治癒~ヴィレ~
アルヴの秘宝よ。どうかわたくしをお守りください。
父の御霊よ、母の御霊よ、どうかわたくしをお守りください。
わたくしは負けません。わたくしは信じています。
辛い事は続かないのです。救いは必ず訪れるのです。
わたくしは決して挫けません。生き抜いて見せます。
一族は、既にわたくししかいないのだから。
その日、一つの王国が滅亡しました。二五〇年という歴史は泡と消え、王族は捕らえられ、わたくしの目の前で処刑されました。父は最期まで非人道的な行いを批難し続け、母は首を落とされるその時まで、敵兵を睨みつけていました。兄達は戦場で死に、妹達は城と共に焼けました。
わたくしの名はヴィレ。『ヴィレ・ヒヒリトリニウ・ノクス・アルヴリダ』
見ての通り小人族です。
唯一生き残ったわたくしに待ち受けていたのは、言葉にするのもおぞましい事です。
聞いてくれますか、ヨージ様。
……今は駄目。分かりました。では、省きます。幼い方も、いますものね。
でも、後で構いません、是非聞いて欲しいのです。わたくしの受けた凌辱の限りを。それを聞いて、悲痛に思って頂いても、滾って頂いても、構いません。ヒトですから。
ヒトとは、あらゆる状況に対応し、そしてそこに快楽を見つける者の別名です。
……我がアルヴ盟主国は小さな国でした。五〇〇年前、大帝国に北方大陸を追われた一族は南に逃れ、小大陸に建国を始めました。開拓の一切されていない土地でしたから、我々小人にとって、それはとても大変な仕事でした。
二〇〇年かけて土地を拓きました。その小さい身体で、木を伐り、岩を割り、土地を耕し、漸く集落と呼べるような場所が出来るまで、本当に長い月日がかかった。
農業と牧畜と、狩猟と漁業、各々の集落でそれぞれの特色はありましたが、生活が安定すれば多少の余裕が出て来る。結果交易が発生します。この交易を統一する事業に乗り出したのが、わたくしのご先祖様です。
原始人ではありませんからね。そこに通貨が現れ、流通が出来上がるまで時間はかかりませんでした。金銭は格差を生み、効率的に運用したご先祖様は力を手にし、やがて盟主と仰がれるようになり、各一族をまとめ上げて、建国と相成りました。
善政とまでは行かないまでも、可もなく不可もない、妥当な政治を続けていたと言えましょう。外敵が少ない場所でしたから、かなり安定していました。
皆は新しい生活を享受し、そして信仰を生み出して行きました。
不思議でしょうか。いいえ、この世界に生まれた者ならば、信仰というのは、かけがえのないものです、自然と力のある何かを拝む事になるのは、火を見るよりも明らかです。
そして、その力あるものとは、その土地に存在した、一つの神器でした。
樹木を模した形をした首飾り。これが発見された土地に教会が建てられ、我々一族が、長い間守り抜いてきました。発見された当初はこれが何なのか、誰も知りませんでしたが、長年の研究で、この首飾りが『大樹』の性質を持っている事が、判明したのです。
ヨージ様? エオ様? どうしてそんな苦い顔を。
ええ、はい、この首飾りです。
第一王女でしたので。既に継承権はわたくしにしかありませんから。
守り抜くのに大変な苦労をしました。ただ――見た目が単なる木製の首飾りでしかありませんので、金に汚いニンゲンに取り上げられる事がなかったのは幸いです。
大樹の性質とは何か、ですか。
大樹はそれぞれ個性がありますが、共通しているものが一つあります。
それは生み出す力。このちょっと薄汚い首飾りが皆の信仰の対象となったのも、その力があったからです。この神器は信仰する我々に様々な奇跡を齎しました。時に洪水を治め、時に山火事を治め、時に新たな生命を生み出し、時に敵を打ち払ってきたのです。
今となっては、既に力が失われているのでしょう。
いいえ、失われたが故に――わたくしの国は滅んだとも言える。
交易の拡大によって取引量が増えると、様々な国の人々が訪れるようになりました。その中で商人――わたくし達は普通の商人として付き合っていたのですが、今考えればおかしな点は多かった。商売から始まり、取引所が出来て、大きな船が乗り入れるようになり、やがて態度が高圧的になって来た。
