治癒~マリエル~
麗しきマリエル。大帝国の華。ヒトに齎されし天上の詩。
声は香り香りは歌い、囀る色香が男を惑わす。
笑みの放蕩、悲しみの耽溺。
その一挙手一投足は、異性を困惑させる為だけに存在していた。
産まれながらにして絶頂期である彼女に衰退はない。リズマン伯爵家の長女に生まれた彼女は、十を迎えるのと同時に、あらゆる貴族から求婚された。
幼いながらに男をいじらしく扱うその手腕は天才的であり、仕草の一つとっても愛らしく、声を出す度に男達は顔を蕩かした。
また、魔術の才は抜きんでており、講師が教えた次の日にはすべて実践し、三日後には講師を越える始末である。その才能を恨めしく思うものもいたかもしれないが、彼女が少し甘やかすだけで、全てはことも無く済む。
彼女にとって、男とは可愛らしいものだ。何もせずともすべてをしてくれる。
お礼を言うだけで、また沢山の貢物がやってくる。
褒めるだけで、その数倍は褒められる。
笑うだけで、その何倍も愛して貰える。
世界は輝いていた。全ては彼女を中心として回っていた。
愛が全てを覆い、愛が全てを平らかにする。
……あの日を迎えるまでは。
原因がなんであったか、分かったのは後だった。
健康においても細心の注意を払い、そして周囲からも払われていた彼女であったが、その日は酷い熱っぽさがあった。風邪は誰でもひくものだとして、二日間部屋の外に出る事もなかったが、その後である。
頬に、見覚えのない水泡が見つかった。きめ細やかで染みの一つもない、真っ白い肌に現れた異物に、マリエルは恐怖した。決してニキビではない。大きすぎる。それはやがて、二か所、三か所と増えて行き、炎症が酷くなる。
「――伯爵。家人の全てをマリエル様の部屋から遠ざけてください。マリエル様の触れたものは全て消毒し、下着や衣服なども、使用したものは全て燃やしますように」
「――……天然痘」
「はい。しかし、感染経路が分かりません。ご存じの通り領地で流行り病が出たという報告はない。外の者と触れ合った記憶は」
「いいや、最近は講師以外誰も……」
しかし伯爵は、一つ思い出す。マリエルにプレゼントとして送られてきた品の事だ。具体的にそれがなんであったのか、リズマンも知らないが、マリエルはとても不気味がっていたのを、思い出す。既に処分済みであるから、確認のしようはないが……天然痘に感染した動物か、はたまた、ニンゲンの一部だったか……もしくは、天然痘を含む物質や体液……であった可能性もある。
このような日が来ようとは、想像だにしなかった。
「家人の診断を」
「種痘を行います故。マリエル様も、まだ間に合うでしょう。重篤化は致しません。感染拡大も防げます。伯爵ものちほど」
この病で、その昔は幾つもの村が滅びて去った。特に大帝国で流行ったものは毒性が強く、致死率が大変に高い。それこそ一時期は竜精が介入したほどだ。
現在は村が滅びる程の天然痘は無く、また種痘や薬の開発が進んだ為、死ぬ事はない。
が、かかった場合問題になるのは治癒後だ。
酷い痘痕が残る。
特に――マリエルのような少女では。
「マリエル」
「お父様……」
ドア越しに声をかける。春の陽気ではなく、地に沈んだ蛇も逃げ出すような、薄暗い声が聞こえて来た。マリエルは、顔に疱瘡が多数出ている。治ったところで、痕は残るだろう。天上の美貌と謳われた娘に訪れた、突然の悲劇だ。
「暫く安静にして、お薬を飲んでいれば、治るだろう。それまで部屋で静かにしていて欲しい。何かあれば、直ぐ申し付けるのだよ。ただ、感染症であるから、使用人達もかなり、気を使った格好で入って来るだろうから、そこは留意して欲しい」
貴族の家が天然痘に冒された、などと噂になれば、領民から何を言われるか分かったものではない。使用人達にも、口止めの為に様々と施しておくべきだろう。
