頼りなき者達2
頼りなき者達
そこそこの修羅場は潜り抜けて来たつもりでいたヨージも、流石にこの度の逃走ばかりは死ぬかと思った。いや、実際自分に救いの手を差し伸べた者が居なかったならば、確実にあの世行きだっただろう。
熱病に浮かされ、意識を彼方へと飛ばし掛けたその瞬間に舞い降りた奇跡から一週間経っている。
今はあの木々深々しい森から抜けて、大きな街に居た。
『アインウェイク子爵家』のお膝下、領都『サウザ』だ。
人類種の王道楽土たる『ノードワルト大帝国』の首都に繋がる交通の要所として栄えたこの街は、大街道沿いに多くの商店が立ち並び、一大商業地となっている。また最近では河川が整備され、河川貿易もますます盛んとなっていた。
ここしばらくと大きな戦は無く、またアインウェイク子爵自身が帝国騎士団副団長を務めている事もあり、領地内には訓練された警護団が巡回している。流れの商会傭兵団は近寄りようがなく、実に治安が良い。更に景気が良ければ人も集まる。
そんな大商業地の裏手、行商達が日々を過ごす為に借りる安宿が、自分『達』の今の拠点だ。
「この宿、狭すぎませんか? 大樹教の修道院の方がまだ過ごしやすかったです」
行儀が良いのか悪いのか、背筋をピンと伸ばしたまま椅子にもたれ掛かり、ギシギシと鳴らしながら少女がボヤく。
北方大陸西国人特有の濃い金色の髪をした人間族だ。少女のあどけなさを残した顔に乗った、少し太い眉がピクリと動く。見た目は明らかに修道女だが、頭巾は被っておらず、ウェイブの掛かった長い髪を二つに結っている。
それにしたって、その修道服に隠し切れていない胸の大きさは、確かに破戒的だ。
「まあ、定職を持たないニンゲンからすれば、むしろ出来すぎた寝床と言えましょう」
「そうなんですか?」
「あまり世俗に敏い様子ではありませんね、エオ嬢」
『エオ』は「はーぁ」と間抜けな返事をしてから、小さく頷いた。本人も自分が世間知らずである事ぐらいは把握しているらしい。ヨージは先ほど商店で買って来た川魚の干物を差し出し、その間抜けな口元を封じてやる。
「定命」
「はい、我が神」
そして、動く度にギシギシと五月蠅く鳴り、綿の一つも入っているか怪しいベッドの上で優雅に寛ぐ女性にも、川魚の干物を差し出す。しかもただ差し出すだけではない。彼女の前に跪き、恭しく掲げて奉る。
「定命は、神様の扱いをわかってるね」
「ええ、田舎者なりに」
「あむ、あむ」
佇まいを直した少女『シュプリーア』が、厳かに川魚を素手で召し上がる。
上等な絹を思わせる銀色の長い髪、豊穣を感じずにはいられないふくよかな胸、引き締まっていて当たり前で御座いますのよ、と言いたげなウエストから、扇情的な生のおみ足に繋がっている。
そんなお身体を包んでいるのが薄布一枚を縫い合わせたワンピースだというのだから、危険であると言わざるを得ない。そしてそんなに薄いのに何故か透けないし、見えないし、色々ふわふわしている。具体的に言えば浮いている。
まさに神の御業だ。畏れ多い。
それにしてもこんなに危なっかしい見た目の二人が、よくもまあ今まで旅を続けて来られたものだ。
ヨージはたまたま通りかかったこの一人と一柱に、いや主にシュプリーアに救われた。エオは死体だと思っていたらしい。ひどい話だ。
エオは天下の大宗教、傘下も含めて数えれば星の数程神と信者を抱える『大樹教』の修道女だった。彼女はそれはそれは厳格な修道院でお勤めしていたが、シュプリーアに出会って、黙って出て来たらしい。
彼女は改宗してシュプリーアに仕える『大神官』という位置に居ると、自分で思い込んでいる。
ここ三日でこの子が酷く思い込みが激しい子である事は十分に分かった。
片やこちらに坐す尊い方は、神様である。生まれて間もない神だ。
この世界にはそんな神様がゴマンといて、自分で宗教を立ち上げたり、他人に祭り上げられたり、大樹教に加盟して金稼ぎしたりしている。
他の神の例に漏れず、一応は人類種とは比べ物にならない力と生命力を持っており、物質と概念の中間に存在している。
神は人類種の前に現れ、奇跡を起こす。
それが有益ならばヒトが集まり、無益ならば誰も寄らない。
神は生きているものであって、見えず、利益も曖昧なんて神を拝む人類種は存在しない。
実にシビアだ。
そういった意味で、このシュプリーアなる新興神は素晴らしい。治癒の力を持っている。大変稀有な奇跡であり、ヨージもその存在は書物でしか知らなかった。
だからこそ、だからこそだ。
大神官なる立場を名乗っているエオが、全くもって神の力を宣伝出来ていないのは口惜しいし、実に勿体ない。信心はあるのかもしれないが、一人に熱狂的に支持される神様なんて、なんかその、怖いではないか。
「さて、このヨージ・衣笠。何も川魚の干物を買い漁る為に外へ出ていた訳ではありません」