ヨージ様、凄い顔です。ええ、そう、バルバロス商会です。
何か、嫌な思い出でも。
なるほど、扶桑人ですものね。ええ、殺したいほど憎いでしょう。わたくしもです。
父と母の首が斬り落とされた瞬間から、わたくしは死なないと心に決めました。どれだけの責め苦を受けようと、バルバロスのクソッタレ共を、必ず地獄に送ってやるのだと。
しかし、そんな志を持とうとも、所詮は奴隷です。しかも非正規ですから、あらゆる非人道的な行いが許容されていました。買われたその日に純潔は失われ、性処理の道具として扱われました。種族が違うと、妊娠もし難いですし、特にわたくし達は他種族と交わり難い。都合がよかったでしょうね。
耐えて、耐えて、耐え抜きました。主人は幾度か変わりながら、およそ九年半。慰み者としての日々を、耐えました。しかし新しい主人も飽きたのでしょう、わたくしを格安の中古として売り出しました。連れて来られたのが……そう、近くの行政区街です。
檻の中で、わたくしはこの宗教のお話を耳にしました。フォラズ村に、空前絶後の、神が降臨したのだと。まさしく救いの神であり、人類は新しい世界を踏み出すのだと。
逃げ出すなら今しかない。しかし『役割』故に右足の筋を切り落とされていましたから、逃げるのは大変難儀でした。途中で捕まりかけて、それはそれで、また酷い目に遭いましたが、それでも逃げて、荷運びの馬車に紛れ込み、フォラズまでやって来た次第です。
……それで、その。
荷台から叩き出された時、非正規の奴隷商はどこかに連絡している様子でした。逃亡奴隷を商会経由で、通報した可能性が、あります。
どうか、取りなしては貰えませんでしょうか。この足を治してくだすったご恩、なんとしてでもお返しします。下女として雇って頂ければ幸いです。ヨージ様がお望みならば、当然夜も――あ、あ、皆様、そう睨まないでください。なるほど、なるほどです、出過ぎた事を言いました、済みません、済みません……。
あら、外が……騒がしいですね。
満身創痍でこの村に辿り着いたヴィレは、一直線に治癒神友の会を目指した。その宗教団体が、どのような思想、どのような神、どのような奇跡を齎すものであるかなど、曖昧にしか知らない。しかし、今の自分には救いが必要だったのだ。
足を引きずり、鞭で打たれた背中の熱さに悶え、ヴィレは必死に歩いた。
自身の力の全てを出し切り、倒れかけたその瞬間、男に抱き留められた。
乱雑に、モノを扱うようなものではなく。
優しく、ゆっくり、転ばないようにと、そうして抱き留められたのは、いったいいつ振りだっただろうか。
視界に映った美丈夫は、生涯忘れられないものだ。
憎きバルバロスと戦ってくれた、扶桑のヒト。
異性に抱く感情など、削れて擦れて消えてしまったとばかり思っていたのに、彼の真剣な顔と『何がありましたか。僕に出来る事はありますか』という言葉が、自身を女であると思い出させてくれた。
『助けてください』
自国の言葉だった。帝国語も話せるというのに、漏れたのは亡き祖国の言葉だった。
通じないかもしれない。懸念が心を押しつぶすような音が聞こえた。
けれども、彼は直ぐに『アルヴ語? ネイティブですね。盟主国の方ですか』と、母国の言葉で返してくれた。
このトキメキを言葉に出来なかった。枯れた筈の涙が溢れ、止める事が出来なかった。
更に驚きは続く。騒ぎを聞いてやってきた神様が、何も言わずヴィレの足を、なんと、本当に、治してしまったのだ。足の筋を斬られて、もうずいぶん経つというのに、まるで当時のように、綺麗に繋がった足に戻ったのである。
背中から熱が引き、全身から活力が漲って来る。
まがい物でも、中途半端なものでもない。全人類が垂涎であろう、本物の奇跡だ。
『奴隷かな。でも扱いが酷い』
『非正規奴隷ですね。いまどきこんな扱いをするのは、バロバロスぐらいです。あの野郎ども、本当にニンゲンとは思えません。見つけ次第蹴散らしてやりたい限りです』