「この病は……痕が残ると」
「……そうだね。でも死ぬことはない」
「それでは――それでは困ります! マリエルは、マリエルのお仕事は、存在意義は――皆にその笑みを振りまく事です! マリエルが健全として、恙なくある様を皆さんに見て貰う事、この美貌こそが、領民に対する奉仕なのです! このままでは、マリエルは……!」
「……」
自分の容姿に自覚を持ち、そしてそれを皆に見て貰う事こそが、自分の存在意義。
自分達の護る領主はこれほどに美しい。
自分達を護る領主はどこにでも誇る事が出来る。
ああすべては、大樹様から賜ったお恵みである。
彼女は自分の役割を把握していた。そして、その仕事に責任と誇りを持っている。
それを徹底的に傷つけるこの病は、彼女そのものを、滅ぼしかねない。
解決方法は――ある。
あるが……それは、大樹教徒として、かなり辛い決断になるだろう。
つまり、この決断をした場合、彼女の責任とするところの『仕事』は、出来なくなる。
「……ボクは一つ、この病の全てを消し去る方法を、知っているよ」
「……!! ほ、本当ですか、お父様……」
「ただね。その場合、君は他教からの施しを受ける事になる」
「……――」
「ユーヴィル竜精公御公認であるから、総合統括庁からとやかく言われる事はないよ。でもね、我々は大帝国の貴族なんだ。西真夜との国境線にある、大事を預かる大樹教の要塞なんだ。そこの娘が、他教の施しを受けたとあらば、何を言われるか分かったものではない。それは、理解出来るね」
「大事な事です……我々リズマンは、扶桑とにらみ合う立場。他の貴族から不信感を抱かれては、仕事が立ち行きません」
「……ただ、大事な娘一人守れないようでは、父として失格でもある」
「お父様……」
「手段は招いておこう。決断は君がしてくれ。リズマンの娘として、誇りある行動を」
「――はい。お父様」
この病を、根本から全て断ち切る手段を、リズマンは知っている。
南西にある小さい村、フォラズの村宗教――治癒神友の会ならば、病を断てるだろう。
金銭に関しては、当然度外視だ。そもそも負担にすらならない程度のお布施だ。
だが、ただの大樹教徒ならばともかく、『大樹教の盾』……大帝国から信を置かれるリズマン伯爵家が、他教から施しを受けるというのは、問題がある。
親ならば何に変えても、まずは娘だろうと、思うかもしれない。
だが貴族は信用の生き物なのだ。見栄と品格。優雅と余裕。信心とその行動。
これを領民に見限られた時、貴族は貴族でなくなる。少なくとも、大帝国ではそうだ。
つまり信用とは死活問題なのだ。おいそれと他教に頼れるものではない。
「フォラズに早馬を。親書はいま認める。急ぎ待つよう」
「ハッ」
執事に伝え、自室に籠り親書を書き始める。治癒神友の会。そこを仕切る男にだ。
ヨージ・衣笠。
その容姿を聞いた時、笑ってしまったのを、覚えている。
何がヨージ・衣笠か。彼こそは扶桑の誇る本物の怪物。アスト・ダールを葬った龍の懐刀だ。
情報に生きるリズマンにとって、見抜けないものではない。
しかしどういった経緯で大帝国に収まったかは不明だ。まして竜帝とユーヴィルに信頼を置かれる立場にまでのし上がっている。扶桑と対峙するニンゲンにとって、当然警戒すべきものだ。
そこをフィアレスを通じて知らせたのだが――あちらは全て、承知していた。
リズマンはそして妥当なニンゲンである。
自分の上が信頼に値するというのならば、信頼する。
では頼ってみて悪い事もないだろう。
「これを。丁重に招くように」
「畏まりました」
軍用の伝令に親書を預ける。娘の病状が悪い訳ではない。
このままでは――娘が、自分の醜さに耐えきれず、自殺してしまう可能性があるからだ。
