地底の女王3
呼吸を。整える。鼓動を、落ち着かせる。
理不尽な、不可解な、超越的な、最悪な場面は、今まで幾らでもあった。
この度の真実は、拝む神の親がちょっと、大きかった、それだけの話だ。
「よー」
「ちゃん」
「だいじょう」
「ぶ?」
「ええ、落ち着いてきました……ってふぉぉああ!?」
ちょっと目を離したすきに、我が神が増えていた。
二とか三とかではない。十以上に増えている。
あちこちふらふらする我が神。自分のおっぱいを揉みしだく我が神。ぼけっとしている我が神、ヨージに群がる我が神。右も左もシュプリーア、シュプリーア。
「ええ?」
「ちょっと」
「増えた」
「なんで?」
「ここ、魔力あるし」
「主依代の傍だし」
「出来るかなって」
「そしたら増えた」
「も、戻って?」
「はーい。みんなー」
「はーい」
「はーい」
「はーい」
神殿内でアチコチに散らばっていた我が神が一つに集まる。ちゃんと戻った。
元から、もはやこの神の力は無尽蔵ではあるまいか、とまで考えていたが、幾ら土地に魔力があるからと、こんなハッキリと分身が出来る神は多くない。それこそ、十全皇ぐらいだ。
「わたしの根幹魔力帯を使っているのでしょう」
「占有根幹魔力帯ですか」
「ええ。深い深い、世界で一番深いところにある、わたしの魔力の帯。細くはありますが、十全皇同様この星を一周する程の規模があります。なので、シュプリーアはどこでも、その力を発揮出来る」
これで我が神の力の源も判明した。あの無尽蔵の奇跡をどこからどうやって汲み上げていたのか、ということだ。なるほど、ヘルは我が神に占有根幹魔力帯の使用許可を出していたようだ。
……とんでもない話である。
「……ここ、十全皇は」
「ここはわたし、ヘルの世界です。いかな竜種とて、手順を踏まねば通れません。法則は絶対なの。狭くジメジメした世界である代わりに、わたしの力が、絶大に及んでるわ。覗き見だって無理」
「それは、良かった」
「苦労しているのね。なんでしたら、わたしから少し忠告してあげましょうか」
「十全皇にですか」
「はい。アレは加減というものを知らない。あまり男性に纏わりつき過ぎると嫌われますよ、という事を教えてあげるだけですけれど」
「……有難い提案なのですが、それはそれで、後から何か言われそうですし」
「まあ、うふふ。確かに、ヒトの恋路を邪魔すると、竜に踏まれて死ぬと言いますからね」
くらくらとする頭を押さえながら、ベンチに腰掛ける。嗚呼神よ私をお導きください、と言えたらどれほど心が楽か。拝む神がそもそも、どこに連れて行くか分かったものではないのだ。
本格的に、スムーズな大樹教への加入を考えねばならない。リーアと十全皇が衝突するような事態だけは、絶対に避けねば。幾らこの神と十全皇が、測定不能な存在だったとしても、間に大樹教を挟めば、まだ被害は軽微で抑えられるだろう。
自分と人類を天秤にかけ……――いざとなれば、自決、という手段すら取れないのだ。
リーアも十全皇も、ヨージが死ねば、確実に蘇生させる。きっと何度同じことをしようと、彼女達はむしろ競って蘇生するだろう。ヨージ・衣笠大復活祭だ。最悪だ。
むしろ、ここでキーパーソンとなるのは、エオか。
互いの信頼を得ている彼女になんとか、仲介して貰う他無いが……エオに、そんな、究極的な選択肢を迫るなんて真似は、出来そうにない。
もはやヨージという身一つではどうにもならない。
だが頼る先も限られる。死ぬこともきっと許されない。
(愛、めっちゃ重い)
自分の双肩に、世界が負ぶさっている。
「私の主依代、育ったら、ユグドラーシルになるの?」
「たぶんそうね」
「何年くらい?」
「んー。数百万年はかかるかしら」
「長い」
「そうでもないわ。あっという間。わたしはもう、時間を数えるのも面倒になってしまったけど」
「そうなんだあ」
「わたしに稼働限界が来たら、ここを継いでくれるかしら?」
「地獄を?」
「そう。ちょっと暗いけれど」
「管理大変?」
「たまーに大断層を見て回って、たまに儀式に参加すれば良いわ」
「なら簡単」
「そう。では新しい名もあげましょう。"ニブルヘル"。シュプリーア・"ニブルヘル"・ギンヌンガップ。今はもう、名乗るものも居ない世界名」
「世界名……そういえば、エオも、ミドガルズオルムから授かっていましたね」
「なんて?」
「ええと、ヨトゥンです」