かくしてヴィレは治癒神友の会に保護され……今に至る。
「ここにいる事は分かってんだぞ! 逃げた奴隷を出せ!」
「奴隷商の方ですか? 確かに逃亡奴隷と思しき方はいらっしゃっています」
「いるなら出せ! 財産だぞ!」
「足の筋が切られていました。背中に酷いむち打ちの痕が有りました。明らかに大帝国の奴隷取扱法に抵触します。まさかとは思いますか――非正規の奴隷ではありませんでしょうね。その場合、即座に通報となります。すぐ騎士が来ます」
外でそのようなやり取りが聴こえる。対応しているのは、ドットという少年だ。ヨージ程とは言わずとも、弁が立ち、不合理な話を受け付けないタイプの人物だ。
「なんだ貴様……人様の財産を巻き上げておいて、なんだその言い草は!」
「犯罪者の言い訳程聞き苦しいものはありませんね」
ヴィレは……ただ震えていた。漸く兆しが見えたというのに、ここで戻されてしまっては、今度こそ希望の欠片も見えない。中古の逃亡奴隷だ。奴等のストレス発散の道具として使われ、山に捨てられるのが目に見える。
「――ヴィレさん。よく頑張りました。そして、ここに来たのは正解だ」
「……」
「目の前の非道を見逃せるほど、僕は合理的に出来ていません」
そういって、彼が外へと出て行く。ヴィレは震えながら窓の外を覗き込んだ。
奴隷商が複数の男達……商会傭兵を呼び寄せる。
「ドット、マリエル。下がっていてください」
「はい」
「はーい」
「手前がここの責任者か?」
「ええ」
「逃亡奴隷を匿ってるだろう。直ぐ差し出せ」
「はて。ウチには信徒しかいない時間ですね。逃亡奴隷? 御冗談を」
「はぁ、は。手前よ、これが見えねえのか?」
「銃を持った男の人が五人ですね」
「こんなクソ田舎の新興宗教如き、全員消しちまっても構わねえんだぞ?」
「どうやってです?」
「こうだよ」
ギンッ……という魔撃銃特有の発砲音が響く。
街中で、何の躊躇いもなく銃を撃つなど正気とは思えない。だが、彼等はそれでも許される立場であると、何かしらの自負があるらしい。
ヴィレは顔を覆った。
まさか、自分の為に、彼は――
「……は?」
「粗悪品だ。軌道が少しズレている」
……なんともなかった。
あの至近距離で、魔撃銃の弾丸を、弾き飛ばせるだけの、魔法障壁とは――そんなもの、故郷では見た事も無い。
「あ、あ? いま、いや、今中っただろう」
「どこに?」
「いや、だから、手前に……」
「そうでしょうか。そうでしょうね。ドット、マリエル、現認しましたか?」
「はい。彼の部下はヨージ神官長に向けて発砲しました」
「街中でぶっ放すとか気がふれてるのかしらー? あ、見ました見ましたぁ」
「そうですか。では、非正規奴隷商氏」
「――なんなんだ、手前」
「このままでは直ぐ騎士が来てしまいます」
「あ、ああ?」
「騎士が来たら、逮捕されてしまうでしょう。本来なら法に則るべきなのですが、それでは収まらないヒトもいますし、個人的に頭に来ます」
「何――言って……」
「僕は比較的暴力が得意といえる部類です」
「ぶぇっへぇ――ッッ!!」
そうして……ヨージは奴隷商の顔面を思いっきり殴りつけた。全員が唖然とする。奴隷商はヨージの拳を受け、真横に三回転半して頭から叩き落ちた。無属性魔力を込めた一撃だろう、顔が半壊しているのが分かる。
「はべぇぇッッ――!!」
ヴィレの焼き付くような苦しみが、半分以上軽減されるような、そんな光景だ。
商会傭兵もすかさずそれに反応するも、更にヨージが早い。魔法が五つ、的確に魔撃銃を五丁、弾き飛ばす。ヨージが手を薙ぐと、男達が数大バーム吹っ飛んで地面に落ちた。どれ一つとってもニンゲン技ではない。
「え、え、え、え?」
「まあ因果応報は必要でしょう」
ヨージが指を弾く。すると奴隷商の右足の筋が綺麗に裂かれ、血液が止めどなく溢れ出る。
「あ、ひっ、ひぎぎぃぃぃッッ!!」
「背中が無くなるまでぶっ叩くのと、陰茎を切り落とすの、どちらにしますか?」
「ゆ、ゆるして、許してくれ! お願いだ! あ、いで、いで、いででッッ!!」