親書を出してから二日後、彼女達はやってきた。神シュプリーアと、その神官二名。
ヨージ・衣笠の相貌は聞いた通りである。間違いなく、青葉惟鷹だ。
(――……なんということだ)
ただ……更に驚いた事がある。そして納得もした。
このエオと名乗った神官だ。
ユーヴィル竜精公の生き写しではないか。
通常、竜精なんてものは天上の存在だ。貴族とてそう簡単に、真の姿を拝めるものではない。ただ、首都の大学へ通っていた頃、貴族等の集まりで一度見かけた事がある。酒を嗜みながら皆と政治の話をしていたところ、急にミドガルズオルム竜が顕現したという話が舞い込み、周囲は騒然とした。
余程の事態だったのか――貴族に紛れて酒を飲んでいた女性か……変化。元の姿を現し、その場を去って行った。あれは竜の鱗であったし、竜の尾であった。長い桃色の髪は生涯忘れ得ぬものであろう。
後々、それがユーヴィル竜精公であったと……本人から聞かされた。
わざわざ本人だ。リズマン伯爵が大樹教にとって重要な立場にある事を、明確に伝えてきたのだろう。
竜からの使命を、リズマン伯爵家は帯びている。故に、他教からの施しなど、簡単に受けられるものではないと……考えていたのだが。
治癒神友の会が、何故他教でありながらも、総合統括庁から優遇されるのか、その理由が今、目の前にある。
「あ、驚き顔。お初にお目にかかります、リズマン伯爵! 治癒神友の会第一神官長、エオです! 本名は……聞きます?」
「いいえ、いいえ、お嬢さん。それはきっとボクには尊すぎる名だ」
伯爵自ら持て成す判断をして、正解だった。まさかこれが使用人達に全て任せるような事になっていたら、リズマンはこの核心的な事実を知らないままになったであろうし、友の会から『大したもてなしもされなかった』などと巡り巡って総合統括庁に届いたら、とてもではないが、詫びようがない。
「あ、ママ知ってますか」
「ああ……大樹教の、盾だからね、我が家は」
それが……今、その、始祖竜精ユーヴィルの娘と、龍の懐刀……青葉惟鷹が、並んでいるのだ。信じられない光景だ。いや、正直、信じるには無理がある。だというのに、現実は確実なカタチをして、目の前に迫っている。
伯爵などと、なんと小さいか。今目の前にいる二人が、あまりに大きすぎる。この二人の仲違いというのは、下手をすれば、大帝国と扶桑の、決定的、致命的な痛手となるのでは、ないか。彼女達が動き、彼等が走り回るその先にこそ――この世界の未来なるものがあるのでは、ないか。
全身を鳥肌が覆い尽くす。
では、このとんでもない二名に拝まれる神とは――なんだ?
「我が神。感染症です。経験はありませんでしたね」
「ん。でも大丈夫……だけど」
「どうされましたか」
「あちこちに、ある」
「神シュプリーア。あちこちにある、とは。この屋敷に、何かあるのかね」
治癒の神……シュプリーアが家の中に上がり、周囲を見渡した後、歩き始める。彼女について行くと、やがて足を止めた。
「この部屋、それと向こうの部屋」
「ここは、ボクの執務室だ。あちらは寝室……まさか」
「あっちと、そっちと、こっちも」
「娘の部屋、娘のクローゼット……それと、そちらの下は厨房だ」
愕然とする。思わず肌が痒くなる。特定の……明らかに、リズマン伯爵家の血縁者が一番長く居る場所、一番接触の多いもの、一番、何かを摂取するであろう物体……使用人達には破棄と消毒を徹底した筈だ。感染源になるようなものは、残っていない……であるにも関わらず、特定のものばかりが、指摘を受けている。
「伯爵。これは意図的でしょう」
「あ、ああ……なんてことだ」
「よーちゃん達は下がって。病気になっても治せるけど、ならないのが一番」
「ボクの家だ。ボクが監督する責任がある。何か運び出すものがあるなら、手伝おう」
神シュプリーアが頷く。