仰々しく言って、目を瞑り指を振りながら狭い室内を歩く。
自分は自分をよく知っている。こういった如何わしい仕草と物言いこそが己だった。
「エオ嬢。貴女は我等が神シュプリーアの神威を広め、憂い多きこの世に済度の手を差し伸べたいと、そう仰る」
「え? あ、はい。そうです。あ、なんだか修道院に居た教導神官様みたいな語り口ですね?」
「宜しいです。僕もエオ嬢に全くもって同意です。神シュプリーアの力は、実に素晴らしい。僕が東国に居た頃にも、治癒なる力を持った神など居なかった。防疫や疲労回復、なんて神は居ましたが、ここまで分かり易く人を癒せる神は珍しいものです。まさに、現世利益の見て取れる形。傷つき易い人類種が、即物的に欲する力です」
シュプリーアの治癒の力は、半死のヨージを救済した。一体どのくらいの怪我や病気に有用なのかはさておき、町医者が失職する程度には強力だろう。後々の事を考えると既得権益を抱える者達との衝突は免れないにしても、こんな安宿に燻っていて良い筈が無い。
「我が神」
「なーに?」
「そのお力……世界の為に、役立てましょう」
「よーちゃん」
「はい。え、よーちゃんですか」
「よーちゃんダメ?」
「威厳はありませんが、我が神に愛称で呼ばれるのならば吝かではありません。それで、なんでしょう」
「世界はちょっと、おおきい」
「そ、そうですよ。いきなり世界はダメですよ、衣笠さん」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。いきなり大きな物事から掛かって行っては、返り討ちにされるのが関の山です。ですので、不詳ヨージ・衣笠。名案を持って参りました」
そういってヨージが懐から取り出したのは、一枚の広告だ。
『神様募集中 アインウェイク子爵領南西部に位置するビグ村は現在『無神村』です。神が去られて以来、村には不調の兆しがあります。農業、戦働き、治水、その他分かり易い力のある神様を募集しています』
そのようにある。
全くもって不躾で、なんとも欲望が透けて見える募集広告だ。
「へー、無神村ですかあ。珍しいんですか?」
「ええ、珍しいです。神様は数が居ますしね。えり好みが激しいのか、はたまた神様が就き難い土地なのか解りませんが、これは間違いなくチャンスでしょう。何事にも土台が必要。盤石なる足場を築いてから、我々……我々、何教です?」
「あ、考えてませんでした。神様、エオ達は何教です?」
「友達」
「友達。我々……そう『治癒神友の会』は、世界に羽ばたくのです。ご理解頂けます?」
シュプリーアは「ほへー」と、エオは「はー」と、なんだかハッキリしない返事を頂いた。どうにも彼女達にはヴィジョンが足らない。エオも悪い子ではないし、頭は良い筈だが、実感が無いのだろうか。
「つまり、この村を我々の宗教活動の拠点にして、じょじょに信仰を拡大しましょう、という事です。これならばまずは大きくない。そうでしょう我が神」
何にせよ活動基盤が必要であるし、後ろ盾がいる。何の背景も無いままこの神の力を広げれば、必ずどこかで別の宗教か、はたまた大樹教そのものと衝突しかねない。
「リーアって呼んでほしい」
「そうはいきません、我が神」
「リーア」
「……コホン。では、私的な立場の時だけそうお呼びします。リーア」
まあ、まず呼ばないだろう。何事も序列は必要だ。
「うん」
小さく頷き、リーアは枕を抱いてベッドに寝転ぶ。行動が子供のソレだが、生まれて間もないのであれば仕方あるまい。
ただ発育はあんまりにも良すぎるので、そんなに大胆に動くと服とかがズレて色々はみ出してしまうのではないか? ヨージは訝ったが、神の力でそれはなかった。はみ出ないのだ。見えないのだ。すごい。
「えっと、衣笠さん。じゃあ、ここで神様に収まれば、一先ず宗教組織としての体裁は整いそうだって事ですよね」
「そうです。我々はヒトが足らない。信徒二人ですし。そして何よりもお金が無い。いやらしい話ですが、生きている限りお金からは離れられません。それは我々森の民とて同じです。経済が世界を支配している限り、我々はお金を求めねばならない」
人類種が基本とする貨幣制度に、知的生命体は抗えないのだ。日々の糧を手に入れるには、お金を生み出すモノか労働が必要なのである。自分達が宗教活動を通じてお金を生み出せるならば、それに越した事は無い。
いや、勿論、ただ生きているだけで良いというのならば、森の中にでも住めば良いが。
「では早速、ビグ村に向かう準備を整えましょう」
「あ、衣笠さん」
「はい?」
「そういえばですけど、神様って、神様として活動するのに、何か必要じゃありませんでしたっけ」
ああ、そこからなのか、とヨージは頭をぐるりと回してから、机に手をついた。