「じゃあ陰茎にしますか」
「わ、悪かった! 悪かった! この通り、この通りだ……ああ嘘だろう……嘘だこんなの……」
「新しい信徒を迎え入れました。何かと入用です」
「分かった! こ、これ、今は、手持ちにこれだけだ!」
「ひぃふぅみぃ、ドット、胸ポケット」
「はい。あと五枚ありました」
「あ、ぐぐっ、そ、それは……」
「陰茎を」
「わかったぁ……わかったから……頼む……頼むよぅ……」
ヴィレは、目の前で繰り広げられる光景が信じられず、呆気にとられていた。口は半開きで、目を閉じる事が出来ない。自分を強かに痛めつけた男が、血まみれで許しを乞う姿が、あまりにも滑稽で、現実感が薄い。
自分を救ってくれた男というのは……、一体全体、何者なのか。
「ヨージ殿!」
「ロンター氏。非正規奴隷商です。恐らくバルバロス系ですから、こってり絞ってください」
「なんと不届きな者が大帝国に侵入していたものですな! ほら、全員立て! 騎士一同、スマートに引っ立てろ!」
『ハッ!!』
駆け付けた騎士達によって、全員がお縄となる。
ヴィレはそれを見届けると、力無く床に膝をついた。
救いが。
救いがあったのだ。
自身の選択が、間違いでなかった事が、今証明されたのである。
(お父様……お母様……)
「……よーちゃんね」
「は、はい、どうされましたか、神シュプリーア」
「よーちゃん。火竜党に弟を殺されたの」
「……だから、商会が嫌いなのですね」
「そして、皆殺しにしたの」
「……はい?」
「あんまり、特にナナリには、言わないでね」
「え、ええ……」
神シュプリーアの言っている、意味が良く分からない。
火竜党に家族を殺された、というのならば理解出来る。かの兵隊達はあらゆるニンゲンと神を焼き殺した。恐らく元は軍人であろうヨージならば、戦場で家族を失った可能性もある。
だが、火竜党を殺した、というのは、理解出来ない。
……そんな事が出来る人類が限られるからだ。
(――嘘でしょう。まさか……)
まさか。
その夜、ヴィレはヨージに、話を聞いて欲しいと持ち掛け、与えられた部屋に招いていた。
男女が同じ部屋で夜を共にするのであるから、彼の周りの女性達から批難の声の一つでも上がるものだと思っていたのだが、それはなかった。
その目は同情だったろうか。理解からの憐憫だったろうか。
この男性が、それほどまでに信頼されているという証か。
もしくは、例えば何かあったとしても、誰もとやかくいうような立場にはないのかもしれない。
「改めて、保護していただいて、有難うございます」
「いいえ。ところで不躾ですが、教養はどの程度」
「教養? 読み書き計算、魔法基礎学は履修済みです。言語は三つ程」
「ウチで神官として働きませんか」
「……畏れ多い。元王女とはいえ、所詮は奴隷の身です」
「当教団は、身分での雇用差別をしません。王女というのなら、二人ほどいますし……女王様もいますし」
「……? ????」
「そういう反応ですよね、ええ。どうにも、ウチはそういった『高貴なんだけど事情があって外面上偉ぶれない王族』みたいヒトが、寄り付くようでして」
「え、ええ……?」
「というわけでウチで働きませんか。この部屋は貴女の部屋として構いませんし、お給金もそれなりに用意します」
「いえ、そうではなく……構わないのでしょうか」
「構うも何も。人手不足なのです」
謝罪と感謝を伝え、あわよくばこの団体の下女として雇って貰おうと考えてはいたのだが、まさか神官にスカウトされるとは、思わなかった。よほど人材不足なのか。新しい宗教が爆発的に人気になれば、猫の手も借りたいのは分かる。
分かるが、こんな面倒そうな女を、よく神官にしたいなどと言うものだ。
「よろしく……お願いします」
「それはよかった。では今から我々は輩です。我が神達によく尽くし、よく健康に人生を生きましょう。難しい教義やタブーはありませんから、気楽にどうぞ」
「あの」
「はい」
「なぜ?」