各部屋に入り、一番接触の多いもの……ベッドのシーツや衣服を、次々に運び出す。
「これも」
「うっ……」
先ほど口をつけた、グラス、それに、水差し。
気分が悪くなる。それは、誰かが意図してこちらを病気にしようとしていたという事実よりも……良い主人をしていたと、思いあがっていた自分にだろう。他の領主がどうかは知らないが、リズマンは決して身分の差別をしない。誇りある大樹教の盾として、大樹の輩は全て仲間だ。当然身分差はあるが、それは産まれによるものだからだ。
日々大樹と竜と神を拝み、清く正しく暮らす者達は、お互いに生きる為に必要な存在だ。貴族は貴族の務めを全うし、市民は市民の仕事をしてその報酬を得る。循環とは、大樹教において最も尊ばれるものである。
正しく歩んできたつもりだ。だがそれでも――恨みは買うのだろう。
「神シュプリーアよ。貴女には、この病がどうみえるのか」
「『ヒトが触れちゃいけません』って、雰囲気?」
「治癒の神であろうが……害を成す前の物体にも、働くのだろうか」
「わかんない。でも、それがあるとヒトが傷つくって、なんとなく歪んで見える……だからたぶん、一番それを帯びていないヒトが、犯人」
これだけ拡散しているのだ、では家人も使用人も、皆感染している可能性がある。そんな中、一人だけ身綺麗ならば、確かに怪しむべきだろう。
「……誰だろうか」
「……知りたい? 本当に?」
シュプリーアが、辛そうな顔で言う。知ってしまえば引き返せない人物なのだろう。
つまり……身内だ。
「ボクの、仕事だからね」
「……――奥さんの部屋だけ、何も見当たらない」
何となく、そんな気はした。もし家族全員を害するつもりならば、当然妻も選択肢に入る筈だ。その妻は今、外へ出ている。いったいどんな考えがあって、このような真似をしたのか。
辛い。悲しい。だが、嘆いて膝などついていられない。問いただし、断罪せねばならない。
「荷物の運び出しを終えたら、娘を診てくれるだろうか」
「リズマン、大丈夫」
「大丈夫さ。ちょっとやそっとの悲劇で躓いていては、貴族は務まらないんだ。それよりも、どうか……娘を診てやって欲しい。そして、彼女が施しを受けると決断したならば、治してやって欲しい」
「他教、他宗だよ」
「責任を取る準備がある。責任者というのは、その為に居る」
「わかった」
部屋へと案内する。扉を叩くと、中からか細い声が聴こえて、ゆっくりと開いた。
「……神様?」
「神だよ。中入るね」
マリエルは顔全体を包帯で覆っていた。まさか初めての挫折が、今後の全てを破壊してしまうようなものであったというのは、あまりに酷である。
「治癒神友の会の主神、シュプリーア様だ。強力な治癒の力をお持ちなんだよ」
「……はい」
表情は当然読み取れない。何を考えているかも、わからない。
美しく聡明な彼女は既にここにはいなかった。あるのは未来への不安と、この病を齎した者への不信感。何も信じられなくなるのも、当然である。
「別に信じなくて良い。拝まなくても良い。なんなら、私が治癒した事だって、無かった事にしたってよい」
「それは。確かに、リズマン家としても、都合が良いけれども、幾ら何でも」
「私は治せるものを治せればそれで良い。病に苦しむ理由なんてないから」
「利益は鑑みない、と」
「もちろんあった方がいい。あった方がみんなの為になる。けど、自分の存在意義を奪われたヒトを見て、それに吹っ掛けるような真似はしたくないし、私は他人の信仰心を挫く真似もしたくない」
幼いように見えたが、それは見た目の雰囲気だけだったのだろう。元から賢く、また強い力を持ち、良い信徒に恵まれたからこその、その慈悲深さだ。ユーヴィル竜精公が、このような逸材を放っておく訳もない。
なるほど。これは世界を変えてしまいかねない大慈悲だ。
