治癒を受けねばならない。その為には、彼女以外のあらゆるものを犠牲にしたって良い。


「すごい、ヒトですね」


「ああ……元は寒村らしいけど……治癒神友の会がやって来てから、それ目当てに様々なヒトが集まって来たんだろうね」


 名前も知らなかった土地だ。こんな内陸部の田舎に、どうして拠点を構えようと考えたのだろうか。大街道から離れている所為で交通網がイマイチで、僕からすればかなりの苦行だ。


「……だ、大行列だなあ……当然かぁ……」


 やがて治癒神友の会の神社シュラインが見えて来る。皇龍樹道形式と大樹教形式の複合のような施設で、教会や神殿とは呼ばないだろう。その入口から、物凄い数のニンゲンが並んでいる。


「皆様おつかれさまでーす! はい、整理券を配布しておりまーす! はいどうぞ!」

「あ、ありがとう」


 同じぐらいの歳だろうか、それにしては随分と胸の発達した金髪の少女が、整理券を配布して回っている。僕はエンデルと見て比べる。うん、エンデルの方が小さい。


「ドット……?」

「ありゃココの神官なのかな。制服が可愛らしい。エンデルにも似合いそうだ」


「わ、私みたいな年増には、少し」

「それが良いのだけど」


 皆までは言うまい。それが良いのだ。

 ともかく、とても一日で済む量ではないだろう。これは数日……いや、一か月は待たねばならないか。しかしここまで来たのだから、後は我慢するばかりだ。


「はぁ……ふぅ……」

「ドット、お薬を」


「少し、疲れたみたいだ。ごめんね、エンデル」

「宿に戻りましょう。何日滞在になるか分かりませんが……」


 ある程度は持って来たが、減れば減る程、治癒のお布施が減ってしまう。それは精神的に圧迫にもなるだろうし、長引けばエンデルにも負担だ。


「わ、我が神! だからですねえ、ドカッと偉そうに座っていてくださいって! あー、治癒を振りまかない! 治癒を振りまかないで! あ? 治った? そうでしょう我が神の治癒の力をご覧ください! 凄いでしょう! あ、我が神! もしかして絶好調です?」


 何やら先頭の方が騒がしい。制服を着た黒髪のエルフが、アタフタとしている。

 ふわり、と浮いた人物が隣にいる。


 大樹に寄り添うで見た神――シュプリーアだ。


「だって、多すぎる。あんまり時間かけると、病状が悪いヒトは、死んじゃうかもしれない」

「そうかもしれませんけど、それは選りすぐりますから……」


「えーい」


「おお、ちぎれて飛んだ腕が生えて来たぞ!?」

「顔の腫れがなくなった!」

「動かなかった脚が動く!」

「余命二年と言われたのに、ほらみろ、こんなにも力漲る!」


 ……なんだろう、あの光景は。

 神シュプリーアが列の脇を歩いて、手をかざすだけで……不健康そうなニンゲン達が、それはもう元気百倍といった様子で跳ねまわり始める。


「せ、正式な手順が踏めない……致し方なし、エオ! お布施集めてください! 均一価格で構いませんから!」


「はーい!」


 とんでもない。知ってはいたが、とんでもない。


 なんだその奇跡は。もはや神という範疇にあるとは思えない。こんなの神話の光景だ。いや、読んだ書物にそんな記述があったか? 越えているのでは? 怪我と病気なんていう、人類が生涯戦い続けて行くものに対して、かの神は、まるでそんなもの、なかったかのように、治癒して行く。


「あ」


 とうとう神シュプリーアが僕の隣へとやってきた。

 彼女は僕の胸あたりを、ジックリ見ている。


 当然、僕の病について、彼女は知らないはずだ。


「よーちゃん」

「はい、はい。どうされましたか」


「この子はちゃんと治癒しないとダメ」


「なるほど。こんにちは、わたくし、治癒神友の会、第二神官長ヨージ・衣笠です。こちらは我が神、シュプリーア」


「神だよ」

「お、お初にお目にかかります……ドットです」


「貴方の治癒は『えーい』とは出来ないようです」

「……『えーい』と出来ない……とは?」


「何となくで治せない類、という事ですね」

「な、何となくで皆の治癒が出来ていたのですか?」


「はい。分かりやすい病や欠損なんかは。腕とかポンと生えますしね」

「それはそれで大重傷のような……ええと、それで、僕はどうなるのでしょう」


神社シュラインにご案内します。我が神が『えーい』ってするのに飽きたら戻りますので、少々お待ちになって貰っても?」


「あ、あの。め、メイドのエンデルです。坊ちゃんは……治るのでしょうか」

「我が神?」


「ちょっと時間かかるけど治る」

「本当ですか……!」


「いま、えーいってしてるから、ちょっと待っててね」


 ……とんでもない神様だ。本当に、通りすがったヒト全員を間違いなく治癒して回っている。そこかしこから、その凄まじい奇跡への賞賛が相次いでいた。もうお祭りだ。お布施が投げ銭のように飛んで行き、それを金髪の娘が器用に回収している。