確かに、助けてほしかった。救ってほしかった。丁重に扱われるのも、優しくして貰えるのも、僥倖だ。しかし、理由が無い。高等な教育を受けた人材は、確かに貴重かもしれないが、そこまでしてもらう謂われもない。
傍から見て――自分は、容姿に優れているかもしれないし、都合が良い存在でもある。が、それを求められている訳でもない。
「同情して貰えているならば、それはわたくしに都合が良い。わたくし自身が目当てなら、それも都合が良い。けれども、貴方はそういう目で見ていません。こんな奴隷、下働きさせておくのが、一番かと思います」
「能力目当てというならば、確かに貴女自身目当てですが」
「そ、それはそうかもしれませんけど……」
「不安なのですね」
「え?」
「明確に利害が確認出来ないのが、恐ろしいのですか。貴女の歩んだ苦難は、想像する事は出来ても、僕自身ではありませんから、正確にその絶望に対して共感は出来ません。僕というニンゲンに許されているのは、自分の差配出来る範囲で、ヒトの辛さを和らげてあげる事ぐらいでしょう」
「……」
「分かりやすさ、というのはある一定以上に正義です。万人が求めるものです。僕もその人種の一人であります。良し悪し、善悪、利益不利益……ただ、ここにいるヒト達と触れ合って、僕も少しは変化がありました。何もかも、分かりやすさだけでは賄えない世界がある」
「……はい」
「なので、そうですね。貴女を助けたかったから、ではいけませんか。バロバロスに酷い目にあったのでしょう。そういう意味で僕と貴女は苦悩を共とする仲だ。では『よしみで』という理屈を使ったって構わない筈だ」
何の裏も感じさせない言葉だった。思った事を、口にしただけなのだろう。
彼の力は自分の知らないものだ。また無属性魔法を見るに、軍人だったのだろう。バルバロスとの戦争に嫌気がさし、大帝国に逃げて来た、元軍人かもしれない。
いや、それにしたって強すぎる。こんな人物、探したところで見つからないだろうに。
「神シュプリーアから、火竜党に弟を殺されたと聞きました」
「弟は軍人でしたから、仕方がない事です」
「……火竜党を皆殺しにした、とも」
「あまりアチコチに言うものでも、無いのですが……我が神が?」
「ええ」
「たぶん、貴女に感じるものがあったのでしょう。では神の思し召しです。念を押すようで悪いのですが、ナナリには、内緒に」
「あの……火竜党を殺したのは、アオバコレタカという、男だったと、聞きます」
「僕です」
……。
『ヘ、火竜党が壊滅した……?』
『はい、はい! りゅ、龍の懐刀――アオバコレタカが……』
『そんな、馬鹿な。そんなに強いのか。あの、地獄の化身のような奴等を……壊滅とは、割合か?』
『全員です……一人残らず。全員』
『奴は……アスト・ダールはどうした!?』
『死にました……欠片も残さず、消し飛ばされました』
『あ、あ、あ……あ、ひ、う、嘘だろう……』
男達の動揺が牢屋に響く。自分達一族を攻め立てた奴等が……死んだのだ。
バルバロスによるアルヴ盟主国攻略と南方北部侵攻は同時に行われていた。アルヴ盟主国は扶桑に救援を求めたが、あちらはあちらで、世界史に残る大合戦が起き、アルヴ盟主国に援軍を送るだけの余力が無かったのだろう。
火竜党はこちらを攻略後、踵を返して南方へ赴き――そして、皆殺しにされという。
怪物、アスト・ダールすら、死んだという。
ヴィレは、その知らせを聞いて、笑っていた。ほんの少しだけでも、溜飲が下がったからだ。
自分は助からないかもしれない。
それでも、自分の国を蹂躙した奴等が死んだと聞き、嬉しかった。
ただ、奴等への鉄槌という役割を、アオバコレタカという男にまかせっきりにしてしまったのは、不覚であった。きっと、辛い思いをしたに違いない。沢山怪我もしただろう。仲間だって殺されたろう。
自分というニンゲンが、その傍にいる事が出来なかったのは、悲しい事であった。
「うっ、うぅぅ……うぅぅぅう……」
「ヴィレさん?」
アオバコレタカ……いいや、ヨージ・衣笠と名乗る男の手を握り、頬ずりする。涙が抑えられず、冗談のように流れて零れ落ちて行く。