「マリエル。顔をあげて」
「……他教の、施しは……」
「――信心が自身を殺すというなら、きっとそれは間違った信心だと思う。貴女の拝む大樹や竜というのは、そんなに、狭量? 違うと思う。だって大樹教の教義に、そんな事書いてないから」
「――……」
「本人の意思は尊重する。信仰も尊重する。でも教えにない事まで守る必要はないと思う。それは、貴女の意志か。それとも、お家の意志か、分からないけど」
「……マリエル」
「はい、お父様」
「ボク達は、この神の前では、あまりにも矮小だ。判断を任せるなどと、キツい事を言って悪かった。父の矜持に準ずる必要は、ないさ」
「しかし、けれど……」
「まずは健康になってから」
日向のような、優しい暖かさがある。目の奥にゆっくりと沁みる光は、どこか母の胎内を思わせるものだった。マリエルに翳された手からは、記憶にすらなかった、温かみや郷愁を感じる。
神だ。ただ、特異な力を持っている、というだけではない。
これが本物の、崇敬すべき神の力なのだ。
「あたたかい……まるで、お母様に抱かれている、みたい」
「はい、鏡」
「――ない。疱瘡も、痘痕も……何も、ない。私の――マリエルの、顔」
「よかったね」
この神が大樹教に与するならば、もはや兵隊達が傷病に苦しむ事はなくなる。それでなくとも精強な騎士団は、不滅の不死の軍団として成立する。煩わしいエウロマナの連中も、二度と大帝国に喧嘩を売るような真似も出来なくなる。
……故に、完全には取り込まないのだろう。
絶対的に強すぎる。これは、ヒトの世のものではない。少なくとも、今の世ではない。
世界は竜が差配するものだ。竜を越える力を――神が持っているとしたら、それは、革命につながりかねない。まさしく、世界を変革する力――世界再創世の力だ。
監視を置いた上で『一地方の、とても便利な神』に留めて置くのが、良いのだろう。
「……今の妻は、後妻でね。生みの親は、マリエルの出産と同時に亡くなったんだ」
「後妻さん。ひどく扱った?」
「まさか。ボクがそのような真似はしない。ただ――」
「ただ?」
「妬んでいたんだ。娘の美しさを。天上の美と謳われた、義理の娘を、妬んでいた」
「お家のこと。妻のこと。リズマンが解決して」
「そうだね。そうしなければいけない。ただ、それに気が付いていながら、ボクは何も対処しなかった。だから、ボクにも責任があるのだと思う」
「お父様。この病を振りまいたのは、あのヒトなのですか」
「……そうだ」
「――マリエルが、家族を壊したのですか。お母様を殺して、あのヒトを狂わせてしまった」
「違う、違うぞ、マリエル」
「……それでも、違うとしても。マリエルの存在が、リズマンという家を壊しかねません。マリエルは……どうすれば良いのでしょう」
彼女に悪い部分など一つもない。ただ在るだけだ。しかし、その在るだけこそが気に食わないというニンゲンは、存在する。ここで妻を処断してしまえば、彼女は余計背負い込むだろう。
「ふう。粗方片付け終わりました。リズマン伯爵、娘様は……おおっ」
「よーちゃん、終わった」
「無事治癒されたのですね。しかし……なるほど、天上の美。お美しい方だ」
片付けを手伝っていたのであろう、ヨージ・衣笠が顔を出す。この偉丈夫も驚くほどの美貌なのであるから、それはやはり、父としても鼻が高い。
「――……!」
「ん。マリエル?」
「――あ、あの。ど、どち、どちら……様でしょう」
「申し遅れました。治癒神友の会第二神官長、ヨージ・衣笠と申します」
マリエルが、突如自分の姿を検め、鏡を見て髪を直し始める。顔は紅を指したように赤い。
なるほど。
――なるほど。なるほど。
「ああ――なんだか、とても胸が苦しくって……ヨージ様、介抱して貰えますか?」
