地底の女王2
冥界竜ヘル。ミドガルズオルムの妹。本物の、最古竜の一柱だ。この姿は、分身であろう。基本、竜の真体というのは、とてつもなく大きいと相場が決まっている。今はニンゲンとコミュニケーションをとる為か、執政の為か、この姿でいるようだ。
竜の容姿というのは、評価のしようがない。何せ分身を作る段階で、自分好みにクリエイトするからだ。とはいえ、センスは問われるものだろう。そして自己の分身であるのだから、自己の理想が投影されるのも道理だ。
未亡人、といった風格である。また、なんとも肉付きが良い。
「お初にお目にかかります。私はヨージ・衣笠。こちらが私どもの宗教、治癒神友の会の主神、シュプリーアです。この度は……お招きに、預かった様子で」
「シュプリーアだよ。ヘル、私の事知ってる?」
我が神、一切の躊躇い無し。怯えもなさそうだ。聞きたい事を早速聞き始める。
「そちらへ掛けて。リコリス、供物からお茶を出してあげて。冥界のものを使わないでね」
「畏まりました」
勧められ、ソファに腰掛ける。ヘルもまた正面に座った。
ゆったりとした動きには余裕がある。寛大、という話もあった。
「冥界竜ヘルよ。ニブルヘル・ギンヌンガップ。大断層の支配者。竜……とはいうけれど、支配地はこの裂け目だけ。外の世界には殆ど干渉もしないの。外がどうなっているかも、知らないわ。時代遅れのおばさんでごめんなさいね」
「いいえ。私達を招いたのは、やはり女王陛下でしょうか」
「ええ。面白い気を感じたものだから。シュプリーア」
「ん」
「わたしは貴女を知っているわ。名前をあげたのも、わたし」
フェイスベールを取る。竜特有の金色の目が光る。
その容姿は――どこか、リーアに似て……いや、まるで『未亡人のリーア』だ。
「――ま、さか……」
「いいえ。シュプリーアは、直接的にはわたしの子ではありません。ご心配なさらず」
「じゃあ、なんで似てるのかな?」
「貴女の主依代を、育てていたのがわたし、だからかしら? わたしを見本に似せたのでしょう」
ここで、主依代か。なるほど、皇帝直轄森林地で見当たらないはずだ。リーアの主依代はこの地下に眠っていたのか。そして、それを育てたのが……このヘルだという。
つまり彼女が、リーアの育ての親、という事になるだろう。
「実は、我が神の主依代を探していました。やはり、樹木でしょうか」
「いいえ、種よ。最近……といっても、ここ数年で芽吹いたの。何せ日光もない場所だから、育てるのがとても大変で。でも、ちゃんと神も実った。その場に立ち会ったの。だから名前も付けた。いつの間にか、居なくなってしまっていたから、少し心配していたの」
驚きではあるが、安心した、とも言える。
神シュプリーアの依代は存在し、そしてそれはミドガルズオルムに連なる由緒正しい竜によって育まれていた、という事実ならば、今後治癒神友の会が大樹教加盟となった後でも、竜精等によって徹底的に保護されるだろう。
制限は受けれど、迫害される未来は、まずないと言える。
「じゃあ、貴女が私の育てのお母さん」
「ええ。意識して向き合うのは初めてね。シュプリーア。生まれたての頃は、ボケッとしていたから」
「近くに寄っても良い?」
「もちろん。さ、おいで」
我が神が浮き上がり、ヘルへと寄る。暫く顔を見合わせたあと、縋りついた。
顔も似ている。まるで、本当の親子を見ているようだ。
「あったかい」
「とても良い雄を見つけたのね。彼は貴女の為に働いてくれているかしら」
「よーちゃんがいないと、立ち行かない。一生手放すつもりがない」
「そう……ああ、これが、母の心なのかしら。何せ、子は作らなかったから……その慰みのようにして、貴女の主依代を育てたの。容姿もわたしに似せてくれたようだし……ええ、娘を名乗っても構いません。世にも珍しい、兄上達も知らない、わたしの子。うふふ」
「お母さん?」
「はあい」
「おっぱいがでっかい」
「そうね……ところでヨージさん、十全の気を感じますね。縁者かしら」
「いえその……む、婿として、追いかけられていまして……」
「婿。まあ、十全の? 幾つになっても、お盛んねえ。とはいえ、竜の中で最も増える事を得意とする彼女ですから、本能的に強いのでしょう。子は儲けたの?」
「いいえ」
「――そうなの。あの子、子供を欲しがっていたから、それは残念ね」
「陛下は、十全皇と、親交があるのでしょうか」