「この手、この手が……わたくし達の仇を、滅してくれたのですね……辛かったでしょうに、苦しかったでしょうに……あんなバケモノ達と争ったのです、当然でしょう……」
「……」
「嗚呼……お父様、お母様、ご先祖様……ヴィレはこの時の為に生まれたのです……わたくしの、生涯をかけて果たすべきであった復讐を、一人で遂げた、この方に逢う為にあったのです……」
父の苦悩を、母の嘆きを、兄弟達の絶望を――それを燃料に、今まで耐えて来た。この身がどうなろうと、バルバロスという凶刃に、一矢報いるのだとして、生きて来た。
だが、この小さい身で何が出来るかなんて事も、理解していたのだ。
例え自由の身になろうとも、力も金もない自分には、何も出来はしない。
アオバコレタカ。
墨に塗りつぶされた心に穿たれた穴に輝く、ただ一つの光明。
ヴィレという女を支えた、絶対唯一の正義。
「みんな……みんな……ごめんね、ごめんね……わたくしは、王女として……何も……何一つも……」
「陳腐ではありますが、責任など背負わない方が良い。酷い見本が、目の前にいます」
「ヨージ様……」
「僕自身、何も清算出来ていない身ですが、今は随分と、幸せですよ。嫌になって逃げだして、死にかけて、我が神に拾われて……色々ありましたけれど、今日もこうして生きている」
「大英雄として、祀られたのでは……?」
「それが嫌でして。他にも理由はありましたけど。でも……」
「ええ」
「僕の力が、ほんの少しでも、貴女のようなヒトの救いになったのならば、幸いです。殺し、壊すばかりの力だ。本当は、救われたニンゲンより、苦しんだニンゲンの方が、多かったのではないかと、ずっと悩んでいました」
「そんな! そんな事はありません! アルヴの者にとって、国の、家族の仇を討った貴方こそが救いでした! どうか、そんな悲しい顔をしないで……!」
「……有難うございます」
嗚呼、そして、この男は。
本当に、何も救われていないのだと、感じる。絶大すぎる力を有しているが故の苦悩。力がありすぎる故に、あらゆる困難に巻き込まれて来たのだろう。彼の持つ空気は、あまりにも重厚だった。自分のようなニンゲンに癒せるものでは、決してない。
だが。
「わたくしを」
「はい?」
「わたくしを、如何様にでも、使ってください。ヨージ様、いいえ、ご主人様」
「……んん?」
「貴方の抱く絶望の肩代わりなんて真似は、わたくし個人にはとても出来ません。しかしわたくしの存在が、たった一欠片でも、心の棘を抜く事に寄与出来るならば、そんな幸せは他にありません。どうかどうか、好きなだけわたくしを使ってください」
「し、神官として働いて貰える、という事で宜しいです?」
「勿論です! それはもう、酷使してもらって構いません。貴方の為にぼろ雑巾になるのならば、むしろ幸福です……!」
「いやそんな酷使しませんよ僕……」
「何故!!」
「え、何故!?」
酷い世界だと嘆いた。
慈悲は無いのかと叫んだ。
身に宿した憎悪に焼かれる日々はしかし、新たな現実の前に薄れて行くのが分かる。
「不束者ですが、これから一生宜しくお願いします、ご主人様……ッ」
「様々な方面に差しさわりがあるその呼び方はちょっと」
「どうしてッ!!」
「ひえっ、怒らないでください……ッ」
「ああ、わたくしはいま、とても幸せです……あ、では」
「はい?」
「一先ず、ご主人様へ奉仕する為に、どうでしょう、加虐などはお好みですか?」
「いえ、そういう特殊なシュミはないですね」
「……殿方は、女を殴り飛ばして興奮するものでは……ないのですか……?」
「ないです……なんですかそれ、可哀想すぎて言葉も無いです」
「ええ……では奉仕の仕方がいまいち分かりません」
「また変なの来ちゃったな……」
幸せだ。
あらゆる拘束から解かれた解放感が、ヴィレの全てを包み込んでいる。もう、主人の目を気にして呼吸する必要はない。主人の目を盗んで食事をする必要はない。主人に気を使って淫乱な雌を演じる必要もない。
――ヴィレは、やっといま、ニンゲンへと返り咲く事が出来たのだ。