「むっ。我が神、マリエル氏は健康になられたのでは」
「凄い健康に心臓バクバクいってる」
「いやあ……ヨージ神官長。少しお話が」
「はい、構いませんが……」
ヨージ・衣笠を廊下に連れ出す。当然話は一つだけだ。
「妻が犯人である事は確定だ」
「そうですか。色々大変でしょうが、流石に家族の仲を取り持つ奇跡は我が神にはありませんね」
「そうでもない。娘は他教の施しを受けて、少なからず心を痛めている」
「そういう事もあるでしょう」
「そして今後、妻を処断した場合、娘は更に抱え込むだろう」
「責任感の強い子なのですね」
「――娘を、預かってはくれまいか」
「なんですって?」
「改宗させる。是非、娘を神官として働かせてやってはくれまいか」
「――……ええ……」
最善手はこれしかないだろう。家名と家格を気にする娘の、心の棘を抜き去り、罪悪感を減らし――そして、合理的に、合法的に、治癒神友の会という存在を内部から監視出来る手段だ。
どんな相手にも靡かなかった娘が、まさかあんな顔をするとは思わなかったが……きっとこれも天命。竜よりの思し召しだ。そうに違いない。そういう事としようそれがいい。
「お父様。ヨージ様と、何かお話を?」
「マリエル。治癒神友の会へ改宗なさい」
「――そ、それは」
「いやかね?」
「ヨー……シュプリーア様のお傍で、お仕事ができる、という意味でしょうか」
「そうなるね」
「改宗します」
「う、うむ」
我が娘の決断が物凄く早い。なんだろう、信心とはなんだったのか。勧めておいてなんだが、大樹教徒として、ワンクッションも置かないのはどうなのか。恋心は信心を踏み倒すに十分な力があったのか、どうか。
「わ、我が神。大丈夫、でしょうか」
「いいーんじゃないでしょーか」
「うわあ、我が神なんか棒読みぃ」
「直ぐ、直ぐ支度致します。お父様。今までお世話になりました」
「うむ」
「それと――あのヒトのことですが」
「ああ」
「……諫める程度に、してあげてください。マリエルは、彼女の娘にはなれなかったから」
「……わかった。そうしよう」
「ありがとうございます、お父様」
抱き合う。本当に、本当に、つまらない非業を背負わせてしまったものだ。きっと彼女には必要のなかった人生の苦しみだ。
妻は、これだけの事をしたのだから、一切の説明もなく、謝罪もないでは許されない。本来ならば苛烈な罰が必要だ。しかし罪悪感もある。妻という女の苦しみを、理解してやれなかったのは、自分の責任だからだ。
お人よし過ぎるか。貴族として、正しいかどうか、それは分からないが。
少なくとも父としては、娘が一番苦しまない方法を選びたいのだ。
……。
「マリエル。マリエル・スカーレット・ゴラントラリア・リズマンです。本日からお世話になりますねえ?」
美しい赤毛を撫でつけながら、恥ずかしそうに言う。
ほんと、ビックリするぐらい美人だ。なるほど様々な貴族から求婚されたのは間違いないだろう。先天的な『色香』だ。取り除きようのない魅了の魔法をその身に窶している。
魔性だ。なお、女には死ぬ程毛嫌いされるタイプだろう。
「うふふ」
さて。また一人なんか不思議なのが増えた。あのリズマンの娘だ。大伯爵家リズマンは、隣接する西真夜とにらみ合う立場にある。外交的には友好を保っているが、扶桑のと国境線であるから、いざとなれば大軍団が即座に集結し、西真夜に踏み入る準備を持つ伯爵家である。
彼等の先祖は西真夜が出来た当時にまで遡る。以前存在した王国が、大帝国に土地を売却する事となった。だが当時威圧的であった大帝国は値切りに値切り、王国はこれに憤慨、遠くの扶桑に土地を売却してしまった。
突如として隣に敵国が現れた大帝国は即座に派兵、扶桑と殴り合いが始まった。