「まあ……兄上も似たような考えでいるのね。ユーヴィルの子とあらば、資格も申し分ないでしょう。つまり、貴方の宗教には、滅びた筈の氏族の名を持つ者が、二柱も居る事になるわね……しかもヨトゥンとは。うふふ、兄上は、エオさんを皇帝にしたいのかしら」
「……女帝ですか。大帝国は、男子しか皇帝を認めていませんが」
「竜が言ったら、皆はそれに従うだけ。誰があの親子を阻めます?」
「そ、それもそうですね……しかし、世界名、とは何です?」
「名前の通り。世界を治める者達の名。この世が産まれ、竜達の戦にひと段落がついたあと、神とヒトが統べるようになった時代に与えられた氏族名……うふふ、あまり詳しくは知らない方が、身の為かしら。貴方も十全皇の婿なのでしょう。ではその内賜るかもしれないわね。面白くなってきたわ」
「ちっとも面白くはないです……」
「ヨージさん。そう不幸な顔をしないで。十全皇はね、確かに、無茶苦茶よ。あらゆる竜と殺し合い、あらゆる大樹を伐採して来た。けれども、楽しんで神やヒトを殺した事なんて、一度もない。当時は戦争だもの、ヒトは死ぬ。神も死ぬ。それは必然。けれども、世界を滅ぼそうと思って滅ぼした事は、ない。結果的に滅んだ、というだけ」
「……それ、擁護になっていません」
「ううん。話し合いの余地はある、という事。この子……シュプリーアを彼女が殺してしまえば、貴方が悲しむ事なんて明白。貴方が愛した世界が彼女によって滅んでしまえば、貴方が悲しむ事なんて自明の理。そうなれば、彼女が貴方と復縁するなんて、夢物語になってしまう。だから彼女が、壊滅的な行いを、積極的にはしない。逃げず、もう少し、向き合ってあげたらどうかしら」
「竜種と、ですか」
「いいえ、女と。彼女という、寂しがり屋の女の子と」
そういって、ヘルが隣に腰掛け、ヨージの手に触れる。
白く、滑らかな手だ。ほんのり冷たいその手は、なるほど、確かに死を感じさせるものだ。
「シュプリーア」
「んっ」
「ヨージさんを幸せにしたかったら、ヨージさんが悲しむような真似は、してはいけません。わたし達は繁栄と繁殖の大樹の子。愛と慈しみをもって、あらゆる物事に接しなさい」
「さっきは、好きにしろって言った」
「好きにして良いわ。けれど、好きを実行した未来が、貴女の好みであるとも限らない」
「なるほどー」
「経験して、考えて、悩んで……本当に好きだと思える事を、するの」
「頑張ってみる」
「名を与えたのも、その為。その名を背負うだけで、抑止力となり得る。世界名を冠する者を、竜は好き勝手に殺せないの。これは母として、もう一つのプレゼント。名前ばかりで、ごめんなさいね、シュプリーア」
「ううん。嬉しい」
「産まれて来てくれて、ありがとう」
「……うん。今日から次期女王様?」
「そう。次期女王様。わたしが死ぬまで次期なのは、許してね」
「死なないで欲しい」
「うんうん」
「死んでも生き返して良い?」
「――ううん?」
「たぶん出来る」
「ヨージさん、シュプリーアは、なんと?」
「ええと。我が神の奇跡は、治癒ですが……本質は恐らく、蘇生です。ニンゲンは言わずもがな、神すら治癒可能です。流石に竜は無理でしょうが……。どういった性質が、我が神にあるのか、それを知るのも、僕達神官の役目でした」
竜は無理。色々思うところはある。もしかしたら、出来るかもしれないが、確認していないものを、確定したようには語れない。ただ、エオという竜の子を蘇生しているのであるから、もしかすれば、あり得る。
「蘇生、蘇生。蘇生? イルミンスルも出来なかった筈だけれど。アレには逢った?」
「イルミンスルは、亡くなりました。僕達が首都に居た、つい最近です」
「あの子、稼働限界が来たのね。もう歳だったし……けれど、そう、言われてみれば、確かにシュプリーアから、イルミの力を感じるわ。シュプリーア、イルミンスルを、どうしたの?」
「何もしてない。死ぬ前に出会っただけ。枕元にも立たれたけれど、蘇生するかって聞いたら、いらないって言われた。だから、ほら」
リーアが拳を突き出し、開いて見せる。そこには淡い紫色の光があった。
魔力なのか、なんなのか。ヨージには判別出来ない。
「これは、イルミンスルの御霊?」
「預かった。私と一緒にいるって」
「――……もうそこまで出来てしまうのねえ」
ヘルが溜息を吐く。ヘルが育ての親だと分かり、そして主依代がユグドラーシルの種子であると分かった時点で、ヨージはもう驚く事を止めた。これだけの強大な存在に生まれたのであれば、何が出来たとしてもおかしくないからだ。
「大樹とは、つまり生命における全て、という意味。生命に関する事で、出来ない事はないと言えます。貴女は与える方に特化した存在なのね」