「お友達よ? 古い古い、とっても古いお友達。今となっては話題にもならないでしょうけれど、彼女の起こす戦争をバックアップしていたの、うふふ、わたしなのよ。お友達というよりは、親友ね」
また一つヤバすぎる真実が突如やって来る。
まさか、ミドガルズオルムという最高竜神の妹が、敵である十全皇を支援していたなど、とても好意的に神話として残すワケにはいかなかっただろう。故に記述が少ないのか。しかし、同じくしてミドガルズオルムの妹であるニーズヘグは叛逆した上で、悪の首魁として世間では語られている。この違いはいったいなんだろうか。
……大樹教的に不味いか、どうか。大樹教としてマズいならば、我が神の主依代がヘルの手によって育てられたなどとは、とても明かせない事実となってしまう。
「……た、大樹教とは」
「互いに干渉しないようにしているの。たまに兄上の分身が来るくらいで」
「不仲では、ない」
「ええ。争っていたのは昔の話ですし。ニーズヘグほど、暴れた訳でもないので」
それを聞いて、ほっと胸を撫で降ろす。
「お母さんは、ずっとここにいるの?」
「そう、ずっとここに居るの。もう随分と外の世界は知らないわ。ヤンチャがバレて、お前はここでも治めていろ、って兄上から任されて以来、ずっと」
「ミドガルズオルム竜に、大断層を任されているのですか」
「ええ。元から明るい性格ではないし、暗いところも好きだし……悪い仕事では、ありませんよ。それに、冥界は神々にとって必要な場所。世界を支えるシステムの一つ。重要なお仕事でしょう」
「まったくその通りに、陛下」
「ヘルと呼んで。なるほど、ああ、十全が好きそうな雄ね……」
「あ、ははは……」
「シュプリーア、もう交接はしたの?」
「よーちゃん、私に触りたがらない。いつでも良いのに」
「まあ、そうなの。いけないわ。交接ぐらい好きな時にしないと。ヨージさん、シュプリーアがお嫌い?」
「き、嫌いならば、そもそもここには、居ませんね」
「それなのにしない。不思議な事もあるものねえ。お互い気が合ったら直ぐする、ぐらいの時代では、無いのかしら。情緒も大切だけれど、情緒ばかりでは子供が増えないわ」
大体、竜種と話をすると、この話題になるのは、もはや必然か。人類の繁栄と繁殖を主としている彼女達竜種にとって、やはり一番大事なのが、子作りなのだろうか。
本人は、どうやら子孫を残さなかったようだが。
「そうだわ。シュプリーア、お母さんが教えてあげますから、これからしてみましょう」
「お母さん天才」
「そうでしょう。だって竜だもの」
「えッ!?」
だからといってどうして今からする流れになるのか。節操が無さ過ぎる。幾ら何でも情緒が無さ過ぎる。ああ、このような流れどこかでも……そうだ、ユーヴィルだ。
そもそもこの女性はユーヴィルの叔母、エオの大叔母にあたる。似ているのも仕方がない。
「娘に逢えて……彼氏にも逢えて……更に孫まで作れる……だなんて……ああ、いけないわ。わたしったら、年甲斐もなく……あら、なら子供も作れるのかしら……?」
「お母さんならいいよ」
「有難う。優しいのねえ、シュプリーア」
「いやいやいやいやいやいやいやいや……だ、ダメですって」
「ヨージさんにデメリットはありませんよ? 気持ちが良いし」
「それがダメなのでは? どうして竜種は、ああもう……」
「十全とはしましたでしょう?」
「……そ、そりゃまあ……しましたが……」
「あら、なのに子はいない……ああ……そういう……」
ヘルは口元を抑えて、可笑しそうにする。何がそんなに愉快なものか。竜だ。いや、十全皇と致していた身であるから、偉そうな事は言えないが、そんな、出会って直ぐそこで、などと、ニンゲンとして色々終わっている。竜はそんな倫理観無いだろうが。
そも、それで子が出来てしまったら、十全皇がそれはもう、とんでもない。
本当に竜戦争が始まる。
「辛いでしょうに」
「……正直、分からないのです。十全皇は、積極的に求めてきます。何も知らない僕も、当時は受け入れていた。しかし、子ですよ。竜原種と、ヒトの子です。神話でも聞いた事がない」
「さて。十全皇の親友と言いましても、彼女の考えの全てが、わたしに分かる筈もなく。ただ、女として考えるならば。やはり、本当に好きだと思ったヒトとの間に、子が欲しいのが本音ではないかしら。難しい考えは、きっとない。貴方、素敵ですもの。どれだけ腐ろうとも、その魂だけは、決して汚れず、高潔にあろうとする形が見える」