その折に、村単位で徴兵された村衆の頭目であった者が武勲を上げ、この地の護りとして据えられたのが初代リズマンである。
また大樹教布教を家訓、家是としているような一族であり、一族は大樹教布教の為に修道士として訓練を積み、世界各国に散っている。
大帝国でも扶桑でも、リズマンの名を知らないものはいないだろう。それだけ大きな伯爵家……その、娘だ。
「家事魔術を得意としていますぅ。お掃除お洗濯お料理にお裁縫。雑用雑務なんでもござれ。基本的にマリエルは動きません。全部使い魔がやるのでぇ」
「は、はあ(リズマン家で会った時と口調も雰囲気も違うなぁ……)」
「使い魔は一度に五十程動かせますぅ」
「五十!? す、凄まじいですね」
「褒めてくださるんですかぁ? うふふ、うれしいっ」
「いやあ……ニンゲン離れしている、という意味の驚きですが……」
「お仕事を他に任せていればぁ、それだけ自由な時間が出来ます。自由な時間があれば……ヨージ様のお傍に、常に居る事が出来ますねぇ……」
「そうですか、大変ですね」
眼光が煌めく。天上の美と称えられる、リズマンの娘。なのだが、今は先祖返りでもしたのか、野性味あふれる視線を感じる。まったくとんでもないものを寄こされた。どうしてウチの宗教はこんなのばかり集まるのだ。
「マリエルさん!」
「はい、エオ神官長、なんですかぁ?」
「こちらへ」
「??」
エオに呼ばれ、マリエルが連行されて行く。
それから五法分後。
「エオが……何かいっていましたか、マリエルさん」
「あ、ええと『合格』『八五点』って。あと『胸……少し足りないですね』ってえ……」
(あの子、出会う女性出会う女性、全部採点しているのでは……?)
何も言うまい。触れてはいけないような気がする。
ただ、だんだんと……エオによる支配が……強くなってきているような……気がしないでも、ないのだが……。
減点は胸か――まあデッカくはないが。きっと美しいだろう。
いや、頭を振る。ヨージは考えるのを止めた。
「父には、治癒神友の会を探って来いと言われていますぅ」
「え、いきなりスパイ宣言ですか? いや、分かっちゃいましたが」
「『どうせ分かっているだろうから』とも~」
「か、彼らしいですね」
「正直どうでもいいですねぇ。マリエルのお仕事は、きっとここでも、変わりませんからぁ」
「それは?」
「マリエルのお仕事は、その姿を皆に見せる事。健全で健康で安心である、その象徴として、在る事です。これからは、治癒神友の会の、健全で健康で安心の象徴として、皆に姿を見て貰う事になります。これは、曲がらない、マリエルの誇りでもある。マリエルは、常に、美しくなければいけない。可愛らしくいなければいけない」
「……ええ」
「我が神に感謝と信仰を。信徒の皆に治癒の慈悲を。そして貴方に、それ以外の全てを。マリエルは、覚悟の上でここに立っています。どうか末永く、お使いください」
深々と扶桑式にお辞儀する。信仰を変える、というその大きな決断に対して、どう思っているのかと考えていたが……そこはやはり、リズマンの娘。そしてこの子自身の意思の強さと、誰にも汚されないのだとする、強い矜持に基づいているようだ。
少しとぼけた風もあるが、その真剣な眼差しに嘘はない。
「……ま、時は移るもの、好みも変わるものです。自身の貞操については、保留とでもしておいてください」
「え、そんなぁ。一目惚れですのにぃ」
「げほん、げほん。ただ、貴女が裏切らない限りは、僕もそれに応えたい。どうぞよろしく、マリエル神官」
「……――はい」
正直、その笑顔は眩しすぎる。目が潰れるかと思った。
自分が、このような顔を作れた過去が、あっただろうか。
強い信頼や想いを寄せる表情……時鷹の顔が過ぎり、首を振る。
「では一先ず、神社内の清掃でもお願いしましょう」
「先ほどおわりましたぁ」