 大樹教はどう見ているのだろうか……そんな事を考えていると、その類の懸念が聴こえて来た。


「……ユーヴィル公はこの神を手放したのか……?」

「まさか……監視しておられるだろう……大きすぎる、あまりにも」

「管理せねばとは思うが……ユーヴィル公の手前ではな……」


 不穏な話題だ。だが、それも当然と言えだ。

 この治癒は大きすぎる。文明を変えてしまいかねない程、強大だ。


 いいや、むしろ、文明を一つ作ってしまうレベルである。


「ふう……ちゃんとした参拝形式を考案しないと……ああ、お待たせしました、ドット氏。えーと……大樹教徒ですよね。しかも神官で?」


「うっ……」


 扶桑エルフらしき男……ヨージが僕の身なりから身分を推測する。特定出来るようなものは身に着けていないのだが、雰囲気か、空気か、そんなもので判断しているのだろう。


 美丈夫だ。刀を腰に下げている。ゴリゴリの筋肉質、という訳ではなさそうだけれど、見た目よりも圧迫感があるのは、積み重ねた歴史の違いか。ウチの父とは比べるのも烏滸がましい。苦労して来たと見える。


「異教徒の治癒は、していませんか」

「いいえ。ただ大樹教徒は、少し高額に設定させてもらっています」


「道理です。そのぐらいしなければ……上が五月蠅いでしょう」


「ははは。ええ、まあ。しかし……見たところ、それなりに高貴な身分でしょう。まさか従者がメイド一人、なんてことも無い筈です。ワケアリで?」


「そ、そこまで分かりますか」


「微量ですが、纏う魔力が違いますし。こういう場は、むしろ堂々と大樹教徒であると示す方の方が多いですよ。そうですね、お困りなら、治癒も含めて、ご相談に乗りましょう、いかがです?」


 これを助け船と受け取れば、良いのだろうか。少なくとも、治癒は受けられるだろう。

 そして今更帰る家もない。


「ちなみに、改宗された場合、治癒は無料です」


 ……胡散臭い笑顔の一押しが来る。それもそうだ。こんな、力の大きすぎる神の神官をしているのだから、只者である筈もなかった。僕達は頷き、彼の後について行くこととした。




 通されたのは神社シュラインの事務所にある応接室だった。中に入ると、友の会の神官達が忙しなく動き回っている。この規模にしては人数が少ない。


 異国情緒……というよりは、奇特なシュミをした友人の部屋に招かれたような感覚があり、なんだかとても落ち着かなかった。


「さ、こちらへお座りになって」

「済みません」


 ヨージ氏に促されて腰掛ける。エンデルもそれに倣った。


「お二人は……ご夫婦で?」

「そ、そんな事は……ええと……坊ちゃん……」

「将来的には。しかし、僕の寿命がいかんせん、長くありません」


「そういう事情ですか。では一応お伺いしますが、ご身分は」


「……アインウェイク子爵領副領都ラムザにある、レント大聖堂を預かる一族、ドット・エーハンス・ラムザラスです。長男ですが……この通り」


「なるほど、病気の所為で家督を継げず、もしくは疎まれて」

「お察しの通りで。この度は、このエンデルと引き裂かれる運命を、脱する為に来ました」


 まったく話の早い男だ。こちらの喋る事の大体を汲み取ってくれる。


「一応、大樹教から庇護らしい庇護は受けていますが、加盟ではありませんので、他教となります。故に大樹教徒で、しかも神官家である貴方に治癒を施す場合、大金貨一五枚を戴いています。これは大樹教との折り合いをつける為ですので、悪しからず。我が神的には、みんな無料にしたいらしいのですが、それでは宗教経営が立ち行きませんので」


「お察しします。そして、今をもって僕は改宗します。構いませんか」

「そちらこそ、構いませんか」


「ええ。信仰は大事かもしれません。けれど、大樹の護りは僕の命を救わない。僕が死ねば、エンデルも悲しむ。それでは困る……ただ」


「ただ?」


「父が、怒鳴り込んで来る可能性があります」


 これは懸念すべきことだろう。あの小さい男が、その小さい心のまま、何をするか、僕には理解出来ないからだ。適当な理由をつけて、この治癒神友の会に迷惑をかける可能性もある。


「アインウェイク子爵領ですよね?」

「ええ、そうです」


「じゃあ大丈夫でしょう……マリエル」

「はぁい」


 ヨージ氏が、マリエルと呼ばれた神官から便せんを受け取ると、サラサラと何やら認め始めた。内容を覗くと、それはアインウェイク子爵宛のものである。


 子爵に話が通るのか。


「子爵とは、交流が」

「知人です」


 ふと気が付く。彼が座るソファの後ろには宗教のシンボルと思しき若芽の飾りがあり、その近くにはアインウェイク章とアインウェイク子爵直筆と思しきサインの入った名誉市民証、隣にはキシミア自治区上級国民証と防衛勲章――更に、皇帝陛下から直接戴く、名誉騎士勲章と盾が見える。


(な、何者なんだこの人物は……どんな人生を送ったらそんなもの……というか、授与日付が近すぎる、ここ一年のものばかりじゃないか……!)