「高潔というには、汚れすぎました」
「行いではないの。あろうとする気持ちなのよ。汚い事の一つや二つ、竜にだってある。彼女は、真剣に、貴方を愛していて、貴方の妻になりたいと願って、貴方との愛の結晶たる子を、純粋に欲している。ただ、やはり竜ですから。常識も考え方も違う。それが、貴方には恐ろしく見えた。だから……逃げているのかしら?」
「……ただ、純粋に」
「ええ。あまり、教えては不味いのでしょうけれど……どうして、彼女が女の化身のようにしているか、知っていますか?」
「いいえ。教えてはくれませんでした」
「大昔。本当に本当に、一番最初の大昔。竜の性別、なんてものが考慮すらされなかった程の昔、彼女は女として生まれたの。世界最初の女。それが彼女。恋と愛に焦がれ焦がれ、自身の心の疼きを癒す為に、彼女は戦い続けた。ああ見えて、誰よりも寂しがり屋。そして、真実の愛を、本当の意味で唯一探し求める女。シグルズだって見捨てたのに、貴方を手放そうとはしないところを見ると……つまり、貴方の中に、本当の愛や恋を、見出したのかも、知れません」
あの怪物に、そのような感情が、あるのか、否か。
何度も肌を重ねた存在ではあるが、彼女の心など知れなかった。何でも言い含め、何でも誤魔化す。ただし、嘘だけは吐かなかった。彼女の口から吐かれる言葉は、全てが真実だった。
……恨みはある。恐怖もある。畏怖もある。
今更、どういう顔をして、付き合えば良いというのか。
「ま、それはそれとしまして。リコリス、ベッドを整えて。ヨージさん、沢山致しましょうね?」
「いや、いやしませんよ? 今その話してなんでする流れになります?」
「え……だって雄なんて数十万年ぶりぐらいですもの……折角活きが良くて顔が良くて繁殖力が強そうな雄の生者が目の前にいるのに……食べないとか……竜として間違っている気がして……」
「うーん大問題ですね。我が神、お母さんちょっとダメですね」
「お母さんちょっとダメだって」
「まあ。他人様に罵られるなんて随分久しぶり。確かに錆びついてはいるかもしれませんけれど……その手腕で手入れして貰えれば、直ぐ使い物になるかと思いますよ」
「はー、竜怖いなーやっぱり怖い……陛下、それよりも」
「結構大事でしたのに。何か?」
「我が神の主依代を、拝みたいのですが」
「……――確かに、確かに。重要ですね、それは。シュプリーアも?」
「私の本体なら見たい」
「そうですか。では隣の神殿へ」
なんとか話を流す。そう、交接云々は良い。もっと重要な事がある。散々探し回って見つからなかったリーアの主依代が、ここには有るというのだ。
ヘルが指をクルリと回す。気が付くと、別の場所に居た。竜がする事なので、もう驚いてなど居られない。ここは恐らく、建物に付随していた、隣に建つ神殿だろう。
石造りの神殿。石柱に石壁、全体が白く、欠けも傷もない、清潔な空間だ。樹石結晶によって照らされた空間には、複数の墓が見て取れる。墓石に刻まれた文字は、当然ながらヨージには読む事叶わない。
整然と並ぶ墓石達の正面に、円形の芝生が見える。
その中央に、それはあった。
視界に入った瞬間、比喩でなく脳が揺れる。下腹の奥に、決して取れない鉄の玉でも押し込まれたような重みと違和が襲い掛かる。間違いなく、氷が割れるような音を立てて胃が収縮した。全身の筋肉が強張り、顔は皮が張り、目はこれでもかと言わんばかりに見開かれ、しかも視線がブレる。
精神値を確認。つまるところ正気度。ニンゲンをニンゲン足らしめる、ニンゲンである為の尺度。耐性、耐久、過去の経験を礎に、過去の絶望を想起させ輪廻させる。区切り、区切り、区切り、許容、許容、許容。目の前にある超現実を、理解し得る現実として、再理解し、再構築し、受け止める。
「た……種……ああ、ああ嘘でしょう……嘘でしょうそんなの……」
「――これが何の種か、解るかしら?」
種だ。植物の種子。直径で三大バームはある、大きすぎる種。
現在屹立している、いかなる巨木であろうと、こんな種子は実らない。薄い茶色で、硬い殻を纏ったそれは、頭頂部から、ほんの少しだけ、芽が見えている。
(なんてこった……疑うべきだった……ヘルが、この冥界竜ヘルが、わざわざ育てる種子だぞ!!)