「ん? 終わった?」
「はい。使い魔で、パパッとぉ」
「ええ……じゃあ信徒達の洗濯物……」
「いま干し終えましたねえ?」
「薪割……」
「湯沸かしの準備まで済みましたぁ」
「……――凄いですね!?」
「うふふっ。だってマリエルは、貴方に一番相応しい女ですからぁ」
美しい笑顔はどこへやら。その邪悪な笑みはヒトが三人ぐらい心停止しそうだ。
また一癖も二癖もありそうだが……友の会には、このぐらいが丁度よいのかも、しれない。
「そうでした~、父から手紙が届いていましたので、どうぞぉ」
未開封と思しき手紙を預け、彼女が執務室を去る。
……。郵便まで取っていたのか。
少し憂鬱だったが、封を切って中身を確かめる。
『本来、このような手紙は出したくなかったのだが、娘を預かってくれる君に、端的に伝えようと思う。妻に協力して天然痘を撒いていた使用人は、近くの街で死体で見つかった。妻は帰ってくるなり、服毒自殺した。私の不甲斐ない話ではある。ではあるが、責任を取ったものとして、処理する他無い』
『これを知ればマリエルは悲しむだろう。しかし、秘するも明かすも君に任せたいと思う。この事実が、彼女にとって有害であると思うならば、胸に秘めて置いてくれ。しかしこの事実が、それでもマリエルの成長に繋がるというのならば、教えてあげて欲しい』
『後妻は美しい娘に嫉妬していた。それは自らの命を燃やす程の嫉妬であったようだ。幼い彼女に対して、母らしく接した事はなかったし、礼儀も習い事も、教育とて、何一つ、娘に教えた試しはなかった』
『後妻の死が、娘に対する教育の一つとなるならば、不幸中のごく小さな幸いと言えよう。私は教育には向かない。ヨージ・衣笠君。いいや、アオバコレタカ君。君が、過去どのような光景を見て来たのか、私には分からない。しかし君の人となりは十分と信頼出来る。また、大樹教徒であるからには、竜精公が信頼を置く君を信じたくもある』
『どうか、娘を頼む。大輪の華に、未来を見せてあげてくれ』
……。自決か。本来あれだけの事をしたのだ、断頭台に乗せられたとて文句は言えまい。しかしリズマンは甘かった。むしろその甘さこそ、後妻は毛嫌いしたのかも、しれない。
酷く自分勝手な話だ。父の役目も押し付けるつもりか。
だが、彼に悪いところがあるとするならば、後妻の気持ちを察してあげられなかったという……責任と呼ぶには、辛すぎる、難しすぎる問題だけだろう。
得意ではなかったのだ。これは、どうしようもない。
「……うまい事細工したようですけど、まだまだ」
ヨージは『元の手紙』を知らない。
一度開けて、改めて手紙を詰め直されても分からない。
だが、その手紙には、インクの滲んだ箇所ある。まさか貴族様がそんなお粗末な手紙を寄こす筈もない。これは、水……いや、涙の痕だろう。
「マリエル神官」
「……はい、なんですかあ?」
執務室を出ると、彼女の姿が直ぐ目に入った。バルコニーから外を眺めていたようだ。
……眺めていたのが、村の景色かどうかは、分からないが。
「神社と関係施設を案内しましょう」
「え? でも、その、もう、見て回りましたしぃ……」
「今日からここが、貴女の家であり、そして僕達は家族です。お父様の代わりにはなれませんが、新しい家族が不便なく暮らせるよう、僕自ら案内ぐらい、しませんとね」
「……――」
「ここは誰も見ていない。天上の美が多少崩れようと、気が付く人はいません」
「……はい……はいぃ……」
胸に縋りつく彼女を抱きしめる。自分は、彼女の彼氏でも、父親でもないが。
同じ神を戴き、同じ場所で暮らす、血の繋がらない家族であるのは、間違いない。
幸せであって欲しい。
皆に笑っていてもらいたい。
そしてそれを支えるのは、まだしばらくは、ヨージ・衣笠という男なのであるから。