「んっ」
「その力が自由自在に操れるようになれば、当然、死を与える事も可能になります。わたしの後継としての属性を纏うならば、当然それも強くなるでしょう。バランスはとった方が良いと、わたしは思います。死と生。陰と陽。月と太陽。強くなりたければ、偏らない事。良い?」
「お母さんは物知り」
「そうよ。だって竜ですもの」
頬を撫でながら、抱き合う二人を眺める。出会って一法刻程度の時間しか経っていないが、やはり、主依代として一緒に居た時間が長いからだろう。互いに強い信頼を感じる。
「女王陛下は、いつからこの種子に水やりを」
「見つけた時からよ」
ではもう……ニンゲンでは数えようのない時間の中を共にしていた事となろう。
子を儲けなかった竜が、手塩にかけて育てた種子より出でた神、か。
……厳密に『主依代から産まれた』訳ではない。自然の力が主依代に宿って神は成立する。その自然の力が何なのかは、誰も分からないだろう。だが、こんな強大な依代に依れる神など、他に存在する訳もない。
故に『実質的には主依代と同格』の存在、と言えるのだ。
「よーちゃん。この種子の、ほら、割れた部分。主依代の欠片。これを割ってー、一つをビグ村、一つをキシミア、一つを、フォラズに」
「……ええ。そうですね。それが良い。皆も喜ぶでしょう」
「宗教経営は順調なのかしら。フォラズを領地として与えられたのでしょう。あの寒村では人も来ないでしょうに。仕方なかったとはいえ」
「仕方なかった?」
「ユーヴィルがわざわざ、貴方達をフォラズにやったワケでしょう。では、少なくともユーヴィルは、シュプリーアが大断層由縁ではないかと、考えていたのではないかしら」
「それは、どのような推理で至ったものか、想像可能でしょうか」
「うーん。兄上の娘だもの……。竜精、というものの究極体。他が並び立つことも許されない程に、ユーヴィルは竜精として完成しているの。超常的な直感があるかもしれませんし、シュプリーアの出どころを、金とヒトに任せて徹底調査させた可能性もありますし。何にせよ、ユーヴィルには嘘なんて通用しないでしょうから、聞かれたら、起こった事を報告した方が良いでしょう」
ヘルにしてここまで言わしめる、ユーヴィルという竜精は、やはり只者では無いのだろう。
隠し事は何件かあるが……余程追い詰まったものでない限り、話した方が無難そうだ。
「それが善意なのか、大樹教守護者としての為なのか、分からないけれど。でも、お陰でこうして、娘に逢えたのだから、良い方に捉えましょう。姪のやる事ですからね……そうだ、大姪……エオさんにも、是非逢ってみたいわ」
「しかし、おいそれと地獄には来られませんね」
「加護さえ授けてしまえば、制約は軽減されるわ。隣近所感覚で来て良いのよ」
「地獄へ散歩気分か……話しておきます。色々整理したいので、フォラズに戻りましょうか、我が神」
「んっ。あ、そうだ。お母さん。骸体神」
「骸体神が、どうかしたかしら」
そうだ。出来事が多くてすっかり忘れていたが、本来の目的は死神の抑止の為の調査であった。それがどうしてか、いつの間にか地獄にまでやって来る事になっていたのである。
「フォラズに来て、貢物と、寿命を持っていくの。ちょっと困る」
「あー……」
ヘルが、何かしら考えている。竜がいちいち、思考を巡らせねばならない事態というのは、ハッキリ言って余程の事だ。
「相当昔の契約が原因ね。他にも、大断層の縁にある村は、骸体神に対して大なり小なり供物を捧げているの。何せ古い……古すぎて、わたしが覚えていないくらいのもので……」
「……陛下の領分ではあっても、陛下が扱えるもので、なくなっている?」
「不甲斐ないお話だけれど。神様のやる事はその、適当ですからね」
「参ったな。とはいえ、あの骸体神達も、悪気が無いのは、分かります。死に行く余生……忘れられた神々の、最期を、ニンゲンが支えてあげられないのは、やはり不義理ですし……」
「特に寿命を減らすのは、ダメだと思う。供物なら、美月に与えられる分から引けば良い」
「そもそも骸体神用の供物でしたからね……抑止だけならば美月に任せられますが、一方的に押さえつけるのも、罪悪感がありますし……」
「骸体神を抑えられる?」
「はい。フォラズに居た……神……的な女性で。火の神を宿しています」
「――……まあ、そう」
ほんの少しの、違和感。何かに納得した、という風に受け取れる。その何かは……聞かない方が無難だろう。竜や竜精なんてものは、話せる事しか話さないのだから。