「……? ???」


「ともかく、ご安心ください。貴方の父が怒鳴り込んで来る事はありません。また、怒鳴り込んで来たとしても、叩き返して差し上げましょう。ま、その代わりと言ってはなんですが……」


「な、なんでしょう」

「神官になりませんか」


 ――何やら、僕の命運が、不思議な方へと傾き始めた。僕は視線をエンデルへと向ける。これを僥倖と思ったのだろう、エンデルは笑顔で頷いてくれる。彼女が笑顔ならばそれが一番だ。躊躇う必要が無い。


「読み書き計算、大樹教の祭祀については、長男らしい知識があります。また扶桑語ならば、会話は可能です。イナンナー語も一部。魔法は不得手ですが、家事魔術を幾つか」


「それは心強い。ではこちらにサインを」

「ええ」


 新たに出された書類にサインする。契約魔術の一種だろう、文字を書くとそれが魔力で固定化するのが分かった。燃やさない限りこの書類は履行されるよう出来ている。


「我が神」

「んー」


 ヨージ氏が神シュプリーアを呼ぶ。彼女はふよふよと漂って来て、僕の前に座る。

 これまた随分立派な神様だ。どことは言わないけれど。


「ドットです。今後、この身は貴女様と共にあります。どうか、御慈悲を」

「んっ。よーちゃん忙しそうだから、良く手伝ってあげて欲しい」


「今日みたいにふらふらっと出て行って治癒を振りまいたりしなければ、僕ももう少し楽なのですがねえ我が神」


「いいじゃないべつにー。幸せが一番。健康第一」

「左様ですか……」


「行くよ」

「は、はい」


 神シュプリーア……いいや『我が神』の手が、僕の胸に触れる。

 身体に熱を帯び始めた、全身が発汗する。肉体が活性化して行くのが、感覚で理解出来た。今この瞬間だけで、普段の何倍も、健康になった気がする。


「……心臓のカタチが普通のヒトと違うね。これを……こうかな?」


 そんな事まで分かってしまうのか。


 心臓のカタチ……確かに、僕の病は心臓の病だ。脈が正常でなく、酷い不整脈の発作があり、少し運動するだけで、死ぬ程息切れし、下手をすれば簡単に意識が飛んでしまう。


 家を出て外を散歩するだけで、僕にとっては大冒険だった。


「……見本、見本。エンデル、見せて」

「え? は、はあ」


 そういって、我が神はエンデルの胸にも手を当てる。

 見本、とはどういった意味か。


「エンデルはだいぶ健康。人間族なら九〇まで生きる。エルフなら六〇〇まで生きる。この形を真似ればいいね」


「……――僕の心臓を、エンデルと同じ形に、してくれるのですか」


「良い見本だから」


 エンデルと顔を見合わせる。

 まさか、ここまでの施しを、受けられるとは。

 いや、そんな事まで出来てしまうとは。


 心の底から、崇敬の念が押し寄せる。感謝をしてもし足りない。


 僕は――この神と、そしてエンデルの為に、これからを生きるのだ。


「出来た。走り回って大丈夫」


「ほ、本当に……ああ、違う、本当だ……健常者というのは、こんなにも、活力あふれるものなのか……なんてことだ……動いていないと、力が有り余って仕方がない……! エンデル!」


「は、はい!」


「我が神! ヨージ神官長! これから、どうぞ僕を使ってください、そして、今から外を走り回る事を、是非お許しください!」


「ええ、ええ。好きなだけ走り回ると良いでしょう」

「よかったねー」


「はい! くっ、あははははッ! なんだいこりゃあ!」

「ど、ドット! す、すみません、失礼します……!」


「良いご夫婦だなあ……」

「私もあんなに仲の良い旦那さんが欲しい」


「そうですねえ、見つかると良いですねえ」

「パンチ」

「ぐえぇ」


 ヨージ氏が我が神に思いっきり殴られたような気もするが、取り敢えずそれは置いておいて、僕は神社シュラインを飛び出して走り回る。


 月並みではあるけれど、世界は輝いて見えた。思いっきり空気を吸い込んで吐き出すという、当たり前の行いすら愛おしい。どれだけ走っても、心臓が破裂するような痛みに襲われる事もない。


 脈は正しく、かつ躍動的に、動いている。


 全身が熱い。血液と同時に、魔力が巡って行くのが分かる。

 筋肉が痛い。細い首が取れそうだ。腕がはち切れる、足腰が体力に追いつかずガッタガタだ。


 なんと心地の良い痛みだろうか。


「エンデル! 僕はまだまだ未熟かもしれないが! それでも君を幸せにして見せるよ! 共に生きよう! そして、君の最期を看取ろう! 君が死ぬまで、幸せであったと言えるように!」


 奇跡だ。

 これが幸福か。


 溢れて来る涙を、僕は止める事が出来なかった。




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