間違いない。疑いようがない。
これは――――世界樹の種だ。
自身の胸元を掴み、今にも飛び出してしまいそうな心臓を抑えるようにして、ヨージは膝をつく。嫌な汗が流れて来た。背筋が寒い。脳が冷える。
「ああ……解る。これ、私だ」
「これが貴女。愛しき主、ユグドラーシルの種子。だから貴女は、私の妹でもあるの」
「家系が複雑」
「そんなものよ。親子という概念も、何となくで語っているだけだもの」
「私、おっきいねえ」
「この種がいつ大断層に落ちて来たのか、それは分からないわ。わたしがこの地獄を預かるよりも、前からあったものだから。たぶん、十全皇がユグドラーシルを叩き斬った時に、落ちたものだと思われるけれど……」
「なのに十全皇と友達なの?」
「竜による生存戦争はずぅっと昔の話。それに、当時は兄上とも仲良くなかったから。当てつけに、十全皇を支援したの。殺し合いは必然。必然に恨みはない。そういう事」
「でっかい」
どう、どう説明する。ユーヴィルに、フィアレスに、どう説明する。
うちの神様、お前達のご先祖の種だぞ、と? 言えるか? 言えるのか?
いち神官如きの領分ではない。これを判断出来るのは、竜ぐらいだ。ヨージには一切、何も出来ない。この事実を知った時……ユーヴィル達は、リーアをそのままにするか? 絶対にしない。間違いない。
竜でなくとも、少なくとも原始自然神と呼ばれるものであり、その……力は……、恐らく……原初、原始、最初も最初……奇跡を通り越した、大奇跡の先の先まで、起こし得る力を、シュプリーアという神は、確実に、秘めている。
いいや? いいや? それこそまさしく"竜"というのでは、ないか……?
「ヨージさん、体調が優れませんかしら」
「衝撃と……政治的な苦しみで……体調不良といえば……そう、です」
「扶桑人であろう貴方が、フォラズへと至った、その理由を聞かせて貰っても良いかしら」
「……はい」
自分達がここへやってきた、そのあらましを掻い摘んで説明する。途中、竜精との関係性についても話した。特にエオに関しては、ヘルも随分と関心を寄せている。
「そういう事だったの……でも、シュプリーア程の因果の塊ならば、仕方がない事ね。エオという子を救ったのも、もはや必然でしょう。竜の子の嘆きを聴いて、この子は現れたのだわ。むしろ、その子の嘆きが、この子を生み出したとも言える」
「何てことだ……僕は、本当に、とんでもない女性達を……」
「気にする事もないと思うわ。もっと気楽に行きましょう」
「そ、そんな軽く受け止められる程、ニンゲンの精神は硬く出来てはいません……」
「大樹から切り離された種は芽吹き、神を生んだ。その神は竜の子と愛しい彼に育まれ、順調に成長している。むしろ、微笑ましくさえある。ユーヴィルとて、大笑いするぐらいでしょう」
「そんなものでしょうか」
「黙っていろ、というのならば、わたしは黙っています。追及されたところで知ったところではありませんからね。だってわたし、竜ですもの。原初の竜。ユーヴィル如きが何するものぞ、です」
口元に人差し指をあえてて、ウィンクする。お茶目。凄い可愛い。そりゃそうだ。リーアに似ているのだから可愛いに決まっている。
「最上級である、という意味の言葉をモジって名付けました。シュプリーア」
「んっ」
「好きに生きなさい。思った通りになさい。それが貴女になる。そしてそれは"世界となり得る"
。最大の生命体から産まれた貴女は、恐らく唯一無二。何せ、他の大樹の種子が芽吹いて神を宿したなんて話、聞いた事もありませんもの」
「世界は。大きい」
「そうね、世界は大きいかしらね」
「でも、もっと、強くなれる?」
「勿論」
「それは――……十全皇よりも……?」
「まあ、この子ったら、恋敵を倒す事ばかり頭にあるのかしら。女の子ねえ」
「色々教えて欲しい。私は、よーちゃんを幸せにしたいの」
「……ええ。幾らでも。大事な大事な、わたしの一人娘ですもの」
……――出会わせては、いけなかったのかもしれない。
二柱の、同じ顔をした女は手を取り合い、見つめ合っている。そこには、親子とはとても思えない、奇妙で、耽美で、不可思議な空気が漂っている。
世界を終わらせる相談をしている、と言われても、ヨージは疑問に思わない。
何せ、その通りなのだ。
シュプリーアと十全皇が衝突するとなれば……
きっと今の文明世界は、消えてなくなるのだから。