「なんだか迷惑をかけてしまっていたみたいね」
「いいえ。大樹教の信仰システムの、ちょっとした不具合の所為でしょう。フィアレスとも相談してみます」
「ファブニールの娘ともお知り合いなのね」
「ははは……」
「因果集積体の、更に塊みたいな集団なのね、貴方達の宗教は」
困った子達ね、というようにして、溜息を吐く。ただ、そこに暗さはない。
この場で齎された真実は、大きすぎる。自分達という存在そのものが、容易くひっくり返るぐらいには、大きい。しかしもう齎されてしまったものだ、否定したり、誤魔化したりして好転する未来はないだろう。
今ある現実を受け止めた上で、ヨージはやる事を考えなければならない。
神エーヴの言う通りだ。ヨージは進むほかないのである。
「ではそろそろお暇を。ポータルは第八骸体神村の村長殿にお願いします。骸体神達は、楽しそうにはしていましたが、寂しくも見えましたので。ご機嫌くらいとってあげないと」
「第八骸体神村は、地獄へと下る終の村。百年もしない間に、完全にこの世から消えてなくなる者達の村です。良い思い出となるでしょう。シュプリーア、可哀想だ、などと言って、蘇生などしないように。生命の流れは、あるがままであるこそが、美しいのです」
「ん。分かった」
「ヨージさん。娘を宜しくね。あと、孫は楽しみにしています」
「宜しくする事は吝かではないのですが、孫は無理ですね」
「十全ねえ……たぶん、貴方の魔力を追いかけて、近く来るでしょうし……ま、竜の政治の話ですから、適当にあしらいます。では、またね、シュプリーア、ヨージさん」
「はい、失礼します」
「お母さん、また来るからね」
ほんの少しだけ名残惜しそうにしてから、リーアはヨージに手を引かれ、神殿を去る。
大冒険のつもりが、ただの帰省となってしまった。
しかしその帰省、王位継承権もついて来たのである。大断層という、もはや生者も触れる事のない、民すらまともに居ない世界の王位ではあるが、竜達が作り上げた、世界を運営する為の、大事なシステムの一角だ。
『ふぅー、いやー、地獄観光は初めてです。しかし思ったよりも斬る気の起きない竜でした』
「そういうのもあるのですね、グラム」
『たぶん十全皇が設定してるんじゃないかなー、と。あ、でもユーヴィルとかは、名前聞くだけで斬りたくなりますねえ!』
「ほんと怖いこの魔刀」
メイドのリコリスから戻されたグラムがそのような事を言う。
ユーヴィルか。彼女がどこまで真実に迫り、自分達をフォラズへと送り付けたのか、そこは計りかねるが、ある程度までは予想していたであろう事は、気に留めておかなければなるまい。
そしてその上で、大樹教との付き合い方を練らねばならない。
「あ、お帰りなさい。陛下どうだった……あえ!? 知り合いってそういう!?」
何も言わずとも、橋の前で待っていたモズグズが驚きながらリーアを見ている。ヨージには分からないが、冥界神の彼女には分かるらしい。
「あのヒト娘いたんだあ……あ、こりゃ、お姫様、どうぞお通り下さいまし」
「んー」
「お、我が神、良いカンジに偉そうですね。友の会でもそんなカンジでお願いします」
「みんな友達。あ、ガルムは?」
犬小屋に犬がいない。
「ガルムは、さっき十全皇が通って。あの犬、十全皇が女王陛下に送った犬なので、懐いてついていきましたよ。すれ違いましたか?」
「やはり来ていたのか。いえ。逢いたい状況ではなかったので、丁度良いかと……」
「私も犬欲しい」
「そのうち飼いましょうか」
「んっ」
相変わらずの嗅覚である。ヘルと逢って、果たしてどのような話をするのか、想像もつかないが、我が神へのアタリが弱まれば、と願う他無い。
ユーヴィルも十全皇も、我が神が『何者であるか』をある程度予測していた節がある。明るみになった真実は、確定的な現実として目の前に現れるであろうことは自明だ。
リーアを見る。
怪物を恐れて逃げた先に現れた、怪物、か。
どうあろうと、自分は彼女達という強大な存在から、見逃して貰えるようには出来ていないのだろう。
どうにか、少なくとも彼女達に平和と安寧を。
例え身が擦り切れようとも、魂が削れて無くなろうとも、これだけは、やり遂げねば。
「おうぃ、大丈夫だったかねえ」
「村長殿。許可は得ました。それでですね、僕達フォラズの代表として、今後の供物の在り方などについて、お話を……」
領地運営も始まったばかりだ。
取り敢えず、やる事が沢山ある、という事は、良い事である。




